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五章 賭けの行方3

(いけない。舞台に集中しないと)

 レカルディーナは雑念を頭の中から追い払った。

 今、舞台の上にいるのはレカルディーナがとくに目をかけている女優なのだ。せっかく幸運が重なって公演を目にする機会に恵まれたのに。

 舞台の上ではリエラが愛する人に別れを告げている。

 身分違いの恋に引き裂かれた恋人たち。王女には許嫁がいる。

 レカルディーナは知らずに涙を流した。一筋のしずくが頬を伝った。

 あんな風に、いつかお別れするのだろうか。女性であることを隠してそばにいるのだから、どのみち一年間が過ぎたら、そのあと彼の前に姿を現すことはないだろう。無事に一年間女性だとばれずに済めば、そのときは自由になる。

 そうしたら……。

(どうしてわたし、殿下のこと考えているの……?)

 リエラが動き回る仕草に、ついベルナルドを重ねてしまう自身の頭に困惑する。

 レカルディーナはぎゅっと唇を引き結んだ。




 公演が終わると、今ルーヴェの女性たちの間で人気だというサロンへと連れてこられた。

 もちろん個室である。

「舞台、素敵でしたわね。わたくしとても感動してしまいましたわ」

「ええ。そうね。リエラ様とてもかっこよかったわ」

 レカルディーナは相槌を打った。少しだけ目が赤いけれど、エルメンヒルデの瞳も同じようだったから、彼女はレカルディーナも自分と同じように舞台に感動したと思っているようだ。

 感動はしたけれど、半分以上とある男性のことが頭に浮かんできてしまい大変だった。もちろんこれは絶対に秘密だ。

「二人とも結ばれてほしいと思いましたけれど、いつか、いつかきっとどこかで巡り合うことを祈っていますわ」

「そうね。あれでお別れなんて……悲しすぎる」

「お姉さま……」

 いつもと違ったレカルディーナの表情にエルメンヒルデは少しだけ首を傾けた。

「あ、ううん。なんでもないのよ。ちょっと、感情移入し過ぎちゃったみたい」

「そうですの。メーデルリッヒ女子歌劇団の演目にしては珍しく悲恋ものでしたから。その分強い印象になったのもしれませんね」

「そうかも」

 普段の女子歌劇団の演目は圧倒的に大団円が多い。

 会話が途切れたところに、注文をしたケーキが運ばれてきた。

 最近ブルジョワ層の娘たちの間で人気の店である。もちろんレカルディーナも知っている店で、卒業したら行きたいな、と思っていた。帰国の準備が慌ただしくて結局行くことが叶わなかったけれど。

「美味しそうね」

「わたくしも今日が初めてなのです」

 運ばれてきたケーキは三つ。二人で相談して気になるものを頼んだらこうなった。小ぶりのナイフで切り分けて、半分ずつにして食べる予定だ。

 クリームがたっぷりとのったケーキを口に運んだレカルディーナは震えた。

「んんんん~っ! 美味しいっ。甘いものを食べるの久しぶり」

「喜んでいただけてよかったですわ」

「ここ最近ケーキとは無縁の生活をしていたから。とと、いけないわね。つい油断して女言葉に戻っちゃう。もっとしゃんとしないと」

 レカルディーナは慌てて居住まいを正した。個室とはいえ、今のレカルディーナは男物のコートを着て、エルメンヒルデをエスコートする立場なのだ。

「お姉さまったら、そんなにも気を引き締めなくても大丈夫ですわ。人払いをしていますもの。それにしても、ケーキも食べることができない環境だなんて。夢のためとはいえ……、そのうえ、殿下はとても厳しい方なのでしょう? しかも人使いも荒いと聞き及んでいますわ。おまけに表情は暗いですし」

「ケーキは、別にほら。寄宿学校時代だって我慢していたわけだし」

「こっそり真夜中にお茶会をしたりして、楽しかったですわ」

「そうそう。リーディがこっそりお菓子持ってきていたのよね。って、違うから」

 うっかり昔話に華を咲かせそうになってしまいレカルディーナはごほんと咳払いをした。

「確かに殿下は厳しいというか、見た目ちょっと怖いけれど。けど、話してみるとちゃんと優しい人なのよ。だから、あまり邪険にしないでほしいの」

「お姉さま……」

 レカルディーナがベルナルドのことを庇うと、エルメンヒルデは少しだけ瞳を曇らせた。

 しばしの逡巡の後、どうにか笑顔を浮かべる。

「お姉さまがそういうのであれば、殿下の悪口はできるだけ、控えることにしますわ。ええ、わたくし頑張ります」

「もう。そういうこと誰かに聞かれたらあなたの立場の方がまずくなるわよ。あれでも彼、一応王太子殿下なんだから」

「お姉さまもたいがいですわ」

 レカルディーナの物言いも割と酷いものだったため、エルメンヒルデは吹き出した。

 二人は注文したケーキをぺろりと平らげた。

 この後の予定を決める段になって、レカルディーナはひとつ提案をした。

「今日のお礼に何か買ってあげる。実はわたし侍従としてのお給料をもらっているのよ」

「まあ! いいんですか?」

「もちろん。といっても公爵家のご令嬢が持つくらい高価なものは手が届かないんだけど」

 兄との賭けで始めた侍従だったが、副産物として給料が発生した。お嬢様育ちのレカルディーナもまた、庶民の金銭感覚は疎く自分の貰った給金の価値が市井ではどのくらいなのかもよくわからない。

 けれど、レカルディーナのためにあれこれと頭をひねらせてお出かけの段取りをすべて決めてくれたエルメンヒルデに何かお礼をしたい。

「お姉さまが買ってくださるんですもの! 値段など、関係ないですわ。でも、よろしいんですの? お姉さまが、あの王太子殿下に我慢して仕えた対価ですのに」

「あのね……」

 先ほど注意したばかりなのに、なかなかに辛辣な物言いをする妹分である。どうやらベルナルドに対するとてつもない誤解があるようだ。

「あ、ごめんなさいですわ。つい、本音が」

 エルメンヒルデは慌てて両手で口元を押さえた。




レカルディーナが一日休暇を取った日。ベルナルドは今日は一日籠るから部屋を覗くな、と近衛兵らに言い聞かせていた。

成り行きとはいえ隣国の式典へ出席する日がくることなど想像もしていなかった近衛騎士らは、一日くらいの引きこもりくらいなんなのだ、と鷹揚に構えた。同行したボレル侯爵は内心国際列車建設に向けた会議にも同席してほしいそぶりを覗かせていたが、物事には順序というものがあるのだ。

さすがに今の時点でそこまで望むのはいささか早計である。

ということで、本日迎賓館の時間は比較的ゆっくり流れていた。

主であるベルナルドが部屋に引きこもっていては警備をするといってもそこまで大仰なものにはならない。しかもここには気分転換を図る動物の世話も無い。

アドルフィートはリポト館での牛や羊の世話を懐かしく思った。

この四年間で剣の扱い方と同じくらい牛の乳しぼりも牛舎の掃除も、牛の出産立ち会いも、鶏につつかれずに卵を獲ることにも慣れたのだ。赴任当初牛の出産に立ち会った部下が貧血で倒れたことが懐かしい。彼もいまではずいぶんたくましくなり、今年のメアリーの逆子騒動の折には率先して産道から覗いた足にロープを引っかけ引っ張り出していたものだ。

「たいちょー。殿下のごはんどうしましょうか」

 午後もいくらか過ぎた頃である。物想いにふけっていたアドルフィートはシーロの呼びかけで現実に引き戻された。

 確かに昼食時はとっくに過ぎている。引きこもり時代の名残か、今でもベルナルドの食事時間はまばらだった。さすがに声をかけた方がいいに決まっている。

「何か用意できているのか」

「一応用意させていますよ。簡単に食べられるものですが」

 普段はおちゃらけたシーロだが、侍従としてやるべきことはきちんとやる男である。

 シーロがベルナルドの主寝室へと入ってしばらくした時だった。

 彼の消えた部屋からすっとんきょうな声が上がって、アドルフィートも慌てて主の部屋と急行した。

「どうした、シーロ」

「へっ、あ、あの。殿下が家出しちゃったみたいなんですよ。いよいよ本格的に自分探しの冒険に出かけちゃったんですかね」

「そんなことあるか阿呆! 殿下はこれまで散々自分探しの冒険をしていただろう」

 シーロのボケに律儀に付き合ってあげたアドルフィートはシーロが差し出した紙きれをつまみあげて目を通した。

「第二段の冒険の旅だってあるかもじゃないですかぁぁぁ」

 シーロはまだ叫んでいた。

 確かにベルナルドの字であった。そこには、『ちょっとそのへんまで出かけてくる。探すな』と簡潔な一文が書かれているのみで、アドルフィートは文字通り頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。



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