三章 引きこもり殿下の事情2
「僕、殿下ともっと仲良くなれるよう頑張ります」
「頼もしいわね。あなたがついていれば、あの子も安泰ね」
「そんな。僕なんて……」
レカルディーナは恐縮したが、カシルーダは面白そうにころころと笑い声をあげた。
その瞳が星のように煌めいている。
「王妃様。もしかして、なにか企んでいません?」
「あら、いやだ。そんなこと、なくってよ」
カシルーダはほほほ、と笑った。
「企むといえば、今度こちらで音楽会があるではないですか。わたくしもフルートを吹きますのよ。よければ是非聴きにいらしてくださいな」
ファビレーアナが楽しそうに会話に混ざった。
レカルディーナも華やかな席は嫌いではないが、今はベルナルドに仕えている身なのでおいそれと留守にするわけにはいかない。今だってアドルフィートに言われたからこうして足を運んだがベルナルドには知らせていない。隊長が気を利かせて伝えてくれていればいいのだが、王妃とお茶をしたと伝わればベルナルドはどう感じるか。
「もうあと三日後のことだったかしら。ベルナルドと一緒に来てくれると嬉しいけれど。難しいかしらね。そうそう、アンセイラも昔はピアノを習っていてね……」
カシルーダは懐かしそうに目を細めた。
遠い日の記憶を思い出しているに違いない。楽しそうに話す彼女の話に耳を傾けていると、すぐそこにピアノを一生懸命練習している小さな女の子がいるような感覚に陥ってくる。ファビレーアナもレカルディーナも口を挟まずに黙って昔話を聞いていた。
「いやね。年を取るとすぐに昔の話ばかりしてしまって。ごめんなさいね」
そうやって話を締めくくったカシルーダの目元は少しだけ潤んでいた。もちろん二人とも気づかないふりをした。
小一時間ほど経過したのち、王妃の次の予定に合わせてお茶会は解散となった。
リポト館へ帰ろうとするレカルディーナの隣にちゃっかり陣取ったファビレーアナは少し甘えた声を出した。
「ルディオ様。先ほどのお話ですけれど、音楽会のこと考えておいてくださいませ。わたくしルディオ様にお聞かせする為に俄然練習に励みますわ」
「うーん……僕一人だけ行くっていうのもなぁ」
「でしたらベルナルド殿下に頼めばよいのですわ」
ファビレーアナはあっさりと言う。簡単に言うけれど、牧場へ誘うのとはわけが違う。そんな社交の場にあの王子がでてくるとはレカルディーナは思えなかった。
「僕が頼んでも、うんと言うかどうか」
「根暗ですものね」
ファビレーアナはあっさり同意した。興味が無くなった対象に彼女は辛辣だ。それでも未練たっぷりといった眼差しでレカルディーナの方を見つめてくる。レカルディーナは苦笑いを浮かべた。本当の男だったら、いや恋人だったらこういうとき、しょうがないな、となんとかするのかもしれない。
「やあ、ルディオじゃないか」
聞き覚えのありすぎる声にレカルディーナは後ろを振り返った。
そこにはにやにやと人の悪い笑みを浮かべた兄、エリセオが立っていた。
もしかしたら今までのやりとりを一部始終見られていたのかもしれない。こっちはこっちで面倒な輩が現れた。レカルディーナの心中ダダ漏れな表情を読んだのか、彼はさらに笑みを深めた。
「ごきげんよう、パニアグア卿」
ファビレーアナが貴族の令嬢らしく優雅に腰を折って礼をした。
「これはグラナドス嬢。うちのルディオと随分と親しいようで。彼は長い間フラデニアに留学をしていたものだからこちらにあまり知り合いがいないのですよ。今後とも仲良くしてやってください」
妹に向ける笑顔より何割増しか爽やかやを盛って礼を返すエリセオにレカルディーナは面白くなさそうに片眉をあげた。
「ええもちろんですわ。今すぐにでもわたくしの元にお婿に来ていただきたいくらい」
その言葉にエリセオの頬がぴくりとした。
笑い出したいのを我慢している顔だった。レカルディーナはキッと兄のことを睨みつけたが、妹の不機嫌そうな眼差しを気にするエリセオではない。
「あはは。気に入ってくれて嬉しいですよ。ああそうだ、ルディオ。きみに荷物が届いていたから持ってきてやったんだ。頻繁に届くものだから屋敷に置いておくのも忍びなくてね。きみの様子もみがてら」
くっく、と笑いながらエリセオはなにやら重そうな布袋をレカルディーナに押しつけてきた。両手で受け取ればそれは確かにそこそこの重さがあった。
「それにしてもルディオ。君も隅に置けないね。エルメンヒルデ嬢とは一体どういう関係なのか、今度僕にもじっくり教えてもらいたいところだよ」
言いたいことだけを言って、エリセオはくるりと反転をしてその場からすたすたと去って行った。
エルメンヒルデ嬢とはどういう関係か、なんて。女同士なのだから容易に想像はつくだろうに何を言っているのだろうと訝しんでいると、隣から冷気が漂ってきて遅まきながら兄の意図に気がついた。
「……ルディオ様。わたくしもぜひともお伺いしたいですわ。エルメンヒルデとやらとの関係について」
今までのかわいらしい声からは想像付かないような低い声が隣から漏れ出ているのを聞いてレカルディーナの顔は青くなった。
「どうにもこうにも、彼女はいいお友達……」
慌てて言い繕ってみたが後の祭りだった。
「では、どうしてそのお友達から連日連夜お手紙が届くんですのー!」
烈火のごときファビレーアナからの追撃をやっとの思いでかわしてレカルディーナはリポト館へ逃げ帰ったのであった。
(覚えていなさいよ! 馬鹿お兄様ぁぁぁぁ!)
いつものように書庫から本を抜き取り、牧場へと続く細い道を進んでいると前方から日傘をさした婦人が歩いてくるのが見えた。記憶にあるよりも幾分灰色になった髪の毛をきっちりと結いあげ、濃い緑色のドレスに身を包んだ義理の母カシルーダだった。
ベルナルドは外に出ようと思い立った十数分前の己を呪った。
向こうもこちらに気づいていた。このままくるりと反転をして館の方に戻ろうか。
一瞬そんな考えが頭をよぎった。しかしベルナルドはその場から動くことができなかった。こうして義母と対峙をするのは何年ぶりのことだろう。今まで手紙は寄こしても直接愛に来たことは無かった。いや、リポト館を訪れてもベルナルドが会おうとしなかった。そうするうちに彼女の方も息子とはいえ義理ということもあるので遠慮をしたのかもしれない。次第にその足は遠のいて行った。
その場に立ち尽くしたベルナルドへ距離を縮めたのはカシルーダの方だった。ゆっくりと確実に近づいてくる。柔和な笑みを浮かべた王妃はベルナルドの知っているあの頃と同じ笑みを顔に浮かべて、やがてベルナルドのすぐ手前へとやってきて足をとめた。
ベルナルドは何も口にすることができなかった。
後ろめたさを隠すようにベルナルドは彼女から視線を外した。
「ごきげんよう。ベルナルド殿下」
先に口を開いたのはカシルーダの方だった。
「ご機嫌麗しく存じます。……義母上」
このまま沈黙をしているのも子供じみているようで、そういうところを彼女には悟られたくなくてベルナルドは仕方なしに口を開いた。彼女を前にするとどうしても幼い頃に戻ってしまったかのような感覚に陥る。