承2 -syouni-
奈良観光から2週間後。
今日は、町会連合会、電気街振興会、商店街組合の3者合同会議だ。
美香と理沙の熱心な懇願により、2人は何とか3者合同会議に混ぜてもらうことが可能となった。
問題はここからである。
秋葉原では、テロ事件以降、ホコ天は再開されたものの、ホコ天再開の条件として、地域住民側から、路上でのパフォーマンスや不法占拠をしないことが挙げられた。
テロ事件以前の活気を取り戻したい。という大儀名分を抱えて、俗に言うオタクの人たちが、路上でのパフォーマンスを許可するよう、地域住民側に求めたのであるが、地域住民側の返答は、美しすぎるくらいに的を得ていた。
「あなた達の家の庭で、知らない人が変な事してたら怖いですよね。」
オタク側は反論できなかった。
オタクからすると、いかに全身全霊をかけて創り上げたパフォーマンスであっても、地域住民からすると、それは『変な事』という一言で片付けられてしまうのである。自分達が信じる物を一言で否定されてしまうオタク達は気の毒であるかもしれないが、オタクにとって、夢の国である秋葉原は、地域住民にとっては庭なのである。
美香と理沙はパラパラの良さを上手く説明するために、ある程度イメージを重ねてきたのであるが、地域住民側から、秋葉原の件と同じような返答をされてしまうと。あきらめるしかないのかもしれない。
3者合同会議に美香と理沙は、いつも日本橋で着ているメイド服ではなく、袴姿で来場した。2人の頭には、奈良の百均ストアで購入した、桜の花びらをモチーフにした簪が挿されていて、百均の限界だろうか、決して雅やかではないが、はんなりしている。
「それじゃ、15時になりましたので、今から3者合同会議を始めさせてもらいます。」
商店街組合の偉い人が、議長というか、幹事をしているようだ。
2人は自分達のプレゼンのことで頭がいっぱいで、会議の内容は殆ど耳に入らなかったのであるが、意外と会議のネタは多かった。
日本橋の交通問題。治安の問題。夜になると、シャッターを閉めた店の前で寝る人が現れる問題。観光促進の問題。オタロードという名称が、なかなか全国に広まらない問題。
2人はそれらの問題に関する議論に口を挟まなかったが、その議論は、聞いているだけでも大変満足のいくものだった。
3者合同会議なんて、ただのズブズブの馴れ合いなんじゃないかと先入観で決め付けていたことを美香は反省した。
みんな真剣なのだ。
そらそうよ。
かつての日本橋は純粋な電気街であったが、徐々に経営が苦しくなり、存続の危機に立たされていた。純粋な電気街だけでは生き残りが厳しいと判断し、秋葉原のオタク文化を積極的に取り入れたのであるが、葛藤も大きかっただろう。プライドも捨てたかもしれない。日本有数のベタコテな街である、道頓堀と新世界に挟まれた位置に存在する日本橋は、外的な要素がなければ現在のような形に変貌することはなかっただろう。
昭和の風情が残る町屋の一階部分を改修し、ゲームセンターが現れ、UFOキャッチャーのケースの中には、今を時めく萌えキャラ達が口を大きく開いて微笑んでいる。
美香はこの光景が本当に好きだ。
京都ならば、町屋を改修して、お洒落なバーや、少し格式の高いラーメン屋などを創るのだろう。
そして成功するのだろう。
日本橋の改修された町屋を少し離れた位置から1階と2階、隣の住居などをまとめて見ると、どうだろう。
どれくらい風流かと言うと、それはもう風流だ。
風流という言葉の定義を変えたいくらい風流だ。
「それでは、その方向で進めて行きましょう。最後に、えーと、メイド喫茶とぱーずの美香さんと理沙さんですね。提案があるみたいなので、どうぞ。」
幹事のおじさんに声をかけられ、2人は先日、奈良にいた寄ってきておいていざ触れるとビクッとする鹿のような反応をしてしまったものの、駄目でもともと、当たったらもうけもん、といった感覚でプレゼンを始める。
「大阪、及び、日本橋の地盤沈下が懸念されております。」
「このタイミングで、高すぎるリスクを背負って抜本的な改革に挑む必要性については判りませんが、状況が状況なので、1人1人が小さなリスクを積極的に背負って、早急に問題点を埋め合わせる必要があるのではないかと考えております。」
「私達の提案なんですが、日曜日の午後だけで良いので、メイドクロスを歩行者天国にしたいんです。」
『確かに、毎週堺筋を封鎖ってのは無理やろうけど、メイドクロスぐらいやったらええかもしらんなー。』と、会議の出席者の1人が呟く。
「でも、メイドクロスを日曜だけホコ天にしたところで、あんまり変わらんくないか?」
「でも、オタロード全体を封鎖とかは無理やもんな。あの辺は駐車場が多すぎるわ。」
会場の雰囲気が重くなりそうなところで、美香が言う。
「はい。やはりメイドクロスを封鎖しただけで日本橋が賑やかになるとは考えにくいので、封鎖したメイドクロスの中でイベントを開催したいと考えてます。」
美香の発言に対し、電気街振興会の1人が納得したように言う。
「あー、だから袴すがたでプレゼンしてるんか。これから何か見せてくれるの?」
「はい、その通りです。私達が皆さまに見てもらいたいのは、『上方パラパラ』と言いまして、えーと・・・。」
説明に苦戦している美香を理沙が補う。
「日本古来の盆踊りをベースとして、京都の都踊りを参考にして、プラスアルファとして、北海道のよさこいソーラン、徳島の阿波踊りなどの要素を取り入れて、現代的にアレンジされた、日本発の世界が評価するダンスです。」
さらに、美香が補う。
「ちなみに、上方パラパラの左右に踏むステップは、2体の金剛力士のアナロジーで、宇宙の始まりと終わりを表現しております。」
一瞬、美香は理沙を、そして理沙は美香を稀代の極悪なのではないかと解釈したが、2人の会話はいつもこんな感じだ。今のところ2人に大きな天罰が下ったことは無いが、今後はどうだろうか。
会場が少々どよめいた後、商店街組合の1人が、
「なんかすごそうやな。是非、見てみたいわ。」
と、前向きな感想を述べてくれたのであるが、その後、残念なことに危惧していた事が起こってしまった。
町会連合会の1人、いかにも頭の切れそうな中年の方が、
「一応確認しとくけど、上方パラパラって言ってたけど、渋谷とかで昔流行ってた変なやつとはまた違う種類のものなんやでな。」
「え、あっ、はい。」
とっさに美香はそのように返答してしまったのであるが、今から2人が踊ろうとしているのは、正にその、渋谷とかで昔流行っていた変なやつなのだ。
もう、ここまでくると、やるしかない。
理沙がラジカセのスイッチを入れ、2人は開始のポーズをとる。美香は口を開けた状態で左手を広げて前に出し、阿形の如く。理沙は口を閉じ、右手を広げ、90度左にひねった状態で前に出し、吽形の如く。
前奏が始まった。いつも踊っているユーロビートとは少し違う。あまり詳しくないが、テクノというジャンルらしい。バブル時代のジュリアナとかでかかっていそうな音楽だ。レーシング物のテレビゲームでも用いられているみたいで、ドライブにはもってこいの曲だ。確か、原曲を製作したのはアメリカ人だったはずだ。
そのような、俗に言うイケイケな曲を袴姿で踊る2人は挑戦者だ。
しかし、2人のダンス、と言うよりは、舞は絶妙なものだった。
ゆっくりと、左手首を回しながら右上から左下、右手首を回しながら左上から右下へと動かす様は、正に、桜の花びらが優雅に舞い散るが如くだ。
今、2人はパラパラというダンス、テクノという音楽を用いて、和を表現しているのである。開始の仁王のポーズとは対照的に、2人の舞は繊細で柔らかく、そして、なまめかしい。
ネズミ系遊園地のテーマソングの振りでも、両手斜め上、斜め下に伸縮させる動きがあるのだが、曲目と表現手法が変わるだけで、劇的に日本的なものへと変貌することに、2人は踊りながらも、改めて驚いた。
ここは祇園か。と思わせるほどの優雅な舞を終えた2人に、3者合同会議に出席していたすべての人達が拍手を送った。
「あんたら、すごいもん創ってきたなー。これはアリやと思うわ。」
「アリやね。」
「賛成。」
少々興奮気味の会場であったが、しばらくして、幹事のおじさんがようやく思い出した。「あ、そやそや、日曜日にメイドクロスをホコ天にしたいって話でしたね。個人的には、このクオリティを維持してくれるのであれば、是非やってほしいと思うんですが、皆さんどうでしょうか。」
首を縦に振ってくれたり、両腕を使って頭の上で丸を作ってくれたりで。満場一致で提案は可決された。
「ありがとうございます。がんばります。」
2人は、まだあまり実感がないみたいで、それほど嬉しそうな素振りは見せなかったが、真っ白の頭の中は希望で満杯だ。これから先のイメージがチカチカと頭の中でよぎるが、きっとまだ課題もあるだろう。
「そう言えば、防犯とかは大丈夫ですかね?物騒な時代ですし。」
「とりあえず、日曜日はメイドクロスの四方には、車が進入できないような障害物を設置しましょう。」
「障害物が頑丈ならば、車を利用した凶行は防げると思いますが。ナイフで武装した通り魔などはどうしますか?」
「あ、それなら、この前、共同購入した『いちげき野郎』を使いましょう。メイドクロス近辺の店舗に、いちげき野郎を所持してもらうことと、あと、メイドクロスの一角に消火器とかAEDみたいな感じでケースに入れて、いちげき野郎を誰でも使えるように提供することで、かなりの抑止力になると思いますよ。」
『美香、いちげき野郎って何?』
『知らん。』
小声で話す2人をよそに、会議は着々と進行する。
「じゃ、僕がメイドクロスに設置する、いちげき野郎のケースを作りますよ。」
率先して面倒な役を引き受けてくれたのは、電気街振興会の一員として会議に出席していた、模型屋の店主だ。
「それでは、恐縮ですが、よろしくお願いします。」
「いえいえ、ホント、趣味の領域なので気にしないでください。すごいやつ作りますから楽しみにしといてください。」
模型屋が言うすごいやつ、ということで会議の出席者の中でも敏感な人達はわずかながら不安を感じたのであるが、率先して活動してくれるのであるのだから、その積極的な気持ちは大切にしたいのだろう、模型屋がいちげき野郎のケースを製作することで決定した。
「なんか不思議やなー。」
「何が?」
「秋葉原の住民側の反応見る限りでは、日本橋でも路上のパフォーマンスとか絶対無理やと思ってたわ。ダメ元でも提案してみるもんやな。」
秋葉原のあの反応は何だったのだろうか。そして、どうして日本橋なら、こんなにすんなりと話がまとまったのだろうか。
「要するに、秋葉原が金持ちってことじゃないの?だって、千代田区とか台東区とか無敵やん。日本で一番お金が回ってる地域やで。」
「まー、上手くいってる時には余計なことはするなってのが、会社経営とかでも鉄板の格言やからな。」
「逆に、日本橋はリスクを背負ってでも動かなあかんってことやな。」
2人の推測がどこまで正しいのかは判らないが、いづれにしろ、3者合同会議で、メイドクロスを日曜日の午後はホコ天にしてパフォーマンスを行うという提案が通ったことは
今後の日本橋に大きな変化をもたらすだろう。
美香と理沙が行うパフォーマンスは日曜日の正午から12時20分までの、20分間認められるようになった。かりそめではあるが、特設ステージも毎週設置してもらえるらしい。
また、15時までは、日本橋全体のメイド喫茶の集客を増やすための宣伝を目的として、メイド枠というものが作られ、他のメイド喫茶で働くメイドさんも、商店街組合に申請すれば、20分間のパフォーマンスを行い、自分たちの店を宣伝することができるようになった。
15時から17時までの間は、一般公募でパフォーマーを募集し、その中から選考された優秀なパフォーマー達6組が、20分ずつ演技を見せるとのことだ。
「ようやくスタート地点に立てたな。」
「ホント、ここまで来れただけでも相当なミラクルやけどな。」
「いやいや、私らはこれからっしょ。今まで以上に盛り上げていかんとな。」
「そやな。飽きられんように気合入れていかなあかんわ。みんな目が肥えてるもんな。」
「まー、ネタの企画は私にまかせてや。奇抜なやつどんどん出していくから。」
「ほんで私が調整に大苦戦するっていういつものパターンやな。」
「今後ともよろしくお願いしますね。マネシタコウノ様。」
「ま、そう言われると頑張らんと仕方ないわな。」
ここからがスタートなのだが、これまで、本当に長かった。微力な私達の力で、この大きな世界はどこまで明るくなるのだろうか。パラパラにしろ、地域社会の活性化にしろ、新しいことに挑戦する際には、多大な苦痛を伴う。苦痛が発生すると判っていながらも、いざ、行動に移してみた際に実際に生じる苦痛は想像をはるかに上回る。でも、苦痛ではあるが、不快ではない。私達は好きでチャレンジしているのだ。どうせ嫌だ嫌だ言いながらも、好きだから続けてしまうのだろう。まるで依存しているようだ。依存することによって拡大する自由。依存のしがらみから逃れることで得られる自由。同じようなものなのだろうか。好きという名の義務感に駆られながら、理沙は南海本線で家路に着く。
理沙はワクワクしていた。メールが届いたのだ。男からではない。いや、男と言えば男なのだが・・・。
模型屋の店主だ。内容は以下の通りだ。
『皆様、先日の3者合同会議、お疲れ様でした。キッズ模型店主の田宮です。
私、メイドクロスに設置する、いちげき野郎のケースを作らせてほしいと言っていた
次第ですが、ついにケースが完成したため、メイドクロスに設置して参りました。
自分のような小生にこのような大役を任せて下さった皆さんの御高配に深く感謝致します。
つまらないデザインで恐縮ですが、少しでも地域に愛されるケースとなってくれれば
幸いです。
今後とも宜しくお願いします。
以上。』
かりそめの舞台は既に出来上がっており、車の進入を防ぐための、据え置き型のバリケードの準備も出来ていため、メイドクロスに非常用の、いちげき野郎が設置されると、いよいよパフォーマンスを開始できるのである。