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五章 賭けの行方

 エルメンヒルデとのルーヴェ散策を翌日に控えた日。

レカルディーナがエルメンヒルデを宮殿の中まで送り届けて戻ってくると、なぜだかベルナルドが外回廊の柱に体を預けて立っていた。

「殿下。お供もつけずに、こんなところに一人でいたら駄目だと思います」

「俺のことは別にいい」

 王太子殿下が護衛もつけずに、なにがいいのかさっぱりわからない。

 レカルディーナが少し不満そうな顔をしたら、ベルナルドは少しだけバツが悪そうに顔を横に向けた。最近ベルナルドと二人で話す機会が増えたな、と思う。

 ベルナルドの方がレカルディーナに構っているだけなのけれど、それは彼女の預かり知らぬところだ。

「それにしても、あの公爵令嬢なんなんだ」

「なんだ、とは」

「どうして迎賓館に日参するんだ」

 ベルナルドは不機嫌顔である。

 今日もエルメンヒルデは手土産としてルーヴェで屈指の人気を誇る菓子店のケーキを持ってきてレカルディーナら近衛騎士も交えて茶会を開いた。シーロもカルロスもお菓子とエルメンヒルデのとびきりの笑顔にすっかり懐柔されてしまっている。

「昔からなぜだか懐かれていまして。その、ごめんなさい」

「おまえが謝るな。別に……ルディオを責めているわけではない」

 ベルナルドと二人歩きながら会話をする。

 これもレカルディーナには不思議なことだ。あの初対面の頃からは考えられない。

 こちらが話しかけても全然相手にされなかったのに、近頃は彼の方から話しかけてくるようになった。

相変わらず、少しぶっきらぼうだけれど、それでもこちらのことを気にかけてくれているな、という思いが伝わってくることがある。

「高すぎる身分の令嬢も考えものだな。イスマエルに追い出せと命令したら却下された」

「彼女、フラデニア王家の親戚筋ですから。殿下は親善大使としてフラデニアに来たんですから、邪険にしたら駄目ですよ」

 たわいもない会話なのに、レカルディーナの心は弾んでいた。

 彼が少しずつ心を開いてくれるのが嬉しかった。彼の方を見上げれば、ちょうどこちらのほうを見ていたのだろう、薄茶の瞳と目が合った。

 口元が、少しだけほころんでいると思うのはレカルディーナの気のせいだろうか。

「少し、時間あるか?」

「僕の仕事は殿下につき従うことですよ」

 レカルディーナはやわらかく微笑んだ。

 二人はそのまま迎賓館の庭園へ足を伸ばした。幾何学模様に植えられた背の低い植栽の間を通り抜けて、ベルナルドは人気のない方へ歩いていく。まるで、見回りの兵士や近衛騎士らの目を避けているようだ。

「明日はどこへ行く?」

「明日ですか。全部エルメンヒルデが段取りを組んだそうで、まだ僕もわかりません。内緒ですって言われてしまったんですよね」

「本当に二人きりで大丈夫なのか」

 ベルナルドからは必要なら馬車を手配すると、昨日も言われてしまったけれど、恐れ多くて固辞した。

 固辞したらなぜだかじっと睨まれてしまい少しだけ肝を冷やした。

「大丈夫ですよ。ルーヴェの街は治安もいいですし。昔も二人でこっそり遊びに出かけたことありますし」

「なんなんだ、その、こっそりって」

 勝手知ったるルーヴェの街だ。レカルディーナはあっけらかんと白状したが、ベルナルドの方が難しい顔をした。

「ええと、だからこっそりです」

 もう一度言ってみると、彼はそのまま黙り込んでしまった。

「どうしたんですか? なんだか急に静かになりましたけど」

「おまえは……この後どうするんだ。あの娘が言っていたようにフラデニアに帰るのか」

 レカルディーナは固まった。

 まさか、ベルナルドからそんなことを言われるとは思ってもみなかった。

 エルメンヒルデがうっかり漏らした、『ルディオ様はゆくゆくはフラデニアに帰って来られる』という言葉を当然のことながら、あのとき同じ場にいたベルナルドも聞いていた。

「えっと……」

 返す言葉が見つからなくて、レカルディーナは言葉に詰まった。

 女優になりたい。なってみせる。明確な意思を持って両親に詰め寄ったのに。

 ずいぶんと遠い昔のことのように思う。

 ベルナルドは口を挟まない。

 レカルディーナの答えを待っている。彼は、感情のこもらない薄茶の双眸をまっすぐにこちらに向けている。

「わた……僕は。その……自分でも分からなくて」

 レカルディーナは途方に暮れてしまった。

 ベルナルドとこうして話すたびに自身の心が迷子になってしまう。

「そうか。すまなかった。別に答えたくないのなら、答えなくていい」

 急に突き放したような口調になって、レカルディーナは慌てた。

「あれはその。少し前まで夢があったんです。どうしても叶えたくて、頑張ってきたんです。でも、最近少しよくわからくて。自分の気持ちが」

 言葉がうまくまとまらなくて、レカルディーナは頭の中を必死に整理した。

 女優になりたい。夢への扉を開くためにベルナルドの元へやってきた。そして出会ったベルナルドとこうして話をするたびにレカルディーナは自身の進路に明確な方向を示すことができなくなっていく。

 女優になるということはベルナルドから離れることを意味する。

 口の端を少しだけ持ち上げる、控えめな笑みを見ることができなくなる。

 なんだかんだと気にかけてくれる優しさを持ったベルナルドと、こうして一緒に歩くこともできない。

 それに。

 レカルディーナはいつか告げなくてはならない。

 自分が女性だということを。

「そうか」

 彼自身も迷っているような口調だった。

 ベルナルドもまだ、どこか道の途中にいるのだろうか。立派に王太子への道を歩み始めたと思っていたのだけれど。

 そのとき、風が吹いた。

 レカルディーナの短い髪の毛をてのひらで転がすように、風がもてあそんでいく。

 少しだけ乱れたレカルディーナの髪の毛を、ベルナルドがぎこちない手つきで直した。

「あ……」

 触れられた個所が熱く感じられて、レカルディーナの頬が色づいた。

「おまえは、ゆっくり考えたらいいんじゃないのか」

「え……?」

「おまえの、その……夢について」

 先ほどレカルディーナが歯切れ悪く答えた返答の返しのようだ。

「殿下は! 殿下は、夢とかありますか? 将来やりたいこととか」

「俺に聞くな」

 思いのほか固い声だった。

血の濃さから次代の国王となるべく王太子に選ばれたのだ。高貴なる血に連なる家に生まれた時点で課せられた義務を持つ身分の者に将来なりたいものはあるか、などという質問など愚問でしかない。

「申し訳ございませんでした」

 レカルディーナは己の失言に顔を青くした。

「別にいい。気にするな。俺はともかくアンセイラは小さい頃から夢を持っていた。立派な女王になるという夢を。多分、周りからの期待を読みとっていた部分もあると思うが、彼女なりにきちんと考えていたと思う」

 頭を低くしたレカルディーナの頬にベルナルドが彼の手を添えた。

「そうですか。しっかりされた方だったんですね。アンセイラ姫は。殿下からお姫様のお話聞くの好きです」

 好きなのに、ほんの少しだけ胸の奥がつんとするのはなぜだろう。





 その夜。ベルナルドは寝台の上で寝つけずに昼間レカルディーナと話した内容について反芻していた。

 女性二人だけで、供もつけずに市内へ出かけるというのにまるで危機感を持っていないレカルディーナに少しだけ苛立った。本当なら、ベルナルドが護衛につきたいところなのに、二人きりで大丈夫だと言うのだ。あの娘は。

 レカルディーナはまるで頓着していないが、ベルナルドなりに懸念事項があっての確認だったのだ。ここ数日、アルンレイヒの人間を注視している人物がいるとの報告がアドルフィートから上がってきていた。王宮の奥に入り込める人間は限られているが、現在は不特定多数の人間が出入りをしているため、どうしても警備の抜け穴ができてしまう。ベルナルドを監視しているわけではないらしく近衛兵らもそこまで神経をとがらせてはいないが件の目線はベルナルドも確認をしていた。

 しかし、やはりというかレカルディーナは気づいていないようだった。

 明日のことを考えて楽しそうにしていた。フラデニアに入ってからのレカルディーナは目に見えて浮かれている。特にことあるごとにつけてお気に入りであるメーデルリッヒ女子歌劇団の話を同僚にしている。

 本当にフラデニアが好きなんだな、と思うと寂寥感が心を占めた。

 ―お兄様は感情を押し込めてばかりだわ。わたくしも人のことは言えないけれど―

 ふいにアンセイラから昔言われた言葉が蘇った。

 たしかにそうかもしれない。昔からほしいものを素直に欲しいと言うことが苦手だった。

「夢……か」

 腕を伸ばしてもその先には装飾を施された天井があるだけだ。その天上の先、空に向かって手を伸ばそうと試みる。ベルナルドの脳裏にいるのは、一人は幼い従妹で、もう一人は髪の短い少女だった。どちらもまぶしいくらいに輝いている。

 今のベルナルドに、何か望みがあるとすれば。

 それはレカルディーナをこのままずっと自分自身の元へ留めておきたいという、ひどく利己的なものだ。

 彼女が自分を覗きこんでくる仕草が好きだった。

 苦手だったはずのレカルディーナの、心の中にまっすぐ飛び込んでくるような視線。

それなのに、今は彼女の瞳に自分が映っていることが嬉しかった。上司ではなく、一人の男として、異性として意識をしてほしい、と自分勝手な思いが頭の中をよぎる。

(あいつは、どうして夢なんて言葉を俺に向かって使ったんだろう)

レカルディーナの瞳は少しだけ揺れていた。何かに悩んでいたから、ベルナルドに夢などという言葉を問いかけてきたのだろうか。ベルナルド自身小さい頃からすでに将来の道筋が示されていて、夢など持ったこともないけれど。それでも欲しいものを欲しいと言うことができたら何かが変わるのだろうか。

 素直にこの気持ちを伝えたら、彼女はどんな反応をするだろう。

「レカル……ディーナ」

 本人の目の前では口にできない、彼女の本名を口に出してみた。

 手を伸ばしたら、おまえを手に入れることはできるのだろうか。


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