【超短編小説】包茎゛胎内生活
眠り方を忘れてしまった。
寝返りをうっては羊が柵を飛び越えたり、爆発したりしている。
お前は何匹目だ?
アキレスと亀、おれと眠り。
目を開けたり閉じたりしながら、やがて来る朝を待っている。
そう言えば幼い頃に読んだ絵本で、巨大なクジラに飲み込まれた男がそのクジラの腹で生活をすると言うものがあった。
絵本の結末で男がどうなったのかは覚えていない。
クジラの中から出たのかも知れないし、クジラになったのかも知れない。
今もテレビで巨大なクジラが大きな口を開けて海そのものを飲み込むのを見ていると、ナイフだとかランプを鞄に詰め込んであの中を冒険したいと思う事がある。
巨大なクジラの腹に潜り、むかし押入れでそうした様に、小さなランプを頼りにして本を読む。
腹が減ったら、ナイフでクジラの腹を切って喰う。一緒に飲み込まれた小魚を調理したっていい。
眠くなったらランプを消して、クジラの腹の中で丸くなる。
穏やかな小波が寄せては返す。
おれはその波を数えて暮らす。
そうやって過ごしていたある日、同じようにクジラに飲まれた女のひとと出会う。
「どうしてここへ?」
おれが訊く。
彼女は答える。
「外の世界は騒がしいから、ここへ逃れてきたの」
そう、おれとあまり変わらないなと笑って、二人は巨大なクジラに飲まれてしまった魚を焼いて食べる。
「煙はどこにいくの?」
女のひとが訊く。
「もしかしたら、クジラの頭から換気された煙が出ているかも」
考えたことも無かったけど、おれはそうやって答える。
おれたちは幸福に暮らす。
本を読んで、眠る。
クジラの繊毛に撫でられながら笑う。
クジラの繊毛に撫でられているおれの手は、彼女の大きくなった腹を撫でている。
「そろそろ、出ていかなきゃね」
彼女が言う。
「そうだね」
おれは頷く。
クジラは永遠じゃない。
ここへ来る時に持ってきたナイフは、何度も研がれてすっかり小さくなってしまっている。
おれはその小さくなったナイフでクジラの腹を切り進む。
小さな光を頼りに気孔から顔を出す。
お腹の大きくなった女のひとの手を引っ張って外に出る。
寄せては返す波がある。
その海には一艘の船も浮かんでいない。
おれたちは泳いだ。
たどり着いたどの島や大陸にも、文明なんてひとつも無い。
そこはまるで、明るくなったクジラの中だった。
「わたしがいたころは、あんなにうるさかったのに」
彼女は目に涙を浮かべて言う。
それがあまりにも悲しそうだったので、おれは彼女をうっかり殺してしまった。
血が海に流れていった。
彼女は海になった。
おれはひとりになった。
そして夕方になってから、クジラの中に本とランプを置いてきた事を思い出して後悔した。
おれが棲んでいたクジラは、夕陽の辺りで浮かび上がり、名前を知らない大きな鳥たちに啄まれていた。
そうやって過ごしたいから、おれがクジラの中に入って行ったら、君は少し後から追いかけてきて欲しい。
それじゃあ、また後で。
おやすみ。




