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三章 引きこもり殿下の事情4

 アルセンサス宮殿閉館の連絡はその後まもなく正式に通達された。

 ベルナルド側には一切知らされていなかったたようで近衛騎士団らも大いに慌てた。当然のことながらシーロも寝耳に水だったようだ。

 改めて王妃からの文書に目を通してみれば、『あなたちっともこちらの誘いに返事をよこさなかったじゃない。いままで何通手紙を送ったと思っているの』と書かれていた。

 その場で即座に破り捨ててやろうかと思ったがそれは思いとどまった。

 結局ベルナルドは内心悪態をつきながらも受け入れるしかなかった。

 夏の終わりに王命を受けた執務官に引き渡されることになったアルセンサス宮殿は調度品らの入れ替えや補修、事務所設営などの必要工事を終えた後、一般公開されることになるという。今後王族が使用する期間は公開中止にするとのことだが基本的には通年公開すると書類には記載してあった。

 そしてもう一つ。

 この案は数年前にとある人物から提案を受けたと書かれてあった。

 提案したのはアンセイラだった。彼女が存命だった頃だから随分と前からこの話は王と王妃の間で温められていたのだろう。彼女なりに国民に開けた王室にするためにはどうしたらいいかを考えていたということか。確かに昔そんな話をしていたこともあった。思いのほか時間がかかったのは他国でも前例がないため諸手続きや各方面の説得、文官らが制度確立のための奔走に思いのほか時間を要したからだという。

 ベルナルドが不承不承ながらも退去に応じたのは王命だけはない。この事実があったから、そして確かに彼女が王室の役割や今後どうしたらもっと国民から親しみを持ってもらえるか思案していたことを知っていたからベルナルドは戻ることにした。

 彼女の名前が刻まれるのなら、それならば自分が邪魔をしてはいけないと思ったから。

 宮殿があるといっても近くに小さな町があるくらいの田舎に王都から約一時間、馬車に揺られてまで観光客がやってくるのか、という疑問はこの際脇へ置いておくことにした。

 一人自室でぼんやりとしていたら控えめに扉を叩く音がした。

 入るように促せば、立っていたのはやはりというかシーロだった。ベルナルドは無意識に眉を潜めた。

 ここ数日リポト館全体が騒がしいのは分かっているがただ一人ベルナルドの前に姿を見せない者がいる。

「あいつはどこにいる」

「ルディオなら下で別の作業をしていますよ。書類の整理だとか」

 後はシーロらに任せてベルナルドはそのまま部屋を出ていった。

 普段はやたらと人のことを追いかけまわす癖に一体なんだ。ベルナルドは知らずに苛立っていた。リポト館退去を命じた国王夫妻にももちろん苛立っていたが、もう一つはレカルディーナだった。こちらがいくら冷たくしようともへこたれずに翌日にはけろりとして現れるのに、どうしてこういうときは律儀に人のことを避けるのだろう。

 一応ベルナルドも言いすぎたと思っているのだ。

 勝手にこちら側に踏み込んできたレカルディーナに苛立ったのは事実だ。しかし、少し冷静になれば彼女なりに心配をしているのだろうと察せられた。これまでだったらこんなふうに相手への気遣いをする余裕すらなかった。

 最後に彼女が見せた瞳がなぜだか焼きついて離れなかった。

 悲しそうにこちらを見つめる、ひたむきな眼差しだった。何かを訴えるような、彼女のガラスのような瞳がうるんだように思えて、そのこともベルナルドの胸をかき乱した。

 別に、おまえを傷つけたかったわけじゃない。

 いまさらそんなことを言っても、おまえはまだ俺に笑いかけてくれるだろうか。




 さすがに今回は踏み込み過ぎたかもしれない。

 それくらいの自覚はあったけれど、それでも言わずにはいられなかった。悲しみを乗り越えて前に進もうとしているカシルーダ王妃の姿を垣間見たことも原因の一つだった。娘を亡くした彼女はそれを乗り越えて王妃としての職務に励んでいるのだろう。大事な娘を忘れることなんてできない。アンセイラ姫の思い出をしまいこんで小さな箱庭に閉じこもっているベルナルドにいい加減前を見てほしい気持ちもあった。本人の口から直接聞いたわけではないけれど、書庫の隅に追いやられた箱とか、国王夫妻に会おうとしない態度などから総合的に判断した結果だ。

 しかしさすがに言いすぎた感は否めない。

 あのときの強い拒絶は堪えた。言った直後にやってしまったと自覚があるから余計だった。しかし一度口から出た言葉は取り消せない。

「ああー、もう……」

 レカルディーナは大きく息を吐いた。

「あのね。そのため息やめなさい」

 本日何度目かの無意識ため息を聞きつけてダイラが苦情を言ってきた。

「言い過ぎた自覚があるならさっさと謝ればいいのよ」

 現在ダイラと二人で執務室の整理をしているのである。執務室といっても部屋の主が利用しないのできれいなものだった。

 ベルナルドの不興を買ってしまったことはすでにダイラには話してある。

「謝るのとはちょっと違うのよ。だって、王妃様が頑張っているのに、殿下が一人だけ不幸をしょってるみたいで……、なんていうか。早く立ち直ってもらいたかったんだもん」

ベルナルドの心にずかずかと入ってしまったという自覚はあるけれど、彼だって悪いと思う。いつまでもいじけているから。だから全部レカルディーナが悪かったと謝るのは何か違う、というのがレカルディーナの意見だ。

「あなたのその理屈もわからなくもないけれど、それでも相手は目上の人なんだし、こういうときは素直に謝っておいた方が人間関係が円滑に回るのよ」

 これはすでに何回も聞いた台詞だ。

 要するに、ベルナルドの機嫌を損ねた後、ダイラには何度も同じ話を聞かせているということだ。

「ダイラの人生観、達観しすぎよ」

「大体あなた、それよりも心配することがあるんじゃないの?」

「なにが?」

「だって、王宮へ住む場所を移したらあなた。侯爵家の人々と王宮でばったり鉢合わせることだってあるかもしれないでしょう」

「たしかに!」

 ダイラの指摘で初めてそのことに気がついたレカルディーナだった。

 これまでは隔離された場所だったからなにも問題は無かったけれど、王宮に居を移してこのまま殿下の引きこもりが解消される、ひゃっほいと思っていたら今度は自分がピンチになる番だった。

「あなた今頃気がついたの」

 ダイラが呆れた視線を寄こしてきた。その視線を受けてレカルディーナは頬を少しだけ膨らませた。

 しかし本当にそこまで気が回らなかったのだ。現在男装生活を知っているのはすぐ上の兄エリセオだけだ。父と長兄ディオニオはレカルディーナの髪の毛が伸びるまでしかるべき場所で再教育を受けていると説明を受けているはずである。母オートリエも同じくそう信じているはずだった。

 それが王宮内を侍従姿で闊歩していたら……。考えただけでも簡単に修羅場が想像できて自分の想像した光景に萎えてきた。今すぐ回れ右して帰りたい。

「どどどどうしよう?」

「さあ」

 レカルディーナの動揺にもダイラはどこ吹く風だ。特に表情を変えることも無く小首をかしげるだけだった。

「ちょっと冷たいわよ!」

「だって私このあと王宮に呼ばれるかも分からないもの」

「へ……」

 またも爆弾発言だった。平然とした態度だからことの重大さがまるで伝わってこないけれど、彼女の発言を分かりやすく言いかえればクビの危機ということだ。

「仕事辞めちゃうの?」

 レカルディーナはダイラに詰め寄った。両肩を掴んでぐいぐいと揺さぶった。

 揺さぶられながらダイラは少しだけ眉間に眉根を寄せた。揺らすなという意思表示らしい。

「王宮にはもともと専用の女官が沢山いるし。私なんて入る隙ないじゃない。近衛騎士や侍従はともかく。もともとリポト館に勤めていた従僕や侍女って近くの町出身の人が多いから、結構いるわよ。王宮にはついていかないでここに残るか仕事辞めるって人。改修している間実家を手伝うとか、これを機に嫁に行くって人もいるし」

 てっきりリポト館の住人全員で王都へ引っ越すのかと思っていたらまったくそういうことでもなかったのだ。レカルディーナは今知った事実に驚愕した。ダイラはレカルディーナの能天気さの方に驚いたようだった。

「あなた、自分のところの別邸だって同じようなものでしょ。使用人一同全員で移動するわけ無いじゃない」

「確かに……じゃあ、ダイラともお別れってこと?」

「その可能性の方が高いわね。私もあなた一人置いて去るのは心配なんだけど。エリセオ様次第ってところかしら」

 その言葉にレカルディーナはがっくりと項垂れた。ダイラのことは、兄にしては珍しく気を利かせてくれたがこれ以上の便宜を図ることは難しいかもしれない。

「わかった。思えばわたし、ダイラに頼り過ぎていたものね。これからは一人で戦うわ。この勤めを無事に果たしたら一人でフラデニアに戻るわけだし」

 そうだ、女優になるためにリポト館へやってきたことをすっかり忘れていた。

 いや、忘れてはいない。ちょっとリポト館での生活と初めての仕事が大変で考える余裕が無かっただけだ。仕事だと割り切ってしまえばベルナルドに会うのも、謝るのも簡単にできるかもしれない。そもそも偽りだらけの生活なのに、期間限定の仕事なのに少しベルナルドに感情移入し過ぎているのかもしれない。

「意気込むのもいいけど、あんまり思いつめないのよ」

「うん。わかってる」

「本当かしら。あなたの、その返事って昔からいまいち当てにならないのよね」

 ダイラは短く嘆息した。


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