四章 男装令嬢、隣国へ3
案内された部屋にたどり着いた時、レカルディーナはへとへとだった。
「殿下、お疲れになりましたよね。今お茶を持ってくるよう指示しますね」
「疲れているのはおまえのほうだろう。顔色が悪い」
「そんなことないですよ。僕は大丈夫です」
一応否定してみせるが、疲れを指摘されると自分でも自覚をしてしまうものらしい。緊張の糸がほどけたのか少しだけ立ちくらみを起こした。
「ごめんなさい」
足元がおぼつかなくなったところをベルナルドに支えられた。差し出された腕が思いのほか力強くてレカルディーナは慌てて身を引いたがベルナルドの方が彼女を離さなかった。
「俺に謝るな。疲れているんだろう。顔色が悪い」
最近、ベルナルドが以前よりも優しい。
「そんなこと、ないですよ」
「少し横になれ」
「いや、でも」
レカルディーナは慌てた。主人を目の前にして横になるなんてできない。しかも場所は主人にあてがわれた寝台だ。ベルナルドはレカルディーナの固辞する態度に痺れを切らしたのか腕を掴んで離さないまま寝台の方へと連れて行った。少しだけ乱暴にそのままレカルディーナを寝台の上に押し倒した。
「いいから、寝ろ」
「え、えーと……」
レカルディーナは寝台に横にされ、すぐ近くのベルナルドの顔をじっと見つめた。
端正な顔が思ったよりも近くにあって、レカルディーナは小さく息をのんだ。
薄茶の瞳が、こちらをまっすぐに射抜いている。
「殿下……その、見つめられると……眠るにも眠れないです」
「悪い。俺はこういうときどうしたらいいか分からない。とにかく休め」
レカルディーナの言葉に、ベルナルドは体を起こした。
そしてそのまま寝室から出ていってしまった。
一人取り残されたレカルディーナは体を起き上がらせてベルナルドが出ていった扉を見つめた。彼なりに気を使ってくれたということなのか。
冷たいのだか優しいのか。最近の彼はよく分からなかった。以前のように壁を作られることは無くなったけれど、じっと見詰められたかと思うとあからさまに目を逸らされるし、にこやかに話しかけると相変わらず無視をされることもある。
なのに突然優しくなる。
レカルディーナは一人きりになった部屋で両頬を手で挟んだ。なんだか顔が熱い。もしかしたら本当に熱まで出てきたのかもしれない。
もう一度体を横にすると、今度こそ旅の疲れが一気に襲ってきて、抗うことはできなかった。
数分してベルナルドが水差しを持って寝室の扉を再び開いたことなど気づくこともなかった。
朝までぐっすり眠り込んでしまったレカルディーナは翌日続き間のソファで眠っているベルナルドを発見してひたすらに平謝りをする羽目になった。
郊外の離宮に引きこもること約四年。視察や社交なんて言葉と無縁だったベルナルドは、フラデニアの外交官にルーヴェ市内の視察へ連れてこられた。
ルーヴェに到着して二日後である。
侍従二人と近衛騎士隊、フラデニアの担当役人らを引き連れた十数人の真ん中にベルナルドはいる。
同じ文化圏なのだから、大聖堂やら凱旋門や築二百年の大学校舎などなど、見せられてもアルンレイヒのそれらと大して変わらない。なのに、大人数を引き連れて歩きまわることのどこが楽しい。
それでも。
「あ、あそこ! あの建物の女神像の前でお祈りすると、勝負事に勝てるって市民の間で人気なんだよ」
レカルディーナの意気揚々とした声が聞こえてくれば、もう少しこうして歩いているのも悪くはないな、と思ってしまうベルナルドである。
「おや、お詳しいですな」
レカルディーナの言葉に役人が目じりを下げた。
「えへへ。つい数か月前までフラデニアに住んでいたんです。ルーヴェ、いい街ですよね」
「そう言ってもらえるとうれしいですね。どちらに住まわれていたのですか?」
「えっと、あの。寄宿学校です」
レカルディーナが見るからに慌て始めた。
「そうですか。では、休みの日にはご友人たちとルーヴェ市内で遊んだりしたのでしょうね」
「はい。もちろん」
役人の言葉にレカルディーナは元気に頷いた。
ベルナルドは、髪の長いレカルディーナが楽しそうにルーヴェ市内を闊歩する様子を想像した。星をちりばめたように、目をきらきらとさせながらこのあたりを歩くレカルディーナが、想像の中でベルナルドに楽しげに笑いかけた。
「そうだ。ルディオ、そんなにルーヴェに詳しいならお薦めの店の一つでも紹介してよ」
ここでカルロスが口を挟んだ。
「お、それいいな」
シーロも続いた。レカルディーナはシーロやカルロスと仲がいい。
「お薦めって? ああ、美味しいお菓子屋さんとか?」
カルロスの言葉にレカルディーナは思案気な声を出した。
ベルナルドは横でルーヴェの歴史について語っている役人の言葉はまるで耳に入ってこないのに、さっきから集団の後方部で楽しげに話をしているレカルディーナらの言葉は拾ってしまうのである。
「お菓子屋って……。ルディオ、おまえほんとにかわいいのな。違うだろ。お薦めって言ったら、女の子のたくさんいるお店だよ」
「お菓子屋さんの売り子も女の子が多いけど?」
カルロスの言いたいことを理解したベルナルドは眉根を寄せた。
「で、殿下。なにかございましたか?」
突然不機嫌顔になったベルナルドにびっくりしたフラデニア人役人が腰を低くして窺ってきた。
「いや」
ベルナルドは簡潔に答えた。
後方の三人はまだおしゃべりに興じている。
「違うから。そういうことじゃないから。つーかおまえ、それ素なのか? そういう方が昨今の女の子にはうけるのか? 俺、なんかへこむわ~」
「俺たちが聞きたいのは、ルーヴェで、可愛い女の子がおもてなししてくれるお店ね」
カルロスの言葉を聞いたレカルディーナが顔を赤くした。
どうやらようやく意味が通じたらしい。
「あ、ばか! そういうの知るわけないでしょっ!」
「うわあ、ルディオの反応まだまだお子様だなあ」
カルロスがレカルディーナの肩に自身の腕を乗っけた。「うわっ。やめろ」と、レカルディーナはじたばた暴れているが、仮にも軍人の力にレカルディーナが敵うわけもない。
「ルディオは本当に細っこいなあ」
彼らのレカルディーナに対する近しい距離感も、最近のベルナルドの悩みの種だ。
箱入り侯爵令嬢になんていう話を振るのだ。彼女に下世話な話をするな、馴れ馴れしく触れるな、と今すぐ怒鳴り散らしたいところをベルナルドは必死に耐えた。
「おい。うるさいからあれをいますぐやめさせろ」
ベルナルドの命令をただちに遂行したイスマエルがカルロスをどやした。さきほどから、どうにか風紀を乱す会話を止めたくて、彼はうずうずしていたのだ。
「おまえもいちいち役人殿の話の腰を折るな!」
しかしイスマエルは一言多かった。
ベルナルドはなにも、レカルディーナに対して説教をしろとは言っていない。
「ごめんなさい」
イスマエルに怒られてレカルディーナはしゅんと項垂れた。
現在一行はルーヴェの中心地を散策中だ。元は公爵邸だったという広大な敷地を持つ屋敷を改造した美術館や聖者が眠るという言い伝えのある教会のある広場一角だ。
ベルナルドは借りてきた猫のようにおとなしくなったレカルディーナをちらりと視界の端に入れた。




