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元引きこもり殿下の甘くない婚約生活9

 ベルナルドは侯爵家での会話を思い出していた。

「母はわたくしの結婚をいまだに許していないんです。レカルが生まれて、孫娘可愛さに形上は和解しましたけれど、心の奥底では怒りを持続させていたのでしょうね」

 オートリエはぽつりぽつりと言葉を絞り出した。

 聞けばオートリエはフラデニアを訪れていたセドニオに一目ぼれをし、両親の反対を押し切って半分駆け落ちのような状態でアルンレイヒへと嫁いできたとのことだった。レカルディーナが生まれて、生まれた子供が女だと分かると母は途端に手の平を返したと言った。なんでも当時いた孫は男の子で、カルラ待望の女の子だったのだ。その後も生まれる孫は男の子ばかりで現在カルラの孫娘はレカルディーナただ一人である。そもそもオートリエはカルラにとって待望の娘である。手塩に育てた娘が裏切られた為、代わりに孫娘を思い通りにしようとたくらんでいるのだ。

「わたくしはセドニオ様に出会って世界が変わりました。セドニオ様もわたくしを愛してくださいましたわ。自分は年も離れているし息子も二人いる、それでもいいのかと何回も尋ねてきました。わたくしはそんなこと関係ないと返事をしました」

「私も死別をした妻とは愛のない政略結婚でした。オートリエと出会って初めて愛する人に出会って熱に浮かれてしまいました。そうして年甲斐もなく彼女を攫ってしまった。妻の両親は私のことを許せなかったのでしょう。確かに私は妻よりも年上だし、初婚ではありませんでしたし大反対を受けました」

 オートリエに続いてセドニオまでが昔話を持ち出し、ベルナルドとしてはこの話のどこに今回のレカルディーナ誘拐の要素があるのかはなはだ疑問だったが居合わせた他の人間はしたり顔で頷いていた。

「そんな昔話はあとにしろ。だいたい何故だれもレカルディーナが攫われるのを気づくことができなかった」

 屋敷には使用人も大勢いるのだ。そんな中、誰にも身咎められずに人間一人を抱えて出て行くなど出来るはずもない。ベルナルドは一番疑問に思っていた質問を口にした。

「ですから、母はわたくしを許していなかったのです。屋敷の飲み水に睡眠薬が混入されました。わたくしが駆け落ちする際、屋敷の飲み水に強力な下剤を入れたのをいまだに根に持っていたんですわ」

「え、君あのときそんなことしたの……」

 オートリエがしみじみと言った言葉にセドニオが絶句した。

「ええ。だって監視の目がひどかったんですもの。そうでもしないと逃げられないと思いまして全員が飲むように飲料用に貯めてあった水の中にちょっと薬を入れましたの」

 非常事態にも関わらず、おっとりとほほ笑む侯爵夫人にシーロまでもが口元を引きつらせた。エリセオも初耳だったようで義母の意外な一面を見せられて彼にしては珍しく驚いた顔をしていた。

「では今回パニアグア侯爵夫人の母君は同じような手口を用いてレカルディーナ様を連れ去ったということですね」

 即座に頭を切り替えたアドルフィートの言葉にオートリエが頷いた。

「ええ。屋敷の者たちを全員眠らせた後、屋敷の中にお母様が雇い入れた人を入れてレカルを連れ去ったのでしょう。お父様もフレンも姿を消しましたから、おそらくは一緒のはずです」

 ベルナルドは逸る気持ちで再び意識を列車の中に戻した。

 そもそもレカルディーナが誘拐された時点で王宮に知らせておけばよいものを変に隠しだてをするからいけないのだ。現にパニアグア侯爵家のみで事件を解決しようにも埒があかなかったではないか。

 レカルディーナの従兄とかいうあの男まで一緒ということがベルナルドの怒りをさらに増幅させた。

 列車が終着駅メゴアスまで到着した後は馬車に乗り換えて今日のうちに国境沿いの街へ向かう予定だった。通常ならばメゴアスで一泊し、翌早朝向かう日程を取るのが一般的だったがそんな悠長なことをするつもりは毛頭なかった。侯爵夫妻にもベルナルドの予定は伝えており了承を得ている。

 万が一国境の役人が入国を妨害しようとも今回はアルンレイヒ国王室の権力を全力で使う予定だった。たかだか一商人の圧力などこの手でつぶしてやる。

 レカルディーナは絶対に取り戻す。そろそろ孫離れしてもよい頃合いだろう。これまで散々レカルディーナを独占してきたのだから、そろそろ引退をする頃合いである。

 気持ちだけは急いても列車がメゴアスへ到着するにはまだ数時間ある。ベルナルドは持ってきた書類を読みこみ、さらにいくつかの書類に署名をしていった。




「レカルディーナ、まだ拗ねているのかい」

 レカルディーナは祖母の問いかけを無視して、つーんとそっぽを向いた。

 強制的にフラデニアに連れて来られて六日が経過していた。

 相変わらずの屋根裏部屋生活だった。そういえば昔読んだお話の中で、寄宿学校暮らしの主人公は罰をしたお仕置きに屋根裏部屋に閉じ込められていたっけ、とレカルディーナは思い出した。主人公はそれでも前向きに明るく振る舞っていた。物語の中で主人公は煙突磨きの少年と出会って、彼と一緒に屋根伝いに脱出するのだ。

 屋根伝いなら、あるいはうまく行くかもしれない。いやいや、そもそも隣家の屋根に渡ろうにも、距離が離れているから無理だ。

「いい加減に目をお覚まし。こっちで暮らした方が幸せに決まっているんだから。おまえの相手はディートフレンがいいと思っているのよ」

「そうだね。フレンと結婚してくれればこの家も安泰だ」

 祖母についで祖父ディートヘルムまでもが妙なことを言い出した。レカルディーナは思わず二人の方へ顔を向けた。

「何を言っているの、お祖父様まで」

「何って。それがこの家のためじゃないか。かわいい孫たちに財産を残せて私も安心じゃよ」

 レカルディーナが驚く方がおかしいといったようにディートヘルムは不思議そうな顔をした。そして二人ともレカルディーナが言うことを聞くのが当然という顔をする。

「何度も言っているけれど、わたしが結婚するのはベルナルド様です。彼以外とは結婚しません!」

「それなんだがね、レカル。とある筋から仕入れた情報によると今回のお前と殿下との縁談は白紙に戻されたそうだよ。婚約期間中に姿をくらませる令嬢など言語道断ということらしい」

「うそよ!」

 レカルディーナは叫んだ。

 大体こちらの意志で姿を消したわけではない。完全に不可抗力だ。

 こちらの想いとは関係なしになにもかも取り消しになってしまうだなんて認めたくない。

「本当だよ。現に彼らは一向に現れないじゃないか」

「それはお祖父様がどうせ妨害をしているのでしょう」

「そんなことしてないわい」

 口では否定をして見せても、しかしその態度が物語っていた。余裕の笑みを浮かべているのだから肯定しているも同然だった。普段は頼りになる祖父だったがこうなってしまっては非常に厄介な敵である。

「だいたい、お祖父様。アルンレイヒに大きな支店をつくるんでしょう。こんなことして王家を敵に回してどうするのよ」

「なあに、構わんよ。わしらの金が無ければ国だって回らないんじゃから」

「な……」

 レカルディーナは思わずぽかんと口を開けてしまった。

 傲慢にもほどがある。王様にでもなったつもりだろうか。

「一介の王太子妃候補の娘など代わりでもいくらでもいるだろう。それこそ自ら手をあげる娘なんて掃いて捨てるほど。おまえが自ら手をあげることもない。ゆっくり滞在しなさい。フレンだって気心が知れているんじゃからそのうちその気にもなるじゃろう」

「ちょ、気心知れているからって結婚したいのとは別問題よ!」

 レカルディーナが叫び終わる前に二人とも部屋から出て行ってしまった。

「んもうっ!お祖父様たちの馬鹿! わらかずや!」

 一人取り残されたレカルディーナはたまらずに叫んだ。涙がでてきそうだった。まさか祖父母の言葉は本当なのか。

 自ら姿を消したレカルディーナにベルナルドが愛想をつかしたのだろうか。

 それとも逃げ出した花嫁なんて醜聞になるとの判断が下ったのだろうか。結婚という言葉に実感なんてなかったけれど、こうしてベルナルドから引きはがされてみて改めてレカルディーナは自身のベルナルドへの想いを強く自覚した。

 最初レカルディーナは高をくくっていた。

 ファレンスト家がいくらお金持ちだろうと、パニアグア侯爵家だって財産くらいは持っているし、権力だってある。レカルディーナが連れさられたと分かったらすぐにでも連れ戻しにきてくれる、と。しかしそれは楽観的希望だった。

 いくらまっても迎えなど来る気配もなかった。

 ディートフレンにさりげなく探りを入れればあっさりとした答えが返ってきた。「あんまりファレンスト家の財産を舐めない方がいいよ。お祖父様もお祖母様もレカルを連れ戻されないよう全力で阻止しているから」と。世の中まさにお金次第である。

 そのディートフレンは最近顔を見せなくなった。

 大体ディートフレンと結婚しろだなんて初耳である。ただの従兄のお兄様くらいにしか思っていなかった相手を旦那様にしろなど、祖父母も無茶ぶりがすごい。

(だって、結婚するっていうことはフレンお兄様とく、口づけとか他にも色々と……。いや、無理無理無理! 絶対無理、違うわ、違うのよ!)

 花嫁教育の一環で夫婦の務めについても習ったレカルディーナは色々と想像してしまった。具体的に何をどうするとまでは習っていないけれど、触りのあたりまでは里帰り前に教えられたのだ。習った直後はベルナルドの顔でさえ直視できなかったレカルディーナだった。それなのに!

 兄のように接してきたディートフレン相手に口づけ以上のこと、いや口づけだって考えられない。

 レカルディーナは屋根裏部屋の窓を開いた。

 下を覗けば地面はわりと遠い位置にあった。風がレカルディーナの短い髪の毛をふわりと舞いあげる。屋根伝いにどうにか他の部屋へとたどり着けないだろうか。しかし、屋敷の庭には見張りが大勢いるのだ。犬もいる。前回は犬に吠えられて脱走が発覚した。

 うまいこと屋敷を脱出できてもレカルディーナは無一文だった。

 この部屋に金目のものはないし、レカルディーナ自身宝飾品などは身につけていない。とすると旅の路銀を稼ぐために屋敷の中からなにかしら失敬する必要がある。慰謝料代わりに持ち去るくらい許してくれるだろう。

 けれどこの衣装のままでは目立つ。

 次に侍女が部屋にやって来た時強硬手段にでる必要性があるかもしれない。

 レカルディーナは決意も新たにぐっと拳を握った。

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