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元引きこもり殿下の甘くない婚約生活14

 そのまま少し走り二つ目の路地を曲がったところで少年はぴたっと止まった。十にもみたないくらいだろうか。金色の髪をした愛らしい少年だった。重そうな綿の上着に着古したズボンに埃をかぶった靴という、このあたりではごく当たり前のいでたちをしていた。

「兄ちゃんてばどんくさいね」

「ど……」

 愛らしい口元からなかなかに辛辣な言葉を吐かれてレカルディーナは言葉を失った。

「あんな見るからにうさんくさい客引きに捕まるなんて。この辺はそういうの多いからきをつけたほうがいいよ」

「客引き……?」

「そ、宿屋とグルになっているから相場よりも高い部屋代金を取られるってわけ。で、紹介者にも仲介料が支払われるんだよね。あいつ飲んだくれだから。酒代がほしかったんだろうね」

 愛想よくぺらぺらと少年は話した。

 よくわからなかったけれど、あのままついていけば高額の宿代を請求される恐れがあったということか。少年に助けられる形になったレカルディーナは素直にお礼を言った。鈍感とか言われたことは水に流すことにした。

「ありがとう」

「どういたしまして、お礼はりんごでいいよ」

 ちゃっかりした少年はそう言って正面の屋台で売られている林檎の山を指さした。レカルディーナは苦笑を洩らした。なるほど、ちゃっかりしているのかしっかり者なのか。

 でもまあ助けてくれたお礼としては適正な要求範囲とも言えなくはないのでレカルディーナは素直に従うことにした。そういえばレカルディーナ自身朝食を食べたきりで何も食べていない。りんごに意識を向けると途端にお腹が空腹を訴えてきた。

「わかったよ。りんごじゃなくてパンにしない? おなかすいちゃった」

「いいよ~」

 少年は両手をあげて喜んだ。こういうところは可愛らしい仕草である。

 だったらお勧めがあるんだ、と少年に連れて来られたのは人だかりの出来た駅近くのパン屋だった。旅行者だけでなく地元の人と思われる人たちも客の大半を占めており、この界隈の人々から支持を集めていることが窺い知れた。

 レカルディーナはハムとチーズのサンドウィッチと干した果実ののった楕円形のパイを買って、少年には手の平大の大きなクッキーを買ってあげた。ひっきりなしにやってくる客を押し分けてなんとか店の外にでる。

「はい。どうぞ」

 レカルディーナはにこやかにクッキーを少年へ手渡した。

「ありがとう。兄ちゃん親切だね」

「いいえ、このくらい」

「あー、でも。これからはもうちょっと警戒心持った方が世の中うまく渡れるよ……って、ね! じゃあ~ね」

 少年はクッキーの入った紙袋を受け取って、そのあとにさっとレカルディーナが肩からかけていた鞄をかすめ取って走り去った。

 時間にしてほんの数秒、あっという間の出来事だった。レカルディーナが財布を鞄の中にしまったことを少年はしっかりと確認していたのである。

「え、ちょ……、ま、待ちなさぁぁぁいっ!」

 少年はあっという間に雑踏の中に紛れ込んだ。

 レカルディーナもすぐさま追いかけた。

 なにしろあの鞄の中には全財産が入っているのだ。明日の列車の切符は、上着のポケットの中、だからまだマシ、とかそういう問題ではない。

「こぉぉらぁぁぁぁ!」

 少年はすばしっこかった。

 ただでさえ駅周辺は人ごみなのである。しかも彼はこのあたりを熟知しているのかわざと人の多い方へと進路を取っている。体が小さな少年と少女とはいえ大人に近い体格をしたレカルディーナとではどちらが有利か考える暇もなく少年に理がある。

 それでもレカルディーナは諦めなかった。

(絶対に捕まえてやる!そんでもって警吏隊に突きだす)

 少年の方もレカルディーナが予想外に根性を見せるために焦ったのか、駅舎の中へと入って行った。撒くつもりだろうが、そんなに世の中甘くない。少なくともレカルディーナは気合い十分で少年を追っていた。短期決戦でないと体力が持たないからだった。

 一方の少年もレカルディーナのあまりのしつこさに辟易していた。

 鞄ごと狙ったのがよくなかったと悟り、走りながら片手を突っ込み財布だけを抜き取って後方へ投げ捨てた。ちょうどホームへ渡す階段を登り切ったところだった。

 レカルディーナは突如投げられた鞄に気を取られた。

 階段の途中にも関わらずに、鞄の方へ体が傾いだ。あっ、と思う間もなくバランスを崩してしまったのだ。注意が完全に弧を描き宙を飛んでいく鞄の方へ向いてしまったのだった。

(うそでしょ……)

 階段の半ばにいたレカルディーナは足元をぐらつかせて、そのまま重力の法則にしたがった。

「レカルディーナ!」

 誰かがレカルディーナを呼んでいる。大きな声だった。

 階段から落ちたらさすがに痛いかも……と、覚悟を決めたけれど想像したような痛みは感じなかった。

 衝撃はあったけれど、それはもっと柔らかかった。

 どさり、と誰かに抱え込まれるようにして後ろから受け止められたのだ。

「やっと、捕まえた……。本当に、おまえはいつも無茶ばかりする」

「そ……の、声……」

 なぜだか頭上から懐かしい声が落ちてきた。レカルディーナは半信半疑で呟いた。まさかそんな、という思いでいっぱいだった。レカルディーナの頭はついていかないのに、抱きとめた人物は当然のようにそのままレカルディーナを後ろから抱き締めた。ぐっと体同士が密着する。

「レカルディーナ……。会いたかった」

 切なそうに、絞り出すような言葉が耳元に届いた。

 レカルディーナのよく知っている声だった。熱を帯びた、少し低い、けれどもとても安心できる大好きな声。

 言いたいことはたくさんあったはずなのに、その言葉を聞いたらレカルディーナは二の句を告げなくなった。

どうしよう、先ほどまでとは違った意味で心臓がばくばくしてきた。

「ベルナルド様。鞄を回収してまいりました」

「ああ」

 もう一人十分すぎるほど馴染みのある声が聞こえた。彼に仕える近衛騎士隊長の声だった。声の後、レカルディーナを抱きしめる腕を緩めて密着した体を名残惜しそうに離された。

 レカルディーナはゆっくりと体の向きを変えた。早鐘を打つ心臓を手で押さえる。ゆっくりと顔をあげるとそこには懐かしい婚約者の安堵した双眸があった。

「……本物……」

「当り前だろう。こんな顔がいくつもあってたまるか」

 大きく息を吐いたベルナルドは、愛おしそうにレカルディーナの頬に手をやってもう一度ゆっくりと抱きしめた。




 結局スリの子どもは捕まらなかったけれど無事ベルナルドと再会をしたレカルディーナは無一文の危機から脱することができ、彼が滞在の為に押さえたホテルで数日間ゆっくりと過ごした。すぐにでもアルンレイヒへ帰れると思っていたのだがファレンスト家とやり合うにあたって色々と根回しをしたことがあるとのことだった。それらの事後処理の為足止めを食らったのだ。詳しくは聞いていないが、アデナウアー家経由でフラデニア王家に話をつけたらしい。レカルディーナ一人の為に無茶をしたのはベルナルドも一緒だった。

 ちなみにベルナルドがあの時中央駅にいたのは偶然でも何でもなかった。

 ディートフレンの馬車はベルナルドの寄こした近衛騎士のうち二人が尾行をしていたらしいのだ。そして一人だけ下ろされた人間、男装したレカルディーナの後を念のためにつけていたのだ。黒髪の従僕姿の少年の正体にまでは気づくことはできなかったけれど、中央駅でぼーっとしているレカルディーナの様子を怪しんで、ベルナルドに報告に行こうとしていたとのことだった。そんなことにはまるで気づくことができなかった。

 そしてもう一つ。フラデニア王室にルーヴェ滞在が筒抜状態のベルナルドらは建国記念の夜会に招待をされて、そこでレカルディーナは思いがけず嬉しい再会をした。

 卒業以来手紙のやり取りしかしていなかった元同級生の友人らと再会をしたのだ。

レカルディーナの同級生の大半はフラデニア人である。改めて婚約者のベルナルドを紹介すれば皆祝福をしてくれた。それにしても友人らに恋人を紹介するのは割と、いやかなり照れた。

 ベルナルドの方は友人の前でも平然とレカルディーナの腰に手をやり抱き寄せるのだから余計に始末が悪い。レカルディーナの心臓は大きく鳴りっぱなしだし、友人らの冷やかすような目線はびしびしと伝わってくるし、で「やめてください」と言っても完全に惚気としか聞こえなかったらしい。友人たちからはそのあとでさんざんからかわれた。寄宿舎生活でのメーデルリッヒ女子歌劇団のどはまりっぷりを皆知っているだけに、レカルディーナが恋人と仲睦まじくしている図というのが新鮮すぎたのだ。

 夜会で女の子同士仲良く過ごす様子を見たベルナルドには少し妬かれてしまったけれど、翌日改めて結婚式にレカルディーナの友人も招待しようと思うと言われれば嬉しかった。

 ベルナルドと両親がきちんと話をつけたと断言をしたのでレカルディーナは最後にファレンスト家を訪れた。隣にはレカルディーナの腰に手を添えたベルナルドがしっかりと張り付いていた。

 オートリエに付き添われたカルラとディートヘルムから強引に連れてきた旨謝罪を受けた。反省してくれているのならそれでよかった。ベルナルドの隣で自然体で微笑むレカルディーナの姿に複雑そうな顔をしていたけれど、叔父であるエグモントから小突かれてようやく二人とも「おめでとう」という言葉を口にしてくれた。その後帰国したあと王宮へと戻ったレカルディーナの元に沢山のドレスや宝石が花嫁道具としてファレンスト家から送られてきた。

 きっとまだ二人の間で消化しきれていないことがあるのだろう。これからレカルディーナがベルナルドと一緒になって、幸せになって、徐々に認めて行ってくれたらいいな、と思った。

 レカルディーナは隣に座るベルナルドを仰ぎ見た。視線を感じたのか彼の方もすぐにレカルディーナの方を見降ろしてきた。うす茶の瞳のやわらかな眼差しが懐かしかった。惜しげもなく愛情を注がれてレカルディーナの口元にも柔らかな笑みが浮かんでいることに彼女は気づいていない。

 ついでにいうならベルナルドの方はわざと意識をしてレカルディーナは自分のものだと見せつけていたのだが、これもレカルディーナは気づいていなかった。あいつ絶対根暗だ、とは従兄のディートフレンの弁だった。

 祖父母の屋敷を辞したレカルディーナは最後に一か所だけお願いをしてある場所へと寄ってもらった。明日にはアルンレイヒへ帰るのだ。その前にどうしてもベルナルドと一緒に行っておきたい場所があった。

「ここは?」

 街中のさりとて大きくもない教会の前で下ろされたベルナルドひとり言のようにつぶやいた。まさか行き先が教会だとは思わなかったのだ。

 シーロも珍しそうにあたりをきょろきょろとしている。何しろ一般庶民の行き交う普通の市街なのだ。ルーヴェの南地区に位置をし、建物の軒先には肉屋や雑貨店、野菜店などが雑多に並び、馬車も多く走っている。

「えっと、バビロス教会です」

 バビロス教会は特に若い女性たちの間で人気なのだが、その由来を知っているレカルディーナは少しだけそっけない口調で簡潔に話した。どうしても後悔のないように来てしまったけれど、やっぱり恥ずかしくなってきた。しかもシーロが当然のように側にいるし。彼の前でベルナルドの隣にいるのはいまだに恥ずかしいのだ。

「ふうん……」

 ベルナルドはさして感動した様子もなく教会を見上げた。そのままレカルディーナの腕を自身のそれにからめて歩きだすからレカルディーナも足を踏み出すしかなかった。

 まだ心の準備が出来ていないのだ。

 質素な木の扉を開いて、薄暗い室内へと入って行った。

 中にはレカルディーナと同じ年頃の少女らが数人、土産物を売る一画を陣取っていた。前方の座席には祈りをささげる老人が数人いるだけだった。

 熱心な信者でもないレカルディーナがわざわざ立寄ったということは何か欲しいものがあると踏んだのか、ベルナルドは聖堂後方の一角に設けられた土産売り場へと進路を変えた。

「何かほしいものがあるんだろう」

 淡々とした口調のベルナルドに伝えたら呆れられるだろうか。

 レカルディーナはおずおずと横にいる婚約者のことを見上げた。端正な顔立ちを特に緩めるわけでもなく、レカルディーナの意図を掴みかねているようだった。

「えっと、ルーヴェっ子なら誰でも知っているおまじない……とはちょっと違うんですけど、願掛けと言いますか」

 バビロス教会が祀っているのは神の二十四使徒のうちの愛を司る使徒である。特に女性の間では昔から、ここで売られているメダルを買って肌身離さず持ち歩いていると恋がかなうとか、恋人から贈られるとずっと仲睦まじいままだとか、噂されているのだ。中には恋人同士でメダルを交換する人もいるのだ。

 四年間ルーヴェの寄宿舎で過ごしたレカルディーナももちろんこの噂を知っていた。今まであまり興味も持たなかったのに、急に気になったのは自分が恋をしたからである。

 レカルディーナは真っ赤になりながらメダルの噂話をベルナルドに聞かせた。

 想像以上に恥ずかしくて今すぐに逃げ出したい。やっぱり自分でも思うけれど柄じゃなかったかもしれない。

「正直どうして女がこういうものが好きなのかよく分からないが……」

 そこは素直に伝えるベルナルドである。こういう答えが返ってくるんだろうなあ、と予想していたレカルディーナは、この場から逃げ出したくなった。

「レカルディーナがほしいというなら俺から贈る。恋人からじゃないと意味がないんだろう?」

「え、あ……はい」

 なんだかんだ言いつつベルナルドはレカルディーナから何かをねだられたことが嬉しかったのだ。それも恋人から、という枕詞付きだから余計だった。

 レカルディーナは買ってもらったメダルをそっと撫でた。

 寄宿舎で過ごしていた頃、ほんの少しだけ想像してみたことがあった。バビロス教会のメダルの話を聞いた頃だった。将来もし恋をすることがあればどんな人とするのだろう。女の子同士で買い物に来て願掛け用にメダルを買わなかったのは、当時のレカルディーナは幼すぎて恋なんて物語の中での話だったからだ。

 春が来きて、初夏に届くころレカルディーナはいよいよ花嫁になる。

 ベルナルドから引き離されて、改めてベルナルドの隣に立っていたいと思うことができた。そういう意味では今回の騒動もいい経験だったのかもしれない。レカルディーナは怒るときは怒るけど後には引かないのだ。

 隣の青年はメダルを見つめてはにかむ婚約者に頬を緩めた。偶然その場に居合わせた少女らが見るからに幸せそうな恋人同士の二人を前にきゃあきゃあと歓声をあげていたが、レカルディーナの耳には届いていなかった。

 四年前のわたしは想像していたかしら。

 レカルディーナは心の中でまだ幼かった自分に問いかけた。

 お嫁さんになるわたしなんて。一年前だってまったくそんな未来が来るなんて思っていなかった。

「ベルナルド様」

「どうした」

 レカルディーナは隣の恋人に声をかけた。

「早く初夏になるといいですね」



最後だけちょっと長くなりましたがきりが悪かったので分割せずにそのまま掲載しました。

ひとまず続編完結です。

糖度が低かったのであわてておまけでひとつ書きました。

近々アップします。

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