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ダイラと小さなお嬢様4

「へえ、おまえ……ちょっと見ないうちにずいぶんといい女になったな」

 クレメンテは無遠慮な視線をダイラに寄こした。主に胸のあたりを注視するようにじっくりと眺め、もう一度ダイラの顔を眺めまわした。もう一人、傍らの男がクレメンテを小突いた。

「おい、誰だよ」

「ああこいつはパニアグア侯爵家の使用人だよ」

「現在はレガルド家で家庭教師をしております」

 ダイラは間髪をいれずに訂正をした。

「だってよ。なんだよおまえ」

 もう一人の男がおかしそうに茶化した。

「うっせ。昔はレカルディーナのお供をしていたんだよ。なんだよ、おまえちょっとオートリエが良くしてくれているからって」

 ダイラは両隣の教え子の手を強く握った。二人も初めて会う大人の男性二人に緊張しているのか微動だにしない。

 クレメンテはオートリエのことを決して侯爵夫人とは呼ばない。それは彼の母も同じである。ガジェゴ子爵家はセドニオの再婚に最後まで反対をしていたのだ。

「ええ、オートリエ様には感謝をしています。わたしはこの子たちの世話がありますのでこれで失礼します」

 ダイラは必要事項だけ述べてその場を辞そうとした。実際相手をしていて気持ちの良い人間ではない。

「おい、おまえ使用人の癖に何様のつもりだ? ちょっとくらい付き合ってもいいだろう。昔のよしみだろう」

「わたしは現在レガルド家に雇われている身ですので即答はできません。彼女たちのお世話で空いている日などありませんから」

「確かにそれはそうだね。ごめんね、ライネスさん。もし暇ができたら教えてよ、俺たちダントリン家の別荘にいるんだ」

 尚も何か言いたそうにしていたクレメンテより先にもう一人の男が口を開いた。まだ話が通じるらしい。黒髪の青年はクレメンテの友人にしては屈折していない顔つきをしていた。

 ダイラは一礼をしてそのまま公園の出口から出て行った。

 二人の教え子たちは心配そうにダイラの方をちらちらと窺うように見上げた。




 二日後。

 ダイラはレガルド家の別荘で自由時間を過ごしていた。アデーリタとフェリシタスは二人ともお友達の家に遊びに行っているのだ。モール家で知り合った女の子たちと仲良くなったようで、料理人にお菓子を焼くようにねだっていた。檸檬を使ったケーキを持参して馬車で向かっていった。

 ダイラは夫人の好意により書庫への出入りを許されており、庭の木陰で読書に励んでいた。多く作りすぎたという檸檬のケーキがおともである。

「おい、おまえガジェゴ子爵家と面識があるのか?」

 上から声が降ってきてダイラは目線を本から上へとあげた。声の主アベルが立っていた。

「面識というか、彼パニアグア侯爵家の親戚だもの」

「なるほど」

 その答えでアベルはすべてを察したらしい。

「それがどうかしたの?」

 ダイラは眉を潜めた。なぜにアベルがそんなことを聞いてくるのかわからない。いや、あまり考えたくない。

「いや、実は……昨日の夜クラブに顔を出したら向こうから声をかけてきたんだよ」

 アベルはあまりいい話ではないのか彼にしては珍しく言葉を濁した。

 ダイラは遠慮することないのに、と思う。あの男の考えそうなことくらい手に取るようにわかる。権力だけがクレメンテの拠り所なのだから。

「どうせわたしを差し出せとか言ってきたんでしょう。夏の相手にちょうどいいとか何とか」

「っておい! どうしてそうやってずばっと言うかな」

「別に。お嬢様相手じゃないんだから言葉を濁す必要性がないもの」

 さすがに仕える相手にはこんなことは言わない。もっとやんわりとした言葉をダイラも捜すが、目の前にいるのは級友なのだ。

「いやでも。おまえだって女だろう。もうすこし恥じらいってものを……」

 なにやら赤くなっているアベルのことをダイラは無視をした。

 町の下宿屋で女だけで生活をしているのだ。年の割に耳年増なことは自覚をしている。クレメンテがダイラに何を期待しているのかも。あいつ、人の胸元ばかりに目をやっていたし。平均的な女性に比べると大きな胸はダイラのコンプレックスなのだ。だから夏場でも胸元の詰まったブラウスを身につけている。

「で、わたしにどうしてほしいの? わたしはあいつのところに行く気はないわ。もし本当にあてがえなんて言ってきたら面倒なことになる前にミュシャレンに帰るわ。ここの家に迷惑もかけたくないし」

 貴族の家に生まれたことだけを誇りにしているような男である。旧知のダイラのことを物のように扱うだろう。現在身を寄せているレガルド家も商家であり爵位は持っていない。新興成金の家など歯牙にもかけない男が妙な圧力をかけてきても困るのだ。

 ダイラはため息をついた。

「大丈夫! ちゃんと断ったから。大体人のうちの家庭教師になんてこと言うんだ、ってちゃんと釘をさしてきたからさ」

「あ、そう」

 大きな声を出されてダイラはいささかびっくりした。

「だいたい、おまえあんなやつのいいなりになる必要ないだろう! パニアグア家に仕えていたのだって昔の話なんだし。今は関係ないじゃないか」

 どうしてアベルの方がむきになるのかわからなくてダイラは首をかしげた。

 入学当初はダイラが貴族に仕える召使の娘だと知って不躾なことを言ってきたくせに。ダイラはそういう同級生たちを自身の成績で見返してきたのだ。男はまだましだったが、女生徒はもっと面倒だった。普段は中間層というだけで貴族からは見下されている家の人間だから、その下だと思っている労働者へは同じような態度を取るのだ。数少ない女生徒は固まって過ごすことが多いけれどダイラはその中に入ることはなかった。話す相手はダイラと同じように徒党を組むことに価値を見出さないごく少数の女生徒たちだけだった。ダイラの扱いが変わったのはオートリエが学校主催の定期発表会を訪れたあとのことだった。カドレンヌ上級学校へ多額の寄付も行っていたオートリエが姿を現し、彼女の支援でダイラが学校に通っていることを知った学校の教職員らの態度が目に見えて変わった。オートリエが無邪気にダイラを褒めちぎったため、彼女の機嫌を損ねたくない大人たちがダイラへの態度を軟化させたのだ。

「あなたからそんなことが聞ける日が来るとはね」

「な、なんだよ」

「別に」

 ダイラは話す必要性が無くなったため、再び本に視線を落とした。

 アベルはその場を動こうとしなかった。

 その上ダイラの傍らに腰を下ろした。ダイラはアベルへと視線を向けた。

「おまえ、このあとどうするんだ?」

「普通に賃仕事をして、来期の為の勉強をするわよ」

「そうじゃなくて! 卒業した後だよ」

 ダイラはアベルを見つめた。この男がダイラの私生活について尋ねてくるなんて初めてのことだった。

「さあ。自立しないといけないことは十分に承知しているわ」

「パニアグア家へ戻るのか」

 ダイラは黙り込んだ。

 どうしてこいつにそんなことを言われないといけない。自然と険しい顔つきになっていたのかアベルが慌てて弁解を口にした。

「って、別に俺には関係ないけど! お金出してもらったからってそこまで尽くすこともないだろうって話しだよ」

 それはオートリエからも言われている言葉だった。

 気にしなくていいのよ、あなたは自分の好きな道を選びなさい、と。

 ダイラは分からなかった。

 卒業後の進路。レカルディーナ。

 時折幼いころの延長線で送ってくる手紙もいつかは途絶えるだろう。大人になれば嫌でも気がつく。レカルディーナとダイラの間にはきっちりとした身分という壁が立ちふさがっていることに。

 お互い幼いころのままではいられない。

「わからないわ。まだ一年もあるもの」

 ダイラに言えることはこれくらいだった。

「そう……だよな……。一年もあるんだもんな」

 アベルはダイラの言葉を繰り返して、そのあと乾いた笑みを浮かべた。




 七月も後半になり、隣国から手紙が届いた。フラデニアに滞在をしているオートリエからである。どうやら母からダイラの滞在先を入手していたらしい。

 差出人がパニアグアの名前だったのでビオレアが目を丸くしていた。手紙の内容は、いつもとは違う環境に身を置くダイラを気遣った文面から始まり、途中からは主にレカルディーナのことばかりが書かれていた。レカルディーナからはカードが同封されていた。そっけなく「一度くらいはフラデニアにも来てほしかった」といった内容が書かれていた。

 そういえば忙しくしていて返事を書いていなかったことに気がついた。

 手紙は苦手なのだ。詩の暗唱は得意だけれど、詩作は苦手である。

 しょうがない。湖畔の土産物店で何かカードでも買って送るか。何を書こう。

「ねえねえ、お手紙なんて書いてあったの?」

 無邪気に質問をするのはフェリシタスの特権である。

 無関心を装いながらもアデーリタも興味があるのかこちらのことを窺っているのが知れた。

 ダイラは手紙の文面を頭の中に思い浮かべた。自然口元がほころんでくる。

「内緒よ。あなただってお友達からのお手紙を読まれたくないでしょう」

「むぅ……」

 図星だったようでフェリシタスが頬を膨らませた。


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