何でこうなる?
次の土曜日の朝、目覚まし音の代わりに、ケータイの着信音で起こされた。
『はい…川口です。』
『もしもし、タクちゃん?私!』
俺はまだ、オレオレ詐欺に引っ掛かる歳ではない。
『どちらの、私さん、ですか?』
声の主が、石崎香織であることは分かっているが。
『相変わらずアンタは、自分の立場というものが分かっていないようだね!』
『ハイハイ、すいませんね、体も態度もでかくて。』
『もー、あったまきた!今から一時間以内にT駅に来い!さもなくば、命はないと思いなさいよ!』
子供の喧嘩かよ…。
『しょうがないな、ボチボチ行くよ。』
『ボチボチじゃなくて、急いで来なさいよ!遅刻厳禁!繰り返す、遅刻厳禁!』
『分かったよ…。』
電話を切ってからおよそ三十分、ボチボチ家を出た。
まぁ、何とか間に合うだろう。
T駅の改札を抜けると、石崎はすぐに見つかった。
さすが人気キャバ嬢、人混みの中でも目立つ。
「遅い!」
「一時間以内には来ただろ?」
「アンタには、五分前行動の概念はないの?」
仕事なら当たり前だが、私生活にそんな概念は、俺に必要ない。
彼女は、両手に荷物を抱えている。
結構な量だ。
それを、俺に向かって無言で差し出す。
ハイハイ、持てってことですね。
「『荷物、持とうか?』って、なんで先に言えないかなぁ。これだから、モテない男は…。」
男が女に、口喧嘩でかなうはずがない。
ここは、言いたいことをグッと堪えて、素直に従っておくのが正解である。
荷物の中身は、ブランドバックやブランドアクセサリー、ブランド小物、未使用と思われる靴など。
仕事上の戦利品、ってやつだろうか?
この日、俺達が最初に向かったのは質屋。
荷物の中身を換金するようだ。
そして、可哀想なのは、大量の戦利品の贈り主達。
それとも、贈り主達は、こうなることを承知で貢ぐのだろうか?
垣間見た生活ぶりからは、お金に困っているようには見えなかったが。
それに、人気キャバ嬢ともなれば、俺より稼ぎがいいはずだが。
「こんなに大量に換金して、お金でも必要なのか?」
「まあね…。昨日で仕事辞めちゃったし。」
「はぁー?」
「だから、何でアンタがそんなに驚くのよ!それに、今、住んでる所からも引っ越さないといけないから、荷物整理も兼ねて。」
それなら納得だが…。
「何でまた急に?」
人気キャバ嬢から無職に転落ですか?
「最近、色々あって、なんかめんどくさくなっちゃったから…。」
めんどくさくなったら、仕事は辞められるものなんでしょうか?
質屋で大量に換金した後は、近くのカフェに入る。
「勿論、タクちゃんの奢りだからね。」
「ハイハイ、分かってますよ。」
特に高額というわけでもないカフェ代ぐらい、奢ってやるよ。
「これでチャラじゃないからね。」
俺の犯した罪は、どのくらい重いものなのでしょうか?
全く記憶にないことなのに…。
それに、そういうことは、例え記憶がなくても、それなりの感触というものが、残っていてもおかしくないんだが、それが全くないのはどういうわけだ?
それは、そういう行為に憧れを持った、童貞の妄想に過ぎないのか?
俺的には喜ばしいことなのに、何だか釈然としないものを感じる。
イヤ、待て、『喜ばしいこと』というのは、語弊がある。
それじゃあまるで、石崎を友人以上に見てしまっている、ということではないか?
再び、俺の頭は混乱してきた。
「あのさぁ…、本当に申し訳ないんだが、この前、タクシーに乗ってから、朝起きるまでの記憶が、全くないんだが…。」
『困った時は、知ってる人に聞け!』
昔、ばあちゃんがそう言ってた。
「アンタの最低っぷりを、一から説明した方がいいの?」
俺は、無言で頷くしかない。
聞くに堪えない話でも、何も分からないよりは、幾分マシ…だろう。
ふんだんに彼女の主観を交えたその話は、予想していたものと少し違っていた。
とても三行では説明出来ないが、要約すると…。
一緒のタクシーに乗り込み、まず、私の家に向かう。
レディファーストだから当然でしょ?
今思えば、これが間違いの元だった、後悔はしている。
タクシーに乗るとすぐに、タクちゃんは眠りに落ちる。
家に着くまでには起きるだろう。
寄り掛かるな、重いから!
私の家に着いても、この男は起きない。
タクシーの運転手に、何とかしろ、お前の彼氏だろ、と勘違いされる。
運転手の奴ふざけんな、お前の車には二度と乗らない。
外に放置しようと思ったが、良心が咎めた。
仕方ないので、自分の家に連れて行く。
マンションの十階まで、180センチオーバーの大男を、か弱い女性が担いでいく羽目になる。
マジ重い、死ね。
部屋に入ると、大男は床に倒れ込んでいびきをかき始める。
素っ裸にしてベランダに放り出そうと思ったが、死なれては困るので止めた。
でも、一遍、死ね。
シワになったらまずいだろうと思い、スーツを脱がせてあげた私の優しさを、褒め称えなさい。
そして、毛布まで貸してあげた私を、神と崇め奉りなさい。
それから、朝起きると、大男の腹を踏んで転ける。
肘と膝に痣が出来た、治療費払え。
ということを、三十分ぐらいかけて説明された。
俺は、所々、命の危険にさらされている。
「それだけ?」
「『それだけ?』じゃねぇんだよ、オイ!ふざけんな、コラ!」
だから、ガシガシと脛を蹴るのは止めなさい、痛いから!
それから、女性が男性を、汚い言葉で罵ってはいけません!
「俺は…、やってないの?」
バシッ!
「充分過ぎるほどやらかしてるだろ!」
そう口に出すより先に、頭を叩かれた。
ごもっともでございます…。
「何ていうか…その…、男女間の行動というか、行為というか…ゴニョゴニョ…。」
「何をゴニョゴニョ言ってるの?謝罪の言葉は、はっきり言いなさいよ!まだ、許さないけど。」
「誠に、申し訳ございませんでした。以後、気を付けます。」
大袈裟に頭を下げて、許しを請ってみる。
「フン!」
姫様は、ご機嫌を治してくれません。
「今、聞いた以上のことは、俺はしてないの?」
「してないけど?」
「そうか…、良かった…いってぇー!」
「少しも良くないだろうが!」
本気で蹴るのは止めて!
涙が出てくるから!
その後、店を出ると、彼女の買い物に付き合わされた。
何かを買うわけでもないが、色々な場所に引っ張り回される。
そして、彼女の家の前に着いた時には、既に、日が落ちていた。
マンションの前で別れを告げ、帰ろうとするが…。
「ちょっと待ちなさいよ!今日は、一日付き合うって約束でしょ?」
空けとけとは言われたが、一日中付き合えとは言われていない。
彼女の家に向かったから、これで解放されると思った俺は、少し甘かったようだ。
マンションの前で待ってるように言われ、彼女は一旦、自分の家に戻って行った。
そうか…、やってないのか…。
良かったのか、悪かったのか…。
これから、高級ディナーでも奢らされるのかな…?
金、足りるかな?
それなら、俺もこの格好じゃまずくないか?
そんなことを考えながら、待つことおよそ二十分。
「お待たせ!」
彼女は、先程までとは違い、かなりラフな格好に着替えてきていた。
こっちの格好の方が、彼女らしい気もする。
さっきまでの格好は、どこかしら無理しているようにも見える。
コンタクトレンズは外したのか、メガネ姿だった。
そうだよ、コイツ、高校二年の途中までは、メガネだったんだよ!
今より、遥かに地味だったし。
それが、キャバ嬢になるなんて、不思議なもんだ。
「これから、どこ行くの?」
「タクちゃんの家。」
「はぁ?」
「外で飲んでもいいけど、タクちゃん、また潰れたら今度は死ぬかも知れないよ。私は二度と助けないから。」
イヤイヤ、ちょっとは助けようよ!
ていうか、潰れるまで飲ますなよ!
何でこうなる?
俺の家の近くで、大量の酒とつまみを買い、結局、彼女は俺の家に押し掛けて来た。
「せまっ!」
第一声がそれですか?
これでも、28歳男性の独り暮らしには、充分過ぎる広さなんですが。
一応、ヤバめのものは片付けてあるし、先週の日曜日に掃除もした。
少しだけ散らかってる物を片付け、酒類を冷蔵庫にしまっていると…。
「何してるんだ?」
彼女は、ベッドの下やら、本棚やらを物色している。
「エッチな本とかエッチなビデオとかは、どこにしまってあるのかなと思って。」
コラコラ、何をしているんだね、キミは!
簡単に見つかる場所に、隠すわけがないだろ!
この家に、そういう類いの物が見つかったら困る相手は来ないのだが、長年の習慣からか、きっちり隠してしまう。
隠し場所を工夫しながら、少年は大人になっていくのだよ。
「ねぇ、タクちゃん。」
「ああ?」
だいぶ酒が入ってきた頃。
「もしかして…、私とやっちゃったと思ってた?」
「何を?」
「『何を?』って、セックス。」
「ばっ、ばバカなことを…!!!」
「やっぱり、そう思ってたか…。」
嫁入り前の女性が、口に出していい単語ではないと思いますが…。
「酔っ払って記憶をなくした上に、知らない家で朝目覚めたら…、しかも、その部屋の主が女性だったら…、その可能性ぐらい考えるだろ?」
「童貞の妄想って怖いなぁ…。」
「ど、どどど童貞ちゃうわー!」
「見栄張らなくても大丈夫だって。バカにしたりしないから。」
「…。」
「タクちゃん…、私としたい…の?そういうこと…。」
これが罠であることぐらい、俺でも分かる。
さすが元キャバ嬢、と言いたいところだが、上目遣いで俺を見つめても、ダメですよ。
そんな手には、引っ掛かりませんよ。
「いいえ、全然。」
「あー、何かムカついた、その言い方!タクちゃんは、自分がどれだけ恵まれているか、考えた方がいいと思うよ!」
「どの辺が恵まれているって言うんだよ!」
恋人もおらず、高校時代の同級生の女に、虐げられているというのに。
「私と自宅で酒が飲めるなんて、本来は有り得ないことなんだよ。みんな店に来て、高い金払わないと、私とは一緒に飲めないんだから。」
コイツは、自分を何様だと思ってるんだ、無職のくせに!
そんな奴に逆らえない俺も、どうかしてるぜ…。
「そう言えば、キャバクラって簡単に辞められるものなのか?色々、引き止めとか、しがらみとかがあるんじゃないの?」
「普通はそうだけど、結婚するって言ったら、結構、簡単に辞められた。」
「はぁー?お前、結婚するの?」
何か胸の奥底がズキズキしてきた。
「しないよ。」
「はぁ?」
全く意味が分かりません!