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死に損ないたちの岸辺  作者: ぜろ
第3章
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少女の来訪

 俺は送り指名の客と一緒に、エレベーターを待っていた。遊び慣れしてなさそうな初回客だったが、こいつはなかなか金払いが良さそうだ。客が帰る時、本来はエレベーター前まで送るのが基本だが、一緒に乗り込んだ。


「今日は来てくれてありがとう。楽しかった。また会いたい」


 そう言って、初回客の髪を撫でた。俺を見あげる彼女の目を見て、いけると踏んだ俺は、軽く唇に触れるようにキスをした。


「本当はエレベーター前までなんだけど。内緒な?」


 完全に堕ちた音が聞こえた。彼女の表情は甘く溶けていた。育てがいのありそうな、新規客ゲット。


 戻ると、入り口のところで店長と客が揉めているようだった。

 落とされた照明を境に、外の喧騒と店内の空気がぱたりと切り替わる。


「悪いけど、未成年の入店はお断りしてるんだよね」


 元No. 1ホストの店長、レイジさんが言った。また年齢誤魔化したやっかいな客か、と気にも留めず通り過ぎようとした瞬間、ピンクの髪が視界に刺さった。


「あ」


 声が勝手に漏れた。

 グレーのカラコンの瞳が、一直線に俺を捉えた。


「見つけたー!」


 歩道橋にいた少女が、嬉しそうに言った。


「アルト、知り合いか」


 レイジさんが面倒くさそうに頭を掻く。

 客でも黒服でもなく、瀬奈のほうを薄く一瞥するだけで状況を測っていた。


 少女は強い眼圧で、何かを訴えるように俺を見据えていた。


「……ちょっと、親戚の子で」


「未成年だろ」


「今晩だけ見逃してくれないすか。オーラスで卓つけてもらって、酒は俺が飲むんで」


 レイジさんは深くため息をついた。


「しゃーねえな。奥の卓空いてるから、今そこつける。面倒くせえからあんま目立たねえようにしろよ」


「ありがとうございます」


 この人は、俺が家出したばかりの頃に裏方の皿洗いとして拾ってくれた恩人だ。俺に夜職のイロハを徹底的に教え、面倒を見てくれた理解のある人だった。一方で、筋を通さなかったやつらがどう潰されるかも、俺はここで何度も見てきた。裏社会との繋がりもある、いわゆるグレーな人。


 そんなレイジさんが譲歩したのは、今日俺が太客三本確定で、満卓でもなかったからだろう。

 普通なら、金にならない未成年を入れる理由なんて一つもない。


「クソ、店に迷惑かけらんねえから今日は自腹で金落とすしかねえな」


 本当は、ここで突っぱねてしまうのが一番楽だ。

 それでも、もう一度視界に入り込んできたこいつを、完全に切り捨てきれない自分がいる。


「ねえ、アルト」


「なんだよお前、この前ガキは門前払いされるってわかってただろ」


 タバコに火をつけた。


「つるんでた子たちに、全財産入ったスーツケース持って逃げられちゃったからさ」


 瀬奈はそう言うと、オレンジジュースをストローで飲む。


「いや、話が見えねえ。だからってなんでここに来る?」


「このまま死ぬのもアリかなあとも思ったんだけど、ポケットから名刺出てきて、なんとなく足が向いた」


 俺は、少女の手首に視線を落とした。

 よりによって、この街で一番ろくでもない場所を選ぶ。

 行き場のなさを、こんな形で見せつけられるのが一番面倒だ。



「……お前、あの辺の広場でたむろしてる系の若者?」


「そう。よくわかったね」


「なんとなくそんな気はしてたからな。名前は?何歳?」


「瀬奈。17」


「はあ……」


「やっぱりガチのクソガキかって思ったでしょ」


「わかってんなら来んなよ」


 俺は煙を吐きだした。


「ホストクラブって、一度来てみたかったんだ」


「お前……瀬奈、この後どうするつもり?」


「アルトんち行く」


「は?」


「タダでとは言わないよ。でも今はお金ないから、体で勘弁して」


「ガキが。豊満ボディになってから言え」


「おっさんみたい。アルト何歳?」


「23」


「ふーん」


 瀬奈はジュースを一気に飲み干した。


「美味しいこれ!おかわり!」


 ちょうどその時、黒服に肩を叩かれた。回転の合図だ。


「俺ちょっと他の指名客のとこ行かなきゃいけないから、好きなもん頼んでて。他のやつ卓に付いても成人って言い張れよ。あと、ノンアル限定な」


 接客しながらも、横目で確認する。

 ヘルプのキャストと笑ってはしゃぐ姿は、どこにでもいる17歳に見えた。

 歩道橋で見かけたときの、どこか虚ろで儚げな気配と噛み合わず、そのアンバランスさが不穏だった。


 いつものようにアルトを演じ、シャンパンコールを二回こなした。

 照明の熱が肌に残り、コールの余韻が耳にまとわりつく中、瀬奈の待つ卓へ戻る。


「おかえりー! ねえねえ、あの写真、左から2番目がアルトだよね?」


 瀬奈はキャストの写真がずらりと貼られた壁を指差した。


「ん? ああ、そう」


 最近風営法が変わって、ナンバー表記は禁止になった。

 だから店内の写真から、No.1だのNo.2だのの文字は消えた。


 でも、ただそれだけだ。


 壁に並ぶキャストの写真は、今も変わらず同じ順番で貼られている。

 数字がなくても、どいつが上でどいつが下かくらい、客は一目で察する。


「4年前の写真だから、そろそろ撮り直したいんだよな」


「本当だ。めっちゃ若い」


 そう言った瀬奈の笑顔だけ、店内でやけに鮮やかに浮いていた。


 歩道橋で会った時から、瀬奈の手首の傷には気づいていた。


 死を望みながら、生にしがみついている。

 孤独を受け入れようともがきながらも、愛を探している印だ。


 誰かに必要とされる自分を、痛々しいほどに渇望している。


 あの日から、まだあどけなさの残る少女の無垢な笑顔が頭から離れなかった。


 この街で生きる限り、瀬奈はこれから何度も失望を知るとわかっていた。

 やがてその笑顔から光は消えて、胸の奥にかすかに灯っている火も、いずれ簡単に消えるだろう。


――でも、目の前の彼女はまだ笑えている。


 俺は多分、その事実に心のどこかで安堵していた。

 他人を気にかける感情なんてもうないと思っていた。


 どこか自分と似た境遇の彼女が、この街の決まりきった落ち方から外れてくれるのを、見てみたかったのかもしれない。

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