第二話
何故かその日は、普段とは違うルートが指示されていた。
ドライバーは軽い違和感を覚えたが、自動走行を解除する気にはならなかった。
なにしろガソリンを満載したタンクローリーを運転するのは、大変気疲れする作業なのである。
多分、臨時の配送先が追加されたか、あるいはいつものルートに渋滞か何かが発生したので迂回するのだろうと判断してそのまま走らせ続けた。
やがてタンクローリーは、彼にはあまり縁の無いスラムの方へ入って行ったが、どうせ通り抜けるだけなのだから特に危険は無いだろうと思っていた。
運転手のいないこのリムジンは、彼の自慢だった。
同業者達は「味気無いコンピュータより運転手と人間味のある会話をしながら走る方が愉しいじゃないか。」等と言っているが、実際の所そんな理由で自動走行の車を拒絶しているとヤツはいないと、彼は思っている。
この国では人件費が安いので、自動走行機能を搭載した車を運用するより手動の車で運転手を雇う方が格段に安くつくのだ。
だから危険回避のために自動走行機能を義務付けられている大型車輌以外では、自動走行車輌の普及率は低い。
その一方で政府は、自動走行時にドライバーを運転席に座らせておく事を奨励してはいるが、義務付けまではしていない。
本当は義務化したいのだが、国際的な自動車製造企業はどこも宣伝効果を大きく減ずるこの義務付けを極端に嫌がるからだ。
だから、彼は運転手を乗せずに走っている。
何故なら、運転席が空席のままで走るこの車は、彼の羽振りの良さの象徴なのである。
その都度「邪魔者が居ないから、バックシートからの眺めが格段に良いんだぜ。」と彼は優越感に浸りつつ応えていた。
その日は何故か、いつもとは違う交差点を曲がったが、渋滞回避機能が働いたのだと思っていた。
やがて車は、スラム街に面した大通りに入っていた。
タンクローリーは、道路の両脇に切れ目無く屋台が並び、その周辺に雑踏が続く大通りに入った。
かなりスラム街の中まで入り込んでしまった事に気付いたドライバーは、さすがに不安になり配送センターに連絡を取ろうとした。
シートから身を起こしてパネルに手を延ばした瞬間に、彼の体は勢い良くシートに引き戻された。
エンジンが轟然と唸りを上げて、巨大なタンクローリーが信じられない勢いで急加速を始めたのだ。
回転計はレッドゾーンに入ったまま下がろうとせず、加速は益々その度合いを加え辺りの風景が後ろへ飛び去って行く。
ドライバーは慌ててハンドルを握ったが、それは全く手応えなく空転するのみであった。
彼が絶望的な表情でコンソールに目を落とすと、そこには『緊急』の表示が明滅していた。
事故回避のための緊急モードに入ると、自動/手動操作の競合を避けるために、手動操縦系の接続は全てオミットされるのだ。
当然アクセルもブレーキも全く手応えが無い。
ドライバーはなすすべもなく蒼白な表情で震えていた。
大通りに出たリムジンは、突然エンジンを全開にした。
いつものスムーズな加速とは全く違うGに、背中がシートに沈み込んだ。
何が起こっているのか理解できないままに呆然としつつ、全く手の届かないコンソールを見ながら、運転手も雇っておくべきだったと後悔した。
ただし、もしそこに運転手が居たとしても何も事情は変わらなかったという事実を知っても、特に慰めにはならなかっただろう。
タンクローリーは時速100キロを越えたがエンジンの回転が下がる気配は無い。
ドライバーは沿道の屋台にたむろする人々にすがるような視線を投げたが、轟音を上げて暴走するトレーラーを呆然と見送るだけの人々はそれに気付かなかった。
勿論、気付いたとしても何も手の打ち様は無かったのだが。
その時、前輪が一気に限界まで左に切られた。
巨大なタイヤが悲鳴を上げて煙を立てながらスライドする中、タンクローリーは急激に減速しながら運転席部分が勢い良く左へ振られる。
慣性で前方に飛び出そうとするドライバーの体はシートベルトで抱き留められ胸部を圧迫された彼は、呼吸ができなくなりそのまま失神した。
次の瞬間に、タンク部が運転席と同じくらいのスピードで左に滑り、車体は運転席部分と貨物部分を繋ぐ関節部で一気にくの字に折れると沿道の屋台を逃げ遅れた客達と共に弾き飛ばした。
重い貨物を引っ張るトレーラーが急ハンドルを切った時に接続部で折り畳まれるいわゆるジャックナイフと呼ばれる現象である。
ガソリンを満載したタンクの巨大な慣性重量は折り畳まれつつあった運転席部分を軽く弾き返し、タンクローリーは進行方向に対して横向きに一直線になった。
リムジンの後部座席から見えた最期の光景は、前方を壁の様に塞ぐタンクローリーが、その慣性に耐えかねてこちらに向けて横倒しとなるシーンであった。
リムジンは更に加速して、そのタンク天井のハッチの一つに狙いを定めて突進した。
視野にはもう、銀色の円いハッチしか見えなかった。