お前、何してんの?
朝、目覚めると、見慣れた天井が視界に入ってきた。
ここは、間違いなく、俺の家である。
だがしかし、俺は毛布こそ被っているが、フローリングの床の上に寝ている。
俺の記憶が確かなら、今日は日曜日。
二週連続で、自分の置かれている状況の確認から、始めなければならない。
横を見ると、テーブルの上に、缶ビールの空缶やら、つまみの残りやらが散乱している。
反対側を見ると、ベッドがある。
本来、これは俺が寝る場所なのだが、別の誰かが寝ている。
今回は、寝るまでの記憶はちゃんとある。
そして、俺から寝床を奪った奴に対して、だんだん腹が立ってきた。
二日酔いでガンガンする頭を擦りながら、起き上がり…。
「コラー!起きろー!」
そう言いながら、布団をめくる。
「キャッ!」
「あっ、ゴメン!」
女性の悲鳴に慌てて、布団を戻しながら謝る。
俺の寝床を占有していた奴は、Tシャツとホットパンツを身に付けた女性だった。
昨日…。
俺は、高校時代の同級生である石崎香織の用事に付き合わされる。
先日、彼女に迷惑を掛けてしまったお詫びを兼ねて。
何故か、俺の家で酒を飲む流れになり、今に至る。
「オイ、そろそろ終電の時間だぞ。」
「いーの、いーの。今日は、ここに泊まってくから。」
深夜、俺は彼女に帰宅を促した。
それを断るということは、どういうことを意味するのか分かっているのか?
今日の俺は、まだ酔い潰れていないんだぞ!
「俺は男で、お前は女であることを忘れてないか?」
「タクちゃん、私には何もしないんでしょ?」
ちょっと言葉にトゲがある言い方だ。
「でも、どこで変なスイッチが入るか分かんねぇし…。」
男は、突然、狼になる場合があるのですよ。
「タクちゃんのそのスイッチ、壊れてるから大丈夫。」
完全に舐められております…。
「何で俺が、自分の寝床を譲らないといけないんだよ!」
「女性を床に寝かせて、良心は咎めないわけ?」
「ああ、咎めないね!だって、ここは俺の家だし。俺は帰れって言ったのに、帰らなかったお前が悪いわけだし。」
「じゃあ、一緒に寝ようよ!」
「ふ、ふざけんな!そ、そんなこと出来るわけないだろ!」
「冗談なのに、何、マジギレしてんの?これだから、モテない男は!」
「もういいよ、分かったよ!俺が床で寝るよ。」
結局、口では勝てません…。
彼女は、俺を電話で呼び出した時から、ここまでを計算していたのだろう。
彼女が自分の家で着替えて来た時、少し大きめのバックに変わっていたが、その中にはお泊まりセットらしきものが入っていたようだ。
結局のところ、俺は彼女の手のひらの上で、踊らされていたに過ぎない。
それにしても、広い家があるのに、わざわざ狭い部屋に泊まらなくても…。
あの家に帰りたくない理由でもあるのだろうか?
「いきなり布団をめくるなんて、ホント最低!エッチ!死ね!」
俺は、感謝こそされ、罵倒される覚えはない…よな?
「悪かったよ…。」
コイツには借りがあるからか、どうにも強気に出れない。
「今日は、何しようか?今日は、タクちゃんの行きたい所に付き合ってあげる。」
コーヒーをすすりながら、彼女が言う。
どうやら、機嫌は治ったようだが…。
「何もしねぇよ!ていうか、それ飲んだら早く帰れ!」
「ブー!」
膨れっ面してもダメです。
恋人じゃない女に、そんなことされてもウザイだけです。
恋人はいたことないけど…。
あくまで、想像でしかないんだけど…。
それに、コーヒーぐらいは出してあげるが、これ以上、コイツに付き合う義理はない。
借りはもう、充分、返しただろ?
そして、俺もコーヒーに口をつけようとした時、携帯電話が鳴った。
発信元は会社から。
俺の休日が、終了したことを意味していた。
「お前、いつまでいるんだよ!俺はもう行くからな!鍵は郵便受けに入れといてくれればいいから。早く帰れよ!」
「はーい!」
いいお返事だが、どうにも嫌な予感がする。
仕事に、ではなく、彼女にだ。
その目は、女性特有の、何かを企んでいる時の目だ。
俺の母親と妹は、何かを企んでいる時、必ず、こういう目をしていた。
「こんなことで、いちいち呼び出すなよ。俺は、アンタ達と違って休みだったんだよ。アンタ達は別の日に休みがあるけど、俺の休みは戻って来ないんだよ。」
取引先のクレーム処理から帰る道すがら、思わず、愚痴がこぼれる。
たいしたトラブルでもなかった為、一旦、会社に戻ることにする。
待機している上司に報告したり、報告書を書いたりする必要がある。
上司への報告は、既に電話で済ませた。
報告書は、明日でもいいんだが。
どうせ家に帰っても暇だし。
夏の一日は長いが、帰る頃にはもう、日が落ちかけていた。
家の前に来て、自分の部屋をふと見上げると、電気がついていた。
アイツ、つけっ放しで帰りやがったな!
郵便受けから鍵を取り出し、ドアを開けると、なんだかいい匂いがする。
美味しそうな御飯の匂いだ。
なんだ?
部屋の奥に入って行くと、テーブルに美味しそうな料理が並んでいた。
「あっ、おかえり!」
「ああ…、ただいま…。じゃなくて、お前、何してんの?」
「晩御飯を作ってるところ。もうすぐ出来るから、着替えたら?」
「そうじゃなくて、何でそんなことしてんの?帰ったんじゃないのかよ!」
「家には、一回、帰ったよ。タクちゃんの家って、料理道具とか、調味料とか何もないんだね。私の家から少し持って来たから。心配しなくても、代金請求とかはしないから安心して。」
「だから、そうじゃなくて!」
「どうせ、外食とかコンビニばっかりなんでしょ?そんな生活してると、メタボになっちゃうよ。高校時代よりも太ったでしょ?」
「だから…。」
お願いだから、俺の話を聞いて下さい…。
「どう?どう?美味しい?」
ご褒美を待つ犬みたいな目をするんじゃないよ…。
「ああ…、美味い…よ。」
「良かった!私、こう見えても、料理は得意なんだよ。小さい頃からやってたから!」
だったら、その特技を生かしなさいよ!
キャバ嬢なんかやってないで!
あっ、もう辞めたんだっけ。
「絶対、無理だって!」
「これで、この前のことは、許してあげる!忘れてあげるから!」
何か裏があるとは思っていた。
「一ヶ月ぐらいは、今の所に住めるんだろ?その間に探せよ!」
「一ヶ月も住めないよ。それに、仕事を探す上に、住む所も探してたら、一ヶ月なんてあっという間だよ。」
何か企んでいると思っていた。
「だったら、他の奴に頼めよ。大学時代の友達とか。」
「大学時代の友達は、みんな結婚しちゃったし。」
「キャバクラの元同僚は?」
「キャバクラの同僚に頼むなんて出来ないよ。タクちゃんは知らないだろうけど、水商売って裏じゃ酷いものなんだから!嫉妬と欲望が渦巻く…。」
嫌な予感は、的中してしまった。
恋人でもない男女が、一緒に住むなんて、どう考えてもおかしいだろ!
俺が、色々、我慢しないといけないじゃないか!
「お前が置かれている状況は、理解したけど…。」
「ねっ!お願い!家事とかやってあげるから!今日みたいに、温かい御飯が食べられるよ!」
ヤバイヤバイ、元キャバ嬢って半端ねぇな…。
つい、『うん』て言いそうになるじゃないか…。
「倫理上、問題があるというか…。」
「そこら辺は大丈夫でしょ。同棲じゃなくて、同居なんだし。それに、タクちゃんは、私とエッチする気はないんでしょ?」
「そうなんだけど…。」
男には、色々、複雑な事情があるわけで…。
「それとも、『体で払え』って言う?それならそれで、構わないけど。」
「言わないよ!言わないけどさぁ…。」
頑張れ、負けるな、俺!
優雅な独り暮らしは、終わりを告げるんだぞ!
「…。」
だから、潤んだ瞳で見るのは止めなさい、ウザイだけだから!
あれ?でも、そんなにウザくないかも…。
「期限…。そうだ、期限を決めよう!」
あれ?事実上、同居を許可してしまったんじゃないか?
「期限は、私の新しい仕事と、新しく住む場所が決まるまで。」
話になりません!