それと匂い……嗅ぎたかったら、 ……どうぞ?
「おやすみなさいって言ったのに申しわけないのですが、
おじいちゃんは生まれ変わりたいと思ったことはありますか?」
夢野の声。
今日出会ったばかりの不思議な少女。
その子が僕の部屋にいて、
その子が僕の布団の中にいる。
「人生がテレビゲームだったらいいななんて子供のような、
妄想は私はしません。リセット一つで生まれ変われる、
そんな存在になりたいわけじゃないんです。
ただ、私という存在は残しつつ、別の可能性の自分も見てみたい。
私はそう思うんです」
別の可能性の自分。
もしもの世界。
もし、あの時ああいう選択をしていたら、
もし、あの人と出会わなければ。
例えば僕がクラスの中心人物になれるような豊かな社交性を持ち、女の子にキャーキャー言われるような運動神経などの何かしらの才能をもつような人間だったとしたら?
それは素敵なことなのだろうか。
「そんなの考えるだけ無駄だろう。
僕らが選択できるのは1つの選択肢の世界だけなんだ。
もしもなんて考えは意味がないよ。
人間はやってしまった過去を顧みながら後悔を続ける生き物なんだよ」
「うわっ! やっと喋ったかと思ったら気持ちの悪い自分語りを始めましたね。
これは恥ずかしい!
録音して、ネットに流してしていいですか?」
転がっていたクッションを投げつけてやった。
「痛いですねー。
でも、「もしも」の話って私好きですけどね。
もしも、人がたくさん行き交う大都市のど真ん中で奇声を上げながら、
全裸になったら一体どんなことが起こるんだろうとか想像しませんか?」
「警察に捕まるだけだろう」
「授業中の小学生の教室にサッカーユニフォームを着た状態で、
侵入して、「ニッポン! ニッポン!」で叫びながら、走りまわったら
どんなことが起こるだろうとか想像しませんか?」
「通報されるだけだろう」
「私、思うんですよね。
人間ってみんな本当は変なこと、馬鹿なことしたいっていう衝動があると
思うんですよね。ただ、普段は理性がその欲求を抑えている」
「はん、君みたいな人間ばかりだったら世の中パニックだ」
「そうですか? 私がたくさんいれば私という美女をめぐっての醜くもせつなく美しい争いが軽減されるので世界平和に繋がると思いますが」
……。
暗闇なのでよくわからないが、どうせ真顔で今みたいなことを言っていると
容易に想像できるから余計腹が立つ。
「……僕はもう寝るぞ」
「そうですか。でも、寝る前に一つ質問をしてもいいでしょうか?」
「なんだよ?」
「あなたは自分が価値のある人間だと思いますか?」
「は? いや、なんだいきなり。唐突というか」
こいつの質問が唐突ではなかった試しがないが。
自分の価値だと?
そんなこと考えたことすらない。
第一、人間の価値などそう簡単にある/ないなど言えないだろう。
僕が黙っていると、夢野がいつもよりやや低く、静かな声で言った。
「自分という人間が多くの人々の人生を代償としてまで価値があるのだろうかって考えたことあります?」
「なんの話だ?」
「例え話ですよ。私たちはたくさんの動物の命を犠牲にして生きているわけですが、その価値があるのでしょうかという話です」
うーん、動物と人間では話が違うとも思うが。
「わからないよ。もしかしたらこの先僕が価値ある人間になる可能性はゼロではないはずだろうし」
「そうですか。まぁ、そうですよね」
夢野は若干期待外れというような沈んだ言い方で答えたが、すぐに明るいいつもの様子で続けて言った。
「でもまぁ、おじいちゃんがいないとお父さんが生まれてなかったわけですし。そういう意味で私にとっておじいちゃんは存在意義はありますよね、ギリギリ」
「ギリギリは余計だ! てか、そのおじいちゃん設定はいつになったら終わるんだよ」
「さぁ、私の宿題が終わるまでですかねー? ではおやすみなさい」
しばらくすると、本当に寝ているかわからないが、静かな寝息が聞こえてきた。
得体のしれない人間と同じ屋根の下にいるという危険な状態の中に今僕はいる。
だが不思議と緊張感はなく、妙な安心感すら覚えていた。
そして、僕はいつの間にか眠りに落ちていた。
翌朝。
テーブルの上には一言メモ書きが残されていた。
『服は借りていきますね。
私の服は洗っておいてください。
それと匂い……嗅ぎたかったら、
……どうぞ? 』