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上方パラパラ  作者: mitsuo
3/5

転1 -tenichi-

 2人は一瞬、目を合わせた直後、恐怖で北側を目視することもせず、東側へ走り出す。

 まさか日本橋でこんな恐ろしい事件が起こるなんて・・・。

 決して後方を振り返らず、一目散に逃げる2人であるが、そこにドスの聞いた低い声が響く。

「おい、待てや!」

 待てと言われて誰が待つか。昔のアニメなどでよく使われる台詞だが、正に今の2人の心理状態だ。

 このまま逃げ切ってやると、2人の意思は完全に一致していたが、そこに、より一層ドスのきいた、逃げ惑う人間を恐怖に陥れることだけを目的として訓練されたような凶悪な怒鳴り声が響き渡る。

「待てって言っとんのじゃ!聞いてんのかこるぁ!!」

 この怒鳴り声で2人の恐怖は頂点に達し、金縛りに遭ったかのごとく、2人の足はピタリと止まってしまった。


 振り返るのが怖い。

 自分たちの人生はここで終わりか。

 まだ若いのに。

 志半ばでこんなことに。 

 日本橋、今までありがとう。 


 2人は覚悟を決めて、恐る恐るながら後ろを振り向いた。



「もうこんなことやったらあかんで。今度やったら逮捕するからな。」 

 2人は数分前に流した嬉し涙のことは完全に忘れて、今は恐怖から開放されたことによる安堵の涙を浮かべている。

「ごめんな。怖がらせる気は無かったんやけど、あの状況で逃げられたら、職務上、怒鳴らなあかんねん。」 

 涙が溢れ、頬がマスカラの縦線で汚れてしまった2人を優しく諭しているのは、パトロール中だった大阪府警だ。

 どうやら、2人がメイドクロスの一角を占領してパラパラを踊っていたという事実は、現在の日本橋のルールでは、不法占拠というものに値するらしい。


 それにしても、警察と呼ばれる人たちは、仏なのか仁王なのかというくらい、すごいスピードで強烈に変貌する。ツンデレと言うと表現がおかしい。アメと鞭と言う表現も少し違う。いずれにせよ、この強烈な変貌が警察の醍醐味なのだろう。凶悪な声で怒鳴られた後に優しくされると、そのギャップに胸が締め付けられる。人心掌握といのはこういうものなのだろうか。

 

 

 メイド喫茶での仕事を終えた後の帰り道、2人が今後について話し合う。

「これからどうするよ。もう下手に動かれへんで。」

「マジで怖かったなー、警察。」

「トラウマになりそうやわ。」

「やでな。私達の夢物語もここまでかー。」

「でも、ホントすごかったでな。なんか、人気アイドルの気持ちがちょっとだけわかったわ。」

「不思議やでなー。なんで私らみたいな素人が、ちょこっと振り付けを覚えて、ノリでメイドクロスで踊っただけやのに、あんなに盛り上がるんやろうな。」

「まー、ある種の都市伝説やったな。」

「いまいち、自分たちが何をやってるのかという実感が沸かんかったんやけど、いざ禁止にされてしまうと、ちょっと寂しいな。」

「同感。」

 電気街という性質上、夜の日本橋は概して寂しいもので、明るい光が漏れているのはラーメン屋くらいだ。つけ麺の元祖から、のれんを分けてもらったという店は、相変わらず好調で、人通りのほとんど無い夜の日本橋という条件を跳ね除け、コンスタントに店の軒先には行列が発生している。ここだけは賑やかだ。

「まー、こういう結果になってしまった以上、仕方ないわ。抜本的な解決策も出てこんし、一回あきらめよう。」 

「そやな。ちょっとお手上げやわ。」

 2人は残念という気持ちがないわけではないが、半ばすっきりした面持ちで、別々の帰路に着く。理沙は南海本線で南へ、美香は御堂筋線で北へ。

 もうメイドクロスでパラパラを踊ることも無いのかと思うと、理沙はむしろ安心した。疲れている時ほど、既存の体制に従うことが正義であるかのように思えてくる。レディーメイドに依存するのも、これまた人生。依存することによって拡大するような類の自由だって存在するのだ。そのように理沙は自分に言い聞かせ、パラパラを踊らなくてよい、振り付け覚える必要もない、という自由を得たことによる、解放感に心が弾み、今さっき 

別れたばかりの美香にメールを打ってしまった。

『今度、一緒に休みもらって、どっか遊びに行かん?』

 理沙がメールの送信ボタンを押してから、わずか1分程度で美香からの返信が届く。

『OK!』 

 おそらく、地下鉄の駅で電波を受信し、即行で返信したのだろう。




今、美香と理沙は奈良にいる。2人の休日が重なったので、パラパラの件での気晴らしの意図も兼ねて、リフレッシュするために観光に来た。2人とも大阪出身なので、小学校の頃から奈良には遠足などで頻繁に訪れているのであるが、もちろん若かりし頃の2人に奈良の良さを完全に理解することなんて到底不可能なことだ。

 小学生の時は、世界遺産法隆寺の境内でドッジボールをした。

 中学生の時は、思春期の男女がふれ合い、仲良くなるためのツマとして、奈良が存在した。

 高校生の時は、仲の良い男子のグループと一緒に、学校側が定めたコースを抜け出し、カラオケに行って、みんなで盛り上がった。

 今の自分は奈良の良さをどれくらい判っているのだろうか。まだ2割くらいだろうか。

3割だろうか。いずれにせよ。奈良という都市が大きく成長し、変動しているわけではない。成長し、変動しているのは自分達だ。仮に、奈良の良さを完全に理解したとしたら、

それは、自分達が十分に成長した証拠なのだろうか。それとも、成長することを止めてしまっただけなのだろうか。いずれにせよ、まだ十分に若い美香と理沙にとっては、奈良に来るたびに、見える景色と世界が変化しているのである。この、しみじみとした趣深い変化から生じる感動は、東京や大阪で発生する、SFかと思われるような、超巨大建築の内部を散策するような感動とは、また種の異なるものである。パラレル歴史都市奈良。奈良系歴史的パラレル。ネーミングにはあまりこだわらないが、東京や大阪が、外的なビジュアルを通して理解することのできる、空間のパラレルであるのに対し、奈良は内的な成長、変化を通して感覚で覚える、時間のパラレルということができるかもしれない。

 時間のパラレルに2人が飛び込んだ理由は1つ。リフレッシュするためだ。


「定番のの観光コースやけど、やっぱ奈良って何回来てもテンション上がるよな。」

「やでな。東大寺に行くのとか何回目やろう。」

「デートとかでも迷ったらここに来るから、2桁いってるかもしらんな。」

「プレイガールか。」

「だって、ここに来たら仲良くなれるんやもん。」

「どうせ、美香のことやから、男の前で鹿せんべいプレイとかやってるんやろ。」

「てへっ。ばれてしもた。」

「あのプレイは破壊力抜群やもんな。」

「まさか、理沙も男連れてきてやってんの?」

「1回だけや。」

「うぃーーー。」

「小島か。」

「ちょっとだけここでプレイの実演してみてよ。」

「ちょっとだけやからな。」

美香に煽られて実際にプレイの実演を承諾してしまった理沙であるが、明らかに演じる前から顔が赤い。ネタを提供してくれという懇願をノリで受け入れて後悔することはよくある。しかも今回は、平日なので、休日ほどではないが、少なからず観光客がいる。お年寄りのツアー客御一行は、正に今から何かしそうな雰囲気を醸し出している理沙を歩きながら凝視している。そして理沙は勇気をふりしぼった。

「あ、いやっ、鹿が追いかけてくるー。怖いわー。助けてー。きゃっ。」

体をくねくねさせながら、理沙が美香に抱きついた。さらに、美香の目を見つめて、

「怖かったわー。今度鹿に囲まれたら私を守ってね。てへっ。」 

 美香が腹を抱えて爆笑している傍ら、お年寄りのツアー客、特に年配の女性はドン引きしている。

 

「おい、私まで巻き込むなよ。」

「あんたがやれって言ったんやろ。」

「それにしても、えげつないわー。男とか一発やろ。」

「まーね。」

 鹿せんべいプレイで男を落とす強かな女は畿内には数多く存在するが理沙の大胆でベタコテな演技には、百戦錬磨の美香も動揺し、負けを認めた。

「あんたすごいわ。」

         

 2人が南大門を通る。先日、大阪府警に仁王の如くの迫力で怒鳴られて、泣かされてしまった二人であるが、やはり、東大寺の仁王像は格別で、像である以上、怒鳴ることはできないが、確かな迫力と圧倒的な存在感で、悪い人間が大仏殿へと進まないか、文字通り、鬼の形相で監視している。夜になると、2体はライトアップにより、劇的な演出が施されるのであるが、美香は昼間に見る2体が好きだ。薄暗く、そして鳩よけのアミに覆われてよく見えないのであるが、その暗い空間に力強く佇む、気品と泥臭さが仁王の醍醐味であると解釈しているのである。阿吽の呼吸と言う言葉がよく使われるが、阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて出す最後の音であり、そこから、それぞれが宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされたらしい。と、ネットに書いていた。門に向かい合ったとき、右側に阿形、左側に吽形が来るのが大多数である。つまり北を向くと右(東)が太陽の昇る方向、左(西)が沈む方向になり、それぞれ始まりと終わりを表すのである。この程度の知識は、ネット世代である自分達にとっては常識である。と、自負に満ちていた美香であるが、実際はそうではなかった。

「あれー、理沙、この仁王さんたちって左右逆じゃない?」

 理沙が右の像と左の像を、まじまじと見比べた後、驚愕する。

「うわっ!ほんまや。これ逆やろ。」

 なんと、東大寺の南大門では、左側に宇宙の始まりを意味する阿形が、右側に宇宙の終わりを意味する吽形が、十分すぎるというより、百分、千分に値するくらいの自信で、堂々とそびえ立っているのである。

「まさか・・・。運慶のー、S、O、SOSOソ・ソ・ウ♪」

「なんでやねん。あの運慶がそんな初歩的なミスを犯すわけないやろ。」

 確かに、運慶は弟子に協力してもらったとはいえ、このような偉大な仁王像をわずか69日間で完成させるという離れ業をやってのけたのであるから、かなり急いでいたのかもしれないが、さすがにミスは有り得ないだろう。1万歩譲っても有り得ない。

「なんか不思議やなー。でも、小学校時代の遠足とか、彼氏とかとデートでここに来た時は全然気づかん買ったわ。私らも成長したってことやな。」

「彼氏とかとデートってなんやねん。私はそんな自由じゃないわ。」

「なんか、話がブレてきたなー。」

「ブラしてるのはあんたや。」

「そんで、何の話やったっけ。あ、そやそや、仁王が逆って話やけどなんでやろな。」

「やっぱり何らかのメッセージがあったんじゃないの?運慶が定型を破ってまで後続に伝えたかったことが。」

「つまり、運慶ワールドでは太陽が西から昇って東に沈むってことやな。」

「古いわ。それ、私らが物心つく前のアニメのネタやろ。」

「ま、ええんじゃない。要するにひっくり返してしまえってことやろ。私らとそっくりやん。」

「・・・ん、まあ、そうなるわな。」

2人で議論をする場合は、ほとんどの場合、理沙が先に折れてしまう。美香の発想は自由すぎて議論する気が失せてしまうのである。おそらく、美香だって理沙を論破することなんて初めから目的としておらず、呆れてさせたら勝ちみたいに思っているのだろう。美香に合わせると、失敗も多いが、破廉恥で楽しい。どうすれば、美香ほどに自由になれるのだろうか。


 その後、2人は大仏殿に入った。

 大仏様そっちのけで北東に向かう。

 鬼門封じのため、柱に穴が空いている。

 縦37cm横30cm というサイズの穴を通り抜けることができたら、何か良いことが起こるらしい。

 この穴の周りは平日であるにもかかわらず、修学旅行に来た学生や、ツアー観光客など、十数人が囲んでいた。

 やはり2人はその穴をくぐった。

 短パンの理沙、フリルのスカートの美香、2人が穴をくぐる姿は、就学旅行に来た男子中高生に思い出となったであろうが、年配の女性から2人は睨まれた。冷たい視線というよりは、灰のようだ。

 2人とも無事にくぐることができて安堵し、再び大仏様の正面に立ち、その壮大さに驚いた。美香に関しては、東大寺には10回以上来ているのであるが、やはり、来るたびに大仏様を拝観することによって得られる感動の種類は異なるのである。

 大仏殿を出た後、2人は大仏殿の裏に位置する正倉院に向かう。

 正倉院に向かう道中、道の傍らに小鹿がいた。

 美香がゆっくり歩いて近づくと、小鹿はゆっくり歩いて逃げた。

 走って駆け寄ると、走って逃げられた。

 正倉院の前に着いたが、人はいなく、門は閉まっていた。

 どうやら、拝観時間は午後3時までらしい。今は4時を少し過ぎたあたりだ。

「あ、またやってしまったわ。」

「ほんまや。ここ来る時、いつも閉まってるわ。」

 引き返す2人。

 やはりそこには、先ほど逃げた小鹿がいた。

 先ほど、美香が走って追いかけたため、小鹿はかなり警戒している。

 すでに2人と子鹿の間には15mほど距離があるのであるが、美香が1歩だけ小鹿に近づくと、小鹿は一歩後退した。実に律儀な小鹿だ。

 再び2人が南大門を、今度は大仏殿側から通り過ぎる。

 大仏殿側から見ると、阿形は右側に、吽形は左側に君臨している。

 一般的な仁王の配置とは逆なのであるが、この堂々とした2体はそのようなことは気にしているのだろうか。否、気にしていたらこのような、スケールを超えた迫力は醸し出せないだろう。

 

 2人が南大門を北から南へ通り過ぎた頃、雨が降り出した。

「お、雨が降ってきた。このタイミングで良かったな。」

「鹿の糞の液状化現象はけっこうきついもんな。」

 持ち前の折り畳み傘をさし、東大寺の観光を終えた2人が向かうのは、これも観光コースの鉄板で、すぐそばにある春日大社だ。

 美香的には雨が降って良かったというのは、雨の春日大社の美しさに惚れ込んでのことだ。

参道は木々に覆われ、道端には鹿がいて、体を静止させた状態で観光客をじっと見つめる。屋久島を舞台とした大作アニメ映画が10年程前に上映されたが、雨の春日大社は正にそんな感じだ。2人が奈良に来た目的はリフレッシュであったが、今、正に体が内側からフレッシュな循環を取り戻しつつある。

『ミー。・・・・・・・・ミー。・・・』

 鹿の顔つきは実に精悍で神秘的だ。なのにどうしてこのような素朴な泣き声なのだろう。

 鹿が2人に寄ってきた。せんべいが無くてもたまに目的もなく寄ってくる鹿がいる。人間とふれ合いたいのだろうかと、美香が鹿の背中を撫でると、全身がビクッと震える。この鹿は一体何をしに来たんだろう。歩を進め、再び別の鹿が参道のほぼ真ん中に静止していたので、理沙が背中を触ってみたところ、やはり鹿は、ブルッと震える。こんな道の真ん中にいると観光客からいっぱい触られるのに。鹿の生態は二人にはまるで判らないが、この、寄ってきておいて触られると震えるという動作も、今回、奈良に来て初めて気づいたことだ。

 ここにきて、ようやく理沙が美香に提案した。

「美香、もう1回パラパラやらん?」

「えーよ。今度、地域の会議に出てみようと思うねん。それまでに1曲、完成度高いやつ、作っとこうや。」

「OK!」

 理沙が提案した時、美香は既に、パラパラを再開することを決めていて、対策まで立てていたようだ。

 別に奈良に来て、2人の考え方や心情にダイナミックに変化が生じたわけではない。大仏様や鹿の素朴な挙動が触媒となって、2人が本来のあるべき思考回路と、正面から向き合うことができただけだ。

 本殿で2人は、鹿の刺繍が施された、叶守というお守りを買った。

 願い事を書いた紙をお守りの中に入れ、身に着けると、願いが叶うかもしれないらしい。

「これ、また家で願い事書いて、中に入れとかなあかんな。理沙は何て書くの?」

「安産祈願。美香は?」

「地鎮祭。」

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