旦那様に甘えてみましょう 前編
結婚式を挙げて二週間。
レカルディーナは夫であるベルナルドが会議に出席するころを見計らって、騎士らの控えの間へと姿を現した。
控えの間にはアドルフィートら近衛騎士が待機しているのだ。
「よう、ルディじゃん」
あっけらかんと話しかけてきたのはシーロである。
「こら、シーロ。レカルディーナ様とお呼びしないか」
「ええええっ、いーじゃないっすか。今ここ俺達しかいませんし」
「そういう問題じゃないだろう」
正体がばれてから最近になってシーロはなぜだかルディと呼ばれるようになった。最初は頑張ってレカルディーナ様と呼ぶように努力していたのだが、長い名前で言いにくかったのかいつの間にか旧知の人間のみが会した場所ではルディと呼ぶようになっていた。
「まあまあ、隊長。いいですから別に」
レカルディーナは尚も規律について長々と説教をしようとしていたアドルフィートを止めた。こちらも、現在控えの間にいる騎士ら全員レカルディーナの男装時代を知っているため昔のようについ『隊長』呼びをしてしまう。
「ほらルディもこう言っているし」
シーロはなぜだか胸を張って得意げだ。
ちなみに公の場所では『王太子妃様』一択である。
「おまえが威張るんじゃない」
「あいた」
アドルフィートがぽかりとシーロの頭をはたいた。
シーロが頭を抱えて座り込んだのには見向きもせずにアドルフィートはレカルディーナに向き直った。即興寸劇を見せてしまった気恥ずかしさからか、アドルフィートはごほんと咳払いを一つした。
「それでレカルディーナ様。何かご用でしょうか。殿下でしたら現在は会議に出席しておりますが」
「用事があるのは殿下じゃなくて隊長のほうでして。というか、みんな? というかちょっと助言がほしくって」
「なんでしょう。不詳アドルフィート・ルシエンテス、王太子妃様の疑問になんでもこたえる所存であります!」
その言葉にレカルディーナは苦笑を洩らした。
本当に大した話ではないのだ。
それでもレカルディーナは少しだけ姿勢を正してアドルフィートに向かって口を開いた。
「えっと、その……。ベルナルド様最近お忙しいでしょう。夜遅くまで仕事がんばってらっしゃるし。わたし何かしてあげたいんだけど……、男の人って女性から何をされるのがうれしいのかなって」
レカルディーナは小首をかしげてアドルフィートを見上げた。
同じ部屋にいた騎士らは一様になんとも締まらない顔つきをした。
レカルディーナの後ろに控えていたダイラは無表情を貫いている。
本人はいたって大真面目だが、はたから見れば新婚さんのノロケにしか聞こえない。それも砂糖菓子得盛りの激甘さ加減だ。
「そりゃあ、ルディあれだ」
いつの間にか立ち直ったシーロがしたり顔で頷いた。
「なによ」
過去の言動からレカルディーナはいろいろと警戒しながらも一応返事をした。
「男が癒されるって言ったら、ほらあれだ。すべての男のロマン。裸エプ……」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
後半はシーロの言葉に被せるようにアドルフィートが大声をあげた。
あげたついでに思い切り肘鉄をシーロの頭に喰らわせた。
「こぉら! シーロ!」
「いってぇぇ……」
ついでに同じ部屋にいたフェランらがあわてて近寄ってきてシーロの口元を押さえた。
突然の大騒ぎにレカルディーナは目をぱちくりとさせた。後半部分が全く聞き取れなかった。
「え、なあに。男のロマ……ン?」
「レカルディーナ様が気に留めるようなことはまったく、一切必要のない言葉でございます」
アドルフィートが若干涙目で訴えてきた。
「そうね、レカルディーナは気にしなくてもいい言葉よ」
ついでに背後で控えていたダイラもうなずいた。
そしてダイラはキッとシーロを思い切り睨みつけた。
「ええぇ! 気になるじゃない」
「まあまあ、シーロの言葉はちょっと下町スラングだからあれだけど、要するにこう言いたかったんだよ、……あ、ですよ」
レカルディーナの気をそらすようにフェランが言い添えた。口調が定まらないのはここ数カ月間彼のお約束だった。
「そんな、フェランまで、今は敬語はいいわよ」
「はい、すみません。だから、その……、単純にかわいらしく甘えられると男性ってうれしいものだよって言いたかったんだよ」
「そうですよ、仕事で疲れているときに笑顔で出迎えてくれる彼女、恋人、妻。これに限りますね。疲れも吹っ飛びます」
フェランの絶妙な助け船にアドルフィートも乗っかり、ついでにほかの騎士たちもうんうんと頷いた。
「なるほど……」
レカルディーナは納得した。これだけの男性たちが一様に頷くのだからかわいらしく甘えて見せるのは有効な手段なのかもしれない。
しかし。
「でもそれって、疲れているときに効くのかしら。甘えるだけってわたしなにもしないじゃない」
いまいち納得できなくてレカルディーナは思案気に視線を彷徨わせた。
「それでいいんですよ。新婚さんなんですから」
「そうなの?」
何かしてあげたいレカルディーナとしてはただ甘えるだけ、という助言にいまいち賛同しかねる。
「騒がしいな。どうした」
会議が終了したらしい。扉が開いてベルナルドが姿を現した。
少しだけ不機嫌そうに眉根を寄せていたが、中心にレカルディーナの姿を見つけて少しだけ驚いた顔になって、そのあと口元を緩めた。
「ベルナルド様」
今朝も朝早くから予定に追われていたベルナルドとは朝食会場で別れたきりである。
レカルディーナは自分の心臓が跳ね上がるのを感じ取った。
ちょうど話題にしていた本人の登場だから余計に鼓動が激しくなる。
「レカルディーナ、なにかあったのか?」
ベルナルドは表情を一転、不可解そうに眉根を寄せた。
「あ、いいえ。ちょっといろいろと。その……相談といいますか、えっと……」
口を開くとドツボにはまっていくレカルディーナである。まさか本人目の前にして殿下への甘え方について相談していましたとは言えまい。
案の定ベルナルドは眉根に寄った眉間のしわを深くした。
「王太子妃様は殿下に……」
「ちょっと黙ってようか、シーロ」
いつの間にか立ち直ったシーロが口を開くよりも早くアドルフィートが再度彼の口元に手をやった。複雑な乙女心をくみ取ってくれた隊長に感謝である。
「とくになにも。殿下今日も元気にしているかななんて。あ、わたしこのあと予定がありますので、これで失礼します」
レカルディーナは気まずくなった空気をばっさりと切り捨てるかのように大きく声をあげて部屋から退出した。
男性からの貴重な意見を聞いたレカルディーナはある問題に直面をしていた。
そもそも男性に甘えるってどうしたらいいのだろう。というか甘える行為自体あまり得意ではない。
レカルディーナは自室で唸っていた。
夕食の最中も一人悶々としていて、こうして夜になってもまだ悩んでいるのである。
「ねえ、ダイラ。甘えるってどうやるの?」
レカルディーナは王太子妃付きの女官であり、頼れる姉代わり兼幼馴染でもあるダイラに尋ねた。現在自室にはレカルディーナとダイラの二人きりである。身の回りの世話をしてくれる侍女は次の間に下がってもらっているため、心おきなく以前のような砕けた口調で会話ができる。
こういうとき頼りになるダイラならきっといい助言をくれるに違いない。
レカルディーナから質問を受けたダイラは表情をあまり変えないまま少しの間沈黙した。
「そうねえ。……昔下宿仲間が言っていたわ。上目づかいで男性の腕とかを軽く触れたりつついたりすると大抵の男は落ちるって」
「落ちる?」
「ごめんなさい。間違えたわ」
「なにが?」
甘えるしぐさというよりも女が積極的に男を恋に落とさせる方法を口にしたダイラはすぐさま謝った。これはレカルディーナに聞かせていい話ではない。
「あなたお芝居好きなんでしょう。お姫様役とかの行動やしぐさを真似してみればいいんじゃない?」
「なるほど」
レカルディーナは今まで観劇した舞台の数々を脳裏に浮かべた。
確かに歌劇の演目に登場するヒロインたちははかなげでかわいらしく、王子役や騎士役にふわりとした笑みを振りまいたり、時には励ましたりもしていた。
これまで男役を演じる上での研究としての側面で舞台を見ていたこともあり、ヒロイン役をじっくり研究したことはなかった。
盲点だった。彼女らのようにふるまえればレカルディーナも自然に夫であるベルナルドに甘えられるかもしれない。
頭にレカルディーナ的お薦め舞台演目を歴代いくつも思い浮かべて。
そしてレカルディーナは蒼白になった。
「どうしたの?」
黙り込んだレカルディーナを不審に感じたのかダイラが問いただした。
「無理!」
レカルディーナは叫んだ。
「何が?」
「わたしには無理ー」
レカルディーナはダイラの肩を掴んで揺さぶった。ついでに自分の頭もぶんぶん横に振る。
「あなた、ちょっと大丈夫?」
「わたしにあんな……あんなことできるわけないじゃないっ! というかヒロインってそもそもエルメンヒルデの属性というか。ってことは普段彼女がわたしにしてくることをそっくりそのままするわけでしょ……むりむりむり……」
レカルディーナの必死の形相に今度はダイラのほうが閉口した。
「わかったから。ちょっと落ち着きなさい」
「……はい」
教師のような口調になったダイラの言葉にレカルディーナは素直に従った。
つい幼馴染のダイラの前では気を許してしまうのだ。
「いきなりはだめでも、慣れてくればどうにかなるわよ」
「どうにかって?」
ここで恋愛方面にはうといダイラが口を閉ざした。
レカルディーナはその間も期待を込めた視線を彼女に注いだ。
「毎日一緒に過ごしているんだから今更照れたってしょうがないじゃない。要するに気の持ちようよ、夫婦なんでしょうあなたたち」
それでもきちんとレカルディーナの力になろうとしてくれるダイラのことが大好きだ。
ダイラの紫色の瞳が優しげに輝いた。
ぽんと頭に手を置かれるとレカルディーナはいつも安心する。
小さいころから慣れ親しんだぶっきらぼうだけど、存外に優しい姉のような手。
「そっか。そうよね」
だって、夫婦になったんだから。普段はレカルディーナが意識をしなくてもベルナルドの方から近寄ってくるので、改めて自分の方から触れるという状況に頭が混乱してしまった。けれど彼が触れてきたら自然に腕を回すこともできるし受け止めてきた。
だったら自分から同じことを返すことだってできるはず。今はまだちょっと慣れていないだけ。
レカルディーナは自然と笑みをこぼした。
いつでもベルナルドのことを考えると口元がゆるんでしまうのだ。無自覚だけれど、周囲から言わせればレカルディーナも十分蜜月の妻のそれなのだ。
それからダイラとたわいもない話をいくらかして、就寝の支度にとりかかった。
明日も予定がいろいろと詰まっているので早く眠りに就いた方がいいのはわかってはいるけれど、それでも寝る前にベルナルドと顔を合わせたい。
レカルディーナはソファに座ってベルナルドの帰りを待つことにした。




