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元引きこもり殿下の甘くない婚約生活10

 祖父母が出て行ってから数時間後。

 部屋の外鍵を回す音が聞こえてレカルディーナは息を潜めた。侍女がやってきたのだろう。本当にごめんなさい、恨みはないんですと思いながらレカルディーナは息を潜めた。

 鍵を開けてのぶがかちゃりと回された。

 レカルディーナは微動だにせずに扉の影になる場所に見を潜めていた。扉が開くのを固唾を飲んで見守った。

 室内に人が侵入してきたちょうどを見計らって、レカルディーナは勢いよく体当たりをした。そのまま相手の腕を捻りあげようと背後に回り込んだ。

「うわ、ちょ、待て!」

「問答無用~!」

 レカルディーナも必死なのだ。

 女性にしてはやや野太い声名様な気もする……、とか内心訝しながらそのまま勢いに任せて腕を掴んだけれど、呆気なく引き離された。レカルディディーナよりも強い力だった。

「なんてことするんだ、レカル」

 上から降ってきた声は男性のものだった。というかしばらくぶりに聞いた声である。

「なあんだ、お兄様か」

「なんだ、じゃない。危ないだろう。いきなり何をするんだ」

 ディートフレンは呆れた様子でレカルディーナを見下ろした。

 レカルディーナは悪びれずにそっぽを向いた。

「別に……ちょっと動けなくして身代わりになってもらうと思っただけ」

 机の上にはシーツを破いて作った紐のようなものが無造作に置かれてあった。やってきた侍女にしばらくの間身代わりになってもらおうと用意しておいたのだ。レカルディーナのお手製である。

「おまえ、な。万が一にもかよわいうちの侍女たち相手になんてことしようとしてるんだよ」

 来たのが俺でよかったよ、と続けてぼそぼそと呟いた。

「悪いとは思ったわよ。だけどしょうがないでしょう」

「だからって普通考えつくか」

「なによ、最終手段を取らせたのはそっちでしょう」

 レカルディーナは臨戦態勢だった。とにかくこれ以上は我慢がならない。人の意志を完全に無視するやり方は断固として反対だった。ついでに祖父母から聞かされたことの真相を確かめたかった。ベルナルドが婚約を白紙に戻したなんて嘘に決まっている。だって、彼はちゃんと言ったのだ。嫁に来い、と。

 きつくディートフレンを睨みつけると彼はばつが悪そうに視線を泳がした。

「おまえ、あの話聞いたのか」

「あの話って」

 ディートフレンは少しだけ言葉に詰まったかのように口を閉ざして、レカルディーナはぴんときた。

「わたしとお兄様が結婚するって話? 聞いたわよ。嘘でしょう、フレンお兄様。わたし殿下と結婚するのよ?」

「……おまえ変わったな」

 少しだけさびしそうな声が聞こえてきた。

「お兄様あのとき言ったじゃない。わたしがベルナルド様を好きなの伝わったって」

 レカルディーナはちいさくつぶやいた。さきほどの威勢の良さから一転今度は項垂れた。結局誰もが自分の気持ちをないがしろにするのだ。どうして聞く耳をもってくれないのだろう。全部一時の熱に浮かされているだけで、本当の相手は彼ではないと言い切るのだろうか。

「そうだな……」

「うそつき。結局お兄様は家のことが大事なんでしょう。わたしの気持ちよりもお祖父様たちの言葉の方に肩入れしてるわ」

 馬鹿馬鹿。みんなの馬鹿。レカルディーナは心の中でファレンスト家の面々を罵った。みんなレカルディーナの意志を無視している。

「わたしは操り人形じゃないのに……」

「俺は……。まあお祖父様らの決定ならしょうがないなって、思ったよ。おまえさえよければ貰ってやるかって」

 レカルディーナはディートフレンに目をやった。信じられなかった。

 深く考えずに言葉が先に口から洩れた。それはディートフレンにとってはある意味残酷なものだった。

「嘘でしょう。なに言っているのよ。お兄様はお兄様じゃない」

ディートフレンはなにかが刺さったかのように顔をゆがめた。しかしそれも一瞬のことで、すぐさま本音のような顔を隠して苦笑じみた笑みを張りつかせた。

「そうだよな……。おまえにとってベルナルド殿下がただ一人の男ってことだもんな」

 ディートフレンは自嘲気味に小さく呟いた。笑顔が痛々しかったが、レカルディーナは今さらどうして彼がそんなことを言うのか理解できなかった。ある意味まだ子供だったのだ。一縷の望みを託して祖父母のたくらみを傍観してしまうくらいの感情をレカルディーナに向けていたことに彼女は気づくことは無かった。

「当り前じゃない……。わたし何度も言ったわ」

 レカルディーナは次第に涙を浮かべた。

 フラデニアに連れて来られてからずっとずっと寂しかった。いますぐベルナルドに会いたかった。優しい手が懐かしい。彼に髪の毛を優しく梳かれると心の中に日だまりができたような、安心して大きな木に寄りかかれるような気がするのだ。

 レカルディーナはくすんくすんとしゃくりをあげた。押し殺していても涙が勝手に溢れてくる。

「あ、会いたい……殿下に。もぅ……、いやよ。早く帰り……たい」

 偽りない言葉だった。一度漏れるとあとは堰を切った様に言葉が口から飛び出した。一人だけで戦い続けて行くのも限界だった。あんまり自覚は無かったけれど、レカルディーナだってベルナルドのことが好きだった。離れてみると彼のことばかり思い出した。

「お兄様の馬鹿……! きらいよ、お祖母様に肩入れするお兄様なんて、嫌い」

 どんなに忙しくても必ず日に一度はレカルディーナの部屋まで会いにきてくれた。結婚に向けて政務をこなしている姿を見るのが好きだった。面倒なことが嫌いだと言いつつもしっかり政務に励んで書類のダメだしなんかしたりして、細かいところまで気がつくところもしっかりしていていいな、と思った。二人きりになると柔らかく目を細めてくるところも優しくレカルディーナの髪を撫でてくれることも懐かしい。

 レカルディーナがぽろぽろと涙を流していると、ディートフレンがそろりと腕を伸ばしてきた。慰めようと思ったのだろうが、レカルディーナは反射的にその腕から逃げるように後ずさりした。

「やっ……」

 気づいた時にはディートフレンは目を見開いてこちらを凝視していた。別に困らせるつもりはなかった。ただ、ベルナルドのことを想って流している涙なのに、他の男性に慰められたくなかった。

 二人の間で奇妙な沈黙が流れた。涙と一緒に出てきた鼻水をすする音だけが部屋に響いた。

「少し落ち付け」

 ディートフレンはそう言い残して部屋から出て行った。




 王家の威光を最大限に使いフラデニアとの国境を越えたベルナルド一行は侯爵家を出た翌日の正午すぎにフラデニアの王都ルーヴェへと到着をした。

 中央駅に着いた足で向かったのはアデナウアー家である。少しばかり借りを返してもらうとアロイスへ面会を取りつけた。彼への用件を済ませ、先遣隊にいくつか指示を飛ばしベルナルド自身もファレンスト家へ向かった。

 先に到着しているであろうパニアグア侯爵夫妻らと落ち合うためである。

 しかしいくら娘といえどもカルラらが素直に招き入れるとは思わなかった。どうせ妨害にでもあっているのが関の山だろう。

 孫娘一人手に入れるためにどれだけの金を積んだのか。完全に金の無駄遣いだ。

 ベルナルドは今回ほど王家に養子にきてよかったと痛感したことは無かった。どうやらこちらの動向をさぐっていた人間がいたらしく、昨日のうちにアドルフィートが蹴散らした。国に仕える近衛騎士の実力を舐められたものである。それでもフラデニア国内に入れば列車は無駄に遅延するし(理由がなんとも要領を得なかったため、いますぐ治外法権で牢屋にぶち込むぞと言ったら動き出した)、ルーヴェ市内でもちらちらとこちらを窺う視線を感じた。ちなみに先遣隊として使わした騎士らにはパニアグア侯爵家の例もあったため偽物の身分証を用意しておいた。ファレンスト家も近衛騎士全員の身元調査をしている時間までは無かったようで、彼らは疑われることもなく国境を通過することができた。

 こちらが王族ではなかったらおそらくもっと時間を要しただろう。さすがに金持ちなだけあって、その金の使い方はあっぱれだった。金を積めば王族にも勝るとも思っているのか。

 やがてベルナルドを乗せた馬車はファレンスト家の屋敷へと到着した。ちなみに馬車はアデナウアー家からの借りものである。フラデニアでも屈指の名門一族の紋章の入った馬車の行き先を阻もうとする者はさすがにいなかった。

 屋敷の前では見覚えのある団体が門番と押し問答をしていた。

 ベルナルドは馬車から飛び降りて門番と対峙をした。

「ここの当主に取り次げ。アルンレイヒの第一王子が面会に来ていると。拒むことは許さない。拒めば、宣戦布告だと受け取る」

 ベルナルドは尊大に言い放った。背後ではアドルフィートが自身の持つ剣に手をかけていた。抵抗するなら実力行使も辞さないという意思表示だった。

 門番は狼狽したように一度屋敷の方へ駆け戻って行った。

 しばらくしてから屋敷の執事とおもわしき人間が現れた。老齢の男性はこちらの本気を感じ取っているのか、いないのか、落ち着いた様子でベルナルドの前で立ち止まった。

「どうぞこちらへ」

 ベルナルドは開かれた門の中へと足を踏み出した。




 ディートフレンの前で格好悪くも涙を見せた翌日だった。

「ほら。これに着替えろ」

 朝食を下げに来た召使と入れ替わるようにディートフレンが部屋を訪れた。

 彼は口を開くと同時に何かをレカルディーナに押し付けた。

「なによ、これ」

「それじゃあ目立つだろ。変装しろよ。帰りたいんだろ」

 ディートフレンのそっけない口調に訝しながらも レカルディーナは荷物を検分した。少し着古した上着に下衣に少しくたびれた革靴。黒髪のかつらまで用意してあった。どこをどう見ても男物の衣装である。男装し、髪の色を変えてしまえばたしかに一見するとレカルディーナだとは気づかれないだろう。

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