元引きこもり殿下の甘くない婚約生活11
「えっと……」
額にいやな汗が流れた。
従兄には男装した過去は話していないはずである。
「男に化けた方が目立たないだろ。それにレカル前から男役に憧れていただろ」
「う……」
さすがは親戚、レカルディーナの夢は筒抜けなのだ。今はもう諦めたけれど。ついこの間まで男役の女優で頂点に上り詰めてやるわ、とか声高に叫んでいた気がする。
レカルディーナはそんな従兄をまじまじと見つめた。この年上の従兄は祖父母の味方をしていたのではないのか。一体今度は何をたくらんでいるのだろう。
「そんな疑り深い目で見るな。俺だって別に……、悪いとは思っていたし、この辺が潮時だって思っていたんだよ」
ディートフレンはばつが悪そうに髪の毛を掻き上げた。
「潮時って……」
「ちょっとレカルと一緒に過ごせればじいさんたちも気がすむかなって、黙っていたけど。さすがに限界だろう。ベルナルド殿下が動き出しているみたいだし」
ベルナルドという単語にレカルディーナははっとした。
「殿下が来ているの? ねえ! おしえて」
レカルディーナはディートフレンに詰め寄った。
「おい。落ち着けって」
「ああでもせっかく殿下やる気になったのに、お仕事は大丈夫なのかしら」
本当に彼が動いているのか。けれど政務は大丈夫だろうか。やっと真面目に職務に向きあうようになった矢先にレカルディーナの都合に巻き込んでしまった。それでもベルナルド自らが動いていると聞けばレカルディーナは居てもたってもいられなかった。
「詳細までは知らない。けど、自分の婚約者が手元からいなくなって黙っていることもできなかったんじゃないの。王家相手に喧嘩しかけたんじゃ分が悪い。何より親父の耳に入ったから時間の問題だよ。親父は顔を真っ赤にして怒っているらしい。ま、当り前か」
「叔父様が?」
「すぐにでもこっちに向かっているんじゃないかな。だけどおまえは待てないんだろう」
「当り前じゃない!」
レカルディーナは大きく頷いた。なんの心境の変化か、ディートフレンはこのままレカルディーナを逃がしてくれるつもりになったらしい。彼の話しぶりからすると叔父であるエグモントはこの件について無関係のようで、しかもレカルディーナの味方になってくれそうだった。
「お転婆のはねっかえりがあんなにもしおらしく泣いたんじゃな。こっちもお手上げだっていうの」
ディートフレンがわざとらしくため息をついた。さきほどの微妙な空気から一転、いつもの気心の知れた従兄の姿に戻っていた。
「失礼ね。そんなにもお転婆じゃないわよ」
やっぱりディートフレンとはこういう軽口の言い合える関係の方がいい。
「あんまり元気が良すぎると殿下に嫌われるぞ。つか、男装した姿は見せない方がいいよな、絶対」
「……」
すでに見せてしまっているレカルディーナは黙るしかなかった。木登りとかはまだだから今後気をつけます、と心の中で付け加えておいた。
「ほら、荷物の中に路銀も入れておいたから。着替えたら扉を開けろ。街中まで送って行ってやるよ」
「でも、ちゃんと屋敷を抜け出せるかしら……」
なにしろ屋敷の使用人は皆祖父母の手先なのだ。
「ま、大丈夫だろう。手は打っておいたし、俺の馬丁はちゃんとこっちの味方だよ」
ディートフレンが安心させるように笑みを浮かべた。
いつもの、レカルディーナの知っている頼りになる兄の顔をしていたので、つられてレカルディーナも口元を緩めた。
「ありがとうフレン兄様」
「はいはい。ったく、調子がいいやつだな」
打って変わって元気を取り戻したレカルディーナの態度にディートフレンは少しだけ呆れたように肩をすくめてみせた。
結局こっちの気持ちになんて全く気づきもしなかったな、とディートフレンは少しだけふてくされた気持ちになった。
着替えを済ませ、男物の服にかつらを付けたレカルディーナは、ぱっと見どこかの屋敷に仕える新米従僕のようだった。これならば屋敷の中で誰かとすれ違っても気づかれることはないだろう。
二人で連れ立って屋根裏部屋から降り、屋敷の中を堂々と通り中央玄関へとやってきた。変にこそこそ裏口を使うよりもこの方が帰って目立たない。屋敷の執事とディートフレン付きの従僕には予め用事を命じていた。
ディートフレンとレカルディーナは正面玄関から堂々と馬車に乗り、商業地区手前でレカルディーナを降ろしてやった。中央駅まで送ってやってもよかったのだが、万一誰かにつけられていても困る。大通りで降ろしてそのあと人ごみに紛れてしまえば後を追うのも難しいと踏んでのことだった。
ルーヴェは治安も悪くないし現在レカルディーナは男の恰好をしている。もし万が一にも何かあった場合は父であるエグモントを頼れと、手紙とファレンスト家の紋章の入った指輪を渡しておいた。
レカルディーナと別れたディートフレンは、その足でいくつか店を回り買い物をして屋敷へと戻った。
祖父母への言い訳の為である。レカルディーナの気分を紛らわすために彼女の好きな本や菓子を買ってきたとか言えば疑われないだろう。父が動き出したとはいえ、彼女の脱出を知られるのは遅い方がいい。
菓子と一緒に上等な酒を買ったのは、ひとえにディートフレンの今の心境がやけ酒を煽りたいというものだからである。正直飲まないとやってられない。
祖父母も今回は無茶なことをしたものである。しかし、それを言うなら最終的に止めなかったディートフレンも同罪だった。
あんなお転婆でいつまでもお子様思考の持ち主が学校を卒業してすぐに誰かとどうこうなるだなんて思うわけがないではないか。それも相手は隣国の王太子である。
こちらの気も知らないで、ベルナルドのことを無邪気に慕うレカルディーナを見ていると、どうしても割り切れない想いが胸の中にぐるぐると渦巻いた。気安い関係の妹分から、一人の女性として意識するようになったのはいつの頃だろうか。
まだまだ子供っぽいところもあるからゆっくり時間をかけて振り向かせようと思っていたのに、まさか横からかっさわれるとは思いもしなかった。
無邪気でまっすぐで、恋なんてまるで無頓着で、笑顔のまぶしい従妹だった。
卒業後もフラデニアにいたいなあ、と事あるごとに漏らすレカルディーナの言葉を信じ切っていたのは何も祖父母だけではない。ディートフレン自身、レカルディーナがすぐにこちらに戻ってくると思い込んでいた。
しかし音沙汰なく、久しぶりの便りが来たと思ったら結婚の報告とか意味がわからなかった。
大体あんな風に泣くのがいけないのだ。
子どもっぽくぐずるのではなく、一人の男を想って流す涙など見たくなかった。
ふざけるな、と言いたかった。触れられたくないとばかりに身を引かれれば激昂したが、頭のどこかで悟っていた。彼女が選んだのは自分ではなく、ベルナルドなのだと。
それでもどうしても感情が付いていかなかった。フラデニアに連れてくれば思い直すのではないか、わたしはおまえとレカルディーナが結婚してくれればいいと思っているのよ、というカルラの甘言を最終的に受け入れたのはディートフレンだった。
しかし、肝心の想いは告げずに祖母から命令されているから仕方なく、と予防線を張ってレカルディーナに匂わせるなんて姑息な真似をした。最後に自分の素直な気持ちを伝えなかったのだから情けないにもほどがある。
レカルディーナはディートフレンの気持ちになど一切気づいていないようだった。
ああでも一人でやけ酒は嫌だな、久しぶりに行きつけのクラブにでも足を運ぼうか。こういうときは悪友らと朝まで飲んだ方が気も紛れる。
別に不貞寝をするつもりはなかったけれど、長椅子にだらりと寝ころんでいるうちに本当にうとうとしていたらしい。時計を確認してみれば、意識を飛ばしていた時間は長くは無かった。
さすがにこのまま自室に籠っているのは精神上よろしくないだろう。水でも貰いに階下へ降りようと扉に手をかけた時。
女性の金切り声が響いた。
カルラの声だった。もしかしたらレカルディーナの脱走がばれたのかもしれない。もう一仕事するか、ディートフレンは急いで扉を開いて廊下へと飛び出した。
屋敷の中に招かれた一行は豪華絢爛な応接間へと通された。
淡い緑色を基調とした部屋で、金色の壺やら神話の神々が施された柱が輝いていた。典型的な成金趣味だな、とベルナルドは心中で辛辣な感想を漏らした。
羽振りの良いファレンスト家の屋敷はルーヴェでも屈指の大きさを持つ邸宅だった。白を基調にした建物は貴族の屋敷と言われても頷いてしまうくらいの威厳を持っていた。
「ここにいることは分かっている。さっさとレカルディーナを渡せ」
まどろっこしいことが嫌いなベルナルドは単刀直入に切り出した。
正直座っていることすら億劫だった。今すぐ屋敷中を探して回りたい気分だった。ベルナルドは勧められたソファにも座らずに居丈高にカルラとディートヘルムを見下ろした。この場で一番身分の高いベルナルドが座らないので、セドニオ以下アルンレイヒ側の人間は誰ひとり着席していない。
「レカルディーナを渡せとは……さて、なんのことでしょう」
カルラはこの期に及んでとぼけるつもりのようだった。ベルナルドの言葉をゆっくりと復唱してから首をかしげた。仮にも一国の王子相手にいい度胸である。ベルナルドは内心盛大に舌打ちをした。レカルディーナの肉親でなかったら今すぐに拳銃を取り出したいくらいだった。
「そうか。だったら屋敷内を捜索するまでだ」
ベルナルドは面倒事がきらいなのだ。茶番劇はさっさと終わらせてレカルディーナを見つけ出し、彼女を思い切り抱き締めたかった。
ベルナルドは踵を返し部屋から出て行こうとした。
「隣国の王族ともあろうお方が随分と傲慢な態度ですこと。無断で屋敷を荒らされるとあってはこちらもおとなしくはしていられませんよ」
カルラの言葉にベルナルドは冷たい表情で振り返った。氷のようなまなざしにもカルラは顔色一つ変えなかった。
「先に礼儀を欠いたのはお前たちの方だろう」
「だからレカルディーナの居所なんて知りませんとおっしゃっているでしょう。あの子が行方不明と聞いて辛い思いをしているのはこちらも同じです」
者分かりの悪い子どもを諭すような口調だった。
「お母様! あんな書置きを残してよくもまあそんなこと白々しく言いますね」
ついに我慢しきれなくなったオートリエが口をはさんだ。叫ぶような声だった。
書置きを残していたのは初耳だった。
オートリエの言葉にカルラはつん、と横を向いた。
「だったらなんだって言うんです。そもそもおまえが悪いんだよ。勝手にレカルの縁談を進めてくれて。彼女はフラデニアに住みたいってずっと言っていたのに。それを勝手に」
一転カルラは拗ねたように口をとがらせた。その隣ではファレンスト家当主であるディートヘルムがしたり顔で頷いている。レカルディーナが彼らの手中にあると認めたも同然だった。




