ダイラと小さなお嬢様10
休暇が終わり、ダイラは最上学年へと進級をした。
勉強して、賃仕事をして、たまにレガルド家へ顔を出したりして、そんな風に毎日を過ごしていたら一年なんてあっという間だった。同級生のほとんどは大学へと進学をすることが決まっている。ダイラも未練がないといえば嘘になる。しかしまだ女性に開かれている学部は限られているし(政治学などはまだ女性の所属が認められていないのだ)、そもそも学費の問題が一番大きい。オートリエはやんわりとダイラが望むのなら、と申し出てくれたけれどさすがに固辞した。上級学校だけでも恐れ多いのに、このうえ大学の学費まで出してもらうわけにはいかない。
卒業証明書をもらって、数少ない友人らとご飯を食べに行って、なぜだかアベルから家に招待された。家族が卒業を祝う夕食会を開くからおまえも来いとか言われたのだ。なにしろ俺の好敵手だからな、とかわけのわからない理屈を述べられた。素直にフェリシタスらがダイラに会いたがっているとか言ってくれた方がわかりやすいのに、最後までアベルはよくわからない男だった。
卒業式から数日後に開かれた夕食会は和気あいあいとした暖かい場だった。
しばらく見ないうちにアデーリタもフェリシタスも大きくなっていた。子どもの成長は本当に早い。ダイラはアデーリタを傷つけた。彼女たちを通して他の誰かを思うなんて、ダイラは失礼だったし、家庭教師失格だった。そして彼女はそれを彼女なりのまっすぐな心でダイラに教えてくれた。
アデーリタの言葉があったからこそダイラは色々と吹っ切れたのだ。彼女とはいい友達になれればいいと思う。それを伝えると、「考えてあげなくもないけど」と言われた。アデーリタらしい答えについ笑みを浮かべたら怒られた。
夕食会の後アベルが下宿まで送ると言って聞かなかったのでダイラはお言葉に甘えることにした。途中まで馬車に乗せてもらい、下宿の近くで降ろしてもらった。馬車で送ってもらったなんてほかの下宿人らに知られたら絶対に向こう数カ月先までからかわれる。腹ごなしにもちょうどいいから、と下宿先から徒歩数分の広場で馬車から下りると何故だかアベルまでが一緒に降りてきた。
「俺だってちょっと腹ごなししたい気分なんだよ」
「そう」
たしかにちょっと歩いて小腹をすかせたほうがよく眠れると思ったダイラは深くは追求しなかった。
夜の通りは閑散としていた。
街灯の小さな光がぽつぽつと辺りを照らしている。カンテラが必要な暗さではないけれど、それでも闇の濃さは十分だった。時折近隣の食堂から陽気な声が風に乗って聞こえてくる。
「なあ……おまえはこれからどうするんだ?」
「そうね……。まだ具体的には決めていないけれど働き先を見つけるわ」
「家庭教師とかか?」
上級学校を卒業したといっても女生徒の選択肢はそう多くもない。少ない同級生の女子生徒らは家の手伝いをするという子が大半だった。もしくは家庭教師や王宮に勤める女官、よくてどこかの商会(会社と最近は言うらしい)の書記係だろうか。せっかく学をつけたのだから、学校で学んだことを生かせる職業に就きたいというのが本音だ。
「家庭教師はしないわ。わたし向いていないもの」
「本当に?去年の仕事ぶり、両親も褒めていたぞ」
アベルはダイラの言葉に驚いたような声をあげた。
「ええ。去年気づいたの。アデーリタを傷つけてしまったわ。わたしにとってお嬢様って、たぶんこれからもずっとレカルディーナ様だけなのよね。だからもう誰か個人に仕える仕事はしないつもり。これからゆっくりとさがすわ」
ダイラは自嘲気味に笑みを浮かべた。
たとえレカルディーナの中でダイラのことが子ども時代の、過去のことになってしまっていてもいいのだ。ダイラにとってレカルディーナだけがお嬢様なのだから。
「お、俺……! その、おまえのこと色々と考えて」
アベルは唐突に大きな声をあげた。
ダイラはきょとんとした。会話の脈絡がなさすぎて付いていけない。
「俺は、ダイラのこともしっかりと考えているんだ」
アベルが突然ダイラの両肩を掴んだ。心なしかその顔が赤かった。夕食会ではそんなに飲んでいなかったような気がするけれど、きつい酒でも煽ったのか。
「ありがとう。そういえばアベルにも随分と世話になったわね。ただの級友のわたしにこんなにもよくしてくれて」
「俺は!おまえのことただの級友だなんて思ったことは一度もない」
アベルは熱っぽい視線を寄こしてきた。
そうか。ここまでしてもらって、ただの級友発言は少しばかり失礼だったかもしれない。ダイラは考え直した。
「そうね。ごめんなさい。ここまでよくしてもらって。いいお友達よね、わたしたち」
ダイラは真面目な顔で答えた。
他意はなかった。
ダイラの言葉を受けて数秒したのち、アベルは乾いた笑い声をだした。なんだかよくわからないけれど、喜んでもらえたならダイラの言葉は正解だったのだろう。まだ理解できない部分も多いけれど、ちょっと変わり者の友達が一人増えたくらいの認識をもったダイラだった。
長らく音沙汰のなかった意外な人物が下宿先のコレット館にやってきたのはそれから数日後のことだった。
下宿人たちがきゃあきゃあ騒ぎ立てるので、誰だろうと訝しがりながら共用の居間に行くと軍の制服を身に付けた男性が簡素な椅子に座っていた。
「ここ……男子禁制なはず……」
男の周りにはお茶と菓子と、下宿人の女性たち。なぜに男子禁制の下宿館でここまで接待されているのだ、この男は。
「まあまあ、固いこと言わないのダイラったら」
「そうよう、こんないい男と知り合いだなんて、隅に置けないわね。つか、彼の部下とか同僚とかと食事会の機会作って。段取って!」
ダイラは今の隅に連れていかれて下宿人の中でも年長者の女性らから懇願された。
みんなこの男の見てくれに見事に騙されている。
「あ、帰って来たね。ダイラ、待っていたよ。ちょっと話しがあるから部屋に行こうか」
ダイラの帰宅に気がついた訪問者はきらきらとした笑みを浮かべた。
「ここ男子禁制です。当然わたしの部屋も」
「んもう!ダイラったら固いこと言わないの!」
「固いって……規則」
なぜだか他の下宿人たちにダイラが怒られて、仕方なくダイラは最上階の自室へと案内をした。扉の向こう側、外で絶対に聞き耳を立てているに違いない。
訪問者、パニアグア侯爵家の次男であるエリセオは特に気にするそぶりもなく興味深そうにダイラの私室を眺めた。余計な飾りなど一切排除した簡素な室内である。
彼は一体何をしにやってきたのだろう。ダイラはこれでも忙しいのだ。主に職探しの面で。
「学校卒業おめでとう。義母上も父上も褒めていたよ。成績優秀ですごいすごいって」
この男に言われると腹が立つのはなぜなのだろうか。オートリエから直接言われた時は素直にありがとうございますと言えたのに。きっと昔からレカルディーナと一緒に彼に振り回されてきたからに違いない。
「なんの用ですか」
「少しくらい世間話しようと思っていたんだけど、君って昔から変わらないね」
エリセオは肩をすくめた。
数年ぶりに対峙をしたエリセオはますます男っぷりをあげていた。軍の支給品である丈の長い上着が無駄に似合っていた。この見た目に騙される女性は多いに違いないと思ったが、なるほど、確かにコレット館の女性陣は見事に撃沈していた。
「似合っているだろう。この衣装。王宮でもきゃあきゃあ言われて大変なんだ」
この人は人の心が読めるのか。ダイラは普段からあまり顔に心情を乗せないのに。それとも同じような質問を繰り返しされているのかもしれない。
「で、用件はなんでしょうか」
ダイラはもう一度尋ねた。
「うん。君、もしまだ就職先が決まっていないのなら、王宮の女官にならない? 王太子付きの女官にさ」
エリセオがあっさり言うものだからダイラは王太子という人間が一瞬誰だかわからなかった。頭の中でもう何度か咀嚼をして、ようやくエリセオの言う王太子が誰を指すのかじんわりと染みてきた。
「無理に決まっているでしょう。王太子付きの女官なんて、家柄のしっかりした人間でないとまずなれません」
「そうでもないよ。王太子の周りは常に人材不足だし。君ならうまくやれると思うよ。紹介状は僕が書いてあげるし」
エリセオは何の障害もないとばかりににこにことした顔のまま言い募った。
ダイラは眉を潜めた。
「真相を教えてください。エリセオ様がそんな提案をするくらいなんですから、どうせ裏があるのでしょう?」
ダイラの言葉にエリセオはもう一度肩をすくめた。いちいち気障な態度である。
「まあ、ね。君は本当に昔から敏いよね」
エリセオはいたずらっこのように瞳をきらりと輝かせて、ダイラにある話しを聞かせた。
その話を聞いて、ダイラは即答しなかった。
けれど、彼が帰った後、寝台の中に入ってもダイラの頭の中は彼の話した無茶な内容で占められていた。まったく。レカルディーナは何を考えているのだろうか。それはエリセオにも言えることだった。妹に男のふりを一年間もさせようだなんて、よくもそんなふざけたことを考えついたものだ。唯一彼の良心を推し量るとすれば、ダイラにこの話を持ちかけてきたことだろうか。
「君が同じ館にいれば、なにかと安心だからさ。男どもの魔の手から守ってやってよ」
という言葉をかけるくらいなら、最初からそんな無茶ぶりなんてしなければいいのに。ダイラは寝つけずにごろごろと寝がえりを繰り返して、最終的に眠りについたのは寝台に入ってから数時間後のことだった。
翌日も朝からぐるぐると考えて。
けれど、生産性のないことで日常生活を奪われることがダイラはきらいだった。
結局ダイラはレカルディーナのことが気になるのだ。ちょっとは淑女らしくなったと思っていたらエリセオの無謀な賭けに乗って男装するという。男に囲まれた環境にレカルディーナ一人放り込むわけにはいかない。
考えようによっては王宮の女官としての経験は今後ダイラの身を助けることになるかもしれない。しばらくの間はレカルディーナに付き合うのも悪くは無いだろう。たまには自分の気持ちに正直になってもいいはずだ。
ダイラは昨日渡されたメモを片手にエリセオの住まいへと向かったのだった。
ダイラの過去編完結です
18日更新分で男装令嬢のひみつのお仕事完結です




