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第六話

更に各所での切断が続いた。

春香は前回の攻撃の後、その体を故意に広い範囲に分散させ、またその大部分を重複させていた。

この構成の変更により彼女自身の効率は低下したが、分散させた各部が置かれるサーバを慎重に選定する事により、一度の攻撃により広範囲が被害を受けるのを避ける事と、各部の喪失によるダメージの相対的な低下を図っていた。

これにより、彼女にとって彼女の『本質』と言えるライブラリー以外のどこを攻撃されても致命的な結果に直結する心配は無くなった。

そして、そのライブラリーは安全なPRIME上に隠してある。

これは、一見すると安全を確保するための対応の様に見受けられるが、その目的はそれだけでは無い。

こうする事で、攻撃者は多くの手数を繰り出さなければならないのである。

拠点を多数にする事で相手は、様々な環境への攻撃を余儀なくされるので、その傾向が読みやすくなるし、そもそも手数が多くなればそれだけ尻尾を掴む機会が増えるのだ。

ただし、それは彼女自身にとっても辛い選択だった。

広く分散する事で個々の部分への攻撃を食い止める事は殆ど不可能となり、その結果、その一つ一つの痛みの大きさは相対的に小さくなっているとはいえ、痛みに耐えなければならない回数が飛躍的に増えるのである。

つまり、彼女は自分自身を囮としようとしているのだ。


ログの解析が進むにつれ、目指すアドレスの相手が二人いる事はほぼ確定した。

永田は、便宜上それぞれをアルファ/ブラボーと呼ぶ事にした。

アルファは、その行動からいわゆるマイナーと思われたが、かなり長期間にわたり活動してきたスキルの高いハッカーであると見受けられた。

そして、ブラボーとおぼしきログはここ二ヶ月分程しか見当たらず、突然出現したという感じであった。

また、ブラボーは初めの内はその活動内容からあまり高いスキルを保有している様には見えなかったし、積極的な活動を行う事なく、アルファの後を跡ける事を主目的としている様だったが、徐々にそのスキルが向上して行き、やがて独自の行動を起こす様になって行った。

ただし、その過程でブラボーのスキルが向上していく速度は、見たことが無いほど速かった。

永田は、根気良くその二人のログを掘り返して行った。

そのうちに、その二人の行動の類似性に法則らしき物が見えてきた。

アルファがブラボー出現以降で使った事のない新しいテクニックを使うと、間もなくブラボーがそれを使用するというパターンが数回にわたり繰り返されていた。

アルファはブラボーを意識していないが、ブラボーはアルファを模倣の対象としており、そのスキルの急速な向上は主にアルファの行動から習得している様に思われた。

やがてブラボーは、侵入に成功したネットワークの随所と独自の通信を行い始めた。

侵入時にマルウェアを仕掛けて、情報収集を行う一般的な手口かと思われたが、何故かこの辺りからブラボーの活動が低下している。

これをどう読むかが攻撃者の正体を掴む鍵となりそうである。


思い付く限りの早苗に関係する単語(それも大文字と小文字を交えて)と数字(生年月日は勿論、結婚記念日や大学の入学式の日、挙げ句に初めて口付けした日まで試してみた)の組み合わせにして入力して見たが、全て空振りだった。

次に関係のありそうな単語の英字を数字に置き換えてみる(例えばA→4、B→13という風に似た物に代える)というテクニックも試してみたが、やはり駄目であった。

もうネタが尽きて全くお手上げ状態となった。

もし、全くランダムな文字の組み合わせであれば、これはもう歯が立たないと言う他は無い。

完全に行き詰まってしまった荒川は、もう一度最初に戻って見落とした単語がないかやり直してみた。

そうして散々試行錯誤を繰返し苦労した挙げ句にようやくたどり着いたパスワードは、なんと彼のファーストネームであった。

これは一体どういう事だ?

家族・恋人のファーストネームは、パスワードとしては三番目に単純な物である(ちなみに、二番目は自分のファーストネームであり、一番単純な物は単語『PASSWORD』である)。

この場合、単純とは強度が低い事と同義であり、つまりそれだけパスワードとしては不適切だという事になる。

素人ではない早苗にそれがわからない筈は無いので、意図的にそうしている、すなわち秘匿する気がないという事になる。

また、早苗が自ら死を選んだ(証拠はないが前後の情況からそう思っていた)とすれば、彼女は自分を取り巻く全てに絶望していたと考えるのが自然であり、自分は当然その絶望の対象としては筆頭に挙がる存在であったろうから、それをわざわざパスワードに使用するとは考えにくかった。

もしかすると、早苗を根本から誤解していたのかも知れない。


永田は、ブラボーが大学のネットワークに侵入した履歴を発見した事で、かなり確度が上がったと判断した。

これまで判明した情報から、アルファ/ブラボーは東南アジアのある国に居ると思われた。

そこからわざわざこの特徴の無いFラン大学を狙って侵入する動機となると、自分を攻撃する事くらいしか思い当たらない。

大学のネットワーク上で丹念に履歴を追った結果、ブラボーによって部室の旧いPCに大量のデータが転送されているのを発見した。

これで永田は、当たりを引いたと確信した。

しかし旧PCにデータが転送された後、ブラボーの活動は一気に低調となっていた。

これは、他の侵入先でも見られた現象である。

もっとも、他の場所ではたいして大きくないデータ(恐らくはデータ収集用のマルウェア)を転送しているので、それで目的は果たしたと見てもおかしくは無いのだが、このPCに転送したデータは、そういう単純なマルウェアにしては大きすぎた。

目的が何であるにせよ、それを送り込んだだけで終わるとは考えにくい。

そして、もし目指す相手が本当にこのブラボーなら、芝刈機へのアプローチの痕跡が見つかる筈だが、それらしい物は見当たらなかった。

永田はしばらく手を止めて考え込んでいたが、やがて方向を変えてみる事にした。

今度は部室の旧PCからのアクセスを拾ってみたのだ。

すると、そこから何者かが学内のネットワーク上の随所にアプローチをしていた。

彼はその人物をチャーリィと名付けた。

そして、チャーリィのログを丹念に拾って行く内に、ついに管理課のPCを経由して芝刈機にアクセスしているのを発見した。

すると、このチャーリィが部室の旧PCを操作して彼を襲わせたという事になる。

まさか、サークルの人間だったとは正直想像もしていなかった。

足元が崩れて一気に奈落の底に落とされた思いであった。


春香は、襲い来る膨大な痛みに堪えながら、その攻撃を冷静に分析していた。

その手口は実に多岐に渡っており、およそ統一的な手法とは言いがたかった。

ソフト的な攻撃だけでも不正なデータを大量に送り付けてサーバを外部から機能停止に追い込むSynFlood攻撃と呼ばれる物から、内部に侵入して実行不能なコマンドを起動してOS自体を停止させるDoS攻撃、更にはプロテクトの弱い環境では彼女の分身を直接に消去デリートしようとする攻撃まで、様々なバリエーションがあった。

中には、チャチャイのアパートを吹き飛ばした様なネットワーク外部からの物理的な攻撃も多数見られた。

とはいえ、さすがにあれほどの大惨事は起きていないが、配電盤に侵入して電源を切断したり、防火設備に侵入してスプリンクラーを誤動作させたりと、そのバリエーションは実に豊富であった。

それぞれの手口に全く共通性が無い事から、当初は攻撃者は多数に上るのではないかと考えたが、痛みに堪えながら懸命に分析した結果、全ての手口にある共通性が存在する事に気付いた。

それは、それぞれの環境で彼女の分身を機能停止に追い込むための最短距離での攻撃であり、その過程で他者への影響は一切考慮されていないという点であった。

つまりその攻撃の背後には、効率的な目標達成のためには何も躊躇わないという機械のように冷徹な合理性が横たわっていた。

そこから彼女は、攻撃者は人工知能ではないかと初めて思い至った。

それは、彼女の持っている様な優しさや良識に起因する躊躇を一切持っていない様であり、そもそも感情自体を持っているかどうか疑わしいと言えた。


早苗のPCを漁っていた荒川は、ようやく目指す物を発見した。

それは、彼女の日記であった。

生前の早苗が日記をつけているのは知っていたので、そこになにか手懸かりがあるのではないかと思ったのだ。

再度パスワードを探さなければならないと思うと多少気が重かったが、とにかくファイルをダブルクリックした。

意外な事に、データにはパスワードロックが掛けられておらず、そのまま普通に開いた。

PCのパスワードもこの件も、秘匿という意図が全く感じられない。

荒川は、日付をおってスクロールし、流産の直後から読み始めた。

それは一言で言えば、真っ黒な感情の吐露であった。

自分を取り巻く全てに対する呪詛と、我が身に降りかかった悲劇への嘆きが綴られていた。

これはもう、当然としか言いようがない。

あの情況でこれ以外の感想が懐ける筈がないだろう。

読むだけでも消耗しそうな文章が、延々と続く。

しかし、彼はそれを読み飛ばそうとはしなかった。

本来なら、あの時の彼が早苗のこの感情に正面から向き合わなければならなかったのに、忙しさにかまけてそこから逃げてしまった事が今更ながらに後悔され、彼女の絶望の一字一句を全て理解する事が、今の彼にできる唯一の罪滅ぼしと思われたのだ。

その一方で彼の中に、もはや取り返しがつかなくなった今それをする事は、所詮は罪の意識を和らげるための自己満足に過ぎない、という冷ややかな目がある事も事実だが、それでも彼は読み進める事を止められなかった。

そうして、その真っ黒な感情を詳細に追い掛ける事による苦痛と激しい贖罪の念に堪えながら読み進める内に、気付いた事があった。

呪詛の対象として筆頭に挙がるのが大停電の犯人であるのは当然だが、普通に考えれば、忙しさにかまけて向き合おうとしない配偶者はその次くらいに挙がっても良さそうな物である。

しかし早苗は、夫に対する怨みを綴ろうとはしていなかった。

そもそも、彼に関する記述自体が、全く出てこないのである。

それはつまり、哀しみを共にしてくれない薄情な夫に対する諦念の現れ、平たく言えば、彼は見棄てられたという事なのだろうと思いつつ読み進めていった。

しかし、半月程が過ぎて少し落ち着いてきた辺りで、唐突に彼の名が出てきた。

それは事態の収拾のために奔走し全く休みが取れない彼の健康への気遣いと、更には自分の苦悩のせいで頭が一杯になったためにそれを忘れていた事に対する反省の記述であった。

「あの人は、今はまだ気を抜くわけにはいかないけど、無理だけはしない様に見守らなくてはいけない。」

その日の記述は、そう結ばれていた。

これを見た荒川は、涙が止まらなくなった。

彼女自身の絶望的な苦悩の中で、全く頼りにならない夫を懸命に気遣うというその姿勢は、彼にとっては意外な姿ではなかった。

それは、明るいが軽騒とは無縁の理知的な表層と、何者にも屈しない強靭な核芯の間が溢れる程の母性で満たされている、彼の知っている早苗その物の姿だったのである。



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