ダイラと小さなお嬢様3
午前中は勉強をして、午後からは湖周辺を散歩する。昼食は屋敷で食べることもあればお弁当にして屋外で散策がてら食べることもあった。この場合乳母のミラン夫人も一緒である。あともう一人は乳母付きの召使いであるイアも同行する。
やっと窮屈な勉強の時間から解放された二人は伸びをして部屋から飛び出していった。
ダイラも肩を回して、散らかしっぱなしになった紙類や本を整理する。
お金持ちの子女の教育なんて初めてだから疲れる。それでもダイラは昔レカルディーナと一緒に受けた授業内容を思い出しながら授業内容を詰めた。また、事前に普段家庭教師をしている女性から二人の授業内容を聞き出していたため、それも参考にした。
今日は天気がいいので外のテラスで食べることになっていた。
ダイラも部屋を片付けてから階下へと移動した。
献立は湖で取れたマスを焼いたものだった。この辺りの名物料理である。
「あら、あなたもいるの」
昼食の席にはなぜだかアベルも同席していた。
金髪が日の光に当たり、やたらときらきらと反射している。人の良い笑みを浮かべて片手をあげてダイラを迎え入れた。
「今日はお兄様も一緒なの」
アデーリタがどこか挑発をするようにダイラを見つめてきた。
「お兄様と一緒~」
フェリシタスは姉の言葉を真似して笑った。年の離れた兄が同じ席に着くのが嬉しいらしい。普段学業に忙しいアベルは子供部屋に寄りつくことがあまりないらしく、この休暇で一緒に遊べるのを二人とも楽しみにしていたのだ。
「よかったわね」
純粋な二人を見ればダイラも自然と笑みがこぼれた。
「あー、ダイラ先生笑った! そう、その笑顔だよ」
「さっきも言ったでしょう。わたしだって笑うときは笑うわ」
改めて指摘をされるといささか気恥かしい。ダイラは珍しく頬を染めた。
「ねえ、お兄様。午後は一緒にボートに乗りませんか?」
アデーリタが遠慮がちにアベルへお伺いを立てた。
普段魚ななんて滅多に食べれないダイラは話し半分、魚の攻略に忙しい。三食ご飯付きの仕事のありがたさが身に染みる瞬間である。
アベルはといえば妹の話を聞いてちらちらとダイラの方を窺うように視線を寄こしてきた。もちろん鱒に一生懸命なダイラは気づかない。香草の香りが口いっぱいに広がってとても美味しい。付け合わせの潰した芋には惜しげもなくバターが使われている。普段下町で食べているものなんて、安い植物油脂などが混ざっているというのに。
アベルの視線に気づいたアデーリタは面白くなさそうにふん、と鼻を鳴らした。
兄の気持ちをなんとなく察しているのだ。ちなみにそれにまったく気付かないダイラに対しては複雑な心境だった。もちろんダイラはそんな二人の思考なんて思いつきもしていない。
「ボートか……。たしかにおまえたちに全然かまってやれてないもんな……」
ダイラは相変わらず魚に興味を奪われている。
「そうだな……」
アベルは何かを言いたそうにダイラに視線を投げた。ダイラはその視線にも気付かなかった。
「ダイラ先生も一緒に行く?」
親切心を発揮したフェリシタスがダイラに声をかけた。
「えっ、なにかしら?」
ダイラはまったく話の内容を聞いていなかったので不思議な顔をして顔をあげた。家族の会話に家庭教師は口を挟まないのである。
「午後から湖でボートに乗ろうって話よ。お兄様が漕いでくれるって」
「あらよかったじゃない。兄妹水入らずでしょう。三人で行ってきなさい。わたしは本でも読んでいるわ」
ダイラは即答した。アベルは休暇の時くらい妹と交流を持つべきである。
ダイラのさっぱりした態度にアベルはあからさまに頬を引くつかせた。それを見たアデーリタは憮然とした表情をして、それでもダイラが兄に色目を使わなかったことにいくらか安堵した。大好きな兄を取られてしまうのは悔しいが、こうも眼中にない態度を取られるとそれはそれで腹が立つのだ。複雑なお年頃なのである。
「ダイラはどうして家庭教師になったの?」
今日もフェリシタスはダイラにあれやこれと質問を口にする。
子どもは質問が大好きだ。
別荘にやってきて十日が過ぎた頃にはアデーリタも幾分ダイラに心を開いていた。四六時中一緒にいて、ダイラの変わらない態度に何か感じるものがあったのかもしれない。
「そうね、身も蓋もない言い方をすれば給金につられたからかしら」
「きゅうきん?」
フェリシタスは首をかしげた。
「本当に身も蓋もないわね」
アデーリタはあきれ顔だった。
一日の大半を一緒に過ごすのだからダイラも生徒であるアデーリタとフェリシタスのことについても理解していった。二人とも打ち解ければ可愛らしい生徒だった。アデーリタは相変わらずダイラに辛辣だけれど。それも年齢を考えれば許容範囲である。
「じゃあ、わたしたちの前に仕えていたお嬢様は? やっぱり貴族のお嬢様って高慢ちきなのかしら」
貴族のお嬢様、の単語に近くにいたフェリシタスもぴくりと反応した。
二人ともダイラを真ん中に挟んで散歩の途中なのだ。
モーテルゲイン湖周辺には自然の森に程よく手を入れた公園が広がっており、観光客憩いの場になっている。他にも薔薇園やお菓子が食べられる湖畔のカフェなどもある。ダイラ達は昼食後の散歩を日課にしていた。また、同じような別荘地が並んでいるため近隣の住民との交流なども割と盛んだった。同じような年頃の娘を持つ別荘へ遊びに行くこともある。そうすると送り迎え以外の時間はダイラの自由にできるためありがたい。
「パニアグア家のことかしら」
「そう、それ!」
短期雇用とはいえダイラの経歴はレガルド家に知られている。もちろん二人のお嬢様にも、である。
フェリシタスは瞳をきらきらとさせていた。お姫様のでてくる絵本がまだまだ大好きなのだ。ちなみにうさぎのぬいぐるみも大好きで、今も一緒に連れてきている。名前はまんまうさぎという。
「お嬢様っていってもわたしより一つ年下で、もうずっと会っていないわ」
「でもずっと一緒だったんでしょう」
「そうね。物心つく前から一緒だったわね。あの子は高慢ちきじゃないわよ。ああでもアデーリタと同じで詩の暗唱は苦手だったわね」
レカルディーナと一緒に受けた授業を思い浮かべればダイラは自然と柔らかい表情になった。とにかく暗記が苦手なのだ。特に詩は一言一句間違えてはならない。こんなむずかしい言い回しなんて覚えられないわよ、と癇癪を起していたが現在ではどうだろうか。名門女子寄宿舎でも同じことをしていたら間違いなく先生から怒られるだろう。
「ふうん……」
「お嬢様のこと好きだった?」
自分から聞いてきたわりに最後は元気のない返事をしたアデーリタである。反対にフェリシタスは元気一杯に尋ねてくる。
「そうね」
「二人はどんなことをして遊んでいたの? それともダイラ先生はそのお嬢様にも厳しかった?」
なるほど、フェリシタスはダイラのことを厳しい先生と認識しているらしい。
「厳しくって、そんなことないわよ。わたしのほうが色々と苦労させられたわ」
「たとえば?」
「彼女の名誉のために伏せておくわ。淑女はあまり人様のことは根ほり葉ほり聞かないものなのよ、フェリシタス」
はあい、と言いながらも貴族のお嬢様の暮らしに興味しんしんのフェリシタスは尚も質問を繰り出してくる。主にドレスや舞踏会、王子様についてだ。幼いながらも自分たちはお金持ちの家だけれど、貴族と呼ばれる家のお嬢様とは少し違うのだということを理解している。だから余計に興味があるのだろう。
思いがけず家庭教師をすることになって、ダイラはレカルディーナのことを思い出すことが多くなっていた。仕える立場になって、昔の自分を思い出したのだろう。
ダイラにとってレカルディーナは妹のような存在であり仕えるべきお嬢様であり、幼い頃の思い出を共有する幼なじみだった。ダイラは意識的にレカルディーナと会うことを避けていたし、手紙の返事だって必要最低限だった。元来手紙というものが苦手ということもあるけれど。
今だって正直あまり彼女のことを口にしたくない。
思い出したくは無いと言っても、ダイラは自分でも自覚のないまま口元に柔らかい笑みを浮かべていた。アデーリタはそんなダイラの表情をじっと見つめていた。
「そんなにも舞踏会が好きならあとでわたしが本を読んであげるから」
「ほんとう!」
「ええ、だから今日は早く寝るのよ。明日はモール家に呼ばれているのでしょう」
そろそろ散歩も終わりだ。ダイラは二人を促して別荘の方向へと転換をした。
公園の入口付近に差し掛かった頃である。
正面から身なりのいい青年二人が歩いてきた。この公園は入場料が必要な為、上流階級の人間の社交場にもなっているのだ。子どもたちが遊ぶような広場以外にも婦人らが集まって談笑する東屋などの設備もある。フェリシタスは羨ましそうに眺めていて、子供専用の場所に連れて行くのに毎回苦労する。
男性のうちの一人がこちらに目線をやった。
ずいぶんと不躾なものだった。
「おまえ……」
通り過ぎようとするダイラ達一向に男のうちの一人が声をかけてきた。
「おまえ、ダイラ・ライネスか?」
ダイラは思わず立ち止った。そうして改めて男の顔をしっかりと確認した。
褐色の髪に濃茶の瞳をしたつり目の男である。その片方だけ口の端を持ち上げるいやみな笑みにどこか見覚えがあった。
「……クレメンテ様でしょうか」
男、クレメンテは鷹揚に頷いた。クレメンテ・ガジェゴという名の青年で、パニアグア侯爵家の親戚筋の男である。父は子爵位で、セドニオの妹の嫁ぎ先だった。もちろんレカルディーナ、ダイラ二人にとっていい思い出は無い。




