最終話
石崎と過ごした夏が終わり、その年の冬、俺の母親が倒れた。
倒れたというのは、大袈裟過ぎだな。
命に別状はないわけだし。
ぎっくり腰になっただけだし。
ただ、いつ本当に倒れてもおかしくない歳になったのは事実。
心配になった俺は、翌年の三月一杯で仕事を辞め、進学の為に上京した妹と入れ替わるように、実家に戻った。
俺の実家は、酒屋を営んでいる。
それなりに繁盛はしている。
俺は、それを手伝うことにした。
両親には、お前がそれでいいなら手伝ってくれ、と言われた。
石崎が勝手に始めたかくれんぼには、一応、参加している。
街に出れば、無意識に彼女を探す癖が付いてしまった。
しかし、知らない土地で、住み込みで働かれたら、完全にお手上げだ。
今は、俺が実家に戻ってしまったので、探し当てるのは不可能だろう。
事実上、途中で止めたことになるだろうな…。
そんな俺にも、実家に戻ってから、初めての恋人が出来た。
知り合いに紹介してもらった、年下の娘だった。
それなりに可愛かったが、ごく普通の娘だった。
誰かさんみたいに、突拍子もない言動や行動もしない。
始めのうちは、舞い上がってたのもあり、楽しかったが、すぐに違和感に気付いてしまう。
無意識のうちに、他の娘と比べてしまう。
そして、当然のようにふられてしまう。
その後、近所に顔が広い両親が、お見合いの話を何個か持って来たが、俺が乗り気でない以上、上手くいくわけはない。
結婚なんてしなくても、生きていけると、開き直ってさえいる。
『タクちゃんは、絶対、結婚出来る』って言ったのは誰だ!
いい加減なことばっかり言いやがって!
気が付けば、あの夏から、二年が経過し、俺は30歳になっていた。
「タク!今日から新しいパートさんが来るから、来たら呼んで!」
「分かった。」
配達の準備をしていたある日の朝、母親に声を掛けられた。
先日、俺が帰って来る前から働いていたパートさんが辞めたので、新しい人を雇うらしい。
「スグル!俺は先に行くからな!お前、事故るなよ!」
「父さんの方が危ないだろ?もう、歳なんだから。」
「ジシイ扱いするな!」
父親は、憎まれ口を叩きながら、先に配達に出掛ける。
俺と父親は、表面上は普通の父子だが、俺達にしか分からない、微妙な線引きがされている。
俺の実父は、この人ではない。
実の息子と変わらないように接してくれてはいるが…。
俺を『スグル』と呼ぶのは、俺の周りではこの人だけである。
『タク』と呼んでくれて構わないのだが。
わざわざ訂正するほどのことではない気がするので、この件には敢えて触れることはしない。
「あのー、今日からこちらでお世話になる、石崎です…が…。」
聞いていた時間より、少し早く、その人は来た。
「ああ、どうも。」
作業をしながら、返事をする。
「母さん!新しいパートの人が来たよ!」
奥にいた母親を呼ぶ。
「ちょっと、待っててもらって!すぐ行くから!」
でかい声で母親が返事をする。
「ですって。中に入って待ってて下さい。」
横目でチラっとその人を見て、答えた。
チラっと見えただけだが、思っていたより若そうだった。
そして、何故か、その人からの視線を感じる。
直立不動で俺を睨んでいる…と思われる。
怪訝に思いながら作業を続け、この人、何て名乗ったっけ、と思った。
石田、石井、石橋、石崎…。
ん?
石崎?
慌ててその人を見る。
その女性は、目を見開いたまま、俺を見ていた。
「タク…ちゃん…。」
彼女は、絞りだすような声で俺を呼ぶ。
「石崎…か?」
俺も、絞りだすような声で彼女を呼ぶ。
そして、作業を中止し、慌てて軍手を取る。
気ばかり焦っている上に、手が震えて上手く取れない。
やっとのことで、軍手を取ると、左手を広げ、手の甲を彼女に見せる。
俺はまだ、結婚してないぞ、お前は?
声にならない声で、彼女に訴え掛ける。
彼女は、クスッと笑うと、同じように左手を俺に見せる。
左手の薬指に、指輪はしていなかった。
「あーあ、見つかっちゃった!」
〜完〜
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この話は、一度、途中まで書いてから、ほぼ全て書き直すなどして、完結させるのに苦労した作品です。
変えてないのは、最初と最後だけ…というぐらい…。
当初は、もっと登場人物も多かったのですが、収拾がつかなくなってしまったので、登場人物がほぼ二人のみという作品になってしまいました。
作中に、色々、伏線を張ったのですが、全部回収しきれていないので、番外編で誤魔化します。申し訳ありません。