ダイラと小さなお嬢様5
「でも……寄宿舎の生活は気になるわ」
アデーリタがぽつりと漏らした。
彼女は二年後アルンレイヒの寄宿学校へ入学をする予定なのだ。学校へ入ったあと苦労しないようにしっかりしつけてほしいとビオレアからも再三言われている。
「学校いいなあ。お兄様も学校楽しいでしょう?」
フェリシタスはどこまでも無邪気だった。
今日はアベルも交えての散歩なのだ。クレメンテの一件があってからアベルは積極的にダイラ達と行動を共にするようになっていた。時にはアベルの友人らも交えて公園で遊んだりもした。これには二人ともとても喜んでいたし、アベルの友人もたまには子どもと一緒に遊ぶのも悪くないね、と爽やかに笑ってアデーリタらを喜ばせたりもした。
「学校は勉強をするところだよ、フェリィ」
「ええ! でもでもお兄様いつも学校に楽しそうに通っているじゃない。特にダイラと一緒の授業がある……」
「うわぁぁぁ。フェリィ、それ以上は言うな!」
アベルは慌ててフェリシタスの口を塞いだ。妹の爆弾発言をなんとか阻止しようと必死である。
ダイラは二人の話は聞いておらずアデーリタに声をかけていた。
「不安?」
ダイラの率直な問いにアデーリタはぷいっとそっぽを向いた。少しはこちらに懐いてくれたと思っているが、この年頃の女の子は扱いづらい。
しばらく沈黙をしていたけれど、そのあとにぼそぼそと小さく呟いた。
「だって、先生怖いって本で読んだもの」
なるほど、確かにそんな物語があったような気がする。躾と称して屋根裏部屋に主人公を閉じ込めたり、夕飯を抜きにするのだ。
全員がそんな怖い先生ばかりではないけれど、今まで甘やかされて育った娘が規則に縛られた寄宿舎生活に慣れるには時間がかかるだろう。上級生との関係だってある。
「大丈夫よ。レカルディーナ様だってなんとかやっているんだから」
ダイラは思わず口に出した。
アデーリタはダイラを見上げた。しかし見上げただけで何も言わなかった。
「お兄様がケーキ食べに連れて行ってくれるって」
その時フェリシタスの元気のよい声が響いた。どうやら湖畔に建つカフェに行くことになったようだ。
「夕飯が食べられなくならないように、一人一切れまでよ」
ダイラはため息をついた。
楽しそうにはしゃぐフェリシタスを傍目にダイラはアベルを睨んだ。なんだかんだで妹に甘いのだ。
「まあそうにらむなよ。うまいって評判だぞ」
傍らに立つアベルはどこか楽しげだった。アデーリタの手を取って歩きだしたのでダイラもため息をついて後に続いた。
連れて来られたカフェは賑わっていた。湖畔に面したテラス席には休暇を楽しむ人たちで溢れていた。地元でとれた果物をふんだんに使ったタルトがおすすめとのことだったのでそれを頼むことにした。
ダイラは運ばれてきたタルトを眺めて、昔もレカルディーナと一緒にこんなようなお菓子を食べたな、と思い出していた。あの時も確か夏だった。侯爵家の領地で過ごしていた頃のことである。勝手に浮かんできた思い出を振り払うかのようにダイラは頭を振った。普段からは考えられないダイラの行動にその他一同びっくりしたのか固まっていたがダイラは気づいていない。
ダイラは目の前のケーキに集中することにした。
何しろ三食おやつ付きの職場なのだ。家に帰ったら節約が待っているのだから楽しめるうち堪能しておくに限る。
さっくりしたタルトを一口大に切り分けて口の中に運んだ。
「美味しい……」
素直な感想にフェリシタスが顔を輝かせた。
「ダイラ先生ケーキ美味しいね!」
「ええ」
頬にクリームを付けて笑うフェリシタスに手を伸ばして布巾で顔をぬぐってやった。かたわらのうさぎもどこか楽しそうである。アベルもまんざらではなさそうにケーキを頬張っている。
と、そのときだった。
「へーぇ。たかだか使用人風情がいっぱしに何気取ってんだ?」
その場に似合わない声が響いた。
ダイラ達のテーブルに横にクレメンテが立っていた。今日の連れはこのまえとは別の男だった。金色に水色の瞳をした青年だった。クレメンテが陰気臭いので余計に隣の青年の美貌が際立って見える。前回も思ったけれど、よくもこれだけ正反対の人間と連れ立っているものだ。
「おい、彼女は我が家の家庭教師をしている女性だ。今は妹たちとお茶をしている。話ならあとで聞こうか」
アベルが席を立ってクレメンテと対峙をした。
「ちっ。たかだか商売人風情がでかい口をききやがって」
クレメンテが胡乱気な表情でアベルをねめつけた。
「まあまあ。俺たちも待ち合わせをしていてね。じゃあね、今度は俺とお茶してほしいな」
金髪の青年がクレメンテの肩に手をやり別の方向へと押しやった。
つくづく連れの男に感謝である。
アベルもほっとしたのか肩の力を抜いて席に座った。
アデーリタとフェリシタスは二人とも驚いたのか、しばらくのあいだ大人しかった。
その姿を見てしまうとダイラは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ほら、ああいう男には付いて行ってはいけません、といういい見本よ。さ、気を取り直して残りを食べちゃいましょう」
ダイラは気持ちを切り替えるためにあえて教師のような口調で話しかけた。
「ああいう男って?」
ダイラの言葉に興味が移ったのかフェリシタスは面白そうに聞き返した。
「そうねえ……人の胸ばかりに視線をやる男かしら」
「先生、胸おっきいもんね」
「こら、フェリィ。じろじろ見ちゃいけないのよ」
フェリシタスはまじまじとダイラの胸に注目をした。好奇心旺盛な瞳を向けられるのは苦手だが、相手は年端もいかない子ども、しかも女の子だから仕方ないと思うことにする。
「おまえ……妹たち前になんてこと言うんだよ」
アベルは呆れていたが、ダイラは思い出していたのである。先ほどの金髪男もなんだかんだと、ダイラの胸元を興味深そうに眺めていたことに。
関わりたくないというのに、運命の神様は時折ものすごく意地悪になる。
お互い湖の周辺に滞在しているのだから行動範囲が重なってしまうのは仕方のないことか。
あのカフェでの一件から数日後である。
子どもたちと朝から勉強をして、予定のない日は湖周辺を散策、もしくは少しだけ馬車を飛ばして牧場見学くらいしかすることがないのだ。
ちなみに昨日はミラン夫人も一緒に牧場へ行ってきた。二人とも以前にも馬には乗ったことがあるらしく、アデーリタはなかなか様になっていた。
今日は特に予定もないのでボールを持って公園へとやってきた。
フェリシタスはお気に入りのうさぎを連れてきている。もちろんぬいぐるみの『うさぎ』ちゃんだ。
「なんだって、子どもの相手なんて……」
三歳の弟相手にボール遊びをさせられているアデーリタは先ほどから不満げだ。
「あなただって十分子供でしょう」
ダイラはアデーリタの呟きを拾って、返事を返した。ダイラはボール遊びには加わっていない。近くのベンチで本を開いている。
「わたしはもう十一よ。カウロスの相手なんてまっぴらよ」
そう言いつつもカウロスが「ボールゥ」と叫ぶので仕方なく投げてやるのだから微笑ましい。
「大体、ダイラは教師なんだからさぼっていないでこっちに来なさいよ」
「わたしはあなたより年寄りだから。少しはいたわりなさい」
ダイラは以前アデーリタから、「わたし先生より若いし」とか言われた言葉を遠回しに使ってやり過ごした。
ミラン夫人も連日元気すぎる三歳児の相手で疲れ気味なのか、今はダイラの隣のベンチに座ってボール遊びをしているカウロスの様子を見守っている。
「先生あげる!」
突然にょきっと腕が伸びてきて後ろからフェリシタスが顔を覗かせた。手に持っているのは可愛らしい黄色い花だった。そのあたりの野花を摘んできたのだろう。スカートの裾が汚れることも気にせずに好奇心の赴くままに遊ぶのがフェリシタスだ。いや、一応彼女の中で基準があることにダイラは気づいてきた。
「きれいでしょう?」
「ええ、そうね。ありがとう」
ダイラは黄色い花束を受け取った。五、六本はあるだろうか。
謝辞を受け取ったフェリシタスはえへへ、とはにかみ笑いを浮かべてまた駆けて行った。
「あまり遠くへ行ってはダメよ」
ダイラは一応声をかけた。
彼女はきれいなものが大好きなのだ。湖のほとりに行けばきらきらとした石を拾うし、ビーズやボタンも大好きだ。花もきれいだから好き。子どもは分かりやすいから可愛い。
「フェリィめ……。いっつもひとりだけ逃げるんだから」
自分の遊びに夢中になり弟をほっぽりだす妹に、結局はその弟の面倒をみる羽目になる姉。アベルと年が離れている分アデーリタが年少組のまとめ役になるのだ。彼女だって一応は妹のはずなのにご苦労なことである。
その長男はといえば。一緒に公園へ来たものの先ほどから別行動をしている。同じような年頃の男女が集まる広場に知り合いがいるらしく、そちらへ顔を出してくると言って消えてしまったのだ。この間は気前よく妹たちと遊んだのに、サービス期間は終了したらしい。頼りにならない兄である。
「じゃあ、あなたもこっちにきて一緒に本でも読む?」
ダイラは仕方なく助け船を出すことにした。
「何の本?」
「古典文学と地理学の本」
「……遠慮しておくわ」
せっかく差し伸べた手なのに、お気に召さなかったらしい。




