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4.ボッチだって別に構わない

 学園生活が始まる。

 ヴィクトリアは歴史ある学園の正門の前で足を止めた。


「ここが、学園……」


 知り合いは誰もいない。重い気分のまま、ひとつ息を吐き、周囲を物珍しさにきょろきょろしながら歩いた。

 よそ見していたせいだろうか。ヴィクトリアは何かに強くぶつかった。


「きゃっ!」


 強く押されて、ヴィクトリアは後ろに倒れ込んだ。勢いに負けて、そのまま尻もちをつく。


「……大丈夫か?」


 低く、涼やかな声が頭上から降ってきた。

 顔を上げると、制服姿の男子学生が立っていた。短く刈り揃えられた黒髪、切れ長の目、無駄のない体つき。

 彼は無言で手を差し出してきた。その仕草に、ほんの少しだけ、鼓動が跳ねた。

 戸惑いながらも、その手を取ると、ぐいと力強く引き上げられる。


「その髪色……お前、新入生か」

「えっと……?」


 咄嗟に返せずにいると、彼は表情一つ変えずに言い放った。その眼光は刺し殺してしまうんではないかと思うほど冷ややか。


「初日から、男を物色するとはね。さっさと戻れ」


 ぶっきらぼうに道を指し示すと、そのまま足早に立ち去っていく。


「な、なにそれ……! ぶつかってきたのは、そっちじゃない!」


 腹が立つ。

 ヴィクトリアは、悔しさを呑み込むようにため息をついて、スカートを払い立ち上がった。


(貴族男性って、みんなあんな感じなのかしら)


 内心、がっかりしながら、入学式の行われる場所へと向かった。


 入学式は厳かな雰囲気の中で進んでいた。

 高位貴族の子息や令嬢たちが整然と並び、それぞれが礼儀正しくふるまっている。だが、その空気は、どこか冷たい。


 ――視線を感じる。


 ヴィクトリアは肩をすくめるようにして辺りを見回した。誰とも目が合わないのに、確かに、向けられる気配だけはある。

 ざわつきのない沈黙の中に、彼女の存在だけが、ひときわ浮いている。


(……まただ)


 何もしていない。何も話していない。ただ、そこにいるだけなのに、まるで空気が少しだけ変わったように感じる。席に着こうとすると、さりげなく空けられた隣の椅子、わずかに引かれるスカートの裾、ひそやかな囁き。


「見て、あれ……」

「新入生の子……髪、あの色だよね?」

「まさかね。でも、男爵家の出身らしいよ?」

「最悪、再来じゃん……また男狙いで来たとか?」

「なんで学園に来たのかしら……」


 聞こえないふりをして、目を閉じる。心の中に、静かに疑問が広がっていく。


(また? 何の話?)


 母の遺言で入学を決めた学園。けれど、待っていたのは歓迎ではなかった。

 意味が分からず、内心首を傾げながら、ヴィクトリアはまっすぐ前を見る。壇上では学院長が祝辞を述べていた。だが、祝辞は耳を通りすぎ、気になるのは囁かれる噂の方だった。

 入学式が終わり、門へ向かっていると、誰かとすれ違った。今度はわざと肩をぶつけられる。


「……っ」


 見ると、二人の女生徒がこちらを見ていた。どちらも名門侯爵家の紋章を身に着けている。明らかに、敵意のこもった視線だった。


「……気をつけて歩いてくれないかしら。変な髪色の子って、そういうところも下品なのね」

「王子にでも擦り寄ったら、大変だわ」


 二人は小さく笑って、足早に去っていった。

 ヴィクトリアはその背を見送りながら、呆気に取られていた。


「ええ? 変な髪?」


 思わず自分の髪を摘む。そして、観察するように辺りを見回せば、確かにこの髪が一番視線を向けられている。


(この髪色でこんなにも敵意を向けられているの? 何故?)


 これはクラレンスに確認せねば、と足早に学園から出た。

 屋敷に帰りつくと、すぐさまクラレンスのいる執務室へと突撃した。


「伯父様、聞いてほしいの!」

「なんだい?」


 クラレンスは嫌な顔をせずに、ソファーに座るように言う。ヴィクトリアは今日の入学式の様子を話した。


「はあ? 学校で敵視されている?」

「そうなの。学校中の人たちの視線が冷たく感じたわ」


 一通り話し終わったヴィクトリアは、のどを潤すようにお茶を飲む。クラレンスはうーんと首をひねる。


「ヴィクトリアは社交界にデビューしていないし……エルミナも仕事での付き合いはあっても、個人的なつながりはほとんど作っていないからなぁ」


 彼も不思議だとしか言いようがなかった。


「なんだか、この髪の色? がダメみたい」

「ピンクブロンドが? 確かに珍しい色だとは思うけど……」


 二人して沈黙した。考えたところで、何も出てこない。


「あまりにも態度がひどいようなら、学園、やめるか? 別にこの国にいる必要はないしな」

「今日は周りの勘違いということもあるだろうから、しばらく様子を見てみる」

「そうか。あまり無理するなよ」


 学園の話はここで終わった。ヴィクトリアはそれよりも、ジュリアンの方が気になって仕方がない。


「ジュリアンの方はどうなっているの?」

「屋敷も用意したし、画材も十分与えてある。あとは、彼から請求書が回ってくるはずだ」


 そう言って、クラレンスは手紙を差し出した。


「ジュリアンから」


 嬉しくてすぐにそれを受け取ると、封を切る。中から小さなサイズの絵が出てきた。そこには、美しい青い空の下に、ヴェールを被った女性の姿が小さく描かれている。


「これ、私かしら?」

「そうだろうな」


 はっきりとした顔は書かれていない。それでも、ヴェールの下にほのかなピンク色の髪が透けて見えた。


「すごく素敵……こんな描き方もあるのね」

「流行りの画風ではないね。でも、上手く紹介すれば、人気が出るかもしれないな」


 クラレンスは冷静にそう評価した。その言葉は、自分が褒められたように嬉しかった。


「ジュリアンに返事を書いてくる!」


 ヴィクトリアは勢いよく立ち上がった。

 自分の部屋に戻ると、送られた絵を机の上に置いた。そして、最初に貰ったスケッチも一緒に並べる。どちらの絵も、彼の筆の柔らかさを感じさせる。


「やっぱりすごく、綺麗……」


 声にならない声が漏れる。胸の奥がじんわりと温かくなる。そして、手紙を広げた。


『ようやくアトリエが整った。時間があったら、見てほしい』


 その文字に、ヴィクトリアの頬が熱くなる。彼にとってはただの業務連絡でも、特別に思えた。


(なんだろう、この気持ち……)


 自然と笑みを浮かべ、手紙を胸に抱える。次に会うとき、どんな顔をすればいいのだろうか。照れくさい気持ちと、少しの期待が混ざり合って、胸が少し高鳴る。

 取り急ぎ、紙とペンを手に取り、すぐに返事を書き始めた。


『今日、学園でちょっと困ったことがあったの。ピンクブロンドは好かれていないみたい』


 近況を伝えるように、冗談を交えて学園での出来事を少しだけ書いた。

 ヴィクトリアは彼がどんな反応をするだろう、とつい想像する。まだ、二度しかあっていないから、困ったような驚いたような反応しか想像できない。


(……私、彼のこと、気になってるのかも)


 ひそやかな呟きに、自分でも驚く。だが否定する気は、どこにもなかった。



(ぼっち、さいこー……)


 入学してから、三か月。

 ヴィクトリアは一人でお昼を食べていた。しかも、誰もいない裏庭にある廃温室だ。初めは一人であっても食堂を使ったり、庭のベンチを使っていたのだが、どういうわけか、わざわざ突っかかってくる人がいる。

 最初は丁寧に誤解だと説明していたのだが――。


(そもそも、何も関係ないことで責められてもなぁ)


 クラレンスの情報と、突っかかってくる人たちの言葉をまとめると、六年ほど前に、男爵家に養女となったピンクブロンドの令嬢のやらかしが影響していた。

 どうやら随分とコミュ力の高い令嬢だったようで、王子を含め、上位貴族令息たちを軒並みメロメロにしたらしい。その結果、婚約を結んでいた令嬢たちが一斉に婚約破棄し、下心を持っていた令息たちは廃嫡されたり、除籍されたりと大変な騒動になったそうだ。


(私の共通点って、男爵家に養女になったということと、ピンクブロンドだけなのに)


 そうは思ってはいるものの、二つも共通項があれば同じような人だろうと考えるのは人として理解できる。理解できるが、受け入れられることではない。

 ヴィクトリアはサンドウィッチにかぶりついた。


「おいしー!」


 今日のサンドウィッチは男爵家の料理長の力作である。美味しいという感想しかない。それを丁寧に食べながら、今後のことを考えた。

 クラスメートには遠巻きにされているが、邪魔をされているほどではなく、どちらかというと、上の学年の令嬢達のあたりがキツイ。あとは、やたらと令息たちに牽制されているところか。

 クラレンス調べによると、どうやら一学年上には第三王子がいて、さらに王妹を母に持つ公爵家の令息がいるそうだ。だからこそ、ピンクブロンドの髪の男爵令嬢の排除方針を取っている。


「はあ、面倒くさい」


 そう思いつつも、今日は気持ちが晴れやかだった。なんせ、学園が終わった後、ジュリアンに会うからだ。

 彼とは業務報告という名の文通をしており、色々と愚痴っている。そして、それに対して、彼は「懐かしいなぁ」とほっこりとしたエピソードを書いてくれていた。


(というか、ジュリアンって、絶対にいいところのお坊ちゃまよね。立ち振る舞いがすごく綺麗だもの)


 気持ちは学園から、ジュリアンへと移動していく。ジュリアンは身だしなみを整えると、確かに女性たちが食いつきたくなるほどの美形だった。

 どれほどの美形かといえば、この世の中で一番の美形としか言いようがない。銀の長い髪はさらっさら、肌はきめ細かく、染み一つない。何よりも美しい瞳をしていた。


(今まで無事に生きてこられたのが不思議だわ)


 人さらいに会ってしまっても不思議はないほど、綺麗な生き物だった。だが、ヴィクトリアが一番素晴らしいと思っていのは彼の絵のセンスだ。ただ、売れていない。今の流行とは少し違うから、その良さが理解されない。

 今日は、ジュリアンの作品を見に行く日だ。それだけで、この苦境を乗り越えられそう。

 最後の一切れを食べ終わると、飲み物を飲み干した。手早く片づけ、廃温室を出る。


「あら、あなた……」


(うわー、面倒くさい。上級生だ!)


 出来る限り人に会わないようにと思っていたのに、一番あってはいけない人に会った。


 イザベラ・ブラックウッド侯爵令嬢。

 第三王子の幼なじみで、婚約者候補。


 なぜ知っているかといえば、クラレンスが要注意人物として名前を挙げていたから。


(婚約者でもないのに、出しゃばってくるところがなんとも)


 ヴィクトリアは内心を綺麗に隠し、小さくお辞儀をする。それで、脇を抜ければ完璧なはずだった。


「お待ちなさい」


 だが、イザベラはヴィクトリアを逃すつもりはないようだ。


(そうですよねー。わざわざこんなところまで来ているんだから)


 ため息を一つついて、顔を上げた。


「何か御用ですか?」


 愛想よく聞いたが、イザベラは気にすることなくじろじろとヴィクトリアを値踏みする。


「ふうん。品のないピンクブロンドを持っているというだけね」


 母親譲りの髪を貶されて、かっとなる。だが、すぐに拳を握りしめて感情を抑え込んだ。

 ここで、言い返したらさらに悪い方向に向かう。それはよく理解していた。


(私がピンクブロンドで、男爵令嬢だという記号だけで見てる人たちだわ。噂も捏造されたものが多いし)


 ほとほと嫌になる。


「ご用件はそれだけですか? それでは失礼いたします」


 相手にしていても、嫌味が返ってくるだけだろう。心証は元々よくないのだ。何か喚いているイザベラを置いて、さっさとその場を離れた。


(もう! ついていないわ。早くジュリアンに会いたい)


 残りの授業を憂鬱に思いながらも、教室へと向かった。

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