小話 風邪の日
ベタなお話が書きたくなってしまって。個人的に糖分高めです。
時系列的には転生には気がついているけれど漫画の世界だとは気がついていない頃です。
私はアーロンが倒れたと聞いて、淑女のマナーなど全てかなぐり捨てて廊下を駆けた。
私の中でアーロンは完璧な人というイメージがある。没落しかけの伯爵家をたった一人でかなり影響力のある伯爵家にまで昇華させたのだ。見た目も性格も素晴らしいし、ダンスやマナーでも失敗する姿なんて見たことがない。
そんな、アーロンが。倒れたなんて。
相当無理していたのだろう。最近、アーロンをあまり見かけなくなっていた。
アーロンの屋敷につくとすぐに顔見知りの使用人が出迎えてくれた。
「アーロンの様子は?」
「既にお医者様に看ていただいて、大丈夫だと言われました。今は眠っています」
「……そう」
安心した。それだけ聞ければいい。
「じゃあ、失礼するわ。手土産も持たずにごめんなさいね」
「えっ」
驚きの声をあげられるが普通だろう。たとえ風邪でも、誰より努力家で完璧を求めるアーロンは無理してでも私の接待をしそうだ。だって私は一応「婚約者」なのだから。無理をさせる前に帰った方がいい。
それを説明するのも面倒なのでにっこりと笑みをつくって背を向ける。
しかし、
「おや! 奥様!」
「……」
げっ、とうっかり漏らしてしまいそうになった。引きつる頬を抑えて振り返る。私の事を「奥様」という人物は一人しか知らない。
「御機嫌よう。ダレン。私はまだ奥様ではないといっているのだけれど」
私はこの使用人、ダレンが苦手だ。
「おおっと、これは私としたことが! ご挨拶が遅れまして。本日も麗しゅう、レイラ嬢。はっはっは、レイラ嬢は面白いことを仰る。いずれは奥様になるのですからいいではないですか。それで、今日は旦那様の看病に? おお、これは有り難い。世の奥様の鑑ですな。実は少々人手が足りませんでな。奥様が来てくださって良かった。それに、旦那様の看病は奥様の特権ですからね。ささっ、どうぞどうぞ」
相も変わらずなマシンガントークっぷりで。そして、人の話を全く聞かない。いや、聞いていて無視をしているという可能性もあるけど。
以前、もうそんな年でもないのだから私の事をレイラ嬢と呼ぶのをやめて欲しいと言ったところ、何故か奥様と呼ぶようになった。やめてくれ、レイラ様でいいじゃないかと訴えても聞いてくれない。
そんな出来事から彼に反論するのは疲れるだけで無意味だと知った。
しかし、今日は流石にアーロンの体調の事もある。断固として断るんだ。
……と、ちゃんと思ったんだけどなぁ。何故か私はアーロンの部屋の前で座り込んでいる。
手には氷を持たされ、逃げようの無い状況だ。長いため息がでる。ここ十年はあの人には到底適いそうにないわ。
少々扉の前で騒がしくしてしまったが、アーロンは大丈夫だろうか。
確認の為に扉を開けようとして躊躇する。……駄目だ。やっぱり帰ろう。この氷はそこらへんの使用人にでも押し付ければいい。もし起きていた場合、私がいるとアーロンが気を張って休めない。
氷を置いて踵を返そうとした時、バンッと音をたてて扉が開いた。
「ひゃっ」
驚きつつものんきに扉が内開きで良かったと思ったのも束の間。気がつけば、語り尽くせないほど美しい顔が至近距離にあった。
「……レイラ」
その輝かんばかりの美貌の持ち主はアーロン・フォーカス。私の婚約者だ。軽くはだけたシャツと水気のある髪が私には到底出せないような色気を醸し出している。
「ごめんなさい。起こしてしまったかしら?」
……び、びっくりした。
内心の同様を押し殺し、微笑む。
―――あれ、目の焦点があってない。
そう思った次の瞬間、アーロンがふらりとこちらに倒れ込んで来た。
「っだ、大丈夫?!」
幸い歩きやすい様にと、踵の低い靴を履いていたのでなんとか受け止められた。だが、これから体勢を立て直すことが出来ない。というか、今の体勢を保つことさえ厳しい。倒れ込んできたアーロンの吐息が首筋にかかってゾワゾワして、力が入らない。腰が砕けそうだ。
こちらに倒れてきたとき一瞬だけでも役得とか思ってごめんなさい反省するから誰か助けて!
「きゃぁあ! レイラ様ぁ!」
神様は私の願いを聞き届けてくれたようだ、良かったと安心したのが間違いだった。
「―――お邪魔して、ごめんなさいっ!」
「ちょっ、ちょ!」
可憐な少女は顔を真っ赤にして去ってしまった。何の誤解をしたか大体分かるけど!
助けがくると思って気が抜けてしまったのかガクリと力が抜けた。
このままじゃ、アーロンごと倒れてしまう―――!
ぎゅっと目をつぶった私に来たのはなんとも間抜けな静寂だった。
だらんと垂れていたアーロンの手は私の腰に回されている。もう一方の手は壁に。どうやら支えて踏みとどまってくれたようだ。そっと伺ったアーロンの瞳はまだ焦点が合っていない。ぼんやりしながらもこの運動神経って……。神の不公平さを少しだけ恨みたくなった。
ゆっくりと離れようと試みるが一本のはずの腕は十本くらいあるのかというほど力強く全く離れてくれなかった。……ここまでくるともう諦める。
「アーロン、辛いようならこのままでいいのでせめてベットまで行きましょう?」
「……」
こくりと頷いたアーロンはやはり私の腰をがっしり捕まえたままゆっくりとベットに向かう。至近距離にさっきから心臓は高鳴りっぱなしだが、アーロンは病人アーロンは病人と必死に言い聞かせて我を保つ。
「……ええっと、離してもらえません? 立ったままでは辛いでしょう?」
ベットまでやってきたがぼーっと佇むアーロンに声をかける。アーロンの体調も勿論心配なわけだが、それ以上にもう心臓がやばい。
「ね?」
「……レイラ?」
アーロンは、はっとしたように瞬きをした。至近距離で見下ろしてくる。良かった。意識を取り戻してくれたようだ。
「……夢」
「現実ですから、はやく寝て体調なおしてください」
夢にされたらたまったものではない。あわてて否定する。
「っすまない」
ばっと離れてくれたアーロンに安心すると同時にやっぱり私に触れているのは嫌なのかと悲しくなった。
「……大丈夫です。無理しないで。ゆっくり寝ていて下さい」
「ああ」
ベットに寝るのを手伝い、椅子を引いて座る。アーロンは立ち上がった時に額の布を落としてしまったようなので、拾い上げる。
「熱はどうですか?」
「少し、よくなった」
緊張しながら、アーロンの額に手を触れさせる。驚いたように目を開かれたが拒否はされなかった。すぐに引っ込める。
「布を置いていたせいで分かりませんわ」
「……君の手は冷たいな」
「冷え性なので」
そう言って、外に置きっぱなしの氷をとるべく立ち上がると何かに引っかかった。ん?
「……っ」
「どうなさいましたの?」
アーロンが慌てて手を離した。どうやら私が引っかかったと思ったなにかはアーロンの手だったらしい。驚いたが、本人が一番驚いている様子なので表面上は冷静さを保てた。内心はバクバクだけどね!
「……いや、すまない。気がついたら」
……もしかして、アーロンは寂しいのではないだろうか。無理をして、倒れて。起きたら誰もいないし、体はだるい。
風邪の日は心まで弱る。普段はなんでもないことでも寂しくなるのだ。私も経験があるから分かる。
……私にでも縋ってくれるのか。
勝手に上がりそうな口角を押さえる。もしかして、もしかしたらアーロンはそこまで私を嫌っていないのかもしれない。あぁ、どうしよう。小躍りしたいくらい嬉しい。仕方なく結んだ婚約だから、嫌らわれているだろうと思っていたから嬉しい可能性に心が浮き足立つ。
アーロンは苦々しく微笑んだ。
「大丈夫だ。帰ってもいい」
私は無理をするアーロンに、くすりと笑いかけた。行ってほしくないと語る手。多分、実力だけでのし上がってきた彼は甘え方を知らないんだろう。
「申し訳ないけれど、まだ帰るつもりはありませんよ? 外に置いた氷を取りに行くだけですから」
「そうか」
すこし、安堵した様に言われて、さらに愛おしさが募る。氷をとってくると布をつけ、アーロンの額に乗せた。
「……この後の予定はあるのか」
「悲しいことにずっと暇ですよ。馬車もしばらく来ないでしょうし」
多分、ダレンがそう手配しているだろう。お節介な使用人にげんなりする。
「……我が儘を言っても、いいだろうか」
ぽつりと呟かれた声は、うっかりすると聞き逃しそうなほどか細かった。ああ、本当に。なんて甘えるのが下手なのだろうか、私の愛しい人は。
不安そうな顔に優しく微笑みかけた。
「勿論。我が儘は病人の特権です。なんでも言って?」
叶えてあげたい。甘え下手なこの人の我が儘を。私に聞かせてくれるのと言うのなら、全て。
「――――――て欲しい」
呟かれた言葉はなんとも、可愛らしいものだった。
※※
完全に眠りに落ちてしまったアーロンの黒髪をさらりと撫でる。
記憶を取り戻す前の私はアーロンのこの容姿に一目惚れした。
けれど、今は違う。
アーロンの人柄に、言葉に、声に、瞳に、吐息に、些細な仕草の一つ一つに全てどうしようもなく惹かれる。
『眠るまで、いや起きるまでここにいて欲しい』
「ずっといます。貴方が望んでくれるなら何時までも」
そっと囁く。
くらくらするほどの幸せを噛みしめた。
起きたアーロンがレイラが居るのに驚いてベットから落ちるのはこの日の夕方のこと(笑)
ちなみに、アーロンは扉から聞こえるレイラの声に反応して起きました。本能です←