元引きこもり殿下の甘くない婚約生活8
「ですからそれがそもそも間違いっていうの。あなたはファレンスト家の人間ですからね。こちらでいいお相手を探してあげます」
「わたしパニアグア家の長女ですけど」
「いいえ、ファレンスト家の娘です」
「いや、だから孫娘であって娘ではないんだけど」
「どっちも似たようなものでしょう。孫がつくかつかないかくらいの違いくらい」
レカルディーナが反論すればカルラも一歩も引かない。二人の押し問答は結局平行線をたどるのだ。
「いい加減にして! わたし早く殿下のところに帰らないといけないの」
「帰ることなんてありません! フラデニアにいればあのお方も早々来れやしませんよ。それよりも明日はルゴラス家の昼食会に招かれているのだけれど、一緒に行かないかい」
「行きません! とにかくわたしをここから帰す気がないのならお祖母様の顔なんて見たくありません。わたし気分が悪いので昼寝してきます。お祖母様に盛られた睡眠薬まだ残っているのかしら。体がだるくて」
レカルディーナはおおよそ気分が悪いとは思えないくらいの声を出して寝室へと向かった。実際これ以上話し合ってもカルラが意見を変えようという気が起きないのならば面会していたって無駄なのだ。
「まあま、それだったら時間だけはたっぷりあるのだからゆっくり寝ていなさい。時期に熱も冷めますよ」
「殿下への熱は冷めません! おやすみなさい」
レカルディーナは元気よくバタンと扉を閉めた。
扉を閉める直前にカルラが聞こえが由にため息をついたのをレカルディーナは聞こえないふりをした。
「おまえ本当に強情だな」
夕刻、食事を運んできたのは従兄のディートフレンだった。押し車にはレカルディーナの好物ばかりが並んでいた。
あのあと寝室に行き、窓から隣の部屋へと伝って脱走を試みるも失敗したのだ。
呆気なく連れ戻されて、ついでに部屋まで変えられてしまった。レカルディーナにとって窓から脱走するくらいわけないのだ。
現在は屋敷の中でも一番高い場所、屋根裏部屋に閉じ込められている。こうなってくると本格的に囚人の気分である。
この高さからだとさすがのレカルディーナも簡単に抜け出すことはできない。シーツを破っても地上へは到底届かないだろう。作戦を十分に練らなければ。
「お祖母様もね。ほんっとうに分からず屋だわ。大体、なんだってお兄様までがこんな茶番に付き合ってあげるの? お祖父様だってそうよ。どうかしているわ」
レカルディーナは苛立ちの矛先をディートフレンに向けた。
カルラ一人でレカルディーナを連れ去るなんてことできるはずがないのだ。どうして常識ある大人がそろいもそろってカルラの我儘に付き合っているのか理解に苦しむ。
「お祖父様もお祖母様の味方だよ。最初は渋っていたけれど、孫娘と一緒の余生って言葉に天秤が傾いたみたいだね。ま、金さえ積めば大方のことはひっくり返ることを知っているから今回も大丈夫だって踏んだみたいだね」
レカルディーナは空いた口がふさがらなかった。
なんなのだ、その言い分は。こっちの意志などまるで無視ではないか。
「ひどいわ」
「うん。そうだね」
ディートフレンはあっさりと頷いた。
「ひどいのはお兄様も一緒よ。二人の味方でしょう」
レカルディーナは当てこすった。
「でも最初に裏切ったのはレカルだよ」
「裏切ったって……、何それ」
「だって、レカルはずっと二人に卒業してもこっちに残るって言っていたじゃないか」
至極当然のように指摘をされてレカルディーナはばつが悪そうに黙り込んだ。
ディートフレンは食事の用意を再会した。
暖かなスープに鶏肉のテリーヌ、温野菜を添えた魚と屋根裏部屋には似つかわしくない皿が並べられる。食器をテーブルに置いたり、ナイフやフォークのカチャカチャという音だけが辺りに響いた。
「色々と状況が変わることだってあるわ。だって……殿下のこと好きになっちゃったんだもん」
レカルディーナはひとり言のように呟いた。
女優になるという夢をひっくり返してしまえるくらいベルナルドに惹かれて、そして彼の側にずっといたいと感じた。最初は恐くて、そっけなくて、いつも怒ってばかりかと思っていたのに。ふいに見せたやわらかい表情が忘れられなくて、もう一度心穏やかに過ごせる日が来ればと願った。
「それだって本当にお前自身の気持ちなのか?」
「どういうことよ。ディートお兄様は認めてくれていたんじゃないの?」
パニアグア侯爵家でベルナルドとレカルディーナの仲睦まじい様子を見て分かってくれたのではなかったのか。どうして今さらそんなことを言い出すのか分からなかった。
レカルディーナの問いにディートフレンが答えることはなかった。
「ほら、ちゃんと食えよ」
そう言い残してディートフレンは足早に出て行ってしまった。
パニアグア侯爵家から戻った翌日。
緊急事態が起きたと王に告げてベルナルドはフラデニアへと向かっていた。一国の王太子が隣国へ赴くということで、さすがに理由を隠すことまではできずに、パニアグア侯爵が事の次第を説明した。祖母の暴走を止めてきますと、オートリエも言い添えた。ようやく義息子がやる気を出すきっかけとなった令嬢である。彼女を逃すとベルナルドがまた引きこもりに逆戻りしてしまう可能性も拭えないと焦った王は今回のフラデニア行きを快諾した。
「いやあ、まさか殿下と一緒に旅行する羽目になるとは思いもよりませんでしたよ」
エリセオは緊迫した場に似合わない笑顔を振りまいていた。
ベルナルドは無言を貫いた。こいつまで着いてくることはなかったのに何故だか一緒の列車に乗車している。
「ま、今回は殿下も一緒なので妨害工作には合わないと思いますから、その点は安心ですよ。まったくひどい目に会いましたから」
「失礼ながらパニアグア卿。あちら側はそんなにもあからさまな態度を取ってきたということでしょうか」
アドルフィートが遠慮がちに尋ねた。
ベルナルドの従者として付き従っているのはシーロとアドルフィート、フェランら近衛騎士数名とパニアグア侯爵夫妻である。前日に先遣隊として数名の近衛騎士をフラデニアへ向かわせていたので、ルーヴェに着いてから合流する者らとを合わせれば総勢二十名は超える大所帯である。レカルディーナを奪還した後のことを考えてダイラも同乗している。
「ああそうだね。あの人たちお金に物を言わせて国境付近の人間を買収しまくりでさ。旅券を見せて正体が知れた途端にここは通れない、の一点張りだったよ。フラデニアではファレンスト家の家名ってそこらの貴族よりもよく効く印籠みたいなものでさ」
当初秘密裏にレカルディーナを連れ戻そうとしたセドニオはとりあえず息子に命じてフラデニアへ向かわせた。しかし道中色々と妨害工作に会ったのだ。さらに駄目押しは国境審査だった。突然別室に連れて行かれて、とある筋よりパニアグア侯爵家の人間は通すなと通達が来ていると告げられたのだ。
他に連れていた侯爵家の従僕らを一人で通させてみても結果は同じだった。
「なるほど、今やファレンスト家なしではフラデニア経済は立ち行かないと言われているのもあながち嘘ではないということですね」
アドルフィートの感心した物言いが聞こえてきてベルナルドは内心舌打ちした。
やっていることは金に物を言わせて好き放題振る舞う権力者のそれと変わらないではないか。
「ま、そうですね。殿下も資料はご覧になったと思いますけど、本当に近年のファレンスト家の勢いはすごいですよ。さすがにフラデニア王家もこれ以上市場の寡占が進むのはよくはないと思ったのか、鉄道事業への直接の参入は阻みましたけれど、彼らの投資までは拒めませんでしたからね」
ベルナルドは集められた資料の中身を脳裏に浮かべた。隣国の経済界のことまで把握はしていなかったので、確かに数字を見せられた時は内心驚いた。人をやって調べたためファレンスト家がミュシャレンで大きな事務所候補の建物を探していたことも付きとめた。どうやら本格的にアルンレイヒへと進出を決めたらしい。今まではフラデニアの北の隣国、ロルテームに支店を置き、貿易などの拠点にしていたのだ。
「しかし随分と思いあがっている。王太子妃に内定している娘を連れ去るとは。ふざけているにも程がある」
ベルナルドはついに我慢しきれなくなって吐き捨てた。
「それくらい彼らは驕っているということでしょう。フラデニア王家へも多額の資金を貸し付けていますからね」
エリセオが言い添えた。彼も内心こけにされて腸が煮えくりかえっているのか、にこやかな表情を浮かべてはいるが眉間に青筋を浮かべている。
ベルナルドは一瞥して、目線を窓の外へと移した。列車が開通し、移動時間が大幅に短縮できたとはいっても長い道のりである。




