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上方パラパラ  作者: mitsuo
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転2 -tenni-

いつもより1本早い電車に乗って通勤する理沙であったが、一抹の不安が無いわけではない。

 でも、模型屋の宮田さんはいい人だ。

 きっと日本橋の良さをさらに引き出してくれるようなデザインのものを創ってくれたのだろう。

 難波駅で下車した理沙は、若干、早足で中央改札口を抜け、メイドクロスへと足を進める。

 歩いているうちにメイドクロスが見えてきた。

 そして、交差点の南西の角には、平日午前の日本橋でありながらも、黒山ができている。

 その黒山の中に美香もいた。

「おはよー、美香。いちげき野郎のケースが出来上がったみたいやな。」

「あ、理沙、おはよー。なんか、いろんな意味ですごいことになってしまったわ。」

「かっこえーの?ケース。」

「見てみー。」

 理沙が黒山の間を縫って、いちげき野郎が収納されたケースの前へ進んだ。

「うわっ。やっぱりこうなってしまうんや。」

 かっこ良すぎなのである。

 いちげき野郎とは、スタンガン機能の搭載された、さすまたの商品名である。

 そのことは、3者合同会議の後、こっそりと幹事のおじさんに教えて貰ったので判っていたが、宮田さんが創ったケースは、正に、『いちげき野郎+日本橋=』という感じのデザインなのだ。

 例えて言うならば、ロールプレイングゲームの終盤に、ラスボスを倒すために手に入れる、封印されている伝説の武器、という感じだ。

 灰色に塗装されたケースの正面はガラス張りになっており、その中では、いちげき野郎が深い眠り?についている。

 ケース内側の上部を見上げると、青、赤、緑の電球が取り付けられていた。

 きっと、この電球で、夜はドラマティックに演出するのだろう。

 ケースの足元には石盤に見立てたパネルが設置され、いかにもな説明が書かれている。

 『商都ジャパンブリッジが悪の手先により、危機に瀕した際、勇者よ、この武器の封印 

  を解き、立ち上がれ。

  武器名 :ワンタッチヘルボーイ

  属性  :雷

  特殊効果:スタン』



「美香、こんなかっこいいデザインやと、即行で盗まれへんやろか?」

「確実に盗まれるわな。」

「これ、宮田さんに修正してもらうように言った方がいいかな。」

「そう思うんやけど、宮田さん、かなり繊細やろ。しかも、このケース、かなりガチで創ったと思うんよ。」

「やでなー。言いにくいわな。」

 と、発言したところで、2人は会話を宮田さんに聞かれていないだろうかと、黒山を見回した。黒山の中に宮田さんはいなかった。

 が、交差点の北側から、メイドクロスに向かって歩いてくる宮田さんと、ちょうど目が合った。

「お2人さん、どう?このデザイン。僕が創ったものが町中に設置せれるとか初めてやから、はりきりすぎて3日連続で徹夜したんよ。」

「え、3テツですか?」

「そやねん。もう頭クラクラよ。」

「や、でも、すごくかっこいいと思います。まさかここまでかっこいいとは。」

「そやろ。喜んでくれて創った甲斐あったわ。んじゃ、店で納品して、しばらく仮眠するわ。」

「お疲れ様です。」

 宮田さんは東へと歩いていった。


「やっぱ、このデザインはあかんとか言えんわ。」

「やな。連合会議の誰かが指摘するのを待つしかないわ。」

 


 4日後、宮田さんがデザインした、いちげき野郎のケースは一時的に撤去された。



 さらに5日後、修正されたケースがメイドクロスの南西角に設置された。

 石盤をイメージしたパネルは取り除かれていた。

 ケースの前面は、修正後もガラス張りなのだが、ガラスの上に警告文が書かれていた。

 『緊急用スタンガン機能付きさすまた

  通り魔などのテロ事件が発生した際、使用してください。

  緊急時以外は絶対に使用しないでください(ケースを開けると警報音が鳴り響きま 

  す)。』

 


 4日後というのがリアルだ。

 壮絶な心理戦が連合会全体で繰り広げられていたのだろう。

 宮田さんに指摘してくれたのは誰だろう。

 4日後に宮田さんに指摘した、その人が心理戦を終わらせてくれたのだから、その人の勝ちなのだろうか。

 指摘しなかった私達の勝ちなのだろうか。

 この辺を突き詰めてゆけば、純文学の作家みたいになれるのだろうが、2人は芸術家志望ではなく、大阪を盛り上げることだけを目的として、パラパラを踊ろうとしているだけなので、とてつもなく楽しそうな、連合会の4日間の心理的葛藤については、一旦忘れることにした。



 修正されたいちげき野郎のケースが、メイドクロスの南西角に設置された後の日曜日から、メイドクロスは歩行者天国になった。

 そして、ようやくパフォーマンスを再開することができた。

 舞台は北東角に設置されている。

 メイド喫茶とぱーずの公演時間は正午から20分間だ。

 この日、パフォーマンスには、とぱーずを含め、6店のメイド喫茶が参加した。

 とぱーずは、パフォーマンスの募集が始まったその日に、商店街組合に登録を申請しており、舞台では最初にパフォーマンスを行うため、1番喫茶と呼ばれている。

 同様に2番目に申請し、12時20分から公演を行うのが2番喫茶、12時40分から行うのが3番喫茶、という仕組みで、現在、6番喫茶まで登録されている。

 2番喫茶、3番喫茶、5番喫茶は、警察に補導される前の美香と理沙の活躍を知っていたみたいで、とぱーずと同じく、2人組の上方パラパラを踊ることにしたらしい。

 4番喫茶のメイドさんは芸に自信のある人が多いらしく、ソロでのアイドル活動を行うとのことだ。

 もちろん、地下アイドルとパフォーマンスの内容が重なるため、今後は激しい競争になるだろう。

 面白いのは6番喫茶『ポンブリッジ』だ。

 この店はかなり元気でノリの良いメイドさんが多いことで有名で、何やら、大人数のアイドルユニットを創ったらしい。

 ユニットの名称を聞くと、なんとなく方向性が判った。

 PBG48だそうだ。

 それにしても、大人数のPBG48が公演を行っている際、店はどうするのだろうか。  

 まさか、一人残された店長がメイドの格好でお出迎え?なんて妄想をしていると笑えるものだ。

 今日は、美香と理沙以外のメイドさんにとっては初公演なのだから初々しいものだ。

 2番、3番、5番喫茶のパラパラは、かつての美香と理沙のコンビと一緒で、パラパラというよりはバラバラだった。

 4番喫茶のメイドさんは歌もダンスも悪くなかったが、まだ幾分、地下アイドルの方が上回っているような気がする。

 日本橋の地下アイドルは、特別に歌やダンスが上手いわけではないが、鬼気迫るという言葉がドンピシャに当てはまるくらい、しみじみとした迫力がある。

 そして迫力があると同時に可愛い。

 4番喫茶VS地下アイドルの火花は今後、さらに激しいものになるだろう。

 6番喫茶は予想通りだった。無難に良かった。それよりも、ポンブリッジの店長が今後どのように店をやりくりしていくのか、ということの方が気になる。


 

「理沙、私、危機感マックスなんやけど。」

「え、危機感?まだ1日終わっただけやんか。今日も観客はいっぱいおったし。これからどんどん有名になっていくやろ。じきにテレビの取材とかも来るんじゃない?」

「それはそうやろうし、当面は盛り上がると思うんやけど、1年後とか、絶対にピーク過ぎてると思うんよ。」

「もう来年の話かいな。この前、年明けたところやのに。」

「アタシ、未来人やねん。」

「ハルヒか。」

「ちゃうわ。みくるちゃんや。」

「もうわかったから。それより峠を迎えんための対策とかもう考えてたりすんの?」

「当然まだやで。」

「まー、さすがにハルヒは現実にはおらんわな。」

「ちゃうわ。みくるちゃんや。」

「かぶせるな。」

「なんか良い方法無いかなー。このままやったら、ミイラ取りがミイラになってしまうわ。」

「そやなー。確かに、衰退すると判ってて、このまま続けてても、実際に衰退するからなー。」

「もっと、なんつーか、スーパーウルトラミラクルCみたいなことをやらな、根本的に大阪を盛り上げたことにはならんと思うねん。」

「しかも、そのミラクルCが長期的に持続せんことには意味が無いからなー。」

「困ったなー。」

「私らもメンバー増やして、とぱーず48とかやってみる?」

「やー、将来的にはそれも良いと思うんやけど、私ら、1番喫茶ってことは、事実上の老舗やん。老舗らしさを全面的に出したいというか、何というか・・・。」

「当面は、量よりも質で勝負したいってことやな。」

「そうそう、それが言いたかった。」

「まー、どちらにしろ、そろそろ東京の完コピじゃなくて、大阪らしさを出していかなあかん時期に来てるかもしらんな。」

「そやねん。武士道でも、始めは師の真似をするところから入って、『破』を迎えて、オリジナルな姿へと変貌していくんやもんな。」

「大阪は商人の街やったんやけどな。」

「じゃ、武士道じゃなくて、アキンドドウ?なんか語呂悪っ。」

「んで、どうするよ、これから。大阪のオリジナルがどういうものかとか、ホントわからんのやけど。」

「そうや、京都行こう。」

「まじかよ。」

「温故知新やで。迷った時の京頼み。なんか新しい発見があるかもよ。」

「そやな。百歩譲って、観光やと思って行くわ。」

「じゃ、決定。んで、日程なんやけど、私の強すぎる希望で2月の14日が良いんやけど。」

「まじかよ。バレンタインは、太い客を作る、年一度のチャンスやのに。」

「私達1人1人が小さなリスクを積極的に背負わないといけないと思うのです。」

「ここでその文句かよ。ま、美香のことやから、当然、リスク以上のリターンを見越してるんやろ?」

「それは理沙次第かなー。」

「ホント先が読めんわ。」

「とりあえず、楽しみにしといて。最高の思い出を創ってみせるから。」

 思い出?

 上洛の目的は、大阪のオリジナルを見出すための研修みたいなものではなかったのだろうか。

 大器晩成とはよく言われるが、私達はいつになったら器が完成するのだろうか。

「わかった。もう美香にまかせるわ。ここまで来たら後戻りする方が大変やし。」

「当日は、私達の忍耐力が試されるから、前日は、しっかり休んでね。」

「了解。」



 ついに、この日が来てしまった。

 2月14日。

 セントバレンタインが生きていたら、日本のバレンタインデーの文化と、その文化圏でこれから前代未聞の行動を起こす、私達をどのように解釈するのだろうか。

 他人の目なんか気にしていたら、何もできないというのも事実なのだが、他人の目ではなく、念みたいなものを感じたとしても、構わずに振り切るべきなのだろうか。

 彼らにとって、私達の行動はショッキングなものだろう。

 一部の人は私達の行動に感動し、共感してくれるかもしれないが、大多数は、新しすぎるものを見てしまうと、感動よりも、喪失感の方が大きいものだ。

 今まで俺達が積み上げてきたものは一体何だったのだろうかと。

 喪失感を超えて、怒りを覚える人もいる。

 古い人間が新しい人間の若さと創造力に対して嫉妬しているという風に解釈すると、2人が周囲から受けるストレスは最小限に抑えることができるのであるが、それで良いのだろうかとも思ってしまう。

 他人の目だけではなく、その目には強烈な念がこもっているからだ。

 新しいことをすればするほど、周りからは、念のこもった目でじろじろと見つめられることになる。睨まれているわけではない。

 冷たくもない。

 灰のように無機質でもない。

 無心状態で表現されるアゴニーなのだ。

 世の中の大成した偉い人たちは、この、無心なアゴニーと戦ってきたのだろうか。

 受け入れて許して来たのだろうか。

 2人の心理的な葛藤はいつに無く高まっている。

 これが最初の登竜門だ。



「で、なぜにスーツ?」

 淀屋橋で合流したスーツ姿の2人は京阪線で京都へと向かう。

「そんなこと言ったって、スーツ姿の方が誠意が伝わると思うんよ。」

 美香は大きめのリュックサックを背負い、さらに、左肩には建築系の学生が持っていそうな黒い筒みたいなケースをかけている。

 中には建築の図面でも入っているのだろうか。

 否、まさか美香が建築図面みたいな緻密なものを書けるはずがない。

「プレゼンでもするの?」

「今日はプレゼンはせんよ。アピールはするけど。」

「もう、警察に補導されるとかカンベンやからな。」

「たぶん大丈夫やで。」

「たぶんって・・・。」

 2月の京都は寒い。

 風が強いわけではないのだが、じわじわと、骨に染みる寒さだ。

 そして、驚くほどドライだ。

 心まで寒くなるのは御免だ。

 不安そうな理沙を慰めるように美香が説明する。

「つーか、これからっしょ。今日は絶対に楽しいから、安心して。」

「どの辺まで行くの?」

「理沙は四条。」

「へ、別行動?」

「始めはね。私は三条なんやけど、すぐに合流できると思うわ。」

「何の罰ゲームやねん。」

「きっと楽しいから。」

 2人が乗っている特急列車が、樟葉駅を過ぎた辺りで、美香がリュックサックから、何か取り出そうとしている。

 リュックサックの中身は、理沙の想定を上回っていた。

「これ、理沙用。」

 美香が取り出したのは、大学のイベント系サークルでよく使われていそうな、リアルな鹿の顔をした被り物、そして、オカキが入っていたのだろうと思われる、金属製の容器、さらに、選挙の候補者などが用いている白い手袋、及び、タスキだ。

 タスキに書かれているシュールな文字を理沙は2度見ならず、4度見してしまった。

 『チョコください。』

 今日やらされることは大体わかった。

 物乞いだ。

「美香、マジ、これだけはカンベンして。」

「いけるいける。こういう地道な成功体験が、立派な大人になるための近道なんやで。」

「てか、大阪の戎橋でも、物乞いとかリスク高すぎやろ。京都でそんなことやったら、火傷を超えて、凍傷になるで。」

「物乞いちゃうわ。托鉢や。」

「チョコを貰う托鉢僧がどこにおるねん。」

「私らが歴史を創るねん。京都の人は、京都のルールに従って謙虚にしてる限りは、外部の人間にも優しいから。」

「どこが京都のルールでどのように謙虚やねん。やろうとしてるのは、ルールとか謙虚とかと真逆のことやろ。それこそ警察に検挙されるがな。」 

「ま、その時はその時やろ。まだ若いんやからチャレンジするのみ。」

「あんたぐらい自由になりたいわ。」

「私も理沙ぐらい自由になりたいなー。」

「まじかよ。そんな目で見られてたんや。」

「もうすぐ着くから心の準備しときや。メンタル試されるで。」

「もうメンタルとか無いわ。ある意味無心でできそうやわ。」

「四条は三条よりも難易度低いはずやから、橋の上で立ってるだけでもどうにかなると思うわ。」

「了解。」



 どうしてこうなった。

 どうしてこうなった。

 確か、大阪のオリジナルを見つけるための旅だったはずなのに。

 頭の中が整理できない。

 どうしてこうなった。



 祇園四条駅で下車した理沙は、駅構内の化粧室に向かう。

 鏡の前で、美香に渡された白い手袋を装着し、『チョコください。』と書かれたタスキを身にまとう。

 そして、リアルな鹿の顔をした被り物を頭から被る。

 オカキの空き容器を両手で抱えて、いざ出動だ。

 周りの視線が本当に痛い。

 改札口で駅員さんに止められないか心配だったが、最大限の慎重さで見つめられただけで、改札は難なく通り抜けることができた。

 地上へと繋がるエスカレーターに乗っている時は、いよいよ緊張した。

 生まれて初めてジェットコースターに乗ったときの上り坂と同じような緊張感だ。

 小学校の低学年の頃はジェットコースターに乗ったことのあるなしが、勇敢であるかどうかの判断の基準だったと思う。

 私は今、初めてのジェットコースターと同じ緊張感を味わっているのだから、きっと勇敢だ。そのように思わないと、やってられない。

 エスカレーターの上端に到達し、いざ地上に舞い降りて見ると、いつもの四条なのだが、眺めが最高に良かった。何か、勝ち誇った気分だ。

 ジェットコースターと一緒で、今が頂点なのだろう。

 これから下り坂で急降下して、わけのわからないまま1回転して、無事帰還する時には、ちょっと嬉しくて、ちょっと虚しいような気分になるのだろう。

 そして、知り合いに今日の出来事を自慢するのだろう。

 


 四条大橋の人通りは多かった。

 観光客、地元の少し裕福な人達、大学生、祇園で働いていそうなお姉さん達。

 例の如く、菅笠を被った修行僧が寄付を募っており、通行人の1人が足を止め、寄付をすると、修行僧は一歩下がって頭を下げた。

 それに習って、通行人も一歩下がって頭を下げた。

 京都らしい美しい光景だ。

 美香のアドバイスでは、できるだけ修行僧の隣に立てとのことだが、さすがにそれはできない。

 鹿の被り物を被ったスーツ姿の理沙は、修行僧とは20mほどの距離をとった場所で直立した。

 両手はオカキの空き容器を抱えているため、ふさがっている。。

 橋の上は街中よりも風通しが良く、体温がみるみるうちに奪われていく。

 修行僧は毎日のようにこの寒さに耐えているのだから立派だ。

 通行人は理沙の意味不明な格好を見て、歩くスピードがやや落ちているようだ。

 そして、タスキに書かれた文字を読んで、口を押さえたり、理沙の見えない方に顔を向けたりして、必死に笑いをこらえている。

 理沙はもう一度思った。

 どうしてこうなった。

 が、通行人の1人が、タスキの文字を読んで笑った後、おもむろに、鞄の中からチョコを1つ取り出して、オカキの空容器の中に入れてくれた。

「寒い中、ご苦労様です。頑張ってください。」

 チョコを入れてくれたのは、40代か50代くらいの、少し富裕な印象のある、貴婦人という感じの女性だ。

頂いたチョコは1個だけだが、絶対に百貨店とかで買った高いやつだ。1個だけで百円くらいするかもしれない。

 理沙は鹿の被り物を被っているので、お礼を言葉で伝えるべきか迷ったのだが、喋ったら、夢を壊してしまうだろうとの直感から、白い手袋越しに握手をした後で、修行僧と同じく、一歩下がって頭を下げた。貴婦人は会釈し、橋の向こうへと歩を進めた。

 『これが京都か。』

 私は絶対に京都のルールに従った謙虚な行動はとっていないはずだが。

 美香の言っていたことが正しかったのだろうか。

 京都の人の感性は隣接する大阪の人間であっても、よく判らないのであるが、今日の京都の人達は優しかった。

 その後も、頻繁にということは無かったが、ちょくちょく通行人がチョコを分けてくれた。祇園に近いためだろうか、分け与えてくれるチョコレートの大半が、一目でわかるような高級品だ。

 嫌らしい話だが、小一時間ほどで、京都まで来る交通費分ぐらいのチョコを頂くことができた。

 帰りの電車は美香とチョコパーティーだ。

 それにしても、チョコなんて1つも貰えないだろうと、勝手に決め付けていた理沙にとっては、この事実は衝撃的だ。

 京都の人の優しさと、美香のわけの判らない企画が成功したことに対して、二重に驚いた。

 


 今頃、美香はどうしているのだろう。

 そういえば、三条は四条よりもハードルが高いとか言ってたっけ。

 苦戦しているのかな。



 理沙が四条大橋でチョコを集め初めてから、約2時間半後、意味深なパラレルが理沙の目の前で発生した。

 鹿の被り物を被っているため、視界が狭くなっている理沙の横に大仏がいた。

 なぜ、四条大橋の上に大仏がいるのだろうか。

 15秒ほど、ディープなパラレルワールドをさまよった後、ようやく理沙は事態を掌握した。

 別に幻覚が見えているわけではない。

 仏様が理沙に天罰を与えに来たわけでもなかった。

「美香やろ?」

「ばれた?」

「一瞬わけがわからんかったわ。でも、こんなわけのわからんことをするのは美香だけやと思って。」

 美香の両手には、理沙が持っているものよりも、さらに大きいオカキの容器が抱えられていた。

 そして、驚くことにその容器はチョコレートで満たされていた。

「あんた、すごいなー。もう満タンとか。私はまだ半分もいってないのに。」 

「いやいや、理沙こそ立ってるだけでそこまでいったのはミラクルやわ。」

「ん、美香は座りながらチョコ集めたの?」

「ちゃうちゃう。土下座。」

「・・・またやらかした。」

 理沙が四条大橋で棒立ちでチョコを集めていた頃、美香は三条大橋にいた。

 三条は四条ほど、富裕層が通行するわけではなく、祇園のお姉さんもほとんど通行しない。

 通るのは大学生を中心とした若者だ。

 三条で高級なチョコレートを集めようとしたところで、無理があると判断した美香は、高級なチョコは理沙にまかせて、自分は、安価なチョコを大量に集めようと考えていた。

 三条駅前には、土下座像という、有名な待ち合わせスポットがある。

 大学生が飲み会などをする場合は土下座像で待ち合わせして、三条大橋を渡り、街中へ繰り出すことが多い。

 美香は三条大橋の中央部辺りに陣取り、リュックの中から小学校時代に遠足などで使用していた敷物を取り出し、地面に敷いた。

 そして、建築の図面が入っていそうな黒い筒状のケースから、A1サイズの紙を出した。紙には以下のように書かれていた。

『本日は仏滅です。チョコがほしいです。』 

 美香が書いたように、今年のバレンタインは仏滅だ。

 どうして美香はそんなことに気が付いたのかは謎なのだが、大方、今現在、美香には彼氏がいないので、いちゃついているカップルに対するジェラシーだろう。

 理沙は引き続き、美香の話に聞き入った。

「ほんで、せっかく土下座像の近くでチョコを集めるんやったら土下座した方が面白いかなーと思って。さらに、今日は仏滅やから、大仏の被り物を被って土下座したら、同情も得られるんじゃないかなーと思ってん。」

「すごいセンスやなー。」

「そやろ、すごいやろー。」

「褒めてないからな。呆れるぐらい自由やってことや。」

「まーね。」

「それでも本当に満タンにするからびっくりするわ。何かコツとかあったん?」

「土下座した状態で、オカキの容器を通行人に突き出したら、ほとんどの人が入れてくれたで。あと、チョコの無い人はカイロとかも入れてくれたわ。」

「よっぽど切実やったんやな。」

「作戦大成功。」


 日本の文化では、恋人の祭典であるバレンタインデー。

 美香と理沙は京の橋の上で、価値のある一期一会を多々経験した。

 橋の上での一期一会とは、ロマンティックなものだ。

 行く川の流れは止まらずも、道行く通行人は立ち止まり、初対面でありながらも、ささやかな交流によって、懐かしさを感じさせてくれる。そして、橋を渡って川を越える。

 今さっき、親密に触れ合った人たちは、もう、一生会わないかもしれない。

 一期一会の感傷に浸ろうとしても、川の流れは、すべてを洗い流せと言わんばかりに、何も無かったの如く、平然とせせらいでいる。

 気が付けば、感傷は消えうせ、いつもどおりの京の日常に戻っている。

 そして、京都の橋で優しい人に出会ったという、記憶だけが残ってしまう。

 きっと、家に帰っても優しさだけを思い出して、一期一会の感傷を掘り起こすことはできないのだろう。

 実際、もう大半を加茂川に流されてしまった。 

 京都観光のリピーターが後を絶たない一因は、観光客の帰り際に加茂川がやってのける、意地悪のせいではないだろうか。



「鴨川や 通行人どもが 夢のチョコ」

「なんやそれ、字余りやんけ。」

「理沙は何かあるの?」

「鴨川や ダイブしたいが 骨折れる」

「げっすーい。」

「美香に下衆いって言われるとショックやわ。」

「もう、大分暗くなってきたし、そろそろ切り上げよっか。お腹減ったやろ。お勧めの店があるねん。」

「おっけー。お腹減ったわ。」

「ちょっと歩くけど、我慢してな。」 

 2人は被り物を脱ぎ、手袋を外し、理沙はタスキも外し、美香の誘導で、祇園へと足を進めた。

「へ、祇園で食べるの?そんなお金ないで。」

「さすがに祇園はないわ。祇園を抜けてちょっと歩いたところに、美味しい中華料理屋があるねん。」

「京都で中華って初めてやわ。大阪とはまた違うの?」

「京都の中華の方が、しみじみとしてるで。」

 中華料理にしみじみと言う表現を使うのだろうか。

 これはもう食べてみるしかない。

 新しい発見があるかもしれない。

 しみじみとした中華料理。

 いかにも風流だ。

 


 10分か15分程歩いただろうか。

 ようやく到着した中華料理店で、美香はラーメンとから揚げを、理沙はチャーハンと餃子を注文した。

 店には、サークル帰りの大学生がたくさんいて、少しアウェイだ。

 美香は先ほど、理沙に、京都の中華はしみじみとしていると言ったが、さすがに、から揚げはカラッとしていた。

 が、衣に味付けがしているのだろう、少し甘辛かった。

 ラーメンは予想通り、しみじみとしていた。

「なんか不思議な感じやな。中華やのにすごく優しいわ。」

 初めて京都で中華を食している理沙は、嬉しそうだ。 

「理沙、餃子とかどうなん?」

「手作り感がすごくあって、まろやかな味と具が口の中でほどけていくわ。」

「まるでー」

「餃子の皮を着た、十二単やー。」

「おー、70点。」

「いきなり振らんといてーや。喉に詰まるやん。」

「ごめんごめん。でも、この店、病み付きになるやろ。」

「確かに。一口食べて『上手い』と言うよりは、かなりじわじわとくるわ。どうやってこの店、見つけたん?」

「去年、とぱーずに京都通のご主人様が来店して。それで、その流れで。」

「またか。」



 しみじみとした中華をたらふく食した後、小奇麗なガールズトークを長時間続けていた2人であったが、サークル帰りの大学生達が会計を済ませて帰路につくと、店は途端に静かになり、2人もそろそろ店を出ないと、店員に申し訳ないと察し、2人も店を出た。

 時計を見ると、もう9時を回っていた。

 2人は京阪の祇園四条駅を目指して歩き出した。

 京都で晩御飯を食べて店を出ると、京都は盆地なのに、大船に乗ったような気分だ。



 祇園四条駅を目指し、暗い路地を歩いていると、なんと、お化けが出た。

 2人は、歴史の長い京都ではよくあることだろうと、割り切って受け入れようとしたが、やはり無理だった。

 何百回と、お化けの出るドラマや夢を見て今に至る2人だが、やはり本物のお化けはとてつもなく怖い。

 怖いのはその存在感だ。

 ドラマのお化けは、所詮フィクションと思うことで割り切れた。

 夢の中に出てくるお化けは、小学生の頃は本当に怖かったが、中学生ぐらいになると、夢の中でさえも経験的に、このお化けは夢だなと解釈し、念のため、目を覚ましてみると、やっぱり夢だったと安心することができた。

 本物のお化けは、2人がフィクションだと思っても消えてくれなかった。

 ダメ元で、これは夢なのだと、全力でイメージしたが、やはりお化けは消えるどころか、少しずつこちらに近づいてきている。

 少々マニアックな例えをするならば、一昔前、一世を風靡したロールプレイングゲームのモンスターで、緑色をしていて、片手にカンテラ、もう片方の手に包丁を持って、ゆっくり、ゆっくりと主人公に近づいてくる、あの時の恐怖とかなり近い。

 2人が全力で逃げれば、簡単に難を逃れることは可能だろう。

 が、あのロールプレイングゲームのモンスターと一緒で、見た目が恐ろしいわけではない。

 ただ、近づきすぎると大惨事になるかもしれない。

 新しすぎて、怖さと同時に好奇心を感じてしまうのである。

 ロールプレイングゲームのモンスターと何が違うかと言うと、まず、今起こっていることは現実だということ。

 2次元ではない。

 3Dのゲームでもない。

 大惨事が発生した時に、2人を生き返らせる魔法も無い。

 あと、相違点と言えば、包丁は持っていない。

 カンテラも持っていない。

 顔は緑色ではなく、真っ白だ。

 あ、ひょっとして・・・。

「理沙、あれ、お化けじゃなくて芸者さんかなー?」

「え、・・・、あ、そうやでなー。」

 2人の沈黙は続き、やがて、その芸者さんらしきとすれ違った。

 すれ違った後も2人は、その芸者さんらしきを2度見した。



「やっぱり芸者さんやわ。足も生えてるし。」

「まー、そう言われればそうやなー。」

「しっかし、すごい迫力やなー。」

「すごい迫力やし、まさか、こんな暗い道で出くわすと思わんかったわ。」

「今でも心臓ドキドキしてるし。」

 理沙が美香の胸を両手で触った。

「きゃ、何してるんよ、アホ。」

「はい、リラックス。触って欲しそうなフラグ立てたのはあんたやろ。」

「心臓がドキってただけや。」

 2人から恐怖の感情は消えたが、その芸者の強烈な印象は当面、忘れられないだろう。 

 きっと今日、寝たら夢に出てくるはずだ。



 祇園の街中まで足を進めた2人であったが、2人にとって夜の祇園は初めてで、新鮮だった。

「なんか、ここ、違う世界やな。」

「セレブな雰囲気がプンプンしてるなー。」

「うわっ、何あの人ら。綺麗すぎやろ。」

 交差点に立っていたのは、ラウンジのママさんらしき人と、ホステスらしき人2人だ。

 お得意様を迎えているのか、送り出したのかは判らないが、カルチャーショックを受けるぐらい、3人とも異次元の美しさだった。

 ママさんは純白の着物、2人のホステスも柄1つ無い、無地の純白ドレス。

 一目で判る。 

 間違いなく最高級ラウンジだ。

 3人の体は光っていた。

 お化けではない。

 美香と理沙がみる限り、3人の体からは、まばゆい光が放出されていたのだ。

 よく、百人に一人ぐらいの割合のイケメン男子とか、芸能人からは、オーラが出ていると、言われるもので、美香と理沙も、一般的に言われる『この人からはオーラが出ている』と言う言葉の意味を十分に認識していた。

 ガールズトークでは、オーラと言う言葉が頻繁に用いられるのである。

 しかし、最高級ラウンジの3人から放出されているのは、オーラではない。

 体内から光が放出されているのである。

 


 高校時代、美香の成績はひどいものだったが、美香自身が強い興味を持った分野に関しては、抜群の出来だった。

 具体的には、地学、保健、ダンス、歴史、そして古文だ。

 確か、古文の先生が言っていた。光源氏は絶世のイケメンで、彼の体は発光していたと。

 面白いことをおっしゃる先生だ。

 人間の体が光るわけがないではないか。

 そんなこと、物理の先生に言ったら笑われるで。

 


 これが京都の神秘だ。

 最高級ラウンジの3人はまるで、竹取物語の、月から来た使者のようだ。

 そう言えば、あの月からの使者も光っていたっけ。

 


 確か、脳科学者で芸能人みたいな感じでテレビに出ている人が言っていた。

 人間は光を浴びたときに、様々なホルモンが分泌されて、自律神経が活性化して健康に良いのだと。

 きっと私達の脳は、今、まばゆい光を浴びている時の状態と一致しているのだろう。

 それが原因で最高級ラウンジの3人の体が光っているように見えるのではないだろうか。

 一昔前、美人は健康に良いという内容の研究論文が発表されて、物議を醸していたが、一理あるのではないかと、美香と理沙は真剣に思った。



 京阪特急で、淀屋橋へと向かっている2人。

 2人ともいろんな経験があったため、電車の中で爆睡してしまうかと思いきや、チョコレートをハイペースで食べながら話をしているため、カフェインが体に回ったのだろうか、

妙にテンションが高い。

 淀屋橋駅に到着した時には、10時半近くになっていたため、これからカフェで2次会というわけにはいかずに、そこで解散した。

 美香は御堂筋線で北へ。

 理沙は御堂筋線、及び、南海本線で南へ。 

 


 日曜日になると、再び、メイドクロスは歩行者天国と化した。 

 テレビの取材は今週もまだ来ないみたいだが、今の日本橋は絶好調だ。

 先週よりも明らかに人が多い。

 きっと、先週のリピーターと今週の一見さん、そして商店街の広報の努力の成果が重なった結果だろう。

 日本橋と言えば通行人の大半はオタクっぽい見た目の人なのだが、今週は、リア充と呼ばれるような、道頓堀あたりで行動してそうな雰囲気の人も多く見ることができる。

「理沙、ついにリア充層も日本橋に引っ張ってこれたな。」

「どんなものかと見に来ただけやと思うで。でも、新規のご主人様ができたら、とぱーずとしても嬉しいなー。」 

「アピールしまくらなあかんな。」

 1番喫茶である、とぱーずの美香と理沙がパフォーマンスを行うのは、正午から20分間であるが、この20分といのが意外と長い。

 2人は既に人前で4度のパフォーマンスを行っているため、初めての時ほど、緊張はしなくなってきたが、パフォーマンスに関しては、相変わらず、素人に毛が生えた程度のレベルだ。

 1曲だけ完璧に仕上げて、観客を、ちょっとだけ感動させることは可能かもしれない。 

 が、20分となると、3、4曲踊るのが妥当であり、その間にはMCも必要だ。

 先週も、1番喫茶から5番喫茶までが、15分以内にパフォーマンスを終わらせた。

 6番喫茶に関しては、踊った曲は2曲だけだが、パフォーマーの人数が多く、MCもグダグダだったので、20分を超えてしまった。 

 パフォーマンスを申請するメイド喫茶が増えてくると、必然的にそれぞれの店のパフォーマンス時間は短縮されることになるのだが、もうしばらくは、20分間のパフォーマンスが続きそうだ。

 飽きられないようにしなければならない。

 それが、パフォーマンスを申請したすべてのメイド喫茶に共通する課題だ。



 美香と理沙のコンビは今日のパフォーマンスでは3曲踊ることにした。

 正午きっかりに、メイドクロス北東角に設置された、舞台に上った2人だが、すでにメイドクロスは人でごった返していた。

 神聖な舞台を一番最初に踏むことのできる、このありがたさと重大さ。

 それが1番喫茶の醍醐味だ。

 2人は観客に向かって、簡単な挨拶をしたところ、大歓声が返ってきた。

 相変わらず、今の自分達の置かれている状況に2人は全くピンと来なかった。

 私達はパンピーなのかアイドルなのかという、不思議な葛藤は今後も続くだろう。

 世間話もほどほどにして、さっそく1曲目に入った。

 1曲目は、以前、警察に捕まって補導されたその日の4曲目に踊る予定だった曲だ。

 ユーロビートではなく、テクノと言うジャンルだ。

 タイトルは『私を自由に』。

 パソコンの動画サイトでは、フランス人と思われる白人女性2人が、サヴォア邸という、近代建築の巨匠が設計した、白い家の前で踊っていた。

 私を自由に、と言う曲をバックミュージックにながら、パラパラの振りでパフォーマーの動きを制限してしまうのだから、意味深だ。

 2人で動きをシンクロさせりことも、多大なる拘束なのであるが、意図的に拘束することによって自由が拡大するのであれば、場合によっては拘束も必要かもしれない。

 振り付けは至ってシンプルだ。

 Aメロの振りは、4テンポに1回、膝を右・・・左・・・右・・、と無機的に上げるだけだ。

 こういうシンプルなダンスでは、上手い下手の差が極限まで判りやすく出てしまうので、事前に2人で、かなり真剣に合せる練習をした。

 いかにもサヴォア邸に似つかわしい、無機的でミニマルなダンスだ。

 サヴォア邸の設計者は『建築は住むための機械である』と表現したが、日本古来の、自然と一体化するという考え方にも、いささか機械的な要素が含まれているのではないだろうか、と美香は考えている。

 だから、テクノミュージックとパラパラがマッチするのではないかと。

 この曲は今までに踊った曲の中で一番クールだ。

 サビの激しい動きでは美香と理沙のストレートの黒髪が左右に煌びやかに揺れる。

 モダンなミュージックに振り付け。

 2人の本日の衣装は、いつも着ている紺色のメイド服なのだが、それが、曲、振り付け、揺れる黒い直毛と絶妙にマッチしており、見ている観客が、心に穴が空いたような喪失感に浸されてしまったことが、舞台の上から見ていても判った。

 感動を与えたかどうかは判らないが、印象は強かったようだ。



「ちょっと、時間があるみたいなんで、ここで、私達2人で、大阪野球拳をやりたいと思います。」

 その一言で、観客は一気に盛り上がるのではないかと、美香は想定していたが、想定外なことに、一斉に静まり返ってしまった。

 喜んでいるのはリア充層だけだ。

 一見のオタク系の人たちは、どぎまぎしている。

 実は嬉しいのかもしれない。

 ただ、2人が人前で大阪野球拳を披露するのは初めてなので、観客の内心の奥深くの部分はよくわからない。

 最前列に陣取っている、とぱーず常連のご主人様方々は、顔を真っ青にして、辺りをきょろきょろ見回している。

 ご主人様方々は明らかに喜んでいない。

 あ、そうか、警察を警戒してるんや。

「あ、別にそんな如何わしいことはしないですよ。」

「警察に事情聴取されるとかは無いので、安心して見てくださーい。」



 大阪野球拳とは、昨日、とぱーずでの仕事を終えた2人が帰路を歩んでいた際、美香の天性の思い付きによって考案されたゲームだ。

 一般に言う野球券というゲームには、少なからず、卑猥な要素が点在するのであるが、大阪野球拳は至って爽やかだ。

 2人でじゃんけんをして、勝った方が、コスプレグッズを1つずつ身に着けていくというだけのルールだ。

 こんなゲームで盛り上がるものかと理沙は反論したが、美香の感性は鋭敏だった。

 美香によると、服を脱ぐという行為以上に、何かを身に纏う瞬間には、萌が生じるらしい。

 目が肥えたオタクの人達にとっては、脱ぐという行為中に発散される恥じらいの要素は、幾分か萌の要素と背反であると、美香は主張する。

 恥じらいから生まれるものは喪失であり、確かに喪失の裏返しとしての萌は確かに存在するのであるが、喪失を快とする心境はいささか不健康である。

 今後、日本橋、及び大阪が、強固に健全な地盤を築き上げるためには、萌の改革が必要なのだ。

 健全なる萌が必要なのだ。

 と、美香は熱弁する。

「その、健全なる萌って言うのは、京都の人が言う、はんなりって言うのとまた違うの?」

 理沙の鋭い指摘に美香は少し迷ったが、しばらくして、思い出したように返答する。

 返答するまでの間の美香の目は、パソコンの動きが少し重くなった時に、念のため、動いているかどうかを確認するために見てしまう、あの、全力でチカチカしている緑色の光のようだった。

「はんなりと似てるんやけど、ちょっとだけ違うねん。はんなりって、ちょっとふにゃふにゃっとしてるやろ。健全なる萌って言うのは、なんて言うか、女子サッカーの鮫ちゃんが、重要な試合前に髪を結って、磨かれたスパイクを履いて、それで、フィファの音楽に合せてみんなで歩いてて、白線を越えた、あの瞬間。あの瞬間が健全なる萌やねん。」

「要するに、大和撫子みたいなイメージやな。」

「大和撫子ってどんなんか判らんけど、とりあえずそんな感じ。」

「野球拳で大和撫子をイメージとか笑えるな。」

「ちゃうわ。大阪野球拳や。」



 大阪野球拳のルールを観客に説明すると、リア充層からはがっかりしているような印象が見受けられた。

 一見さんのオタクの人達は、安心しているのか、がっかりしているのか、2人には判らなかった。

 とぱーず常連のご主人様方々は、警察の恐怖が無くなったからか、それとも、美香の言う、健全なる萌という概念を既に認識していたのだろうか、純粋に嬉しそうだ。



「おーおさっかやっきゅけん、かったーらきーーーるでっ♪」

 理沙が勝った。

 観客から、おおおおおおと言う大歓声が聞こえる。

 じゃんけんに勝った理沙は、頭に猫耳カチューシャを載せようとする。

 こんなことで盛り上がるはずが無いと思っていた理沙であったが、念のため、観客の様子を観察しながら、ゆっくりと猫耳を頭に近づけようとすると、歓声は消えたが、何か懐かしいものを感じる。

 確か、中学生の時に、課外活動で保育園に紙芝居を朗読しに行ったことがある。

 これだけ娯楽だらけの大阪で、誰が、紙芝居なんて真剣に聞いてくれるだろうか。

 というのが保育園に行く前の印象で、実際に保育園で朗読してみると、事前の印象は、あっさりと覆された。

『何、この子らの切り替えの速さ』

 保育園のお遊戯室中を走り回っていた子供達が、いざ、紙芝居が始まると、最前列から陣取り、全員三角座りで、目をきらきらさせて、と言うよりは、無心で、理沙の下手くそな朗読を聞いてくれた。  

 あの時は、半分嬉しくて、半分申し訳なかった。



 オタクの人達の目は、無心ではなかったが、きらきらしていた。

 目の様子は、かつての保育園の子供と、今ここにいるオタクの人達とでは若干異なるが、理沙の感情は、あの時と同じで、半分嬉しくて、半分申し訳ない。

盛り上がっているかどうかを、歓声のデシベル数で評価するのであれば、あまり盛り上がっているとは言えないが、美香の天性の思い付きは、今回も、失敗では無かったと解釈できるだろう。

 理沙が猫耳を装着し終わった後、再び大きな歓声が沸き起こった。



 結局、大阪野球拳は、理沙が4回じゃんけんに負けて、お開きとなった。

 猫耳、猫しっぽ、猫っぽい3本のヒゲ、そして、猫手のぬいぐるみを装着した理沙は、いかにもという感じだ。

「なんか、理沙の猫姿が可愛いから、私も最後まで着ようかなー。」

 美香の煽りに観客が、おおおおお、と言う歓声で答える。

 猫の格好に着替えるとい行為は、次のダンスを魅力的に見せるためのフラグなので、初めから2人は、大阪野球拳の結果に関係なく、猫の格好をする予定だったのだが、美香のサプライズ的な演出みたいに解釈してもらえたのだから、オタクの人達は純粋だ。

 もちろん一部の人達は2人の段取りを判ってた上で盛り上げてくれたのだろうが。

 そういう優しさも、この街特有であり、2人は好んでいた。

 猫の格好をした2人が踊ったのは、もちろん、鉄板の、猫ポーズの曲だ。

 オタク層の人達だけでなく、リア充層も視線を合せると、恥ずかしそうに下を向くので、可愛かった。

 


 本日の公演で、2人は3曲のパフォーマンスを行う予定だったが、大阪野球拳が、予想以上に盛り上がり、2人も乗り気になり、引っ張ってしまったので、猫ポーズの2曲目が終わった頃には、12時18分を回っていた。

 2番喫茶のメイドさんが既に準備していたので、とぱーずの本日の公演は2曲にとどめることにした。

 先週の6番喫茶のMCをグダグダだと笑った2人だが、今週は自分達がやらかしてしまったのだから恥ずかしいものだ。

 パフォーマンス後、2人はとぱーずでの接客があるため、メイドクロスを後にしたが、

パフォーマンスの効果だろうか、今日はリア充層の一見のご主人様の来店が非常に多かった。



 夕方、すべてのパフォーマンスを観た後、電気街で買い物を済ませた、常連のご主人様が来店した。

 こちらのご主人様の話によると、2番喫茶から6番喫茶の公演も、とぱーずにはかなわないが、まずまずの出来だったそうだ。

 2番喫茶は、今日はパフォーマンスのメンバーも曲も変えてきたらしい。

 初々しさをアピールポイントにするのだろうか。

 演技はバラバラだが、応援したくなるような雰囲気があるらしい。

 3番喫茶の演技は、渋谷っぽいと言うか、かなり大衆的なものだそうだ。

 観客に手拍子をするように求めるので、初めは観客も面倒臭げに手をたたくのであるが、すぐに3番喫茶のアゲアゲな雰囲気に飲まれて、一気にハイな気分になるとのことだ。

 4番喫茶は、今日も単身でのアイドルパフォーマンス。

 パフォーマーも先週と同じだ。

 明らかに先週よりも歌が上手くなっているようで、本気で一旗上げようとしているのではないだろうかと言うのが、こちらのご主人様の推測だ。

 5番喫茶のパラパラは、あまり印象が無かったらしく、アイドル好きの、こちらのご主人様も内容をあまり覚えていないらしい。

 と言うより、1時間以上もメイドさんばかり見ていたら、いくら、通の人でも、お腹いっぱいになるだろう。

 メイド同士で会話をする場合は、最大限、ぶりっ子な態度を消すと言うのが、メイド間での暗黙のルールだ。

 そうしないとやってられない。

 6番喫茶、ぽんぶりっじの大人数アイドルユニットは残念ながら、今週は8人しかいなかったらしい。

 先週は12人でのパフォーマンスだったが、きっと、店長が危機を感じたのだろう。

 8人でも大健闘だ。

 とぱーずのような小さな店舗では8人も同時に舞台に立つと、確実に店が回らなくなってしまう。

 強者には強者の悩みが・・・などと、よく言われるが、まさに今のぽんぶりっじの状況だ。 



「理沙、もう一回、京都行かん?」

「今度は何すんの?」

「私、とぱーずのメイド服、すっごい好きなんやけど、上方パラパラが今後百年、二百年と、続くためには、私らのパフォーマンスの質が1番大事なんやけど、衣装も大事やと思うねん。」

「でも、とぱーずのメイド服って、他の店と比べても、相当クオリティ高いよ。フリルだらけって訳でもなく、シンプルにまとめられてるし、あの紺色の深みとか絶妙やろ。文化祭の延長みたいな雰囲気は全く無いし。」

「そうやねん、今のとぱーずのメイド服も最高やねん。でも、その最高の上を行きたいんよ。」

「あんた、熱いな。今のメイド服より上とか、私の概念には無かったわ。でも、京都にメイド服の店とかあったっけ?見た事無いんやけど。」

「私も見た事無いわ。」

「どうすんの?」

「衣装を創ってもらう。」

「誰に?」

「西陣織の職人さん。」

「・・・、あんた、さすがにそれは無謀やろ。」

「今回ばかりは無謀やと思うわ。」

「素直やん。ダメ元でチャレンジってこと?」

「まー、そう言う風になると思うんやけど、何とかして勝算をもう少し上げたいんよ。火傷して帰って来ても虚しいだけやろ。」

「確かになー。無策で行っても2億パーセント無理やからなー。」

「せめて、私らの全身全霊のパフォーマンスだけでも見て貰いたいんよ。」

「・・・、可能性は低いけど、今度日本橋で、堺筋を封鎖してストリートフェスタが開催されるやろ。それを見に来て貰うことって出来へんかなー?」

「・・・、どうやろうなー。でも、それしか可能性は無いかも知らんなー。」

「何か、巧みな誘い文句とか無いかなー。」

「理沙の色仕掛けとか。」

「ベテランの西陣織職人に色仕掛けとか、もうメイドを続けられへんぐらい大火傷するやろ。」

「やでなー。萌もはんなりも『健全な萌』も全部通用せんやろうし、むしろ燃料投下することになるわな。」

「まじ、どうするよ。」

「・・・・・、判らんわ。」

「じゃ、もうしばらく考えてみよう。それでも無理やったら、もう潔く正攻法で頼み込もう。」

「そやな。」

 


 西陣織の職人さんにストリートフェスタに来て貰う方法を考え初めてから3日が過ぎた。

 美香の特技は、天性の思い付きであり、今までは美香が生み出す斬新かつ非常に雑なアイデアの内のいくつかを、理沙が実用できるレベルまで練り上げてくれたのであるが、残念なことに、今回はその、天性の思い付きがまるで発揮されなかった。

「理沙、ごめん、全力で考えたけど、全く思いつかんかったわ。」

「そっか。まー仕方ないわ。私も全然思いつかんかったし。私らの年齢で職人相手に互角に話せる方がおかしいしわな。熱意だけでも伝わるように喋って、それで無理やったら西陣織は一旦あきらめよう。」

「そやな。」

「明日、私も美香も仕事休みやろ。さっそく行ってみよっか。」

「おっけー。」


 

 2人は今、梅田にいる。これから阪急電車で京都へと向かう。

「何か、緊張するなー。」

「そっか?」

「気楽やなー、理沙は。」

「今日は勝算もほとんど無いし、逆に割り切りやすいわ。話が終わったら、烏丸でつけ麺食べようや。町屋を改造して作った、すごいお洒落な店知ってるねん。」

「了解。雰囲気良かったら、デートスポット帳のレパートリーに加えるわ。」

「デート中は思い付きで動かんのや。」

「私、硬派やねん。」

「硬派と言うか、魔性と言うか。」

「その辺は堅実やで。ま、西陣で秒殺されたら、梅田の観覧車で火傷の治療でもしようや。夕日がきれいらしいで。」

「夕日をバックに傷心に浸る少女とか絵になるなー。」



 阪急電車は京阪に比べると、スピーディーでよく揺れるような印象がある。

 大阪の郊外を突き抜けるように疾走する様は、美香のパイオニア根性をくすぐる。

 疲れている際の上洛は京阪に限るが、元気な時は、やはり阪急に限る。



 烏丸駅で下車した2人は、地下鉄烏丸線で北へ向かった。

 烏丸線今出川駅を下車し、西へ向かった2人がたどり着いた場所は西陣織会館だ。

「昨日ネットである程度調べたんやけど、西陣のことがあんまりよく判らんくて。」

「私もよく判らんかったわ。とりあえず、ここで情報を集めよう。」

 どうやら昨日、美香がネットで調べたところによると、現在はイベントの開催期間らしく、会館の3階から6階で、西陣地区の織物業者が製作した作品が、各店舗ごとに展示されているようだ。

 おそらく見本市みたいなイメージだろう。

 会館に入場した2人は、ロビーの荘厳とした雰囲気に、顔の毛穴が広がるような感触を覚えたが、ロビーを通り抜け、さっそくエレベーターへと向かう。

 エレベーターに乗った2人。美香は6階のボタンを押した。

「緊張するなー。」

「ドアが開いたら、いきなり怖い人達の事務所やったりしたら、びびるなー。」 

「立ち入り料として、1着買えとか言われたりしてね。」

 冗談を言ってるうちに6階に到着し、扉が開いた。

 何と言うか、そこはもう異世界だった、と言うような印象は特に無かった。

 そこには、西陣地区の各々の業者が製作したと思われる織物が、淡々と展示されていた。

「なんや。意外とそっけないなー。」

「怖い事務所じゃ無くて良かったな。」

「ギラギラした着物に圧倒されるんかと思ったけど、かなり落ち着いてるんやなー。」

「きっと、中華料理と一緒で、後からじわじわと来るんやで。」

「私、もう来たわ。」

 2人にとって、西陣織と呼ばれる織物と真摯に向かい合う機会など、今まで存在しなかったので、エレベーターのドアが開いた瞬間、2人が西陣織に囲まれた時の印象は、それほどでも無かった。

 が、時間が経過するに連れて、その1品1品の強烈すぎる存在感に圧倒されつつある。

 普段、日本橋でメイドに囲まれているとお腹がいっぱいになることが多々あるのだが、今は、お腹がいっぱいなのではなく、脳がきつい。本当にきつい。

 カルチャーショックや。

 1つの作品でさえも、質の高いものだと、丸一年見続けても全く飽きないと言われている、西陣織の秀作が、このフロアだけで、60品ほど展示されている。

「美香、私、ずっとここに居ると、作品のレベルが高すぎて倒れそうやわ。」 

「私も。大急ぎでお気に入りの業者を見つけよう。」

 と言っても、どうすれば良いのだろうか。

 作品を見ずにお気に入りを見つけるなんて、どうすれば・・・。

 あ、でも全部最強なんやから、もうあとは感覚やな。

 足早にフロアを一周した2人は、階段で5階へと下る。

 5階もさらっと一周して下へ降りようと思っていたところ、美香の足が急に止まったので、後方の理沙が美香にぶつかった。

「いてっ。」

「おー、ごめんごめん。ちょっと、この水色の帯が気になってん。」

 水色と言う表現は、専門的に色を扱っている職業の人からすれば、地出な表現なのだろうが、色に関する語彙を持たない美香からすると、雑な定義ではあっても、水色と言わざるを得ない。

 綺麗な帯だ。

 その帯の中心部からやや左と、右斜め上の位置に、月食なのか日食なのか判らないが、2つの天体が重なったようなモチーフが縫われている。

「あー、これは良いなー。」

「下行こか。」

「切り替えんの速っ。」

「真剣にくらくらして来たわ。」

 4階も全力で1週回った。

 3階も全力で回った。

 理沙がエレベーターのボタンを押す。

「美香、もっかい6階見て良い?」

「えーよ。」

 美香は疲弊しきっていた。

 これだけ美しい作品群を、チラ見しただけなのだが、それでも歩くスピードで処理して来たのだから、疲れて当然だ。

 エレベーターが上昇し、再び6階の扉が開く。

 とてつもなく美しい作品群が並ぶのであるが、怖い人達の事務所の扉を開けてしまった時とおなじような絶望感だ。

 無論、2人は怖い事務所に乗り込んだ経験など無いが、きっとこのような印象だと思う。


 

 疲れているのは美香だけでは無かった。

 ふと、理沙が視界に入った、クッションの乗せられた椅子に、座ろうとした。

「おわっ。」

 椅子に腰を下ろそうとした直前、理沙は電気椅子に電流が流れたかの如く、飛び上がった。

「これ、休憩用の椅子じゃ無いわ。作品や。」

「ほんまや、理沙、危なかったなー。」 

「危ねー。でも、このクッション、すごいなー。一瞬、フランスかイタリア産かと思ったわ。でも良く見たら和風っぽい雰囲気もあるし。」

 そのクッションは正に、和と洋の境を表現しているようであったが、オリエンタルと言う言葉で表せるニュアンスとは、まるで異なっている。

 オリエンタルには、西洋の文化に東洋の要素を盛り込んだようなニュアンスが感じられるが、この作品では、和と洋の比率が7対3程度であり、少し離れて見ると、5対5程度へと変化する。

 アイボリーを背景色として、金糸で描かれた川の流れは、川の流れと言うよりは、宇宙のようだ。

「西陣織でクッションが創られてるとか知らんかったわ。美香、ここの業者さんにせーへん?」

「おっけー。私もこのデザイン、すごい好きやわ。」

 2人は展示ブースに置かれていた、その業者のパンフレットを手にとって、そそくさとエレベーターに向かった。

「西陣織ってすごいな。何か、ちょっと次元が違うわ。」 

「気合入れて行かんと、店に行ったら倒れそうやな。」

 昔なら『西陣織=布の一種』と言う、シンプルで脳に負荷のかからない解釈ができたのだが、もう今はできない。

 西陣織は布の一種と言うよりは、西陣織と言う芸そのものであると、言わざるを得ない状況に2人の脳は追い込まれてしまった。

 


 西陣織会館のロビーで2人は先ほど得たパンフレットを開いた。

 『見せます。西陣の底力。西陣の新しい技。』と言う、熱意のこもったフレーズと共に、その業者が作っている製品が紹介されていた。

 どうやら、帯、着物以外に、クッション、インテリア照明、ネクタイ、犬の首輪なども作っているらしい。

 パンフレットの裏には、『湯川織物』と言う社名と、アクセスのための地図が掲載されていた。

「理沙、ここの業者、いろんな分野に挑戦してるみたいやし、可能性ありじゃない?」

「んー、どやろなー。まず、社長さんがメイドと言う存在を知ってるかどうかもわからんし。」

「メイドって何って聞かれたら何て答える?」

「え、ご主人様を萌え萌えさせる仕事やろ?」

「そんなこと言ったら、秒殺されるがな。」

「秒殺ならともかく、それを超えて無反応とかやと、結構ダメージ受けるんよね。まだ、その手の方針のえぐられ方をした時の免疫は出来上がって無いわ。」

「三日ほど家に引きこもって寝込まなあかんな。」

「あ、芸者さんみたいにお客さんをもてなす仕事って言ったら良いんじゃない?」

「あー、そやな。確かに、私らと芸者さんの違いって、一見さんを受け入れるかどうかだけやもんな。」

「・・・、や、他にもたくさん違ってると思うんやけど。」

「まー、その方向性で行こうや。つーか、これからっしょ。」

「その言葉、好きやなー。」



 パンフレットに掲載された地図に従い、西陣織会館から北西に15分ほど歩いたところ、

ようやく2人は目的地にたどり着いた。

 京都らしい風情のある建物に、朱色のしみじみとした雰囲気の暖簾が掲げられ、流暢な白文字で湯川織物と描かれていた。

 おそるおそる暖簾をくぐり、建物に足を踏み入れる2人。

 まるで映画の1シーンのようだ。

「いらっしゃいませ。どうぞ、上がって下さい。」

 パンフレットに、この人の写真が掲載されていた。

 この人が湯川織物代表の湯川信吾さんだ。 

 2人は誘導されるまま、代表に付いて行き、座敷に案内された。

 座敷には、この会社が創ったと思われる、着物と帯が展示されている。

 西陣織会館の展示場でもそうだったが、これだけ美しいと苦痛だ。

 西陣織と真摯に向き合うのは今回が初めてなのに、脳にかかる負荷が大きすぎる。

 自分の脳の処理の遅さを理沙は内心で嘆いたが、こればかりはどうにもならない。

 努力に勝る何がし、とは良く言うが、脳が処理するスピードを努力や根性で増幅することなんて不可能だ。

 否、全身全霊の気合を脳の処理だけに注入したら、ひょっとしたら処理スピードの増幅は可能かもしれないが、到底、持続可能では無い。

 そんなことをしたら、後で燃え尽き症候群を発祥し、結果的に処理は大幅に遅れるだろう。

 何年のキャリアを積んだから偉い、などと言う表現を理沙は嫌っていたが、集中力を限界まで高め、それでも短時間で処理できない問題が生じた場合、やはり処理するためには時間が必要なのだ。

 今後、理沙は今まで以上に年配の方々を大事にするだろう。

 美香は、部屋全体をきょろきょろ見回していたのだが、よく見ると部屋の角に設置されているインテリア照明も、西陣織で覆われている。

 夜、この照明を灯すと、織物の内側から光が溢れ、どれだけ綺麗だろうかと、美香は妄想したが、今は昼だ。

 もう一度、ここに来ることができるのだろうかと考えているうちに、代表が口を開いた。

「お二人さん、若いですね。成人式の着物を探してはるんですか?」

「え、いや、その、そう言う訳でもないんですけど・・・。」

 理沙の唇は、どもってしまったが美香が勇気を出して発言した。

「あの、実は私達、日本橋でメイドをしてるんです。」

 その後の言葉がなかなか出てこない。

 代表が相づちを入れる。

「あー、日本橋のメイドさんですか。あの辺は粋な店が多くて楽しそうですね。」

 明らかに緊張している美香であるが、もう引き返すことも出来ない。

 美香は決心した。

 新手の肝試しだと思って楽しもう。

「そうなんです、日本橋はすごく楽しいんです。ただ、最近は不況の影響もあって、日本橋全体が衰退してしまいそうな雰囲気ですごく心配なんです。それで、私達2人が立ち上げ役になって、上方パラパラって言う踊りを始めるようになったんです。」

 代表が今、どんな心境で話を聞いてくれているのかは、まるで判らない。

 でも、思っていたほど、馬鹿にされているような雰囲気も無い。

 違う世界の人間の話を聞けて嬉しいような面持ちだ。

 美香は話を続ける。

「今は、日曜日に交差点を封鎖して各々のメイド喫茶ごとにイベントをやって、盛り上げているつもりなんですけど、私達が踊る上方パラパラを一時のブームだけで終わらせたくなくて・・・、それで、西陣織のメイド服を創ってほしいんです。」

 こんな、先日思いついた無茶苦茶な要求を、そのルーツは古墳時代からだと言われている西陣織の伝統を継承した職人さんに、面と向かって話しているのだから不思議すぎてたまらない。

 美香は今、快感だ。

 良くも悪くも、否、おそらく悪くもの方だろうが、今自分の発言が確実に世界に影響を与えている。

 こんな勘違いは何年ぶりだろうか。

 至って慎重で堅実な性格であったはずの自分が、これほど恥知らずだったとは。

 恥を捨てたことによる開放感と自己満足に満たされてしまった美香であったが、一方、代表の面持ちはどうだろうか?

 美香が代表の表情を確認したところ、始めは、頭が真っ白になったような表情だったが、次第に、目の奥を光らせて、にやにやと微笑み出した。

「あんたら、まだ若いのに、ほんと色んなこと考えてるんやなー。最近の若いものは・・・って今まで思ってたけど、ちょっと俺も考え方変えらんとあかんなー。」

 代表は明らかに嬉しそうだ。

 数年ぶりに、びっくりするぐらい変な奴が来た、と言う感じだろうか。 

「西陣織でメイド服ってのは、俺も思い付かんかったわ。たまには大阪にも出らんとあかんな。んで、上方パラパラの衣装として使いたいってことやけど、上方パラパラってどんな踊りなんや?」

 理沙が本題を思い出した。

「ちょっと口で説明するのは難しいんですけど、日本発のダンスで、盆踊りと都踊りと大阪の人形浄瑠璃を混ぜて、若者向けにアレンジしたようなダンスです。今度、日本橋でストリートフェスタって言う大きなイベントが開催されて、そこで私達も上方パラパラを踊りますので、良かったら見に来て頂けないでしょうか?交通費はこちらで出させて貰いますので。」

 代表は笑っている。

「なるほど、その踊りを俺が見て標題点を超えたら、西陣で織ってくれってことやな。」

「はい、そうです。お手数ですがお願いします。」

 2人が代表に頭を下げた。

 すると、代表も一歩下がって2人に頭を下げた。

「いやいやこちらこそ、西陣織の新規事業まで考えてくれて、ほんと有難いわ。最近の日本橋の若者がどうなってるのか見てみたいし、久しぶりに新世界で連れが経営してる串かつ屋にも行きたいと思ってたところや。一回そのストリートフェスタって言うやつに行ってみるわ。期待してるで、上方パラパラ。」

 2人の返答は見事にハモった。

「「よろしくお願いします。」」



帰り道、烏丸の町屋を改装したつけ麺屋で腹を満たす予定だった2人は、その店に出向いたのであるが今は4時半であり、看板を見る限り、どうやら6時半にならないと営業を開始しないみたいだ。

「なんか私ら、このパターン多いでな。」

「そやな、2人ともノープランやもんな。なんか今日はすっごく疲れたから、もう帰らん?」

「そやな。」

 2人は阪急烏丸駅へと、とぼとぼ足を進め、駅の階段を降り、梅田行きの特急列車に乗り込み、そそくさと座席に座った。

 数分後、2人の意識は完全に落ち、爆睡の状態だ。

 既に数分でで爆睡状態にシフトした2人であったが、特急列車の動きは抜群に切れており、京都と大阪の郊外を貫くように疾走する、その座席の感覚は一層2人を気持ちよく寝かしつけた。

 最後、阪急の特急列車が大阪のビル群を切り抜け、終点梅田駅に到着するまでの間の徐行運転が非常に良い。

 一般人が舞台に上がり、アイドルへとシフトする、その瞬間の感覚と少し似ているのであるが、梅田で特急列車が徐行運転を続ける時間の方が遥かに長い。

 これぐらいのスピードとで適切な量を消化することができれば、快の状態が持続するのだろうか。

 電車だけでなく、乗り物が減速する際は風流だ。

 逆に、加速する際には頭が真っ白になる場合がある。

 加速や減速と言うのは、時間と戦ったり許したりしているようだ。

 


 理沙の意識が完全に戻った時、既に電車は梅田駅に到着しており、周りの乗客はもう降車を済ませており、降車側と逆側の扉が開き、梅田から京都方面へ向かう乗客が大量に乗り込んできた。

「うわっ、美香起きろ。」

「んー、何?・・・まだ人だらけやん。」

「ちゃうわ。みんな京都に向かう人らや。降りるで。」

「え、もう梅田かいな。」

 2人は大量の乗客を掻き分け、突き抜けるように電車の外に出た。

 


 電車内で爆睡した2人の頭は、幾分かクリアーなものへとシフトし、目がさえ渡った。

「理沙、夕方やし、ちょっと大阪駅登ってみらん?」

「えーよ、大阪駅登るの初めてやわ。」

 リニューアルされた大阪駅は小奇麗で、でかい。

 外観は気取った印象であまり大阪らしくないと言う不評も一部存在するが、実際に登り始めてみると、その建築のごちゃごちゃした感じは、やはり大阪で、2人は少し安心した。

 時の広場を通り抜け、再びエスカレーターで上へと登る。

 長いエスカレーターの先には穴が空いており、私達はベルトコンベアで十分なチューニングを施され、いよいよ下界へと出荷される機械のようだ。

 穴を抜けると、そこは大阪とは思えないようなエキゾチックな空間だった。

 夕日が美しい。

 テレビ番組で、写真家が選ぶ美しい日本の夕日第1位は東京の六本木ヒルズから眺めるものだと紹介されていた。

 小笠原諸島にも絶景の夕日が存在するのだが、都会の夕日は小笠原のような純粋でクリアーな美しさとは異なり、空気が汚れている分、その汚れが夕日を反射し、乱反射のような現象が起こるのだそうだ。

 都会の汚れが夕日をより一層美しく見せると言うのは皮肉なことだが、その理論で考えるならば、近畿で見る都会的な美しさを有する夕日の第1位は、間違いなくこの場所だ。

 道理で多数の写真愛好家らしき人が三脚を構えて夕日を撮影しているわけだ。

 その空間にはコンビニがあったので、美香は肉まんを、理沙はあんまんを買って、ベンチに腰掛けて夕日を眺めた。

「それじゃ、ミッション成功を祝って、かんぱーい。」

 2人はビールでは無く、肉まんとあんまんをぶつけて、シュールな乾杯をした。

「なんかもう、頭真っ白やわ。」

「なんなんやろうな、この訳の判らん状態。」

 2人のイメージでは、西陣織の職人にメイド服を創ってくれなんて頼んだら、意味不明なことを言う迷惑な客として冷たくあしらわれるか、西陣織の歴史と職人を冒涜する侮辱行為と解釈されて激しく叱られるかのどちらかだと想定していた。

「きっと世の中全体が、私らを騙すために盛大なドッキリを仕掛けてるんやで。」

「そう思いたくなるぐらい出来すぎやな。」 

 ここから見る景色は本当に美しい。

 淀川の水面、六甲山、梅田スカイビルのファザードが夕日を反射して金色に輝いている様は絶妙だ。

 正確には覚えていないが、高校の漢文の授業で『黄閣楼にて』と言う詩を学んだと思う。

 確か、長江の流れとリンクさせながら惜別の情を語ったものだったはずだ。

 漢文が苦手だった美香は、その詩に描かれた文章を完全に忘れてしまったが、頭の中に浮かんだは印象は深く、今ここで見ている景色はその時の印象と少しリンクする。

 当時の黄閣楼から眺める景色には、都会の空気の汚れに乱反射した夕日の輝きなどは存在しないだろうし、ましてや梅田スカイビルのような、半ばSFを想像させるようなカーテンウォールのファザードが夕日を反射し、金色に染まっている様なんて、当時の人々はまるで想定できないだろう。

 ただ、大河がそれを見た人間に提供する、静かな優しさと暖かさはいつの時代も同じだ。

 京都の鴨川は人間の情を流し、薄らかな記憶だけを残し、その記憶は抽象的ではあるものの、非常に暖かい。

 大阪駅から眺める淀川の流れは対象的だ。

 その穏やかな川の流れは人間が過去に抱いた情を掘り起こし、清めるようなことはせず、そのまま受け入れ、じっくりと熟成するまで大らかにに待ち、熟成した後はその水面の輝きから、優しく昇華させているようだ。

 ただ、今までの経験からすると、これほどまで綺麗に情を昇華した場合、その後は残念なくらいに落ち着いてしまうはずだ。

 落ち着いてしまうことを恐れているのか、純粋に美しいからなのか、本当に時間が止まってしまうと困るのだが、美香は少しだけ時間が止まって欲しいと望んだ。

「ストリートフェスタまで、あと1ヶ月くらいやろ?まじ頑張らなあかんな。」

「そやな、でも、西陣に認めて貰われへんかったら今まで積んで来たものが全部消えるみたいで怖いな。」

「ま、その時は私らはバブルを経験したんやでって周りに自慢しようや。」

「美しすぎたバブルとか言う名称で、とぱーずでオリジナルのジュース創らなあかんな。」

「自虐ネタやん。」

「あんたもや。」

 エスカレーターを下って穴を抜けると、大阪の日常が戻ってきた。

 2人は今後の練習の段取りを歩きながら簡単に話した後、御堂筋線の乗り場で解散した。

 


「この一ヶ月、本当に早かったな。何してた?」

「寝てたで。」

「おい。」

「寝る子は育つんやで、理沙もコーヒーばかりじゃなくて、たまにはホットミルクとか飲んだ方が体に良いし、なんせ可愛いで。」

「なんせとか言う大阪弁、久しぶりに聞いたわ。」

「もう時間やな。じゃ、行くで。」

「了解。」

「私だけ出て行って、理沙は知らんぷりとか、そう言うの無しやで。」

「それ、私は面白いけど、観客からしたら完全に滑ってるやん。ほら早く。」

 2人は駆け足で進み、舞台の真ん中に立った。

 観客がどよめいている。

 今日の2人のメイクは奇抜だ。



 これも美香の思い付きから始まった。

 2人がバレンタインの日に上洛した際、美香は祇園ですれ違った芸者さんに深く感動したらしく、私も芸者さんみたいになりたいと言い出した。

 理沙が、素人が芸者の真似をすると大火傷すると制したが、美香の熱意はなお消えず、それでも理沙が制すると、美香は

「どうしてもやりたいねん。仕方ないやん。やりたいんやから。」

 と、涙を浮かべた。

 こんなことで涙を浮かべる美香がまるで理解できない理沙であったが、美香にとっては芸者の真似をすることが、涙を浮かべてでも交渉しなければならないくらい重要ななのだろう。

 理沙は、美香の涙外交に負けて、渋々承諾した。

 もうここまで来ると、恥なんて初めから存在しない。

 ただ、やはりプロに完璧なメイクをして貰うと大金がかかるわけで、しかも今回のストリートフェスタでメイドが行うイベントは、宣伝の意図も強いため、メイド服での公演を当局から依頼されている。

 しかし、と言うよりは当然のように美香は諦めなかった。

 メイド服と芸者のメイクを融合させようと言い出したのだ。

 2人が顔に白粉を塗るのは初めてだ。

 メイドはツインテールが一番可愛いと言う美香の主観に従い、2人の黒髪は頭の左右で結われている。

 うなじにも白粉を塗らないのかと美香に指摘した理沙であるが、うなじはややこしいからいいや、と言う、自由を通り越して呆れるような返答が美香から返って来たが、もう理沙は反論する気も無く、その意見を採用した。

 その後、パラパラを踊るのに顔だけ白いのは何か変だと言うことで、肘と手首の間ぐらいの位置から指先までの部位にも白粉をまぶした。

 白粉と生身の腕の境目は単調な直線ではなく波形を作り、宝石のトパーズをイメージした、斑点のようなデコレーションを美香が施した。

 美香は満足げだったが、これはどう見ても芸者では無い。

 メイド服と白粉を同時に用いて和を表現できるかもと妄想していた理沙は、自分の思い込みが、美しすぎるぐらい危険だと察した。

 私達はビジュアル系バンドだろうか、渋谷の白マンバだろうか、否、むしろコメディー番組の、白い顔をしたちょんまげ頭の馬鹿な殿様のイメージが一番近い。

「美香、このメイク、結構イタイ子じゃない?」

「そーかなー。可愛いと思うけど。ま、これで舞台に立ったら一皮むけるっしょ。」

「私、この3ヶ月くらいの間で奇跡的なくらい成長してるわ。」

「そらそうよ。私ら、平成のマネシタ工務店やもん。」



「みなさーん、ストリートフェスタへようこそー。」

「萌え萌えしてますかー?」

「メイドクロスの1番喫茶こと、メイド喫茶とぱーずの美香と」

「理沙でーす。」

「みなさーん、今日もスタンディングオベーションありがとー。」

「なんでやねん。堺筋のど真ん中で誰が座るねん。」

 年に一度のストリートフェスタを迎えていることの高揚感からか、日本橋の観客は暖かく笑ってくれた。

 観客の多さにも驚いたが、西陣織の湯川代表が前から3列目ぐらいの位置で、完全にオタクの人達に馴染んで嬉しそうに舞台を見つめている光景には目を疑った。

「普段、私達はメイドクロスで日曜日の正午から20分間の公演をしてるんですが、今日はストリートフェスタと言うことで、なんと、25分頂きましたー。」

 おおおおおお、と観客が高揚感に任せて暖かく盛り上げてくれる。

「いつもは3曲ぐらいしか踊らないんですが、今日はお祭りなので5曲踊っちゃいまーす。」

 再び歓声で堺筋が盛り上がる。

「それじゃ、今日は時間オーバーとかできないんで、早速踊りたいと思います。」



 一曲目

 タイトル:萌え萌え女

 ジャンル:テクノ

 

 二曲目

 タイトル:チェリークラウド 

 ジャンル:テクノ


 三曲目

 タイトル:私を自由に

 ジャンル:テクノ


 四曲目

 タイトル:それでも自由を欲す

 ジャンル:テクノ


   

 2人は途中にMCを挟まずに4曲を連続で踊った。

 体力的に厳しいようにも思えたが、1ヶ月間、御堂筋でジョギングを続けた成果だろうか、難なく踊ることが出来た。

 5曲目に入る前に2人は少しだけMCを挟んだ。

 美香が観客に語りかける。

「皆さんに言いたいことがあります。私達は日本橋を盛り上げるため、上方パラパラを考案し、3ヶ月間、本当に色んなことがあったんですが、挫折を乗り越えて踊り続けて来ました。そして、実は今現在も前人未到のチャレンジを行っているんです。」

 観客が目を丸くして次の発言を待つ。

 口を開いたのは理沙だ。

「私達は上方パラパラと日本橋の更なる発展のため、京都の西陣に赴き、職人さんに対して、西陣織のメイド服を創って下さいと懇願しました。」 

 会場が一気にどよめいた。

 そして、そのどよめきは盛大な拍手へと変遷した。

 『良くやった!』『グッジョーブ!』と、一部の観客が叫んだ。

 湯川代表は腹を抱えて笑っている。

「そして、今日、このライブに、西陣織の職人さんが足を運んでくれていて、私達のパフォーマンスを審査してくれてます。」 

 再び会場がどよめくと同時に、観客が職人がどこにいるのか、きょろきょろ辺りを見回している。

 湯川代表はオタクの人達に完全に馴染んでおり、全力できょろきょろしている。

「私達、日本橋が本当に好きなんです。この街があるからこそ、夢や希望を持って毎日を生きることができるんです。皆さんも日本橋が大好きなんじゃないでしょうか?」

 堺筋を埋め尽くす観衆が拍手と大声援で答える。

「ラスト一曲です。曲は、『みんなで踊ろう!』です。この曲の振りを知ってる人も、知らない人も、私達のダンスの見よう見まねで良いので、一緒に踊ってくれますか?」    

 『あたりまえやんけ!』『西陣織ゲットするで!』


 五曲目

 タイトル:みんなで踊ろう!

 ジャンル:ユーロビート


 残っているエネルギーを全部昇華してしまえ。

 その気持ちは美香も理沙も観客も一緒だ。

 前奏が始まり、2人が両手を上下に動かしながら前後にステップを踏むと、見よう見まねなので、0.3秒程のタイムラグが生じるのだが、300人ほど居る観客のほとんど一が一緒に踊ってくれた。

 もちろん、前から3列目ほどの位置で、オタクな人達に囲まれている湯川代表は、非常に空気の読める方なので一緒にノリノリで踊ってくれた。

 前奏が終わってAメロに入り、左右左右・・・、とステップ踏む2人は一緒に踊ってくれている観衆を見て気づいた。

 観客はみんな、右左右左・・・と、東京で生まれたオリジナルのパラパラと同じステップを踏んでいる。

 そっか、ここは大阪やもんな。

 私達がパソコンの動画を左右逆に覚えたのと一緒で、観客も私らのダンスをミラーコピーするんや。

 結局元に戻ってしまうんやな。

 少し悲しいが、それでも嬉しい。

 丹念に育てた我が子が、成熟し自立してしまったような感覚だ。

 観客の前線には、メイド喫茶とぱーずの常連さんも多くいたが、彼らも他の一見の観客とステップを踏む際、ぶつからないように、東京のオリジナルを踊った。

 否、踊ってくれた。

 


「みなさーん、一緒に踊ってくれてありがとー。」

「これからも日本橋を一緒に盛り上げていきましょうねー。」

 2人の公演は大成功だったと言って良いだろう。

 自立した我が子が旅立ってしまったような感覚が、クリアーになるまでには時間がかかるだろうが、それよりも観客に対する感謝の気持ちで一杯だ。

 


 公演終了と同時に観衆は花火のように各々の方向へ散ってしまった。

 舞台裏に引き返した2人は、荷物を整理し、会場のスタッフへの挨拶を終え、先ほど観衆が居た場所へと歩いた。

 2人はきょろきょろ周りを見回している。

 公演終了後も動かずに、ライブの余韻に浸っている観客達が2人を見つめている。

 堺筋の真ん中で周りを360度見回したが、湯川代表の姿は無かった。



 いつも通りの質問を美香が理沙に投げかける。

「理沙、今日はどの曲踊る?」

 公演の1時間前と言うのにこんな感じだ。

 これで良いのだろうかと真剣に思ったりもするのだが、美香的には1時間前ぐらいに踊る曲を決めた方が、その日の天候や街の状況にマッチした選択ができるとのことだ。

 将来的には、観客の数やテンションに合せて、ライブの現場で選曲を行い、即興のパフォーマンスを行いたいなどとも言っている。

 そんなことを知らない外部からは、曲目を公演1時間前に決める2人を、やる気が無いと解釈するかも知れないが、幸い今のところ、そのような指摘は2人の耳には入っていない。

「『日常』と『ヤマトマン』がいいな。」

「おっけー。2曲とも昔から知ってるから多分綺麗に踊れるわ。」 

 その時、メイド喫茶とぱーずで一緒に働いている、後輩の佐和子が2人を呼ぶ。

「湯川織物って言う会社の社長さんから電話ですよ。美香さんか理沙さんに変わってほしいとのことです。」 

「え、まじ!」

「美香が電話に出てよ。私怖いわ。」

「え、や、理沙の方が度胸あったと」 

「よろしく。」

 何だろう、この就職面接のような緊張感。

 美香が恐る恐るではあるが、淡々を装い受話器を取る。 

 


 良かった。

 もう一度ここに来ることができた。

 湯川織物は、西陣織のメイド服を創ることを正式に決定し、美香と理沙のの体型を計測するために、2人を西陣へ招いた。

「それにしても、あのカミングアウトにはびっくりしたわ。」

 湯川代表が掘り起こすように2人に愚痴る。 

「湯川代表だって、ライブが終わっていきなり立ち去るなんて、水臭いじゃないですか。」

「いや、そんなこと言われたって、あの状況で俺が西陣の職人ってことがばれたら、大変なことになってたやろ。真剣に怖かったわ。」



「完成はいつ頃になりますか?」

「そやな、メイド服を創るのとか初めてやし、十分に分析して、西陣織の良さとメイド服の良さが両方生きるようにせなあかんから、かなりかかると思うわ。西陣織は各々の会社が製造過程を分業してて、彼らにコンセプトを理解して貰うのにも時間がかかるし、順調に進んだとしても、最速で6カ月ぐらいやと思うわ。」

「6ヶ月ですか。あ、でもそんなすごい衣装を創って貰えるのであれば、やっぱり値段もものすごく高いんでしょうか。」

「あー、値段のことは気にせんでええよ。俺らが自主的に創るわけやから。」

「え、そんなの悪いです。3割でも4割でも、私達に出させて下さい。」

「気持ちは嬉しいけど、総価格の3割でも100万超えると思うわ。」

「え、百万ですか。」

 美香と理沙の顔が青ざめる。

「そこで交渉があってやな・・・。」



 交渉は綺麗すぎるくらいにすんなりと成立した。 

 その内容は見事にウィンウィンだった。

 一応、2人の体型を元にして2着の衣装を創るが、その衣装の所有権は湯川織物が有し、

メイド喫茶とぱーずが、ストリートフェスタなどの『ハレの舞台』で公演を行う際、湯川織物は衣装を無償で貸し出す。

 ただ現在、湯川織物が衣装の装着を推奨している人物は美香と理沙だけで、今後、衣装を装着したいと懇願する人物が2人の前に現れた場合は、その人物を湯川織物に紹介することを希望する。

 ちなみに、毎週日曜日に日本橋のメイド喫茶がメイドクロスで行う『ケの舞台』では貸し出しは行わず、その期間は衣装を西陣織会館に展示させて欲しいとのことだ。

 美香と理沙は直ちに、その案に賛同した。

 西陣織会館に訪れた観光客がメイドに興味を抱き、日本橋に来てくれるかもしれない。

 湯川代表的にはメイド喫茶通のオタクな人達が、西陣に足を運んでくれるのではないかと言う計算だろう。

 どちらの計算が正しいのか、もしかしたら両者とも間違った想定をしているのかもしれないが、いずれにしろ、西陣と日本橋との間に微小ながらも縁ができることは、日本橋側からすれば、非常に喜ばしいことだ。



「あと、俺らからの提案やけど、衣装が完成した暁には、西陣と日本橋の繁栄を願って、衣装に魂を吹き込む『入魂式』を行って、入魂後、その衣装を2人が着て『奉納公演』をに臨んで欲しいと思ってるねん。」

「え、でも、入魂式とか奉納公演て、神社とかお寺でするものじゃないんですか?」

 理沙の質問に対し、湯川代表がきょとんとして返答する。

「ん?当然そうやで。神社とか寺は嫌いか?」

「え、嫌いじゃないです。大好きです。でも私達で良いんでしょうか?」

「えーよ。若いのにこんなにしっかりしてるお嬢さん達は初めて見たし。」 

 2人がしっかりしてると言われたのは何年ぶりだろうか。

 その手の褒められ方に対する免疫を2人は有していないので、2人は大いに戸惑ったが、さらに湯川代表が2人に尋ねる?

「自分らに縁の深い寺社とかはあるんか?」

「東大寺です。」

 美香が即答で答えてしまった。

 『KY+緊張=大暴走』、と言う方程式を如実に表したような返答だ。

 湯川代表は笑っている。

「あんたら、大物になるかも知らんな。じゃ、東大寺での入魂式と奉納公演を企画しとくから、心の準備しといてや。」

「え、ちょっと待ってください。私達」

「大丈夫や。もしも自分らが失敗したところで暗殺される訳でもない。平和な世の中や。」

「よろしくお願いします。」

 美香の暴走は止まらず、西陣と日本橋、両者の祈りを背負った仏前での公演に、2人は半年の猶予期間を経て臨むことが決定した。

「でも、私達の実力で日本橋から奈良まで観客を引っ張ってこれるかどうか・・・」

 湯川代表がフォローと言う名の追い討ちをかける。

「多分満席になると思うで。織物職人が全国から来るやろうし、あと海外のデザイナーとかメディアも一杯来ると思うわ。だから自分らはパフォーマンスに集中してくれたらいいで。」

 何というハードルの上げ方だ。

 確かに、失敗したところで暗殺される訳では無いが、もうこれは完全に肝試しの域を凌駕している。

 もうここまで来るとメンタルなんて初めから存在しないのであるが、それでも迷いが無い訳ではない。

 


「理沙、私達、アイドルなのかパンピーなのかってずっと迷ってたやん。」

「そやな。」

「私、ようやく答え見つけたねん。」

「私も見つけたで。」

「やるやん。」

「あんたもな。」

「実はアイドルでもパンピーでも無かったんやでな。」

「やでな。もっと別のオリジナルなものやった。」

「じゃ、同時に言って合せてみよっか?」

「えーよ。」

「「せーのっ」」


最後まで読んで頂いてありがとうございました。


今後のレベルアップのため、何かアドバイスがあれば是非お願いします。

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