元引きこもり殿下の甘くない婚約生活6
「父上。まだ客人が見えますから、泣くのはあとにしてください」
ディオニオが冷静な声でセドニオを窘めた。感情表現豊かな父に対して兄ディオニオは昔から常に冷静沈着だった。ベルナルドもあまり表情が表にでないけれど、ディオニオはそれに輪をかけてひどいのだ。レカルディーナは密かにパニアグア家のレヴィグレータ仮面と呼んでいた。ちなみにレヴィグレータとはアルンレイヒの子どもたちに恐れられる怖い顔をした悪魔である。
「ディオニオだってさびしいだろう」
急に話を振られたディオニオはそこで口を閉ざした。レカルディーナは視線を感じて慌てて目を逸らしてしまった。彼の冷たい目とよそよそしい態度が小さい頃から苦手だった。年の離れた半分だけ血のつながった兄妹。兄はもしかしたらレカルディーナのことを妹だなんて思っていないのかもしれない。
「お父様そんなこと言ったらお兄様が困るわよ」
レカルディーナは慌てて父の言葉をさえぎった。
「そんなことないよ。ディオニオ兄様はレカルのことが大好きなんだよ。大好きすぎて空回りしているけどね」
突然エリセオが会話の中に入ってきた。レカルディーナは驚いてエリセオのほうを見た。その手にはお酒の入ったグラスがあった。なるほど、酔っぱらっているらしい。
ディオニオは興ざめしたのかその場から離れようとした。しかし、エリセオが珍しく彼の腕をぎゅっと握って話さなかった。
「離せ」
「まあまあ兄上。昔からの思いのたけを思い切りぶちまけちゃったほうがいいですよ。これからレカルは王太子妃になっちゃうんだし」
エリセオの口から出た王太子妃の言葉にレカルディーナは赤くなった。反対にセドニオは悲しそうに眉をさげた。
「せめて、せめてあと一年先延ばしに……」
と泣き始める始末である。
もしかしたら父もお酒を飲み過ぎたのかもしれない。いや、今日はずっと一緒にいたけれどそこまで酒を煽っていた記憶はない。
「あらあら、皆さまお揃いで。わたしも仲間に入れてくださいな」
一緒に連れてきた子どもたちを乳母に預けたディオニオの妻、ベリアナの姿があった。
少し赤みがかった金髪を既婚女性らしくきっちりと結いあげ、上品な淡い茶色のドレスを纏った二十代中頃の女性である。
「ベリアナお義姉さま。ごきげんよう」
「ごきげんよう、レカルディーナ。帰国したのにちっとも会いに来てくれないんだもの。寂しかったわ」
ディオニオとは違い朗らかな義姉ベリアナは柔らかい笑みを浮かべてレカルディーナに親しげに話しかけた。昔からベリアナはレカルディーナに優しい。
「ごめんなさい。色々とあって……」
やっぱり寄宿学校卒業からのどたばたについては言えないのでレカルディーナは苦笑を浮かべた。レカルディーナが男装した挙句に王太子の侍従をしていたという事はパニアグア侯爵家の最重要機密事項なのだ。
「もう、しょうがないわね。でもこれからはもっと結婚の先輩としてわたしのことも頼ってね。そういえば何をお話ししていらしたの?」
ベリアナはレカルディーナににこりと微笑んで、ベリアナが会話に加わる前の話題に着いて尋ねた。
「いえ、ちょうどいい機会だから兄上の長年の誤解を解いてあげようと思いまして」
エリセオがにこりと笑って事の次第を説明した。
「あらいい考え。ディオニオ様も勘忍して、今日こそはきちんと口にした方がいいと思います」
レカルディーナとディオニオを覗いた三人がうんうんと頷いている。レカルディーナは話の内容についていけずにおいてきぼりだ。だからなにがどういうことなのか。
「ふふふ。ディオニオ様はレカルディーナのことが大好きなのよ。小さい頃、一緒に遊んであげようとしたところ、逃げられて大泣きされたことが心の傷になってしまうくらい」
「へ……」
レカルディーナはくちをぽかんとあけた。
恐る恐るディオニオのほうへ視線を移してみたが、表情は普段からあまり変わらないように見えた。要するに今日も絶賛仮面のように怖い顔ということだ
「ベリアナ……」
すっとディオニオの傍らに寄り添ったベリアナはやさしい顔をしてディオニオの手を取って撫でていた。正直今までどうしてこんなにも優しくて笑顔の素敵な女性が万年悪魔顔のディオニオと結婚したのだろうと心底疑問に思っていけれど。レカルディーナは初めて二人の夫婦らしい関係性が見えたような気がした。
「あら、ディオニオ様の言葉を代わりにわたしが言ったのよ。あなた真剣に悩んでいたじゃない。妹に嫌われているって」
それを耳にしたセドニオとエリセオが肩を震わせて明後日の方に顔を向けた。笑いをこらえているのだ。この二人は以前からディオニオの悩みを知っていたのだろう。
ディオニオがベリアナのことを睨んでも彼女はどこ吹く風で相変わらずにこにこ顔のままだった。
長年の真実をもたらされて、ディオニオの反応からなんとなく嘘ではないような気がして、レカルディーナはおずおずと切り出した。
「お、お兄様……わたし。その……泣いてしまってすみませんでした」
「いやいや、レカルが謝る必要はないんだよ。あんな幼い子供を捕まえて延々難しい学術書を朗読されたらそりゃあ泣いちゃうよね」
セドニオがレカルディーナの肩をぽんぽんと叩いた。
「うんうん。その後も顔を見た途端に泣かれたこと多数。しまいにはわたしお兄様に嫌われているって妹に勘違いまでさせちゃうし」
エリセオも頷きながら話を引き継いだ。
レカルディーナは兄二人の顔を交互に見た。エリセオは相変わらず人の悪い笑みを浮かべている。ディオニオは冷たい双眸のまま、だったがわずかに頬が赤くなっていた。
「レカルディーナ様が寄宿学校に入られる時もそれは心配をしていたのよ。終いにはこっそりフラデニアまで様子を見に行かれて」
最後はとんだ爆弾を落としたベリアナである。
「ああ、そんなこともあったね。たしかあのとき寄宿学校の職員から不審者扱いされて危うく警吏隊に突きだされるところだったんだっけ」
セドニオが懐かしそうに言えば、隣でエリセオも同じくしみじみと頷いている。
「ですね、父上」
「……うるさい」
ぼそりとディオニオが呟いた横でベリアナが両手で顔を覆っていた。笑っているのだ。
「えぇぇぇぇっ!」
衝撃の事実にレカルディーナは声をあげた。まさかそんなことが裏で起きていたとは初耳である。
「だからね、殿下に愛想をつかしたらいつでも帰ってきていいんだよ。お父様もお兄様たちもレカルのこと大好きだから」
セドニオが男三人の代表のように語りかけてきた。
エリセオは腕を組んで、「まあ、それも面白いしね」とぶつぶつ言っていた。結局彼はいつも茶化した言い方しかできないのだ。それでもレカルディーナのことを一応は心配しているらしい。
「……おまえさえよければいつでも帰ってこい」
ディオニオからの言葉にレカルディーナは言葉を失った。生まれて初めて優しい言葉をかけられたような気がする。
「またまた、お嫁に行っちゃうのが悲しくて仕方ないくせに」
セドニオは子どもたちが一同に会して会話をしていることが嬉しくてたまらないのか満面の笑みだった。
二日後には王宮へ戻るのが惜しくなっちゃうくらいレカルディーナは楽しかった。最後の最後に兄らの本音が聞けて嬉しかった。別にレカルディーナが王太子妃にふさわしくないから結婚についていい印象を持っていないとかじゃなくて、単に寂しかっただけなのだ。
お嫁に行く前に家族で笑いあえて良かったと思う。これからはディオニオとも、もっと色々な話をしてみようと思った。
「二人ともありがとう」
レカルディーナは自然に笑みを浮かべた。なんだか心がとっても暖かい。
兄二人へ笑顔を向けるとディオニオは虚を突かれたような顔をして、しかし口を真一文字に引き締めたまま下を向いてしまった。エリセオは少しだけ毒気を抜かれた様にレカルディーナを見つめてきて「なんだよ急に……」とかごにょごにょ言っていた。彼なりに照れているらしい。兄妹の様子にセドニオは涙目になってうるると涙を目の中にためている。
「あらあ、楽しそうね。なんの話をしているの?」
家族の笑顔をみつけたオートリエが側へと寄ってきた。
家族っていいなって思った。
それから、無性にベルナルドの顔が見たくなった。
しかし、レカルディーナが次に訪れたのは王宮ではなかった。
親族との茶会も終わった翌日。
レカルディーナは頭がぼうっとして瞼を空けるのが億劫だった。
昨日は夜も浅いうちから強烈な眠気が襲ってきて、寝台に入ったのかも分からないくらいに急に視界が暗転したのだ。よく寝たはずなのに頭の中が霞みがかったように白くぼんやりとしていた。
レカルディーナは回らない頭で一生懸命考えた。
パニアグア侯爵家主催の茶会がなんだかんだと夕暮れ時まで続き、その日はなぜだか夜も浅い時間から睡魔が襲ってきた。そうしていつもよりも早く寝室へ引っ込んで、寝台に倒れ込んだ。
そんなにも疲れていたのだろうか。
ようやく起き上がる気持ちになってきて、レカルディーナは瞳を空けた。
何かが違っていた。確かに自室で休んだはずなのに、目が覚めると部屋の景色が一変していた。見覚えのある寝台は確かにレカルディーナのものだった。だが、おかしい。ありえない場所だった。
「な、なんで……」
レカルディーナは呆然とつぶやいた。
にわかに自分の目に映るものが信じられなかった。寝かされていた寝台の上掛けは淡い黄色で南国の花模様。大きな寝台に天井画は見慣れたものだったが、ここ数日慣れ親しんだものではない。
「どうして……お祖母さまのお屋敷に……」
朝起きたらなぜだかフラデニアの祖父母の屋敷だったのだ。明日ベルナルドのところに戻るはずだったのに、なぜこんな、遠く離れた場所にいるのだろう。
レカルディーナは自分の目に映っている光景が信じられずに、そろりと寝台から抜け出した。体がひどく疲れているのかぐらりと視界が揺れた。
ふらつく足でどうにか立ち上がろうとしたとき、部屋の扉が開いた。




