仕組まれたリスタート
――昨日のこと。
病室で、少女は髪を梳かしてもらっていた。
母の眼差しは優しく、触れる手は柔らかく……。
時間も穏やかに過ぎてゆき、そろそろ梳かし終える頃合い。
ふと、母が表情を曇らせた。
「ごめんね。入学式も行けなくなって……」
「いいの。無理しないで」
少女は肩越しに見上げ、微笑んでみせる。
その健気さに、母はより一層不安を募らせ、そっと抱きしめた。
それでもなお心配は収まらず、少女の目をじっと見つめる。
「本当に大丈夫? 中学校からは給食ないんでしょう? 毎朝お弁当作るの大変じゃない?」
「心配しないで。お母さんに教えてもらった玉子焼き、上手に作れるようになったんだよ。お母さんは病気に負けないようにがんばってくれれば、それでいいの」
少女の言葉に母は涙し、頭を撫でた。
何度も何度も。
「ごめんね。辛い思いをさせてしまって……。お父さんがいれば、もう少し楽できたかもしれないのに。私が別れたせいで……」
「そんなことない! 自分を責めないで」
「花織……!」
感極まり少女の名を呼ぶ母。
その声は震え、涙は大粒となる。
――と、花織がそこまで思い返したその時。
「――賞金もらえるそうじゃん!」
偶然近くにいた男子の声が耳に入り、現実へと引き戻された。
たった今聞こえてきたその言葉を、花織は頭の中で反芻する。
「……それ、今話題のカードゲームだろ? 大会で優勝すれば賞金もらえるそうじゃん!」
賞金。
その単語に、花織は自ずと思い出す。
母が治療費で悩んでいたことを……。
次の瞬間、花織は駆け出していた。
目的のカードショップの場所など知る由もない。
そもそもカードショップというものの存在すら知らない。
それでも体が先に動いていた。
行き当たりばったり。
だが数分後、彼女は無事に目的地へと辿り着いた。
何のことはない。何しろ話題のカードゲームなのだから。
男子たちが揃って向かう先に、それはわかりやすく建っていた。
入口付近に爽やかな青年がおり、子供たちにカードを配っている。
その様子を物陰から恐る恐る窺う花織。
少しして、青年がそれに気付き手を振った。
その柔らかな笑顔に花織も緊張が和らぎ、勇気を出してゆっくりと近寄る。
すると、青年は百枚以上のカードが入ったケースを差し出した。
突然のことに花織は戸惑う。
他の子供たちへ配っているカードは数枚なのに対し、なぜ自分へはこれだけ大量なのか。
訳も分からず固まる花織へと、青年が微笑みかける。
「おめでとう! 今日、全国のカードショップに僕ら社員が出向いて、皆にカードを配っているんだ! 君が丁度十万人目! これはそのお祝い、プレゼントだよ!」
「え、えっと……」
不自然に裏返った青年の声に、花織は困惑。
その刹那、青年は苦笑し、名刺を取り出した。
「ごめんごめん。いきなり知らない人から話しかけられたら驚いちゃうよね。僕は怪しい者じゃないよ。ウィザーズウォーゲームを作っている会社の社員で、翔っていうんだ」
その声は彼本来の爽やかで優しい印象へと戻り、表情はとても穏やか。
自ずと花織も落ち着きを取り戻し、店内へと誘う翔へとついていった。
そして、子供たちと共にルールを教わり、デッキも組み終えて準備は万端。
治療費獲得への第一歩を踏み出し、期待に目を輝かせていたその時!
「ヘッ! 優勝するとか吐かしたからどれだけ強ぇかと思ったら……。話にもならねえ雑魚じゃねえか!」
すぐそばのテーブルから飛んできた罵声。
思わず顔を向けた花織の目に、同じ中学の制服を着た男子が映る。
逆立てた茶髪とギョロリとした目が特徴的で、周囲の人々はその粗暴さを瞬時に察した。
俄かに漂う険悪な雰囲気。
だが、その空気を作り出した当の本人は気にしていない。
それどころか……。
「よーく覚えとけ。優勝するのはこの轟様だ! わかったか!」
などと言って高笑いを響かせる始末。
対戦相手は悔しさのあまり拳を握りしめている。
花織はそれを見過ごせず、そのテーブルへと向かって歩みだす。
静かに、しかし力強く。
そして、テーブルのそばに着くと厳しい視線を轟へと向けた。
「そんな言い方、あんまりだと思います! 優勝を夢見ることが、そんなにいけないことですか?」
きっぱりとした口調による非難。
その瞬間、轟の笑い声がピタリと止まり、花織をギロリと睨んだ。
「……あ?」
返ってきたのはたったの一声。
先程の罵声や高笑いとは違い、声量も小さく低い。
だが、その声に込められた不機嫌は誰の耳にも明らかだった。
途端に怖気づく花織。
みるみる蒼褪め震えるその姿を見て、轟は不敵に笑う。
「何だよ度胸もねえくせして。優勝を夢見ちゃいけねえのか、だと? それはつまり、この轟様に勝とうってことだ。言ってくれるじゃねえか! やれるもんならやってみろ!」
「や、やってみないとわかりません!」
轟の挑発を受け、花織の心に再び火が付いた。
かくして、一触即発となった二人を尻目に、静かに店の外へと出てゆく翔。
そして、社長へと電話をかけ……。
「はい。ご指示通り、わけありそうな子へと渡しました。丁度いい火付け役も偶然いてくれて、上手く事を運べそうですよ。ですがね……やっぱりこんなやり方、賛成しかねますよ。それに、嘘を吐くのも苦手ですし……」
そう報告し、溜息を吐いた。