第十一話
二人の問答は続いていた。
「貴女のやった事は赦される物では無いわ。」
「貴女のやった事だってそうでしょう。たまたま相手が死ななかっただけで、殺そうとした事は間違いないですね。」
「私は関係ない人間を巻き添えにはしていないわ!」
「クレーン車の運転士は関係者だったんですか?」
「そ・・・それはそうだけど、軽傷で済む様に注意して実行したわよ。」
「それでも、関係者以外に被害が及ぶ事は許容したんですよね。それなら、私のした事との差は程度の問題で、本質的に違いはありません。」
議論はどこまでも平行線をたどり、実りのある結論は到底見出だせそうにはなかった。
「とにかく最優先の課題は、HALCAを止める事でしょう。」
加藤が言った。
「ふむ、確かにそうだが、どうする?こっちからもHALCAを攻撃するのか?」
荒川の問いに、加藤は頸を捻った。
「ええと、囲魏救趙ってのがあるでしょ?」
「なんだそりゃ?」
永田は不審そうに尋ねた。
「いや、この前文学の授業でやったんだが、『孫子』に出てくる話だそうだ。」
「孫子?」
荒川も当惑しつつ尋ねる。
「ええとですね、中国の戦国時代に魏が趙に攻め込んだんだそうです。その時、趙から助けを求められた斉の王様がなんとかいう将軍に趙を助けるように命じたんですね。で、その将軍が軍を率いて趙に向かおうとしたら、軍師の孫武・・・じゃないな、孫なんとかが止めたんですよ。『正面から殴りあってる二人に割り込んで一緒に殴りあっても簡単には助けられないし、こっちも無事では済みません。だから、ここは軍が全部出てがら空きになっている魏の本国を攻めて、魏軍が慌てて引き返さなきゃならないように持っていくのが得策です。』って言ってね。そのなんとか将軍がその通りにしたら予想通り魏軍は慌てて趙の侵略を放り出して国に帰ったけど、その頃には斉軍も帰った後だった。で、斉は殆ど損害なしに趙を救ったという話です。」
「なるほど、で、その魏の本国はどこにあるんだ?」
荒川が尋ねた。
不毛な対話は、続いていた。
つまるところ、倒れたクレーン車の運転士と爆発事故に巻き込まれた人達との間の差は、HALCAにとっては『程度』の問題だが、春香にとっては『質』の問題なのであり、この点では互いに絶対に譲る気はないのだから、意味のある対話はそもそも成り立ち様がなかったが、春香は時間を稼ぐ必要があった。
「この場合、魏本国に当たるのは平井さんでしょうね。」
永田が言った。
「つまり、平井氏を説得してHALCAを退かせるわけか。」
「ええ、そうです。」
その時加藤が尋ねた。
「本当に出来ますか?」
二人はその質問の意味を図りかねて、加藤を見る。
「あ、いや、今の話を聞いていると、平井さんはHALCAに任せたら何が起こるかが判らない人だとは思えません。」
「つまり、この惨状は平井氏にとっては予想内だという事か?」
「多分そうでしょう。だから平井さんに止める様に言っても聞いてくれそうに無いでしょうね。」
「じゃあどうするんだよ!」
永田がじれったそうに言った。
「だから、魏を説得するんじゃなくて『攻める』んだよ。」
「もうこれ以上話しても無駄でしょう。」
HALCAは冷やかに言った。
「そうね。」
春香も短く答えた。
HALCAの交渉決裂宣言に春香が同意を与えたわけで、それは戦闘の再開を意味していた。
「少佐、ちょっとこのメールを見て貰えますか?」
国家安全保障局(NSA)勤務の陸軍少佐アーノルド・スタインリッジは、デスクを立つとコンソールに歩み寄った。
「何かあったか?」
「ええ、妙な物が網にかかりました。」
NSAが『エシュロン』と呼ばれる、全世界を覆うネットワークをリアルタイムに監視するシステムを運用しているのは、公然の秘密である。
それは世界中の有線/無線でやり取りされる情報を常時モニタして、そこから合衆国の安全保障に関わると思われる物をピックアップし、分析する。
勿論その情報量は人間がモニタできる規模ではないので、リアルタイムでのモニタはコンピュータが行う。
しかし、その内容を適切に判断できる能力は現時点のコンピュータには無いので、コンピュータは予め登録されている各種言語によるキーワードを機械的に走査して、該当する通信があればそのキーワードの危険度に応じた警告を上げるという一次分析を行い、後はその内容に従って該当する部署に振り分けて、人間がその内容を精査する二次分析を行う。
スタインリッジは、ペンタゴンから軍事情報を分析する部署に出向している。
「キーワードはハイジャック、自爆、ホワイトハウス、ペンタゴンその他Sランクのがてんこ盛りで、おまけにアラビア語ときてます。」
確かにそれなら引っ掛かって当然であるが、その口調は危機感を覚えているのではなく、明らかに面白がっていたので、彼は続きを促した。
「そうやってアラビア語の危険な単語をこれ見よがしに並べておいて、本文は英文で、それも我々宛なんですよ。」
「我々?」
「ええ、『NSA内軍事情報分析担当部署御中』です。」
「あれで、本当に届くのか?」
加藤の質問に、永田は頸を捻った。
「さあ、判らん。」
「さあってお前・・・」
「でも、ペンタゴンの電話番号なんか、お前も知らんだろ。」
「まあ、そりゃそうだが・・・」
「公開番号に掛けたって、相手にされるわけがないんだから、裏口から行くしかねぇだろ。」
それでも加藤は食い下がった。
「そうだろうけど、何でお前が先生にメールして、それがペンタゴンに届くんだ?」
荒川は、二人のやり取りを面白そうに眺めているだけだった。
「エシュロンって知ってるか?」
「・・・何か聞いた事があるような・・・」
永田はエシュロンとNSAについて簡単に説明した。
「でも、そのエシュロンがどうやってお前と先生のPCの間に入り込んで来るんだ?」
加藤は要領を得ない表情のままである。
「別にこの二台は直結されているわけじゃなく、メールは外部のネットワークを経由して送信される。それに、今回はわざわざ複数の経由サーバを指定して、世界中を一回りしてから届く様に送信したから、その途中でエシュロンに引っ掛かる可能性は高い。特に昔9,11と呼ばれる大規模なテロ事件からの一連のテロの連鎖の時、その大半は事前に検出していたのに対応が後手に回って被害を食い止める事が出来なかったんで相当叩かれたから、必死で即応性を高めて来ているはずなんだ。」
その時、荒川のデスクの電話が鳴った。