透明人間
私の3歳下の妹、花鈴は小さな頃に大病を患った。今は完治しているが再発率が高く、年に数回は学校を休んで検査入院する。体調を崩しやすく、体力もない。
それでもいつも笑顔で愛想が良いから、周りの大人たちは彼女を可愛がり、心配した。
姉の私から見ても、妹はとても恵まれた容姿をしている。身長が高い私とは反対に、小さくて華奢なので、守ってあげたくなるのだと思う。
大体の人は、それだけで彼女をちやほやと甘やかす。 彼女の本性なんて、誰も知らない。
中一の頃、帰宅すると、当時小五の花鈴がリビングにいた。手には、私の担任がクラスに配ったお土産のキーホルダーがあった。部屋の引き出しにしまったはずなのに、と私は眉を顰めた。
「何? キモいからこっち見ないで」
「花鈴、それ私の」
「どうせ意味ないでしょ。もらってあげる」
彼女は指にリングを引っかけ、クルクルと回す。
「返して」
こういうことはよくあった。またやられた、と苛立った私は、いつもより強い口調でそれを奪い返した。花鈴は鋭く睨む。あの恐ろしい般若面を知るのは、この世で私だけだ。
その時、ニ階から降りてきた母が、掃除機を片付けにリビングに入ってきた。いつものように私とは目を合わせない。
「お母さん、瀬奈が花鈴のもの盗るの。友達が誕生日プレゼントにくれたやつ」
母は私の前までつかつかと歩いてきた。鼓動が早くなる。
無表情で、私の手からキーホルダーをむしり取った母は、花鈴を振り返り優しく微笑んだ。
「はい、花鈴。なくならないように、ちゃんとしまっておきなさい」
「でもそれ――」
言いかけた私を、母は睨んだ。血は争えない。あの般若面と瓜二つだった。
俯いて押し黙る私をよそに、リビングでは何事もなかったかのように会話が流れていく。
ここでは、私は透明人間だ。家族写真にも写らず、旅行にも連れて行かれない。花鈴は新品のブランド服、私は三着程度のよれた服を着回している。両親に笑顔を向けられた記憶もない。
スマホだけは花鈴のお下がりを渡された。SIMはなく、通信はできない。使えるのはWi-Fiが届く場所だけだったが、それでも嬉しかった。友達がいない私には充分だ。
透明人間の利点は、門限がないこと。日頃から留守番が多く、鍵は持たされていたので、何時でも勝手に帰宅できたし、何も言われなかった。本当は友達と夜遊びなんて憧れていたけれど、ぼっちな私は繁華街を彷徨う程度だ。
小学校では小汚い服でいじめられていたから、中学の制服は私を普通にしてくれるはずだった。
だけど普通の枠の中にも、私の居場所はなかった。
いじめられることはなくなったけど、友達ができるわけでもなかった。大人しそうな子達なら、話してくれるかもしれない。そう思った私は、昼休みに教室の片隅で絵を描いている3人組に、思い切って声をかけた。自分から誰かに話しかけるなんて、心臓が飛び出るかと思うくらい緊張した。
「何描いてるの?」
私の声に、3人は驚いたように顔を上げた。
「絵、すごく上手」
私が言うと、3人ははにかんだように顔を見合わせていた。
「ありがとう」
言葉が返ってきたことが嬉しくなって、更にこう続けた。
「特に、この髪の色が綺麗だね」
一人の子の顔がパッと明るくなる。
「もしかして、アレスティア様推し?」
「私はレイヴン推しなんだ」
「でもアレスティア様いいよねー!」
「ゼファイルとのシーンやばいよね!」
突然3人の熱量が上がり、目が輝きだす。聞いたこともない名前が口々に飛び交い、たじろいだ。
「あの、ごめんね。なんとか様?ってのは知らないんだけど……絵が上手いなって思って」
3人の熱が引いていくのがわかった。
「そっか。ありがとう」
気まずい沈黙が流れ、居た堪れなくなった。
「あ、邪魔してごめんね」
私は足早に廊下へ出た。どこを見ても誰かと笑い合っている。制服で取り繕っても、私は一人だった。
時間を潰そうとトイレへ行くと、ギャルグループが化粧を直していた。はしゃいだ一人の肩がぶつかっても、私は空気と同じようにすり抜ける。
どこへ行っても、私は透明人間だった。




