ダイラと小さなお嬢様1
ダイラの過去話です。ほぼ独立したお話になっていると思います。
ミュシャレンの上級学校に通い始めて二年が経過した。
三年制のこの学校では家庭教師を卒業した比較的な裕福な出の思春期の子供たちを主対象に学生を募集しており、ダイラの同級生も大半がお堅い職種を父に持つ家の子どもたちが大半であった。
ミュシャレンにいくつかある上級学校のうちのひとつ、カドレンヌ上級学校が現在のダイラの学び舎である。
「ダイラ、おまえこの夏どうするんだ?」
学校の鐘が鳴り終わり、無事に二年生が終了した日であった。
明日から夏季休暇が始まるのだ。八月が終わり秋になればいよいよ最終学年へと進級する。ダイラが十七歳を向かえる年のことである。
「なあに、急に」
ダイラは声のした方へ振り返った。
「いやほら。明日から夏休みだろう。暇ならうちで家庭教師でもしないかって思ってさ」
声の主はアベル・レガルド。金髪に灰色がかった緑色の目をしている男で、近年急成長を遂げた貿易商の息子である。会社を経営している家や医者や高級官僚の息子などが多い学校なのだ。女性で上級学校に進む人間はまだ少ないため、ダイラのような一般庶民の娘は学内で肩身が狭い。
「暇じゃないわ。わたし働いているもの」
実際今日はこのあと賃仕事の予定が入っているので早く帰りたかったダイラはそっけない口調だった。
「ええと、ただの家庭教師じゃないぞ。うちの妹たちが避暑に行く間一緒についてきてくれる人間をさがしているんだ。なんと、場所はモーテルゲイン湖だ! どうだ、ちょっと行きたくなっただろ」
ダイラの淡白な答えに慌てたアベルは大きな声を出して行き先を告げてきた。
モーテルゲイン湖とはアルンレイヒの北の方に位置する大きな湖だ。一年前に湖近くに線路が開通し、駅舎が建設された。駅ができれば人の流れも変わる。交通の便がよくなったモーテルゲイン湖は近年多くの観光客でにぎわっている。とは、下宿先で聞きかじった情報である。
「別に。それだけいいことずくめならなり手は他にいるんじゃないかしら。じゃあね」
「うわぁぁ、ちょっと待ってよ。もう少し話し聞いてくれたっていいんじゃないの?」
「どうして?」
妹をだしにダイラを避暑に誘おうとしていたアベルの想いにまったく気付かないダイラだった。そもそも普段からなにかとちょっかいをかけてくるアベルのことを、かなり面倒な奴くらいにしか認識していないのだ。成績はダイラと競うくらいだが社交的な彼の周りには常に人が絶えない。どちらかというと無口なダイラとは対照的な存在だった。
ダイラは時間の無駄だとばかりに歩きだした。
アベルは尚もダイラの隣を歩いてくる。
「妹の家庭教師が泊りは不可でね。なんでも実家に幼い子供たちががいて離れられないって。だからさ、成績のいい君が代わりに来てくれたら母も喜ぶと思って。三食ご飯におやつ付きで湖畔で避暑! もちろん給金も弾むよ!」
ダイラは給金のところでぴくりと反応した。
現在家を出て下宿中のダイラにとって給金のよい職場はなによりも魅力的なのだ。家庭教師は割と実入りがいいのは知っているが学業優先の為、普段はなかなか時間の融通が利かないのだ。
なるほど、これは話しくらいは聞いてみる価値はあるかもしれない。
ダイラは立ち止まった。確かレガルド家は最近南大陸からの輸入で大きな利益をあげているはずである。
「期間はどのくらい?」
ダイラが興味を持ったことに喜んだアベルは大きく腕を広げた。
「七月まるまるってところかな。もしかしたら八月の初旬くらいまでいるかも」
「そう……。考えてもいいわよ。もし……」
「もし?」
「もし、あなたがわたしが留守にしている間の下宿代も払ってくれるのなら」
ダイラはあくまでも淡々と答えた。
吹っかけるときは結構大胆に吹っかけるダイラだった。
「あらあ、それじゃああなた今年の夏はモーテルゲイン湖に滞在するの」
夏季休暇が始まって数日後のパニアグア侯爵家の一室。
いくつかある応接間の中でも東側にしつらえられたこの居室は小さく、主にオートリエが個人的に招いた客人とお茶をするために使用されている。小さいとはいっても大きな屋敷の中では比較的小さな部屋というだけで、ダイラの下宿先の部屋よりも大きい。
「はい、オートリエ様。条件がよいのでちょっと稼ぎに行こうと思っています」
「そうなの……。今年の夏はレカルディーナもこちらに戻ってこないから、わたくしたちがフラデニアに行こうと思っていてね。是非ダイラも一緒に、と思っていたのに。こちらには八月には戻ってくるのでしょう。そのあと少しだけでもこちらに合流しない?」
オートリエはずいっと身を乗り出してきた。
「いえ、そこまで甘えるわけにはいきません。それに仕事が終わりましたら来期に向けて予習もしたいですし、通常の賃仕事も入ってします」
ダイラはあくまで冷静に事実のみを告げた。
ダイラの答えを聞いてオートリエはしょんぼりと肩を落とした。
「ダイラがちっとも構ってくれないからつまらないわ。確かに成績優秀でセドニオ様も感心なさっていましたけれど、仕事と勉強だけってつまらないわ。レカルだって久しぶりにあなたに会いたいって思っているわよ」
オートリエは年甲斐もなく口をとがらせている。
軽口を言うオートリエは由緒ある侯爵家の夫人には見えない。私的な空間だと途端に砕けた印象になるのだ。今だって、自分付きの侍女の娘であるだけのダイラを客人のように招いてお茶の席に招待をしている。そもそもダイラが上級学校へ進学することができたのもオートリエの好意によるものだ。オートリエの娘、レカルディーナが隣国の寄宿学校に入学をした一年後、オートリエから上級学校へ進学しないかと提案をされた。入学資格が十五歳を迎える年の男女、とのことだった。元々勉強が嫌いではないダイラは好意に恐縮しながらも最終的には勉学への欲求に負けてしまい、オートリエの優しさに甘えることにした。母の給金だけでは高い授業料はとてもじゃないが払うことはできない。
「レカルディーナ様はお元気でしょうか」
オートリエの口からレカルディーナの名前が出たので、ダイラは形式的に尋ねた。彼女とはもう一年以上会っていない。
「ええ。とても元気よ。今年の休暇がフラデニア最後だからって、お友達の何人かから別荘や領地へ招待されたから帰らないって。祖父母もあの子には甘くって困ってしまうわ。セドニオ様が拗ねるものだから、わたくしたちもフラデニアで夏中過ごそうと思って」
オートリエは呆れた口調だったけれど、それでも娘の話題は嬉しいのか、いそいそと手紙を取りだした。レカルディーナから届いたものなのだろう。
「はい。これあなた宛てよ。いつものように同封されていたの」
ダイラは青い小花模様の封筒を受け取った。
レカルディーナは時折ダイラ宛てに手紙を書いてよこす。オートリエがにこにことダイラのほうを楽しそうに眺めているので、ダイラは仕方なく封筒を開けて便箋を取り出した。
数か月ぶりの彼女からの手紙。少女らしいはつらつとした字。
寄宿舎での暮らしやフラデニアで流行していること、友達と過ごす夏季休暇への高揚感、多感な少女らしい感性が散りばめられた文章だった。
「元気そうですね」
「ほんとうね。もうずっとメーデルリッヒ女子歌劇団にお熱なのよ。お母様ったらあの子の為に箱席まで年間契約をしてしまったくらい」
おそらく書かれている内容はオートリエのものと大して変わらないのだろう。オートリエの口ぶりから察するに孫娘としてレカルディーナは甘やかされているらしい。
ダイラは十三歳の頃の、未知の世界へ旅立ちの前に緊張して白い顔をしたレカルディーナの姿を思い出した。入学が決まって、出発の数日前にダイラの部屋までやってきて一緒に眠ったあの日のことなんてきっと彼女の中では遠い日のことになっているにちがいない。
それからたわいもない話しをいくらかして、お茶を三杯飲んだところでお茶会は終了した。侯爵家夫人のオートリエは忙しいのだ。ダイラもこのあと仕事があるからあまり長居はしていられない。帰りに母に会って、夏季休暇の間の予定をざっくりと伝えておいた。緊急連絡先として湖畔の屋敷の住所を書いた紙を渡した。
「そういえばお母さんもオートリエ様に付いて行くの?」
「いいえ。わたしはお留守番。オートリエ様も分かってくださっているから」
ダイラの母はオートリエの結婚に付いてアルンレイヒへと渡ってきた。オートリエの実家であるファレンスト家の時代からオートリエ付きの侍女をしていたのだ。付き合いはとても長いがゆえに色々と事情を知っているのだろう。主にダイラの父について。
ダイラも詳しく聞こうとは思わなかったので簡潔に返事だけをして別れた。
ダイラは現在母とは別れて暮らしているのだ。
カドレンヌ上級学校へ入学した当初はパニアグア家から通っていたが、それまで客用上級使用人見習いをしていたダイラの好待遇を目の当たりにした下働きを含むその他の召使いとの間で軋轢が生まれた。ダイラ自身、独り立ちをするいい機会だと思い、学校へも通いやすい地区で下宿をすることに決めたのだ。母に負担をかけないため下宿の家賃や食費などはすべて自分で働いて賄っていた。




