元引きこもり殿下の甘くない婚約生活5
オートリエがついに我慢できなくなってカルラを呼びだしたのはお茶会も二日後に差し迫った日の夕刻であった。
レカルディーナは不在にしている。今日はダイラの勤務が休みのため、二人でミュシャレンの街に遊びに行っているのだ。ダイラは王宮に雇われている身の為レカルディーナの里帰りには付いてきていない。
娘にはあまり聞かせたくない内容の為オートリエはこの隙を見計らって母親を呼びだした。
「お母様、レカルディーナに対する言動、いい加減にしてくれないかしら」
屋敷の東側にある小さな客間である。
大きな応接間とは違い、小さめのテーブルが一つ置かれただけのこの部屋は、主に気の置けない友人など、少人数で会話を楽しみたいときに使っている。
ちなみに密談にもぴったりだ。しかし、今日の議題は少々重苦しくもあったけれど、それでもオートリエは何としてでも言わなければならない。
「なあに、急に」
カルラはまるで身に覚えがないように首をかしげた。
オートリエは内心で盛大にため息をついた。これは長い話し合いになりそうだ。
「ここのところ、レカルに対して冷たいでしょう。しかもあの子の結婚について悪いことばかり吹き込んで。さびしいのは分かりますけど、自分の選んだ相手を認めてもらえないってとても悲しいし辛いのよ。あの子はこれから幸せになるために結婚をするの。どうして嫌なことばかり言うの」
オートリエの言葉にカルラは特に表情を変える事もなかった。ゆっくりとした仕草で用意されたお茶のカップを持ち、口を付けた。
夫に付いてファレンスト商会を支えたカルラは貴族の夫人とはまた違った威厳というか迫力を備えた女性である。自分たちは後ろ盾もないところから今日の財と地位を築き上げた、という自負がそうさせるのだ。
「冷たくなんてないですよ。ただ、あの子は世間というものが分かっていないから色々と教えてあげているんですよ。あなたにも教えたのに、失敗したから」
つーんとした声音だった。
「そりゃあ、学校を卒業したてですけどね。結婚は好きな人とするのが一番です。侯爵家の娘なのだから王太子殿下のお相手として不足は無いでしょう。何が気に入らないんですか」
母の声音に呼応する形でオートリエも自然強い口調になった。別にこちらから無理強いをして嫁に出そうとしているわけではない。二人ともお互いのことが好きなのだ。何の問題があるのだろう。
「気に入りませんよ。大体、あの子にはフラデニア人と結婚してもらおうと色々と準備していたのに。なんだってよりにもよってまた、アルンレイヒの人間なんだい。しかも王太子だなんて、商家の家の者がそんなご大層な家に嫁いだら苦労することなんて目に見えてますよ。一時の熱情だけで結婚したら後悔するに決まっているじゃない」
カルラはぷいっとそっぽを向いた。
オートリエはこめかみを引くつかせた。
レカルディーナの両親である自分たちをすっとばしてなんてことを企んでいてくれたのか。初耳すぎる発言を聞いてオートリエは盛大に、今日話し合いの場を設けて本当に良かったと思った。そもそもレカルディーナはオートリエとセドニオの娘なのだ。間違ってもカルラの娘ではない。
「あのね、お母様。レカルディーナはパニアグア侯爵家の正式な娘です。わたくしが産んだ子です。お母様の子供ではありません!」
「うちの血を引いているんだからファレンスト家の娘です!」
「ああ、もうっ! お母様は結局わたくしの結婚が気に入らないだけでしょう」
強情な母の態度にオートリエはぷちっと頭の中の何かが切れるのを感じた。カルラはいまだにオートリエが勝手にパニアグア侯爵家へ嫁いだのが気に食わないのだ。だからレカルディーナに固執する。唯一の娘が反抗したから、今度はたった一人の孫娘を自分の思い通りにしようと画策をしている。娘のオートリエが失敗作だったから。
「そうだよ。当り前じゃないか。わたしのいうことなんかちっとも聞きやしない。勝手にアルンレイヒ人の、それもうんと年の離れたこぶつきの男なんかに入れ込んで。いい恥でしたよ」
カルラの本音を聞いてオートリエは今すぐにでも怒りたかったが鋼の精神で耐えた。
オートリエはカップに口を付けて怒りを鎮める。この件ではいまだに二人の間にしこりが残っているのだ。
孫が生まれて形式上和解はしたがカルラは心の奥底でオートリエをいまだに許してはいない。自分の思い描いていた相手とは真逆の、他国の貴族なぞに惚れて押し掛けるようにアルンレイヒへと旅立ったことをいまだに根に持っている。今や貴族をしのぐ財産を築いたとはいえ市民階級出のカルラは貴族らにいい印象は持っていない。成金と揶揄され、格式と伝統を手に入れるために貴族と婚姻関係を結ぶということは意地でもしたくないのである。ようやく生まれた娘だったためフラデニア国内で、同じような商家の男と結婚をさせたがっていたのだ。
「大体、あれだけ大事に育ててあげたのに一人で大きくなったような顔をして勝手に親を見捨てて隣国に嫁ぐなんて。レカルディーナにはフラデニアに来てもらったっていいでしょう」
「だから、好き合っている二人を引き裂くことがおかしいと言っているのよ」
「こっちの王太子が強引すぎるだけなんじゃないのかい。あの子もフラデニアに一度戻ればすぐに熱から冷めて現実をみるに決まっているよ。四年間も慣れ親しんだ国だし、友達だってルーヴェのほうが多いんだから」
オートリエは唇をかみしめた。何か言うとぴしゃりと返してくるのだ。昔から変わらない。年を取ってからますます頑固になってきたようだった。
「だからって、あの子に対して文句を言うのはやめてちょうだい。特にお茶会ではパニアグア侯爵家の親族だって大勢見えるのよ。あんまりな態度をしているとフレンたちと同じホテルに行ってもらうわよ」
屋敷の女主人の権限をちらつかせるとようやく不承不承ながらもカルラは口を閉ざした。アルンレイヒのホテルはどうにも好きになれないのよね、とは昔からの口癖だ。フラデニアが大好きな人なのだ。だからオートリエがいまだに許せないでいる。
オートリエは内心ため息をついた。
レカルディーナをフラデニアの寄宿学校にやったのは間違いだったかもしれない。確かに実家のことを成金と陰口をたたかれることもあったけれど、オートリエはあまり気にしていない。事実は事実で変えられないのだし、愛するセドニオが優しかったからだ。二人の義理の息子もオートリエには一定の敬意を示してくれた。本当の親子のようになんでも本音の言い合える関係というまでにはまだちょっと時間はかかるけれども、それでも拒絶されていないだけましである。分かりにくくてレカルディーナには伝わっていないが、二人の息子は年の離れた異母妹のことも可愛がってくれている。絶賛空まわり中なのでみているこちらのほうがはらはらしてしまうのだけれど。
カルラがいくら熱心に進めるからといってフラデニアの寄宿学校へ留学させたのは早計だったかもしれない。
やはり身内からは祝福をされて結婚したいものだ。花嫁の父としてセドニオは色々と複雑だし、兄二人もなんだかんだと溺愛している妹がやっと戻ってきたと思ったら王太子取られてしまい機嫌を損ねている。
「とにかくあの子には王宮に帰る前に楽しい思い出を作ってほしいの。くれぐれも余計なことは言わないようにお願いするわね。でないとほんっとうに今すぐにでもルーヴェへと帰ってもらうから」
オートリエはもう一度強い口調で母に念を押した。
主に親族を招いてのお茶会、とのことだったがふたを開けてみれば大層賑やかな催しになっていた。パニアグア侯爵家の親戚筋や父や兄が仕事関係で付き合いのある人物の姿もあったし、祖父母やディートフレンも出席していた。
レカルディーナは会が始まった直後から大勢の人に囲まれてしまい笑顔を顔に張り付かせていた。明日は顔面が筋肉痛になりそうだった。祝辞を述べてくれるのはありがたいのだけれど、その瞳は好奇心に溢れていて引きこもり王子を射止めた手腕に感嘆したり、もっとあからさまだとどうやって騙したの、と聞かれたりもした。騙したといえば確かにそうかもしれないけれど、なれ染めを話すと色々とまずいのでとりあえず笑っておいた。なるほど、ベルナルドはこういう貴族同士のやり取りに辟易してしまったのかもしれない。
お茶会が始まり、一通り挨拶を済ませたところでようやくレカルディーナは解放された。
今日はパニアグア家一同が勢ぞろいしているのだ。
「ああレカルディーナ。明後日には王宮へ行ってしまうんだろう。殿下に意地悪をされたらすぐに帰ってきていいんだよ」
父セドニオは今朝からことあるごとに同じ台詞を繰り返していた。母オートリエが夜会で一目ぼれをしたセドニオは娘の目から見ても年の割に若々しい。
「意地悪なんてされないわよ、殿下は優しいもの」
ちょっと過保護すぎるきらいはあるけれど、と心の中で付けたしておく。花嫁の父というものは複雑らしい。特にレカルディーナは遅くに授かった一人娘ということもあり幼いころから溺愛されていた。寄宿舎に入るときも最後まで反対をしていたのがセドニオだった。




