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一章 男装はじめます4

「ううう……重い」

 日課の殿下のお友達の餌獲りである。近くの湖(といっても小規模だが)で小魚を獲って、彼らに与えるのが現在のレカルディーナの仕事である。

 木製の桶の中には小魚が数匹泳いでいる。男だから、このくらい一人で出来て当たり前。ということで誰も手伝ってはくれない。

今まで深窓の令嬢として育ち、寄宿舎生活をしていたレカルディーナにとって侍従の仕事は体力面でも苦労した。男と偽っているためシーロと同じ体力を要求されるのである。おかげで勤務初日から自室に戻れば寝台へまっしぐら、そのまま気絶するように眠りに入る始末だった。

「ルディオ元気ないなぁ」

「だって……」

「あれだけ殿下の前で勢いよく宣言したのに」

「う……」

 殿下のお友達たちがご飯を食べているところを想像してレカルディーナは青くなった。蜘蛛用には虫を捕獲するのだが、こちらもやっぱり色々ときついものがある。体力と精神面のどちらとも。

 重い桶を運んでいると黒い髪の青年が視界に入った。珍しいこともあるものである。ベルナルドが供も付けずに歩いていた。

 レカルディーナは持っていた桶を足元に置いてベルナルドの元へ駆け寄った。一応侍従なのでこういうときは側についていたほうがいいと考えたのだ。

「殿下。お出かけですか? どちらまで行かれますか? ご一緒しましょうか」

 レカルディーナは笑顔で話しかけた。

 仲良くなってみせます宣言をきちんと実行しているレカルディーナだった。

 しかし、戦況はかんばしくない。

 ベルナルドは無感動にレカルディーナへと視線をやった。

「えっと、散歩ならお供しますよ」

 感情が読めないむっすりとした顔にレカルディーナは無意識に一歩後ろへ下がった。もしかしたら機嫌が悪いのかもしれない。

「…け」

 ベルナルドが何か言ったが、小さな声でレカルディーナは聞き取れなかった。

 その場を動こうとしないレカルディーナに対して痺れを切らしたのかベルナルドは舌打ちをした。

「向こうへ行け、と言ったんだ。聞こえなかったのか?」

「申し訳ございませんでした」

 不機嫌丸出しの低い声だった。見降ろされた目線に耐えきれなくなってその場からすごすごと退散したレカルディーナだった。

 元の場所で待っていたシーロはお疲れさまと労ってくれた。彼は断られることが分かっていたのか最初からその場から動こうとはしなかったのだ。

「殿下はああして一人で散歩に行かれるんだよ。離宮警備員っぽいだろ」

「う、うーん」

 そこにはあまり同意したくない。しかし近衛騎士も供に付けずに一人きりで散歩だなんて警備上の問題は無いのか。

「ま、こんな田舎に不審者がいたらすぐに分かるしな」

 シーロはあっけらかんと言った。

「それにしてもあんなにも睨みつけなくてもいいじゃない」

 レカルディーナはぷんすかとシーロに対して当たった。ベルナルドときたら始終あんな調子で不機嫌そうな顔をしているのだ。こっちは別に悪いことなどしていないのになんなのだろう。本人を目の前にしては言えないけれど鬱憤は溜まっているのだ。

「ま、そうカリカリするなって。あれが殿下の通常運転だから」

 シーロはあっけらかんと言い放った。このくらいおおらかじゃないと彼の侍従は務まらないのかもしれない。

「つ、通常運転て……」

 レカルディーナは頬をひくつかせた。




「殿下が何を考えているかなんて、そんなの分かりっこないわよ」

「ダイラ冷たい……」

 別の日のお昼どき。侍従といっても始終主人に張り付いているわけでもない。レカルディーナは昼食を取った後、少しだけ暇をみつけて同僚相手に愚痴を吐いていた。

 まだまだ距離のありすぎる主人ベルナルドについて言いたいことが沢山ありすぎる。

 彼女の傍らで愚痴を聞かされている同僚の名はダイラ・ライネスという少女だ。黒髪に知的な紫色の瞳を持った少女は女官の制服に身を包んでいる。何を隠そう彼女はレカルディーナの幼馴染ともいえる少女だった。

「ダイラはあっさりしすぎよ。毎日顔を合わせる身にもなってよ。もう、何考えているんだかさっぱりだし顔は怖いし。虫は気持ち悪いし」

 リポト館の裏庭の生け垣に腰を下ろしたレカルディーナは頭を抱えていた。

 ダイラはレカルディーナが男装してリポト館にやってくる十日ほど前に女官として就職した。元々彼女の母親がオートリエ付きの侍女をしていた関係で幼いころから一緒に育った。レカルディーナよりも一つ年上のダイラはレカルディーナが寄宿学校へと進学した後オートリエの好意で街の学校に通わせてもらっていた。卒業後の進路に頭を悩ませている頃エリセオがやってきてあれよあれよという間に王宮付き女官の仕事を与えられリポト館へ連れて来られたのだ。一応エリセオなりにレカルディーナを気遣ったようなのだが、自分の夢の為にダイラを巻き込んでしまった感は否めない。

「最後のが本音でしょ。ほら、めげないめげない」

 小さいころから物静かであまり表情の変わらないダイラだったがレカルディーナにとっては一番身近なお姉さんのような存在だった。

「分かっているわ。女優になるためだもの。ああそうだ、ダイラもごめんね。わたしのせいで色々と巻き込んで」

「それはいいっこなしよ。こんな格好しているあなた一人放っておくのも危なっかしいし。それに女官としての仕事経験は今後の人生においても役に立ちそうだから大丈夫」

 そう言ってダイラはごそごそとスカートのポケットをあさり始めた。

 とりだしたのは布にくるまれた焼き菓子だった。

「ほら、これでも食べて元気出しなさい」

「ありがとう」

 女官に比べて体力仕事も多いレカルディーナの為にとっておいてくれたようだ。こういう気遣いにじーんとしてしまう。焼き菓子を口の中に入れれば、甘さがじんわりと疲れた心に染みわたるような気がしてくる。

「ま、根気よく話しかけて入ればそのうち相手の態度も変わってくるんじゃないの」

 なんだかんだと助言までくれる辺りダイラはやっぱり頼りになる。

「あーっ! ルディオなにダイラちゃんと密会しているんだ」

 お菓子を食べてつかの間の幸せを味わっていたところに大きな声が割って入った。言わずもがなシーロの声である。

「え、別に密会とかじゃなくて」

「おまえのこと隊長が呼んでいたぞ」

「うわっ。やばい! そういえばさっき言われたような……。じゃあね、ダイラ」

 レカルディーナは口の中のお菓子を慌てて飲みこんでそのまま駆け出した。午前中に書簡をリエンアール宮に届けてほしいとかなんとか、言われたような気がしなくもない。いや、言われた。完全に忘れていた。

「ダイラちゃん、今度一緒に王都に遊びに行かない? あ、あとこの後の書庫の整理俺が手伝うよ」

 後ろから鼻の下を伸ばし切ったシーロの声が聞こえてきた。

 それに続く返答は聞こえて来ない。きっとまた聞こえていない振りでもしているんだろうな、とレカルディーナはひっそりと思った。




 初夏の昼下がり。

 六月は一年の中で最も気候のよい時期とはいえ、後半になると日差しは強い。隊長から手渡れた書簡を持ってレカルディーナはリエンアール宮を目指して歩いていた。広大な庭園をひたすら歩くこと約十五分。馬を使えばもっと時間を短縮することができるけれど、あいにくとレカルディーナに乗馬経験はない。

 そしてリエンアール宮にたどり着くと、五十に手が届くだろうという貴婦人がレカルディーナのことを出迎えてくれた。

 黒い髪に少し灰色が混じっている。瞳の色は緑色。上品な笑みを浮かべている。

「こんにちは。あなたが書簡を持ってきてくれた……ベルナルド殿下の新しい侍従かしら」

 女性はほがらかにレカルディーナに話しかけてきた。

「はい」

 レカルディーナはおずおずと書簡を差し出した。

 女性はその場で封を開けて中身を一瞥して、嘆息した。


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