王宮女官と近衛騎士の立ち話
「ねえ。君、俺のこと覚えている?」
金髪の近衛騎士がやたらと馴れ馴れしく話しかけてきたのでダイラは訝しげな表情を作った。
「いえ……どこかでお会いしましたっけ?」
確か近衛騎士の副隊長を務めている騎士で、名前は……。騎士その一とかその二などという名称で覚えているため、名前がすぐに出て来なくてダイラは黙り込んだ。
「うわ、ひどい。ホントに忘れられている俺」
「すみません」
思い切りのけぞられたのでダイラはとりあえず謝罪した。
「去年の夏。モーテルゲイン湖。これで思い出さない?」
ダイラはしばし沈黙した。
そして閃いた。
「思い出しました。そういえば軽薄などこかの伯爵家の次男とお会いしました」
「軽薄とか……傷つくなあ……」
騎士その二、もといなんとか伯爵は大げさによろめいてみせた。そういう芝居がかったところがいかにも軽薄そうなのだ。エリセオとはまた違った意味で面倒な男である。
「ええと……」
「カルロスね。カルロス・リバルス」
なおもダイラが目の前の騎士の名前を思い出しあぐねていると彼のほうから名乗った。
名乗られてやんわりと記憶のどこかに引っかかった。たしかそんな名前の男がいたような。
「かなり運命的な再会だと思わない?俺たち」
「そうでしょうか」
ダイラは心の底から不思議に思って首をかしげた。
「俺はダイラちゃんに興味あるんだけどなあ」
「わたしというよりは、私の胸に、の間違いじゃないですか」
「うわっ。ひどい」
「ひどいのはどっちですか。わたし用事があるので失礼します」
ダイラはなんの感慨もなく踵を返した。
そういえば去年の夏、クレメンテとのごたごたで親身になってくれた、もとい下心を持って接触してきた男がいた。ダイラの中で優先度の低い人物だったので休暇が終わった後記憶からぽいっとゴミ箱に捨てたのだった。
それがカルロスとの再会だった。
慣れないことも多かったけれど女官の仕事は順調だった。引きこもり中の王子のみをお世話する職場環境ということもあり、堅苦しくもなく皆優しい人たちばかりだった。
近衛騎士や侍従からの視線はうざいこともあったけれど、無視をしていればいいだけの話だった。
そして季節めまぐるしく移っていった。
秋になり、ダイラは忙しくしていた。
王太子がレカルディーナを婚約者に指名したため、ダイラの職務が少しだけ変わったからだった。
これからは王太子妃付きの女官として働いてほしいとベルナルドから直接請われたのだ。
まだ婚約しただけのくせにさっそく王太子妃呼びとはなんともずうずうしいな、と思ったのは内緒である。
「ダーイラちゃん。今暇?」
回廊を歩いているとカルロスが声をかけてきた。
「いいえ」
「そうだよね。仕事中だよね」
「それ以外に何に見えますか?」
ダイラは歩きながら返した。
この男は飽きもせずダイラに声をかけ続ける。
シーロは無視をすると意味不明な言葉を叫びながら走り去ることも多いので楽だったが、カルロスはこちらが答えるまで質問をし続けるのだ。
たいていは根負けしたダイラが相手をする羽目になる。最近ではそのやりとりが面倒くさくて最初から返事をするようにしていた。
「みえない。でも、ちょっとでもこうして話しできて俺は嬉しいよ」
「……」
こういうときダイラは困ってしまう。返答に窮してダイラが口を閉ざしたままでいるとカルロスの方が目を細めて、口を開いた。
「あっという間に秋になったよね」
「急になんですか。とっくに秋になっていると思いますけど」
「レカルディーナ様が殿下の元に来られてからの日々を思うとね。本当にあっという間だったなって」
感慨深そうなカルロスからは普段の軽薄さが感じられなかった。
彼自身、長く仕えてきたベルナルドの変化に思うことがあるのかもしれない。
「……そうですね」
「レカルディーナ様を支えるダイラちゃんにも感謝しているんだ。俺はちっともルディオが女性だとは気付かなかったけどさ。ダイラちゃんが付いていたんだもんね」
「あなたたちの判断基準がおかしいだけです。彼女はどこからどうみても少女じゃないですか」
「あはは。それ言われるとつらいなあ」
カルロスは気まずそうに笑った。
「これからも王太子妃と殿下のことよろしくね。勉強も大変だと思うけど」
「勉強は好きですから大変とは思いません。レカルディーナ様のことはカルロス様に言われなくても誠心誠意お仕えするつもりです。ただ……わたしは、後ろ盾がないので彼女の為にならないのではないか、とは思います」
ダイラはぽつりと本音を漏らした。
王族に仕える女官は貴族階級に連なる家系の人物が選ばれることの方が多い。ダイラのような存在は特殊なのだ。
「だったら俺と結婚したら問題はすべて解決すると思うけど」
カルロスが妙案があるとばかりに明るい声で提案をしてきた。あまりにあっけらかんと言われたので話の内容を理解するのにたっぷり二十秒は要した。
「……今のところは笑うところでしょうか?」
「たしかにダイラちゃん、もう少し愛嬌があればいいな、なんて思うことはあるけど。ああでも、ダイラちゃんの冷静な顔も好きだからそれはそれで……。って、今のところは笑うところじゃないよ」
ダイラは立ち止まった。
まともにカルロスの方を見れば、割と真摯な表情をした顔とかちあった。
「冗談でなければ、わたしにどうしろと? 結婚なんて出来るわけないでしょう」
「どうして?」
カルロスは心底不思議そうに尋ねてきた。
ダイラは淡々と答えた。
「まず身分が違いすぎます。わたしは使用人の娘です。……父は死んだと聞かされていますが、誰だかも知りません。第一、あなた女性のこと大好きでしょう。そんな浮ついた男は論外です」
ダイラの言い分に耳を傾けていたカルロスはおもむろにダイラの手をとった。
「言いたいことはそれだけ?」
「え、ええ。まあ……」
「俺伯爵家といっても知っての通り次男だし、割と自由が利くんだよね。兄貴もすでに結婚して息子もいるし。そういう家柄とか特に気にしなくていいんじゃないかな。で、確かに俺は女性は大好きだけど、今はダイラちゃん一筋だし、これからもそのつもりだから問題ないと思うな」
「そのわりにはシーロと一緒に夜遊びばかりしているように思えますけど」
ダイラは知り合ってからのカルロスの行動を脳裏に思い描いた。
いつも女の子ときゃっきゃうふふしたいとかなんとか話している印象しかない。その口でダイラが本命とか、よく言えたものだ。
「あれは、ほら付き合いというか。男だらけの職場には色々とあるんだよ。いや、ほんとだから。信じて! って女の子のお店に行っても俺は何もしていないよ。本当に、本当だって」
なぜだか必死になるカルロスを見ていると急に馬鹿らしくなってきた。別に言い訳が聞きたいわけではない。
「別に必死になる必要はないと思います。わたしはカルロス様のことなんてなんともおもっていませんから」
ダイラは取られたままの手をカルロスのそれからそっと引き抜いた。彼はあっさりと離してくれた。思い出したが、昔から、初めて会った時から彼は少しばかり強引な言葉を言うけれど、決してダイラの不快になるような触れかたはしてこなかった。
「じゃあさ、もう一度言うよ。俺と結婚を前提にお付き合いしてください。ちゃんと本気です。もう二度と誘われても付き合いでも女の子のいるお店にはいきません」
真面目なのかふざけているのかよくわからない文言だった。
ダイラは口を開いて返事をしようとしたが、カルロスは慌ててそれを遮った。
「いやいや、今すぐ返事とかは大丈夫だから! 今のは俺の決意表明みたいなもので、これからダイラちゃんをもっとまじめに口説いていくから覚悟しておいて的な。今までも結構本気で口説いていたんだけどな……。ちっとも伝わっていなかったみたいだし。だから、もっと俺をちゃんと知ってから考えてみて」
カルロスは一方的に言いたいことだけ言って去って行ってしまった。
後に残されたダイラはため息をついた。
なんだか自分の脳だけでは処理しきれないことが一度に起こってしまった。
分かりやすく下心まるだしで、遊び相手としてよろしくね、くらいなノリだったらこちらも盛大に怒ることができるのに。あれじゃあまるでレカルディーナに求婚したベルナルドと同じではないか。
そこまで考えてダイラは初めて動揺した。
そんなふうに考える自分が信じられなかった。
もう冬もすぐそこまで来ているというのに、なぜだか体が妙に熱かった。




