戦闘力ゼロの底辺考察配信者ですが、世界最強パーティが敗北した《未来予知ゲーム》をコメント欄で攻略してバズりました
同時接続数、三人。
それが、俺――神谷律のダンジョン考察配信の現実だった。
「というわけで、今日出現した渋谷特級ダンジョン《欺瞞の劇場》について、入口の碑文をもう一回見ます」
六畳一間のアパートで、俺はパソコンの画面へ向かって話していた。
画面の端には、三つのコメントが流れている。
【紙装甲のリツさん、今日も戦闘力ゼロで考察してて草】
【碑文とかいいから、黎明の剣の公式配信見ようぜ】
【でも俺はこういうの好き】
「最後の人だけ優しいな。ありがとう」
俺は苦笑しながら、配信画面に一枚の画像を映した。
今日の正午、東京・渋谷駅前に突如現れた黒い門。その上部に、未知の文字で刻まれていた碑文を、ダンジョン管理局が翻訳したものだ。
――力を誇る者よ、ようこそ。
――選んだ瞬間、お前の敗北は定められる。
――我が舞台に必要なのは、英雄ではなく、観客である。
「これ、普通の討伐型ダンジョンじゃないと思うんですよね。特に二行目。“攻撃した瞬間”でも“戦った瞬間”でもなく、“選んだ瞬間”って書いてある」
【また始まった】
【どうせボス殴れば終わり】
「それならいいんですけど」
俺は眉間を押さえた。
十八年前、世界各地にダンジョンが出現した。
魔物を倒せば素材や魔石が手に入り、特殊な適性を持つ人間は《探索者》として富と名声を得るようになった。
今では高難度ダンジョンの攻略は、スポーツ中継以上の娯楽だ。トップ探索者の配信には億単位の視聴者が集まり、スポンサー企業が巨額の契約金を払う。
そして今夜、日本最強の攻略パーティ《黎明の剣》が、出現したばかりの渋谷特級ダンジョンへ挑む。
俺は、三か月前までそのパーティの外部分析担当だった。
戦闘適性は最低のFランク。
固有スキルは《配信接続》。自分の視界に、配信のコメントや視聴者のリアクションを表示できるだけの、攻略には何の役にも立たないと笑われた能力。
だが俺は、過去のダンジョン映像を何百本も見て、魔物の行動規則や罠の条件を分析してきた。黎明の剣がいくつもの高難度ダンジョンを無傷で踏破できたのは、少なくとも俺の分析が一部は役に立っていたからだと思っている。
けれど、パーティリーダーの獅堂蓮司は違った。
『スポンサーが欲しいのは、火力と派手な勝利だ。部屋で画面を見ているだけのFランクを、チームの実績に含める必要はない』
そう言われ、契約は打ち切られた。
今日の昼、俺は碑文の危険性について獅堂にメッセージを送った。
返ってきたのは、たった一行。
『戦えない奴が、世界一のパーティに指示をするな』
俺は配信画面の時刻を見た。
二十時五十九分。
「そろそろ、公式配信が始まります。俺の配信は……まあ、同時視聴しながら考察ということで」
【素直に見たいだけで草】
【リツさんの解説も聞くぞ】
【三人で世界一の攻略を見届けようぜ】
「三人て言うな。俺も入れれば四人だ」
冗談を言った、その直後だった。
配信サイトのトップ画面が、強制的に黒く塗り替えられた。
すべての動画配信、ニュース、広告表示が一斉に停止し、一つの映像へ切り替わる。
黒い劇場。
天井から吊るされた無数の仮面。
舞台中央に立つ、五人の探索者。
《黎明の剣》だ。
画面上部には、赤い文字が表示されていた。
――特級ダンジョン《欺瞞の劇場》、全世界強制配信を開始します。
――攻略失敗時、東京都心部にダンジョン領域を展開します。
――推定死者数:二百四十万人。
「は……?」
コメント欄が一瞬で爆発した。
【何これ演出?】
【強制配信ってマジ?】
【渋谷から避難命令出てる!】
【黎明の剣なら勝てるだろ】
俺は椅子から立ち上がっていた。
映像の中で、獅堂が黄金の大剣を抜く。
「くだらない演出だ。出てこい、ボス! まとめて斬り伏せてやる!」
彼の隣には、炎術師、盾役、治癒師、そして弓使いの水城葵がいる。
葵だけが、吊るされた仮面と舞台の床を警戒するように見回していた。
俺とは幼馴染で、黎明の剣に俺を分析担当として推薦してくれた人物でもある。
「獅堂さん、待ってください。碑文には――」
「黙れ、葵。こういうのは先手必勝だ」
獅堂が舞台奥へ踏み込む。
直後、青白い光が彼の全身を貫いた。
「ぐああっ!?」
大剣が床に落ちる。
獅堂の右腕には、黒い鎖の模様が焼き付いていた。
舞台の奥で、拍手が響いた。
ぱち、ぱち、ぱち。
「焦りは美しくありませんね、勇者様」
赤い幕の向こうから、白いドレスを着た女が現れた。
長い銀髪。目元を覆う黒い仮面。手には十二枚の星模様の札が並ぶ扇。
「ようこそ、わたくしの劇場へ。わたくしは支配者エルシア。この舞台では、暴力も魔法も、何の意味も持ちません」
女が指を鳴らすと、獅堂たちの武器が宙へ浮き、舞台上の箱へ吸い込まれていく。
炎術師が魔法を唱えようとしたが、火花一つ出ない。
「この舞台で許されるのは、ただ一つ。ゲームに勝つことだけ」
エルシアが微笑む。
舞台中央へ、円形の卓と十二枚の札が現れた。
札にはそれぞれ、月、太陽、剣、盾、王冠、鍵、鳥、狼、花、塔、海、星の紋章が描かれている。
「ゲームの名は、《未来予告》」
空中へ、白い文字でルールが表示された。
――第一条。挑戦者は、十二枚の星札から一枚を選び、伏せて場へ置く。
――第二条。挑戦者が札へ触れる前に、支配者は挑戦者が選ぶ札を一枚予告し、封印箱へ納める。
――第三条。挑戦者が置いた札と予告札が一致すれば、支配者の勝利。一致しなければ、挑戦者の勝利。
――第四条。二勝した側がゲーム全体の勝者となる。
――第五条。支配者が勝利した場合、舞台上の探索者五名の生命と、東京中央領域を獲得する。
――第六条。挑戦者が勝利した場合、探索者五名を解放し、ダンジョン核を譲渡する。
――第七条。挑戦者側は、一度に限り、配信を視聴している登録済み探索者へ出場権を譲渡できる。
俺の呼吸が止まった。
配信視聴者へ出場権を譲渡できる。
碑文の三行目――我が舞台に必要なのは、英雄ではなく、観客である。
これは最初から、外部の人間を巻き込むためのダンジョンだったのだ。
「簡単だ」
痛む腕を押さえながら、獅堂が立ち上がる。
「お前が予告してから、俺が別の札を出せばいいだけだろう」
エルシアは、心底愉快そうに笑った。
「ええ。できるものなら」
卓の一方に獅堂が座る。
「俺がやる。世界最強の探索者を舐めるな」
「それでは第一幕。どうぞ、心ゆくまで札をお選びください」
獅堂の視線が十二枚の札を走った。
おそらく、最初は王冠か剣を出すつもりだったのだろう。しかし予告される可能性を考え、指先が一瞬、月の札へ動く。
その瞬間、エルシアは封印箱へ一枚の札を滑り込ませた。
「予告は完了しました。さあ、挑戦者様」
「俺を誘導したつもりか? 甘い!」
獅堂は、触れかけた月ではなく、離れた位置にある塔の札を掴んで伏せた。
「最後に変えれば、お前の予告など外れる!」
封印箱が開く。
中に入っていた札は――塔。
舞台上に、鐘の音が響いた。
――第一戦、支配者エルシアの勝利。
「な……」
獅堂の顔が引きつる。
「なぜだ。俺は、置く直前に変えたんだぞ」
「置く直前に“変える”と決めたことも含めて、あなたの選択ですから」
エルシアは優雅に口元へ手を添えた。
「わたくしは未来を見る。あなたがどれほど思考を変えようと、最後に置く札はすでに見えております」
視聴者コメントが絶望で埋まっていく。
【無理ゲーじゃん】
【選ぶ前に当てられるなら勝ち目ない】
【これ本当に東京終わるの?】
俺は、映像を巻き戻せない強制配信の画面を凝視した。
エルシアは、本当に未来を見ているのか。
いや。
もし完全な未来予知なら、碑文は「選んだ瞬間、お前の敗北は定められる」ではなく、もっと絶対的な言葉でよかったはずだ。
獅堂は、札へ触れる前に何度も視線を動かし、最後に「変える」と決意した。
エルシアが見ているのは、未来ではない。
選択しようとする人間の意志だ。
「葵、気づけ……」
俺は無意識に呟いた。
画面の向こうで、葵が獅堂の腕を掴んだ。
「次は私にやらせてください。何も考えず、目を閉じて札を取ります」
「無駄よ」
エルシアが即座に答えた。
「目を閉じようと、手を彷徨わせようと、あなたが最後に触れる札はあなた自身が選ぶもの。わたくしの予告からは逃れられない」
葵が悔しそうに唇を噛んだ。
獅堂は立ち上がろうとしたが、黒い鎖が腕から胸へ広がり、床へ膝をつく。
「まだだ……次は俺が――」
「獅堂さん、二敗したら終わりです!」
治癒師が叫ぶ。
「出場権の譲渡を使ってください! 外に、このゲームを解ける人がいるかもしれない!」
「外の雑魚に命を預けろと言うのか……!」
獅堂が呻いた、そのとき。
葵が正面の配信魔晶球を見た。
まるで、画面のこちら側にいる俺を見つけるように。
「神谷律」
彼女は、はっきりと俺の名前を呼んだ。
「あなたが見ているなら、助けて」
俺の配信コメントが、一瞬止まった。
【え?】
【リツさんの名前呼ばれた?】
【知り合いなの?】
エルシアの目の前に、登録済み探索者の一覧が浮かび上がる。
葵が迷わず、俺の名前を選択した。
――《黎明の剣》より、探索者・神谷律へ挑戦権の譲渡申請が届きました。
――承認しますか?
パソコンの画面に、二つのボタンが現れた。
承認。
拒否。
手が震えた。
俺は戦えない。
魔力も、剣技も、逃げ足さえ大したことはない。
舞台へ入れば、負けた瞬間に五人と東京の運命を背負うことになる。
【リツさん、行くな!】
【死ぬぞ】
【でも他に誰がいるんだよ】
最後のコメントは、いつもの三人のうち、毎回俺の考察に付き合ってくれていた視聴者だった。
【お前、ずっと言ってたじゃん。ダンジョンは殴る前にルールを読めって】
俺は笑った。
「そうだな。言ってたわ」
俺は承認ボタンを押した。
次の瞬間、足元が青白く光った。
◇
転移の浮遊感が消えたとき、俺は黒い劇場の舞台上に立っていた。
全世界へ配信される視聴者数は、画面上の表示だけで二億八千万人を超えている。
俺の視界には、固有スキル《配信接続》によって、滝のようなコメントとリアクションが流れ込んできた。
【誰だこいつ】
【Fランク?】
【戦闘力0って表示されてるぞ】
【日本終わった】
「律!」
葵が駆け寄ろうとしたが、舞台の境界線に弾かれた。
「ごめん……私、ほかに思いつかなくて」
「いや。呼んでくれて助かった」
「助かったって、お前がか?」
獅堂が床に膝をついたまま、嘲るように笑った。
「戦闘スキル一つないお前が、この女神に勝てるとでも?」
「戦闘するゲームじゃないでしょう」
「何だと?」
「だから、あなたは負けたんです」
獅堂の顔が歪んだ。
エルシアが、面白そうに俺を見た。
「まあ。仲間割れをしている場合かしら、Fランクの挑戦者様。あなたが負ければ、ここにいる全員と、二百四十万人が消えるのですよ」
「確認したいことがあります」
「ルールに関する質問なら、どうぞ」
「あなたの予告札は、俺が札を場へ置く前に封印箱へ入れる。これは絶対ですね?」
「ええ」
「俺が札へ触れる前に、どの札を出すか決めていなくても、反則にはならない?」
エルシアの笑みが、わずかに止まった。
「……決めていない者などいません。手を伸ばす時点で、人は何かを選んでいる」
「質問に答えてください。あらかじめ決めていないこと自体は、反則ですか?」
空中にルール判定の光が走る。
――違反規定なし。
劇場全体がざわめいたように、吊るされた仮面が揺れた。
俺は続けた。
「次。挑戦者は、自分の固有スキルを使用できますか?」
「攻撃・防御・鑑定・未来視・精神操作など、勝負へ直接干渉するスキルは禁止です」
「配信のコメントやリアクションを見るだけのスキルは?」
エルシアが目を細める。
「……それで何をするつもりです?」
「ルール確認です」
再び判定光が走った。
――《配信接続》は勝負への直接干渉能力に該当しません。
――使用可能。
視界のコメント欄が爆発した。
【まさかコメント使う気か?】
【でも予告札は見えないだろ】
【女神が封印してから選ぶんだぞ】
俺はエルシアへ尋ねた。
「あなたの予告は、観客へ公開されますか?」
「もちろん」
エルシアは余裕を取り戻したように微笑んだ。
「これは劇場ですもの。観客には、わたくしが正確に未来を言い当てる瞬間を見届けていただきます。予告札は封印箱へ入れた直後、観客席と配信画面にのみ表示されます。挑戦者本人には、札を出すまで見えません」
「十分です」
「何?」
俺は、視界の配信ウィンドウを開いた。
「みんな、聞こえてるか」
俺の声が全世界配信へ乗る。
「次に女神が予告した札が映ったら、その札以外のリアクションを送ってくれ。俺の画面には、視聴者が送った紋章リアクションが見える」
星札と同じ十二種類のリアクションアイコンは、公式配信の応援用に最初から用意されていた。太陽、月、剣、盾、王冠、鍵、鳥、狼、花、塔、海、星。
「例えば、予告が太陽なら、太陽以外を何でもいいから送れ。俺は一番多い紋章の札を出す」
エルシアの笑みが消えた。
「観客から答えを教わるなど、認められるとお思いで?」
「判定をお願いします」
空中に、眩しいほどの光が走る。
数秒の沈黙。
――観客による応援リアクションは、舞台演出として許可済み。
――挑戦者がリアクションを閲覧することは、《配信接続》の効果範囲内。
――違反なし。
葵が目を見開いた。
「そうか……女神は、観客へ予告を見せることを自分でルールに入れていた。絶対に当てる姿を見せるために」
「観客は、俺の武器だ」
俺は卓へ着いた。
「第二戦を始めましょう、エルシア」
「……愚かな。数億人の観客が、都合よくあなたへ協力するとでも?」
「してくれるかどうかも含めて、ゲームでしょう」
俺は十二枚の札から手を離し、両手を卓の上へ置いた。
「俺はまだ、何も選んでいません」
エルシアの仮面の奥で、銀色の瞳が揺れた。
彼女は俺の意志を読もうとしている。
だが、俺が決めているのは一つだけだ。
――予告された札以外で、視聴者が最も多く送った紋章を出す。
具体的に何を選ぶのかは、まだ俺自身にも分からない。
「……予告します」
エルシアが、一枚の札を封印箱へ滑り込ませた。
俺には見えない。
だが、直後、視界のコメント欄が一斉に弾けた。
【月以外! 月以外!】
【剣! 剣!】
【月は出すな!】
紋章リアクションの集計が、視界の端へ表示される。
太陽:三千四百二十二万。
剣:二千八百万。
星:二千一百万。
月:わずか十二。
「ありがとう」
俺は太陽の札を掴み、場へ伏せた。
封印箱が開く。
中に入っていたのは、月の札だった。
鐘の音が、黒い劇場に鳴り響く。
――第二戦、挑戦者・神谷律の勝利。
一瞬遅れて、世界中のコメント欄が歓声で埋め尽くされた。
【うおおおおお!】
【勝った!?】
【コメント欄で女神に勝ったぞ!】
【戦闘力ゼロ、仕事しすぎだろ!】
葵が両手を胸元で握り、泣きそうな顔で笑った。
「律……!」
獅堂でさえ、信じられないものを見る目で俺を見ている。
エルシアだけは、俯いていた。
やがて彼女は、小さく笑い始めた。
「素晴らしい。実に素晴らしいわ。力ではなく、観客を使って未来を消すなんて」
顔を上げた彼女の笑みは、もう余裕のものではなかった。
「ですが、同じ手が二度通用するほど、わたくしは優しくありません」
エルシアが指を鳴らした。
俺の視界に流れていたコメントが、突然、黒く染まった。
大量の新規アカウントが、同時に同じ紋章を送り始める。
【月月月月月】
【月選べ!】
【女神様に従えば宝箱を与える!】
【月! 月! 月!】
桁違いの速度で、月のリアクション数が膨れ上がる。
エルシアは両手を広げた。
「観客はあなたの味方ではありません。彼らが欲しいのは正義でも、東京の救済でもなく、刺激と報酬」
舞台上空に、新しい表示が浮かび上がる。
――最終戦限定観客報酬:支配者の勝利を補助した視聴者へ、抽選で魔石報酬を配布します。
「わたくしの予告と同じ札を、あなたに選ばせればよい。数億の観客が送る偽の歓声の中で、あなたは本当の合図を見分けられるかしら?」
コメント欄が混乱に陥る。
【ふざけんな女神!】
【でも魔石ほしい】
【どれが正しいリアクションか分からん】
【ボットみたいなの混じってるぞ】
紋章集計は、すでに意味を失っていた。
どの札を避けるべきか、最も多い反応では判断できない。
葵が叫ぶ。
「律、コメントを見ないで! 今度は誘導される!」
「その通りよ」
エルシアが笑う。
「そして、あなたは自分で選ぼうとした瞬間、わたくしの未来予告から逃れられない」
俺は、押し寄せるコメントを見つめた。
二億人の声があっても、信用できなければ何も聞こえないのと同じだ。
きっとエルシアは、俺がここで絶望すると思っている。
けれど。
「誤解してますよ、女神様」
「……何ですって?」
「俺の配信の視聴者は、もともと三人しかいなかったんです」
俺は、固有スキル《配信接続》の表示を操作した。
全世界配信のコメントではない。
俺自身が、あの部屋で開いていた底辺配信のコメント欄。
転移の直前まで配信は切っていなかった。そして、俺のスキルは“自分の配信に接続した視聴者のコメント”を優先表示できる。
世界中の偽リアクションが消え、見慣れた三つの名前だけが視界に残る。
【リツさん、公式の予告は見えてる】
【直接札の名前を書いたら弾かれた。いつもの初級十二装備で送る】
【一番だけは絶対に装備するな。今日は“初心者の剣”を置いていけ】
俺は息を吐いた。
俺の配信では、毎週、十二種類の初心者装備を使ったダンジョン謎解きをしていた。
太陽は松明。
月は銀の短剣。
剣は初心者の剣。
盾は木盾。
王冠は革帽子。
鍵は開錠具。
そして、いつも俺たちは、答えを露骨に書くと面白くないから、装備名で札を呼んで遊んでいた。
三人だけの、くだらないお約束。
支配者エルシアが知るはずのない、俺たちの合図だ。
「最終戦を始めてください」
「強がりを。あなたの観客など、今や数億の欲望に飲み込まれている」
「そうでしょうか」
俺は卓へ両手を置いた。
「俺は今回も、まだ一枚も選んでいません」
エルシアの銀の瞳が、俺を射抜く。
未来を見るという名の、意志を読む力。
彼女には、俺がどの札を出すのか見えない。
なぜなら俺は、まだ三人の合図を受け取る前なのだから。
「……では、予告します」
エルシアは一枚の札を封印箱へ入れた。
同時に、世界配信のコメント欄が狂ったように紋章を流し始める。
月、月、月、月。
鍵、鍵、鍵。
太陽、太陽、太陽。
全てが、俺を迷わせるための雑音だった。
俺は三人のコメントだけを見る。
【今日の初心者講座:剣を持たずに塔へ行こう】
【木盾も悪くない。でも剣だけは床に置いて帰れ】
【リツさん、初期装備の“剣”は罠。いつもの通り、花の薬草袋で行け】
予告札は、剣。
俺は迷わず、花の札へ手を伸ばした。
エルシアの声が鋭く響く。
「本当に、それでよろしいのですか? あなたのせいで東京が消えるかもしれないのですよ」
俺の指先が、一瞬だけ止まる。
エルシアの微笑みが戻った。
意志を揺らし、自分で別の札を選ばせようとしている。
俺は、彼女を見た。
「あなたは、未来なんて見ていない」
「何を……」
「人が自分で選ぶ瞬間を読んでいるだけだ。だから、俺が自分一人で決めない限り、あなたには予告できない」
「観客に命を預けるなど、愚かです。人間は必ず裏切る」
「裏切られるほど大勢に好かれてないんですよ、俺は」
俺は笑った。
「でも、ずっと俺のつまらない考察を聞いてくれていた三人なら、信じられる」
花の札を、卓へ伏せた。
封印箱が開く。
中から現れたのは――剣の札。
一秒。
二秒。
エルシアは、動かなかった。
そして、舞台全体を震わせる鐘が鳴り響いた。
――最終戦、挑戦者・神谷律の勝利。
――最終結果、二勝一敗により挑戦者側の勝利を確定。
――特級ダンジョン《欺瞞の劇場》、攻略完了。
その瞬間、黒い劇場の幕が崩れ落ちた。
吊るされていた無数の仮面が砕け、青白い光の粒となって宙へ舞い上がる。
世界配信のコメント欄は、もはや読めない速度で流れていた。
【勝ったああああ!】
【三人の視聴者強すぎる】
【戦闘力ゼロが世界救ってんじゃん】
【底辺配信、どこ!? 登録する!】
【攻略ってこういうことかよ】
葵が境界線を越えて俺のもとへ駆け寄り、そのまま勢いよく抱きついてきた。
「律……本当に、勝った……!」
「ちょ、葵。全世界配信中」
「知ってる。だから何?」
肩口で、彼女の声が震えていた。
「あなたを外したこと、私も止められなかった。ごめん。本当にごめん……」
「葵が呼んでくれなかったら、俺はここに立てなかったよ」
彼女は顔を上げ、涙を拭いながら笑った。
「じゃあ、これでおあいこ?」
「多分な」
その背後で、獅堂がよろめきながら立ち上がった。
黒い鎖は消え、傷も回復し始めている。
「神谷……」
彼は苦い顔で俺を見た。
「今回の勝利は、黎明の剣が適切な外部要員を選定した結果だ。お前が望むなら、もう一度分析担当としてチームへ――」
「それ、本気で言ってます?」
葵の声が、今まで聞いたことがないほど冷たくなった。
「律を切ったのは誰ですか。碑文の警告を無視したのは誰ですか。自分が負けた後に律へ命を預けて、勝ったらチームの成果ですか」
「葵、私はリーダーとして――」
「この会話も、全世界に流れていますよ」
獅堂の顔が固まった。
コメント欄には、今度は別の意味で凄まじい勢いの言葉が流れている。
【リーダーださすぎ】
【手柄取りに来てて草】
【水城さん正論】
【黎明の剣よりリツ配信登録しろ】
俺はため息をついた。
「復帰はしません。俺は俺のやり方で、ダンジョンを攻略します」
「Fランクのお前が、一人で何をする」
「一人じゃありませんよ」
俺は視界の隅に残る、三つのコメントを見た。
【リツさん泣くなよ】
【俺ら今日から古参名乗っていい?】
【同接三人じゃなくなるの寂しいけど、おめでとう】
喉の奥が熱くなる。
「俺には、観客がいます」
エルシアが消えた場所から、拳ほどの黒い宝石――ダンジョン核が静かに浮かび上がった。
それは俺の手の中へ降り、透明な光へ変わっていく。
――攻略報酬:特殊権能《舞台規約》を獲得しました。
――効果:ゲーム型ダンジョンにおいて、提示された規則を全文閲覧し、観客参加型の攻略条件を提案できます。
俺は思わず笑った。
「本当に、殴る役には向いてないらしい」
「その方が律らしいよ」
葵が隣で言った。
「ねえ。次の配信、私も出ていい?」
「世界最強パーティの弓使いが、同接三人の底辺配信に?」
「もう三人じゃないと思うけど」
彼女が、俺の配信ステータスを指差した。
転移前、三人だった同時接続数。
今は、数字が桁違いの勢いで増え続けていた。
十万人。
五十万人。
百万人。
そして、登録者数の表示は、とうとう一日で二百万人を超えた。
【神谷律チャンネル登録完了】
【次の考察配信いつ?】
【三人の古参視聴者を崇めろ】
【ゲーム型ダンジョン攻略もっと見たい】
【戦闘力ゼロのくせにかっこよすぎる】
「ええと……」
俺は、配信の向こうにいる何百万人もの視聴者を見た。
今まで、どれだけ話しても反応は三人分しか返ってこなかった画面だ。
けれど、やることは変わらない。
ダンジョンの規則を読み、考え、できるだけ多くの人が生きて帰れる方法を探す。
「初めましての方も、ずっと見てくれていた三人も、ありがとうございます」
俺は、少しだけ震える声で言った。
「戦闘力ゼロの考察配信者、神谷律です。今日の攻略解説は、帰宅してから落ち着いてやります。特に《欺瞞の劇場》の碑文と、エルシアの能力が未来予知ではなく選択意志の読み取りだった根拠について――」
【今から解説始める気で草】
【そういうとこ好き】
【水城さん連れて帰れ】
葵が笑いながら、俺の袖を掴んだ。
「その前に、管理局の事情聴取と治療。それから、ご飯」
「ご飯?」
「私、お腹空いた。命懸けのゲームの後くらい、助けてくれた人に奢らせて」
「普通、助けられた方が奢るんじゃないのか」
「じゃあ、私が助けたことにする。あなたを舞台に呼んだのは私だから」
「それはだいぶ強引だな」
俺たちのやり取りに、コメント欄がさらに騒がしくなる。
崩れ始めた劇場の向こうから、夜の渋谷の街明かりが見えた。
二百四十万人が暮らす街は、何事もなかったように輝いている。
剣を振るうことはできなかった。
炎を放つことも、傷を一瞬で癒やすこともできなかった。
それでも俺は、世界最強の探索者が負けた舞台で、たった三人のコメントを信じて勝つことができた。
きっと、これからも笑う者はいるだろう。
戦わない攻略など偽物だ。
考察配信者が現場に口を出すな。
Fランクに何ができる。
けれど、もう構わない。
力で開かない扉があるなら、ルールを読み解けばいい。
一人で選べない未来なら、信じられる誰かと選べばいい。
俺は視界に表示された、新しい配信タイトルの入力欄へ指を伸ばした。
入力する文字は、もう決めている。
――戦闘力ゼロでも、ダンジョンは攻略できる。
送信した瞬間、コメント欄に無数の星が流れた。
あの劇場で選ばなかった、けれど今は誰より眩しい、勝利を祝う星の紋章だった。




