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死に損ないたちの岸辺  作者: ぜろ
第3章
14/15

扉の向こう

 高層マンションの並ぶ住宅街を、俺たちは歩いていた。

 午前の日差しが街路樹の葉を透かし、ガラス張りの建物の壁面には空の青と流れる雲が淡く映る。


「お前、なんだよあの小学生レベルの悪口」


 俺は苦笑を噛み殺し、呆れた視線を瀬奈に向けた。


「嫌な感じでムカついたんだもん。……でもアルト、私といるとロリコンの変態ホストって噂広まっちゃうかも。だってお店でも色んな人に見られたし」


「そう思うなら最初から来んなよな」


「だって、あの日名刺くれたじゃん」


「俺の名刺は命の相談窓口カードか?」


 俺はため息をついた。


「……まあ、店には親戚で通してるし、レイジさんがOKした以上、店のやつは下手に騒げねえよ」


「あーあ。世間は、未成年に厳しいよね」


「まあ、18になりゃもう少し自由効くようになるよ」


「あと半年なんて遥か未来のことだよ。私生きてるのかな」


「さあな」


 気づけば、周囲の建物は商業ビルに代わり、看板の数が増えていく。


 開店準備の忙しない物音に、シャッターの軋む音が重なる。

 そこへ通勤する人々の足音が流れ込み、通り全体が、ひとつの生き物のように呼吸していた。


 背後にあるタワーマンションは、すでに別の街の風景になっていた。


「お前って高校は行ってたの?」


「地元の公立通ってたけど最初の1週間行っただけ。出席日数的に、多分もう退学になってる。アルトは?高校」


「通ってたよ。それまで優等生の陽キャ演じてたのに突然失踪した俺について、母親が学校にどう伝えて処理したのかは知らねえけど」


「へえ、優等生アルトかあ。今からは想像つかないね。捜索願は出されてないのかな。警察に見つかって、連れ戻されたりとかさ」


「あー……。多分それはねえな。母親クスリやってたから普段から警察避けてたし」


 捜索願で見つかったとしても、母にとって都合が悪いのは明らかだった。

 俺が消えた理由を、警察に掘り下げられることだ。

 逮捕されるかどうかは、本質じゃない。

 ニュース沙汰にでもなって、底辺を這っている現実を父に知られること――それが、あの人には何より耐えがたい。


 父が捨てた女とその子供は、父がいなくても人生を楽しんでいなければならない。

 間違いなく、“幸せな側”でなければならない。


 母は、そう思い込むことでしか生きられなかった。

 それがあの人を縛り続けてきた呪いだった。


 俺は心拍数が少しずつ上がっていくのを隠し、平然を装いながら歩いた。


「それにもう成人だしな。見つかったところで拒否権あるから」


「拒否権?」


「捜索されても、居場所知られたくない俺みたいなやつのための権利」


「ふうん」


 通りの脇にある店の半開きのシャッターからは、重なった段ボールが見えた。その上には、夜の賑わいで力を使い切ったかのようなネオンが、ただ静かにぶら下がっている。


 風に転がされた空き缶がカラカラと音を立て、俺と瀬奈の間を通り、あのトランクルームのあるビルの前で止まる。


「午前中だし、いねえかもなあ」


「ねえ、誰かに会うの? やっぱ風俗なんじゃん?」


 瀬奈は近くにある看板を見て言った。それに釣られるように視線を看板に移すと、バニーガールが、胸を寄せてこちらを見ていた。


「だから売らねえって言ってるだろ。とりあえず入るぞ」


 ビルに入り、郵便受けの並ぶ共用部を抜けて、突き当たりの会社名が記された扉を開ける。

 カーペット敷きの床に、足音は吸い込まれるように鈍った。同じ高さの白いドアが整然と並んでいる。人の気配はなく、機械的な静けさだけがフロアを支配していた。


「わー、ここなに?」


「貸し出し倉庫みたいなとこ」


「ふーん。アルト、なんか取りに来たの?」


「いや俺が――つーかお前声デカすぎ。俺が倉庫借りてるわけじゃないけど、会いたいやつがいて」


「ふーん。なんかぎっちりドアが並んでて漫喫みたいだね!」


「だからお前、声が――」


「ちょっと、何? うるさいんですけどー!」


 俺が瀬奈の声量を制する前に、個室の中から声がした。


「作業に集中できないから静かにしてー!」


 聞き覚えのある、ハスキーボイスだ。


「あっ……。ごめんなさい」


 瀬奈は、ハッとした表情で口を押さえ、声の主に謝った。


「おい、ちょっと出て来てくれ」


 俺は声のする個室のドアを叩いた。


「えっ。アルト!喧嘩しちゃダメ」


 瀬奈は慌てて俺の腕を掴んだ。


「何? あんた誰?」


 明らかに面倒くさそうな声が、ドアの向こうから返ってくる。


「俺、この前会ったホスト。荷物運ぶの手伝ったろ。ちょっとあんたに相談があって」


 少し間を置いてから、扉が解錠された音がした。ゆっくりとドアが開き、わずかな隙間から、あの時の古着屋がこちらの様子を伺うように覗いている。


「え、何? 手伝ったから金よこせとかそういうの?それとも変な宗教の勧誘?」


「いや、そういうんじゃなくて。ちょっと、場所変えられねえ?時間取らせねえから」


 隙間から見える薄いブラウンの目は、訝しげに俺を見たあと、一歩後ろにいる瀬奈に向けられた。


「……なんかトラブルの匂いがするから嫌だ。それに今、梱包作業とメールの返信で忙しいし」


 古着屋はドアを閉めた。


「わかった。じゃあ、その作業手伝う。終わったら10分だけ話聞いて」


 しばらくの沈黙の後、再びドアが開き、じっとりとした視線が、隙間から覗く。


「……すんごい量だけど?」


「ああ、いいよ。瀬奈、お前も手伝うぞ」


「え? う、うん……?」


 古着屋は無言でドアを押し開け、顎だけで中へ促した。


 中の作業台の上にはたくさんの古着が置かれている。その下にある数個の段ボールは、おそらく発送用だがまだ封をされておらず、ビニールに包まれた衣類が入っているのが見えた。


 瀬奈は状況を掴めず、戸惑ったように個室内を見回していた。


「じゃ、2人ともこの手袋はめて。これから教える手順で梱包してもらうから。中には高額な物もあるから丁重に扱ってね」


 その古着屋は、俺と瀬奈に白い布の手袋を手渡すと、作業工程を淡々と説明しはじめた。

 服を扱うその手つきは丁寧で、ひとつひとつの動作に迷いがない。

 俺は時折頷きながら耳を傾けた。


 さっきまで所在なさげに立っていた瀬奈の背筋が、少しずつ伸びていく。

 その変化を、俺は黙って横目で見ていた。

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