悪ー拾貳ー
「サァアアアアヤァアアアアアアアアアア!!!!!!」
ユニアド学園。
サツキくんの家から電車に乗ってここまで登校時間の十分前に私は着きました。
ちなみにサツキくんは何か用があるとかで駅で別れました。
そして私が校門をくぐった、その時。
その声が私を迎え入れたのです。
ドドドドドドドッ!!と校舎から全速力でこちらに向かってくるピンクの髪をした女子校生はその髪を揺らしながらも両の手を広げて来るのです。
その距離あと三十メートル。
「あー…また、か…」
私は半ば諦めた台詞を発していました。いつもならこの後起きるであろう未来の出来事に危惧して多少なりともは身構えていたのですが。
しかし、昨夜あんなことがあり一歩間違っていれば今頃私はここにおらず、こうしていつもされる朝からの挨拶を受けることはなかったのかもしれないのです。
ちなみに挨拶は挨拶でもそのルビには『タックル』と書かれたものですが。
そう考えると今日ぐらいは抵抗無く受けてあげてもいいかな、と思ってしまうわけです。
私との距離まであと二十メートル。
それになんだかんだ言われても友達からの挨拶なのです。それが例えタックルだろうとチョップであろうとその身をもって受ける義務が私にはあるのです。
だから私はこの挨拶から逃げるわけにはいかないのです。
そして距離があと十メートルを切ったところで。
私の友達は飛び込んできました。
かなりの助走がついていたからかその勢いは衰えるどころかいや増す勢いで一直線に私のところに向かってきます。
私はそんな友達の挨拶を正面から受け止めるために笑顔で両手を広げ──。
「ぐぼぉふっ!!!」
そして衝撃をお腹辺りから受けました。
あまりの衝撃に肺からの気体を全て押し出すような声を出しながら私と、私の友達は校門から後方へ吹っ飛んでいきます。
この時間帯は道路はユニアド学園の生徒の通勤時間なので車は通っていません。
通っていたら二次被害が起きていましたが。
何はともあれ、私は朝から友達の異常で過剰な挨拶を受けたのでした。
周囲には何事かと集まった登校中の生徒たちが囲むように一定の距離を保ちながら群がってきます。
そして友達からの挨拶で吹っ飛ばされ、そのまま抱き着かれた状態で私は仰向けに倒れました。
あぁ、この感じ。
いつも通りの友達。いつも通りの挨拶。いつも通りの騒動。いつも通りのお腹の痛み。
そしていつも通りの見上げる空。
今日の天気は晴天なり。
私は日常に戻ることが出来たのだ。
嬉しくて笑おうとしたらお腹が痛くて止めました。
……出来ればこの挨拶は無くなってほしかった。
ーーーーーー
「ゴホッ、ゴホッ。お、おはようカナデ…」
私は何とかお腹の痛みに耐え、朝の挨拶を言うことが出来ました。
「おっはよー♪サヤー♪じゃ、無いわよぉおお!!バカァアアアアア!!!!」
なんということでしょう。まさかカナデにバカ呼ばわりされるとは。
いつもならツッコミを入れるところですが今はお腹痛いので無理です。
「心配したんだからぁ!!凄く凄く心配したんだからぁ!!!」
そう言うカナデの顔を見るとなんとその目には涙が零れ落ちているのです。
あの、どんな時でも何をされてもマイペースでポジティブなカナデが泣いているのです。
「ど、どうしたの…?なんで…泣い…て?」
理由を聞くもその本人は泣いていて何を言ってるのか分からず、現状の把握が出来ず困っていると。
「委員長!?だ、大丈夫か!!?」
と、聞き覚えのある声が近づいてきました。
「ハゼト…君?」
昨日の夜、一緒に誘拐された生徒の一人で私のクラスメイトでもあるハゼト君です。その隣には一緒に脱出の作戦を考えてくれたS組のミキナさんまで。
「ミキナさんも…?良かった…無事だったんですね…」
「あなたは無事ではなさそうね」
昨日のように冷静にツッコマれました。
「他の…A組の人たちは…?」
周囲を見渡しましたが昨日誘拐されたメンバーの二人の姿は見えませんでした。
「ハァッ…自分よりも他人を気遣うなんて………まぁ、いいわ」
「?」
何やら呆れた、というよりも疲れた、という印象を匂わせるミキナさんは頭を抱えるような姿勢をとるとすぐに目線をハゼト君に向けました。
「ん?…あぁ」
ハゼト君はそれだけでミキナさんの意図を介したようで頷きます。
「とりあえずここでは人目があり過ぎるわ。場所を変えましょうか」
そう言ってミキナさんは私に手を貸してくれ。
カナデはハゼト君によって引き離されました。
ーーーーーー
それは昨日の夜の話。
私が顔に傷持ちの男に捕まった後のことです。
最初私の不在に気が付いたのは私のすぐ前にいたA組の生徒でした。
それによりすぐさま引き返そうとしたハゼト君をミキナさんが止めたそうです。
その行動にミキナさんが私を見捨てるのだと思ったハゼト君はミキナさんと一悶着あったそうです。
ですがそこはS組の生徒のミキナさん。言葉によって見事ハゼト君を打ち負かしたようです。
その後四人で慎重に裏路地を通り、無事警察に保護されたようです。
A組の二人は。
ハゼト君とミキナさんはというと無事にA組の生徒二人を送った後すぐさま元来た裏路地へと引き返したそうです。
最初はハゼト君一人だけで探すつもりだったようですがどうやらミキナさんも同じ考えだったらしく、結果として二人一緒に探しに行った訳だそうです。
ですが裏路地は不気味なほど物静かでまだ夜ということもあってなかなか思うように捜索は進まなかったようです。
最終的にはなんと危険を冒して私たちが最初に拉致されていたところまで戻っていたようです。
幸いそこにはあの痩せ顔の男性はおらず、誰もいなかったので事なきを得た訳ですが…。
探す手掛かりも無くなり、そうこうしているうちに朝がやってきてしまい、もしやあの後一人で戻ったのではないかと思った二人はそのまま帰らずに学校に向かったそうです。
そして私が来ていないかの確認をするために私の友達であるカナデに聞いて──。
「そして朝の挨拶、という訳ですか…」
「まぁ、そういう事ね」
彼女、ミキナさんは平然と答えます。
「驚いたわよ。カナデさんにサヤさんの事を聞いて事情を話したらひどく狼狽えてね、しばらくしたら突然『サヤの匂いがする!!』って言って突然駆け出したんだもの」
「そう、ですか…」
匂いがするって私がいたところとカナデたちがいたところの正確な位置は分かりませんが、それでも校舎から校門までかなり距離があるのにどうやって私の匂いを嗅ぎ取ったのでしょう…。
それに私今日はサツキくんの家で身体洗ったからいつもの洗剤の匂いしないはずなのですが。
カナデ………怖ろしい子!!
「あなた達が仲が良いのは知っていたけどまさかそこまでの仲だとは知らなかったわ…」
「いや変な言い回ししないでもらえますか?」
私はいたって普通の、ノーマルな人間なのですから。人格は。
カナデが異常なだけ…。
………。
異常…か。
「?どうかした?」
「え?い、いえ!何でもないですよ!?」
「そう?ならいいけど」
突然私が黙り込んでしまった事に不審に思ったミキナさんはその顔を苦悶の色に変えますが特に言及はしてきませんでした。
「で?そっちはそっちで何があったのよ?」
その言葉に私は身体をビクリと震わせます。
思い出されるのは廃墟の中で人間が真っ黒なゾンビのようになった光景とそれを消したサツキくんの光景。
そして私に針を刺した光景。
とても、言える訳が無かった。
というかそもそも信じてもらえる訳ないし大体あの事はサツキくんから口止めされています。
なので私は嘘を吐くことになりました。
まず突然いなくなった理由は途中でこけてしまってみんなを見失ったことにし。
次にその後合流や連絡が無かったのは昔読んだ本での『遭難した時はその場からなるべく動くな』という言葉を思い出して近くの廃墟に身を隠したことにし。
その後しばらくしたら寝てしまって気が付いたら朝になっていた、ということにした。
「………ハァッ、全くサヤさん、貴方ときたら…」
ミキナさんから溜め息が漏れる。この溜め息は明らかに呆れた、という意を含めていることが分かった。
「……………まぁ、でもこれだけは言わせてもらうわ」
そう言うとミキナさんは私の元まで近づいてきます。
そしてそのまま両手を広げてその手を私の背中まで回しました。
つまり私を抱きしめたのです。
「ほへぇっ!?あ、あのミキナさん!!?」
突然の行為に私は動揺し、思わず変な声が出てしまいました。
「…無事で、良かった…」
ミキナさんのその声は、震えていました。
肩に、何か温かいものが落ちる感触。
身体は気づきませんでしたが小刻みに震えていました。
ーーーーーー
この後ハゼト君から聞いたのですが、どうやら私がいなくなって一番動揺していたのはミキナさんだったようです。
本当は自分が一番に探しに行きたかったのにそれを必死に抑え、まずハゼト君とA組の二人の安全を優先したらしいのです。
おそらく、かなり厳しい選択だったのでしょう。何せミキナさんはいくらS組とはいえまだ高校生。
若干齢十六の女の子が一人を見捨てるか全員に危険を晒してでも探しに行くかの選択を迫られたのです。
ハゼト君は言います。
「俺はあの時ミキナのことを勘違いしていたよ。自分のことばっか考えてる奴だと思ってた。…でも思えばあの中で誰よりも全員のことを考えて行動していたのはミキナだったんだ。…俺はそのことに気がつけずにアイツに突っかかってしまった。本当は自分が一番に助けに行きたかっただろうに…」
見れば、ミキナさんの髪は乱れ、制服も少し汚れたまま、顔色も優れていません。どうやら寝ずに私のことを探してくれていたようです。
態度は毅然としていましたが、よく見ると目の周りも少し腫れていました。
続けてハゼト君は言います。
「アイツは誰よりも委員長のことを心配していたよ。俺なんかよりもな。あんな必死な姿見せられたら自分が恥ずかしくなってしまったよ…。
それに…これはあまり俺からの口からでは言えないんだが、その、アイツは多分誰よりも不安だったんだと思う。それでもみんなに心配掛けないように平静を装っていたんだ。………委員長を探して最初に拉致されていたところまで戻って、いないと分かった時のアイツの取り乱した姿は……いや、ごめん。なんでもない。とにかくアイツは根は良いやつなんだ」
ーーーーーー
私は、自分がいかに心配させたのかを痛感せざるを得ませんでした。
あの時、私が少しでも体力があれば。
あの時、私がサツキくんに殺された後すぐにサツキくんの元へ向かわなければ。
あの時、朝食など頂かずお風呂も頂戴せずになんらかな方法で連絡を取っておけば。
ただただ後悔だけが積み重なりました。
どうして自分を優先してしまったのか、もっと優先すべきものがあったのに。心がそう訴えかけます。
「ごめんなさい…」
気づけば私は謝っていました。そしてミキナさんを抱きしめ返します。
「謝る必要はないわよ」
ミキナさんの平然とした声は私の肩に顔を埋めているからか少しこもった声になりました。
「それで…あの…ですね」
「?」
ミキナさんは顔を上げます。抱きしめた状態なので顔は見えませんが温かいものが落ちる感触はありました。
「何よ?」
「いや〜、このタイミングで言うのも、そのなんなんですけど…」
「いいから言いなさいよ」
耳元で囁かれる。
なので私もミキナさんの耳元に口を近づけ。
「私と友達になってくれませんか?」
囁き返しました。
「…………何よ?それ」
「私は是非ミキナさんとお友達になりたいと思うのですが……ダメですか?」
「答えるまでもないわ」
そう言ってミキナさんは手を私の肩に置いて互いの顔が至近距離で見えるようにしました。
「こちらこそよろしくお願いするわ」
そう言ってミキナさんは笑顔を見せてくれました。
その笑顔はきっと生涯、私の中から消えることは無いでしょう。
「ありがとうございます。それじゃあ私のことは『サヤ』って呼び捨てにしてくださいね」
「そう?なら私のことも『ミキナ』でいいわよ」
「じゃあ、ミキナ」
「?」
「友達になろう」
「………えぇ、サヤ」
こうして私に新しい友達が出来ました。
後ろの方ではハゼト君は男泣き、カナデは口を膨らませてちょっと拗ねた子どもみたいになっていました。