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旦那様に甘えてみましょう 後編

 ベルナルドが夫婦の主寝室の扉を開いたのは日付も跨いだころのことだった。

 結婚式を挙げてからベルナルドは執務に追われ忙しい日々を送っていた。

 本格的に国王の執務を補佐する形となり四年間サボってきたつけを払うこともそうだが、二週間後に予定されている実父モンタニェスカ公爵の領地へ夫婦そろって赴くための調整事項なども重なっているからだ。

 一応執務室近くには仮眠をとることのできる部屋も用意されているけれど、ようやく好きな女性と結婚できたというのに式を挙げた早々から一人で寝るなんてベルナルドの中の選択肢にはない。

 どんなに遅くなってもレカルディーナの待つ夫婦の寝室へと帰るのがベルナルドの日課だった。さすがに自分が訪れるまで起きていろ、なんてむちゃを言うつもりは毛頭ないが。

 部屋の明かりはついたままだった。

 最低限の明かりが灯ったままの部屋を見渡したが寝台にレカルディーナの姿はなかった。

 それもそのはずだ。

 彼女はソファに腰掛けたまま熟睡していた。

 おそらくベルナルドを待っている最中に睡魔に襲われたのだろう。

 すうすうと寝息を立てているレカルディーナを視界に入れればベルナルドは自然と口の端を持ち上げていた。

 そういえば昼間ベルナルドが会議に出席中に控えの間にいたけれど、あれは結局なんだったのだろう。思いがけずレカルディーナの顔を見ることができてベルナルドは内心うれしかったのだが、そのあと彼女があわただしく出て行ってしまったので理由は聞けずじまいだった。

 ベルナルドはレカルディーナの隣に腰掛けた。

 少しだけ頭を前に傾けたレカルディーナを覗き込む。長いまつげが顔に影を落としている。腕を伸ばして横の髪の毛を耳にかけた。

 薄い夜着のままだった。一応肩かけをかけているとはいえこのまま眠ってしまっていては風邪をひいてしまうだろう。

「レカルディーナ」

 ベルナルドは優しく声をかけた。

「う……うぅん……」

 何度目かの呼びかけに対してレカルディーナがもごもごと小さく声をあげた。

「レカルディーナ。風邪をひく」

 ベルナルドは少しだけ力を入れてレカルディーナの肩に手を置いた。

 レカルディーナは少ししてからうっすらと瞼を持ち上げた。

「う……ーん……ベル……ナルドさま?」

 瞳の焦点があまり合っていないことから察するに寝ぼけているようだ。

 こういう素のレカルディーナを垣間見ることができるのも、彼女と夫婦になることができたからだった。

 二人きりの時間がベルナルドは好きだった。

 激務でささくれ立った心がすぅっと溶けていくような気がする。いや、彼女がそこにいるだけでベルナルドの心はやわらかな羽にでも包まれたかのように暖かいものでいっぱいになる。

 そんなベルナルドの心を知ってか知らずか。

「ベルナルド様……」

 はにかむような笑みを浮かべてレカルディーナが突然自身の頬をベルナルドの胸に寄せてきた。

「レカルディーナ?」

 ベルナルドの呼びかけに彼女は答えない。

 それなのに寄せた頬をすりつけるようにしてレカルディーナはぴたりと身体を引っつけてきた。

 すりよせた頬を離しておもむろに顔を上にあげた。

「……すき……」

 にこりと笑ってみせて、レカルディーナは言いたいことだけ言ってまた眠りに落ちた。

 相変わらずベルナルドの胸に自身の体重を預けた体制のまま安らかな寝息が聞こえてきた。

 ベルナルドはしばしの間固まった。

 普段の彼女は自分からはあまり触れてこない。何度も夜を共にしているのに、日の明るいうちは妙に恥ずかしがって必要以上に触れ合わないのだ。

 だから吃驚した。

 寝ぼけているとはいえレカルディーナの方から抱きついてくるのは初めてだった。

「どうせなら普段から甘えてくれ」

 耳元に口を寄せてそう言えば。

「あま……え、む……ず……しぃ」

 と、寝言か何かが返ってきた。

 単語の意味までは聞き取れなかったけれど、どうやら夢でも見ているのだろう。

 ベルナルドは頬を緩めてレカルディーナの頭の上に口づけを落とした。そして今度こそ彼女を起こさないように抱きかかえた。

 規則正しい寝息でレカルディーナの胸が上下している。

 単純にかわいいな、と思って、明日こそは絶対に早くに仕事を切り上げると誓った。



 

レカルディーナはぱちりと目を覚ました。

 朝である。

(あれ……? わたし確か……)

 寝台の中で目を開けてしばらくの間熟考した。昨晩自分で寝台に入った記憶がない。たしかベルナルドの帰りを待っていて、ソファに座っていて、そのあとだ。


 寝落ちした気がする。

 レカルディーナはもぞりと身体を動かした。

 隣にはもうひとつ塊があった。

 夫であるベルナルドだ。彼は昨夜も深夜まで仕事だったのだろう。起きる気配を見せない。

 レカルディーナが眠った後に戻ってきたのか。

ということはソファで寝落ちをしていたレカルディーナを寝台まで運んでくれたのもおそらくはベルナルドだろう。

 隣で眠る夫はレカルディーナに背中を向けていて、まだ夢の中にいるようだ。

 いつもはレカルディーナの方が寝坊気味だから、こうやって彼よりも早く目覚めるのは珍しい。というか寝坊する原因は主にベルナルドの方にあるのだが、そこまで考えてレカルディーナは一人顔を赤くした。

 あわてて頭の中から今思い浮かべたことを追い払って、レカルディーナは身体をベルナルドの方へ傾けた。

 そろりと気配をうかがってみる。

 動く様子もないから、たぶんまだ夢の中だろう。

 

 慣れてくれば自然と甘えることができるのかな。

 自分には縁遠かった話だからまるでピンとこない。

 レカルディーナは試しにベルナルドの背中に恐る恐る顔を寄せてみた。

 起きてしまうかもしれないのであくまでそぉっと。触れるか触れないか程度である。


(エルメンヒルデはいつもどうしていたっけ……)

 頭の中にかわいい後輩のしぐさを再生してみせた。後ろから、こう、盛大にがばっと抱きつかれた経験多数。

 さすがに今それをしたら起こしてしまうだろう。

 それでも少しだけ触れているベルナルドの背中から体温が伝わってきてレカルディーナは目を細めた。

 暖かいぬくもりに安心する。

 何度も肌を重ねているのに、こうしてふわりと触れているだけでもレカルディーナは心が震える。

 結婚式の夜は、次目覚めたときは。

 あのときはまるで何かの魔法にかかっていたかのように言葉がするりとこぼれたけれど。


「好きです……ベルナルド」


 あれ以降やっぱり照れてしまってうまく口にすることができなかった言葉を唇に乗せてみる。

 口にした瞬間から恥ずかしくなって、いたたまれなくなったレカルディーナはもぞりと起き上った。ここに鏡があったら顔は真っ赤に染まっているに違いない。

 そういえばベルナルドの寝顔は侍従として仕えていたころ朝起こしに行って以来見ていない。あの時は寝起きが悪かった。なんかもう、全力で不機嫌顔をされた思い出がある。

 少しだけいたずら心を出してレカルディーナはベルナルドの身体に触れないように注意を払いながら腕を彼の反対側に置いて、顔を覗き込もうと身を乗り出した。


 ふいに腕を掴まれて、レカルディーナはバランスをくずした。

 必然的にベルナルドの上に覆いかぶさる格好になる。


「うわっ……」

「朝から夜這いか?」

 なにか物騒な言葉が下から聞こえてきた。

「っ! 違います……」

 レカルディーナは即座に反論した。

「なんだ。つまらない。好きと聞こえてきたからてっきりレカルディーナの方から仕掛けてくるのかと思った」

 ベルナルドの爆弾発言にレカルディーナの身体が熱くなった。

 主に嫌な汗が噴き出る方向で。

「ああああああれ、聞こえ……! ていうか起きていたんですかっ?」

(きゃぁぁぁぁぁぁぁ! 聞かれてるし! 普通に聞こえてたっ! は、はずかしい……)

 頭の中は大パニックだった。

 

「ああ、レカルディーナが触れた少し後に」

 ベルナルドはこともなげに言ったが、レカルディーナはそれどころじゃなかった。

 てっきり寝ていると思っていたのに。

 だからそこ、こっそり口にしたのだ。

 実は目が覚めていた、とか。反則。

 今すぐ飛び起きて逃げ出したかったが、あいにくとベルナルドの腕がしっかりとレカルディーナの背中に回っているので動くことができない。

 レカルディーナはベルナルドの胸に顔を押し付けるような格好をしていた。

 背中にうっすらと顔を近づけたときよりも、彼の熱が伝わってきて、それだけでレカルディーナの鼓動は余計に早くなる。

「……反則です」

「なにが」

「だって、起きているなら……わたし……その……」

 レカルディーナはつい拗ねたような声を出してしまう。

 こっそりと練習をしたつもりだったのに、本人にダダ漏れだったなんて。

「俺はうれしかった」

 次に落ちてきた言葉にレカルディーナはぴくんと反応した。

 ベルナルドはレカルディーナを抱きかかえたまま身を起こした。

 二人とも寝台の上で座るような体勢になる。

 おずおずと見上げればやわらかな薄茶の双眸と目が合った。

「今度は背中越しじゃなく、正面から言ってくれるともっと嬉しい」

 そう言ってベルナルドはレカルディーナの目じりに口づけを落とした。

「う……、あ、あの。が……がんばります」

 あまりに固すぎるレカルディーナの返答にベルナルドが苦笑を洩らした。


 きっと、こういうときエルメンヒルデのように盛大に抱きつくことができるのが正解なのだと思う。

 けれどいざ自分でやってみようと思うと、やっぱりまだまだレカルディーナには難しい。朝を何回も一緒に迎えていけば自然と身につくものなのだろうか。

 レカルディーナは内心首をひねった。

 カーテンから漏れて部屋の中に差し込んだ光の強さにレカルディーナは現実へと意識を向けた。

「そういえばベルナルド様。昨日はありがとうございました。わたしソファで寝ちゃってましたよね」

「ああ。無理して待つ必要はない。風邪をひく」

 急に現実的な話を始めたレカルディーナをベルナルドは名残惜しそうに離した。

 王太子夫妻の予定は本日もぎっしりなのだ。

 とくにベルナルドは朝早くから会議やら打ち合わせやらの予定が目白押しだった。

 ベルナルドがふいに口を開いた。


「でも……、寝ぼけているおまえはかわいかった。大胆で」

 

 レカルディーナはベルナルドのほうに顔を向けた。

 心なしか彼の笑顔がいつもよりも生き生きとしているように、思えなくも……ない。

 あくまで当社比なため、第三者が見ればベルナルドが口の端を少し持ち上げただけにすぎないが、数か月彼と一緒に過ごしたレカルディーナにしてみれば今の彼はまさしく普段よりも感情が表に出ている。

「だ……大胆って……」

 レカルディーナは頭を抱えたくなった。

(なにした昨日のわたし。だめ……思い出せない……)

 ソファでベルナルドの帰りを待っていたあたりまでしか記憶にない。

「今日は早く戻ってくる」

 おまけに艶やかな声を耳元で出されては余計にレカルディーナの心臓は跳ね上がるのだった。



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