元引きこもり殿下の甘くない婚約生活13
「父上と母上が失礼しました。今すぐにレカルディーナは殿下の元へお返しします」
二の句を告げないディートヘルムに代わってエグモントが返事をした。ディートヘルムは悔しそうに顔をゆがめている。尚も文句を言っていたが、エグモントが一喝をして黙らせた。
銀行に手を出されては信用問題にかかわる事態へと発展する。彼もここで手を引かないと失うものが大きすぎることはわかっているのだが感情がついていかないのだ。
「そんなものがなんだっていうんですか! レカルディーナは渡しません」
カルラは最後まで納得できないように叫んだ。
「お母様! わたくしがいます。これからはもっともっとお母様のお側にいますから。だからもう駄々をこねるのはやめしょう。お母様の気のすむまでわたくしが側にいますわ」
オートリエが優しくカルラを抱きしめた。
「おまえは……わたしを置いて行ったじゃないか……」
抱きしめられたカルラはオートリエの腕の中で泣きだした。まるで小さな子供のようだった。声を堪えて泣く母をオートリエは愛おしげに撫でていた。
「子どもはいつかは巣立ちをするものですわ。けれど、わたくしたちは親子ですもの。寂しいならわたくしにちゃんと寂しいって言ってくださいな」
一方のベルナルドは。
そんな二人の様子を一瞥しただけで意識は完全にレカルディーナへと向けられていた。
「で、どこにいる?」
「帰してやりたいですけどね。ここにはいないですよ。さきほど逃がしましたから」
ディートフレンはベルナルドの睨みにも負けないくらいの強さで見返してきた。
「逃しただと?」
「ええ。言葉の通り。さすがに目の前で泣かれたんじゃあ、ね。こっそり屋敷から連れ出しましたよ」
ベルナルドは怒りにまかせてディートフレンの胸倉をつかんだ。実際腸が煮えくりかえっていた。ディートフレンの発した『泣いた』という言葉のせいだった。
「おまえ彼女に何をした」
低い声でベルナルドは問い詰めた。
ディートフレンは答えなかった。しっかりとベルナルドを見据えたまま時間だけが流れた。
「いい度胸だな。もう一度問う。貴様レカルディーナに何をした」
ベルナルドはもう一度繰り返した。このままディートフレンが何も語らないのだったらベルナルドにも考えがある。上着の内ポケットに忍ばせた拳銃の重みに意識をやった。最終的には脅してでもレカルディーナを取り戻す算段で持ってきたものだった。
「度胸もなにもありませんよ。あんなレカルに何ができるっていうんですか」
ディートフレンは力なく呟いた。ベルナルドから目を逸らして、今にも泣き出しそうな、傷ついた顔をしていた。
その様子にベルナルドはゆっくりと締め上げていた手をほどいた。彼の言葉はそれだけ信じるに足りる何かがあった。
ベルナルドはディートフレンを突き放して開きっぱなしになっている扉へと向かった。屋敷のまわりを見張っていた騎士らは何をやっていたのか、まずは彼らを問い詰めなければならない。
「ついて来い! レカルディーナを迎えに行く。セドニオとエリセオは一応ここに残ってこいつらを見張っていろ」
出て行く間際にベルナルドは落ちつかなげに立ちすくんでいたセドニオに目をやった。
「はいはい。わかりましたよ」
少しだけ呆れたエリセオの声が背後で聞こえた。
レカルディーナは男装姿のままルーヴェ市内にある中央駅へとたどり着いた。途中までディートフレンに馬車で送ってもらったのだ。屋敷を出る際、正体がばれるのではないかと戦々恐々としていたけれど心配は杞憂だった。
ディートフレンが堂々と正面玄関に馬車を横付けして屋敷から連れ出したため、ベルナルドの騎士らが男装したレカルディーナに気づくことができなかったのは別の話だ。
大胆な区画整理をされ建設された鉄道事業である。一番線から五番線まであるホームはルーヴェ市内と地方都市を結ぶ列車の発着で毎日とても忙しい。人の流入が多くなり、駅周辺の様相も十年前とはまるで変わったと、誰かが昔話していた。昔ながらの建築方法ではなく大きなガラスを屋根として使用し、鉄柱がむき出しのまま柱としてそれを支えているホームは巷では近代的と言われてもてはやされている。
レカルディーナは駅舎の正面にある大きな広場真ん中に立つ英雄像の近くに座り込んでいた。百年くらい前の王様らしい像の周りにはベンチがいくつも置かれているのだ。
レカルディーナは頭を抱えていた。
せっかく祖父母の屋敷から逃げ出して来たのに、色々と問題が山積みだったのだ。先ほどからため息が口からダダ漏れだった。
まず一つ目は本日分の列車の切符が完売していたのだ。アルンレイヒに帰るにはルーヴェからサンタンツエルまで行かなければならない。フラデニアの東部にある都市の名前だ。列車はサンタンツエル以降は南の方へ進路を変えるので、ここで今度は馬車に乗り換えてアルンレイヒとの国境沿いに向かうことになるのだが、時期が悪かった。ちょうどフラデニアの祝日と重なっていたため本日分の切符が完売していた。
レカルディーナは仕方なく明日の朝一番は、取れなかったので二番目の列車の切符を買った。人生初めての二等車だった。
まあ、一日くらい待たされるのは仕方ない。
二つ目の問題の方が大きいかもしれない。
「はあ……」
レカルディーナは盛大に息を吐いて立ち上がった。
考えていても仕方ない。駅周辺の宿を当たろうと思っていたけれど、祝日前ということを考えると満室かもしれない。これまでの人生で一人きりでなにかをするということがなかったため、旅の段取りを決めるということに慣れていないのだ。
レカルディーナは目につく宿屋を一軒一軒当たりながらもう一つの問題について考えを巡らせた。
国境を超えるときに必要なものがそろっていなかったのだ。
身分査証と旅券である。どちらも国境越えの通関所で必要な書類だった。そもそも自分の預かり知らないところでかっさわれて来たのだ。カルラはどうやってレカルディーナの必要書類をそろえたのだろうか。実は、フラデニア側で偽名を使い特別書類を作成していたのだが、それはレカルディーナの預かり知らぬ話である。ファレンスト家の名を出せばたいていのことは大目に見てもらえるくらいに権力を持っているのだ。
さすがのディートフレンもこればかりは準備できなかったらしい。最終手段としてアルンレイヒ大使館に駆け込むという選択肢もあるが、これはあまり使いたくは無かった。絶対にベルナルドに迷惑をかけるからである。
色々と考えることはあったけれど、ひとまず今夜泊る場所を確保しないことには始まらない。
駅の周りを中心に片っ端から旅籠を回ったが、めぼしいところは満室でレカルディーナは余計に途方に暮れた。こうなったら男装を解除してライツレードル女子寄宿学院にでも泊めてもらうか。エルメンヒルデならかくまってくれそうである。
「なあ兄ちゃん。さっきから困ってるみたいだな」
後ろから野太い声がかけられたが、レカルディーナは自分に対するものではないと思い込んで振り向かなかった。
「兄ちゃん。おまえさんだよ」
男がレカルディーナの肩に手をやって、そこでようやく後ろを振り向いた。
四十代と思わしき髭面の男が目の前に立っていた。
「ぼ、僕のこと?」
「そうだよ、おまえさん以外に他に誰がいるって? さっきから宿捜してんだろ。この時期どこも満杯だよ。だいたい明日が何の日か知らないのかい?」
「知っているよ。ちょっと失念していただけだし」
地元の人ならだれでも知っている祝日を知らないなんて、と小馬鹿にした態度をされてかちんときたのでレカルディーナは語気を強めた。
明日は建国記念日なのである。フラデニア現王家が三百年前にそれまでいくつかの州に分かれて統治していたフランデーア地方を統一し、フラデニアと定めたのがちょうどこの時期だった。百年ほど前の王様がせっかくだから記念に祝日にしよう、と改めて二月八日を建国記念日と定めたのだ。
この日は各地で盛大に祝いの花火が打ちあがるのだ。
「だったらおのぼりさんか。まあいいや、そんなことより俺がいい宿紹介してやるよ」
男は勝手に決め付けて本題を切り出した。
単なる客引きだったのか。にやりと口元を緩めて顔を近づけてくる男から距離を取ろうと一歩後ずさった。なんとなく、酒臭い気がする。
「……いいよ。他に行くあてあるし」
「なんだよぉ、遠慮するなって。俺が連れて行ってやるから」
レカルディーナは辞退したのに男の方はしつこかった。レカルディーナの鞄を取り上げようと腕を伸ばしてくる。
「いらないって言っているだろう! しつこいよ」
レカルディーナは寸前のところで後ろに飛びずさって、なんとか鞄を死守した。それにしてもいらないと言っているのに、どうしてこんなにも親切の押し売りをするのだろう。
「うるせぇ! こっちは金が要るんだよ」
「あっ! 兄ちゃん待った? ほら、こっちこっち! 宿取れたよ」
男がレカルディーナに叫んだ時、小さな腕が素早くレカルディーナの上着の裾を掴んで引っ張った。
そのまま勢いよく走りだすからレカルディーナもつられて走り出す羽目になった。少年がレカルディーナの上着を掴んでいた。わけもわからなかったが、振り返った少年は目線だけでついて来いと言っていた。
「えっ、ちょ、待って」
後ろの方では「なんだよー」とかなにか言っている男の声が聞こえた。




