王宮女官と近衛騎士の休日 前編
日刊ランキング入りお礼SS最後はダイラとカルロスのお話です
王都ミュシャレンの商業地区の一角。ダイラは母とひさしぶりにお茶をしていた。
レカルディーナの結婚式後初めての休暇である。
「それにしてもあなたが王宮勤めね……。母さん心配だわ」
母カテリーナは薄茶の瞳が心配そうに陰った。
道路に面したカフェの外席である。馬車の音や人々の喧騒が響き、こちらの会話を消してくれる。
「私はなんとかうまくやっているわ」
ダイラは母相手でも淡々とした表情で相槌を打った。
「そりゃああなたは優秀でしょうけど。王宮の、それもレカルディーナ様付きの女官ってことはいろいろな人と接する機会もあるのでしょう。それを思うとね……」
カテリーナは頬に手をやって「はあ……」と心配そうにため息をついた。
ダイラは首をかしげた。
ダイラは小さなころからカテリーナとパニアグア侯爵家の執事の下で接遇のいろはについて学んできた。そのおかげで王宮に上がってからも、しきたりや作法の違いはあるけれどそこまで苦労せずに王宮流の礼儀作法を習得することができた。
「まあいいわ。母さんが心配したってどうにもならないこともあるものね。正直言うとさっさと結婚退職してくれた方がありがたいけど」
「身も蓋もないわね」
「そりゃそうよぉ。母さんみたいな苦労は私一人で十分よ。わたしはあなたの花嫁姿を見ることができればそれで十分」
と、ここでカテリーナは一度言葉を区切った。
彼女は目の前に出されたコーヒーに口を付けた。
ダイラは嫌な予感がして少しだけ身を引いた。
「で、いないの? そういう人は」
ほらきた。
ダイラは片眉を跳ねあげた。
最近ダイラの周囲ではそんな話ばかりだった。
「いないわ」
「つまらないわね」
娘の一刀両断にカテリーナは声をあげた。
「母さん、あんたの恋の話が聞きたかったのになぁ」
王宮勤めの同僚も、数少ない旧友も、会えば恋の話ばかりで面倒くさい。
なにしろ世間は結婚おめでとうムードでいっぱいなのだ。王太子の結婚という慶事のおかげか国民全体に恋愛熱が蔓延している気がする。
「はじめましてライネスさん」
ダイラが幾分うんざりして話し半分母の話に相槌を打っていると、上から聞き覚えのある声が落ちてきた。
二人して上を見上げて、ダイラは即座に立ちあがった。
金髪の男がすぐ隣にいた。
「あなた! なんで」
「奇遇だねダイラ。今日お休みなんだ? 俺も久しぶりの休暇なんだ」
にっこり貴公子のように無駄にさわやかな笑みを振りまいているのは王太子付き近衛騎士団副隊長カルロスだった。
突然の男性の闖入者にカテリーナは目を白黒とさせている。
それも最初のうちだけで、すぐに頭を切り替えて立ち上がり優雅に礼をしてみせた。
彼女の本職はパニアグア侯爵家夫人付きの侍女なのだ。
普段から人前に出ることを要求される職業のため、頭を切り替えるとすぐに本職の顔が表に出る。
「はじめまして。ダイラの母のカテリーナと申します。ダイラがいつもお世話になっておりますわ」
「こちらこそはじめまして。カルロス・リバルスです。彼女とは職場が同じでして、いつも助けられています。彼女とても優秀なんですよ」
カテリーナのあいさつにカルロスもにこりと笑って答えた。
ダイラだけがおもしろくなさそうに渋面のままだった。
ほどなくして店員がやってきて椅子を持ってこようかと尋ねられたが、ダイラは即座に断った。
コーヒーもそろそろ無くなりかけていたし、母とも話すべきことは話したからだった。
何よりもカルロスに余計なことを言われたらと思うとぞっとした。
「それにしてもカテリーナさんとダイラって本当にそっくりなんですね。びっくりしました」
「そうねえ、大きくなってからは特にそう言われることが増えたわね。まるで鏡にうつしたようだって。瞳の色は違うけれど。ああ、あと性格も」
ダイラを無視した会話は会計時も続いていた。
店員が持ってきたおつりのうち細かい硬貨をいくらかトレイの中に残してダイラは席を離れた。
「お母さん、そんな人と世間話なんてしなくていいから」
「ええぇぇ~」
カテリーナは年甲斐もなく甘ったれた声を出した。
「せっかくダイラの同僚に会えたのに。しかもこんなにもかっこいい人なのに。母さんもっと積もる話とかしたいわぁ」
「しなくていいから。というか積もる話なんてないわ。本当にただの同僚だもの」
ダイラが普段よりも強い口調でたしなめればカテリーナはおとなしく引きさがった。
少しだけ肩をすくめてカルロスに目配せをした。
多少いじり過ぎた自覚があるからだった。
「じゃあねダイラ。たまにはオートリエ様にも顔を見せるのよ」
カテリーナは最後にそう言って歩き出した。
ダイラも軽くうなずいて店から離れた。
ダイラは後方について歩く男を無視して前を進んだ。
ミュシャレン中心部の大通りである。
大きな建物が軒を連ねる一番の中心街。新聞やちょっとした雑貨を売るスタンドに花売りの露店が少しの間隔にいくつも店をだしている。
通り沿いにはカフェが乱立し、外の席は多くの人でにぎわっている。
ダイラも学生時代にはいくつかの店で仕事をした。
勝手知ったるミュシャレンの街を迷いなく進んで入ったのは大きな書店。
書店の中で雑誌を置いている書架の前に来て、ようやくダイラは横を見た。
「いつまでついてくるんですか、カルロス様」
「俺も偶然用事があって」
「カルロス様が歌劇に興味があるなんて知りませんでした。しかも女子歌劇団。ああ、女子だからですね」
淡々と納得するダイラの様子にカルロスはあわてて降参した。
「ごめんなさい。違います。興味はありません。ぜんっぜん、これっぽっちも! 俺はダイラちゃん一筋です」
「そこまでの返事は求めていません」
ダイラは目当ての物を手にとって踵を返した。
フラデニアからの輸入雑誌を置いているのは市内でも有数の規模を誇る書店のみである。季刊である雑誌『女子歌劇団』は文字通りフラデニアの女子歌劇団を専門に扱った雑誌で、主な記事は女優のインタビューや歌劇のラインナップなどだ。
ダイラの趣味ではない。レカルディーナからの頼まれごとだった。
「ダイラちゃんと休日を合わせるために俺超頑張ったんだけど」
やっぱりか。
というかどこから後をつけてきたんだ、と問いただしたい。
「わたしは頼んでいませんが。むしろ面倒くさいので、その休暇願を受理したアドルフィート様に文句を言いたいです」
「俺はダイラと一緒に休暇を過ごせて楽しいよ」
ダイラの塩対応にもカルロスはめげなかった。
塩を通り越して氷の冷たさを発揮してもカルロスはめげずについてくる。
ダイラは他の書架で自分用の本を一冊見繕って、会計を済ませて外に出た。
昔は買うことのできなかった本も王宮からの給金で今は手が届くのだ。こういうときダイラは自分の力で働くことの価値を実感する。もちろん無駄遣いなんてしないけれど。
いつか働いてオートリエに出してもらった上級学校の授業料をきちんと返済するのがダイラの目標なのだった。
カルロスはダイラからさっと荷物を奪い取ってしまった。
「カルロス様返してください」
「あのね、仮にも男女一緒に歩いていて、女の子に荷物持たせたままって。俺の方が周囲から、あいつ女性一人まともにエスコートできないのかよ、って思われちゃうから」
「エスコートしていないのだから別にかまわないのでは? そもそも男女一緒に歩いている時点から間違っています。勝手についてきているだけでしょう」
「荷物持ち一人いた方が買い物も楽だよ」
カルロスの言葉にダイラは少しだけ思案した。
雑誌も本も確かに重い。
最初に買ったのは早計だったかもしれない。
いや、しかし。
「これから元下宿メイトに会うのでやっぱり帰ってください」
こんな男を連れていたのではダイラはこの先大変な目にあうのは目に見えている。
「ついでにそれを王宮まで持って帰ってくださるとありがたいです」
ちゃっかり言い添えるとカルロスは少しだけ苦笑した。
言いたいことをずばずば言う女だな、とか思っているに違いない。ダイラは別に男からどう思われようとかまわないので気にしないのだが。
「王宮まで持って帰るのはかまわないよ。でも、帰るのはダイラと一緒ね。俺はこの日のために仕事を頑張ったの。すごい頑張って頑張って休みを調整したの。ダイラと一緒に休日を過ごすために。だから、ね。ご褒美、ちょうだい」
カルロスの支離滅裂な言い分にダイラは絶句した。
いや、別にダイラが頼んだわけでもないし、仕事を頑張るのは当然のことだろう。
なぜにここまで話が通じないのか。
そもそも同じ言語を話しているのだろうか。
ダイラが立ち止まって必死に己の言語認識について考えているいる間にカルロスはさっとダイラの手をとって歩き出してしまった。
「ちょっと、なんなんですかあなた。意味がわかりません」
ダイラは振り回されているという事実が悔しくて声を出した。
いつもあまり表情を動かさないのに、今は声が少しだけ上ずっている。
「前も言った通り。俺のことをもっと知ってもらいたいだけだよ。じゃないと結婚できないでしょう」
軽やかな口調でカルロスはダイラの言葉を封じて、結局ダイラは旧友との約束の場所にカルロスを連れていく羽目になったのだ。




