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理想を諦めない

 放課後の廊下を歩いていたときだった。開きかけた化学室の扉の隙間から、人影が見えた。

 中で何かを並べているような動き。ちらりと見えた制服のラインに、私は小さく息を呑む。


「(……あ、九条さん)」


 気づいた瞬間、足が止まった。

 声をかけようか、やめようか。ほんの数秒の間に何通りも迷ってしまう。


 だって、私は一度彼に告白して振られてる。


 「勉強に集中したいから」って、丁寧に断ってくれたけど。それでもあれは振られたという事実に変わりなくて。


 明るく笑って「普通に振られましたー!」なんて夏芽には冗談めかして言ったけど、本当はしばらく目も合わせられなかった。

 今も、正直ちょっと……気まずい。


「(でも……困ってる?)」


 机の上にはプリントの束や試験管がごちゃっと並んでいて、九条君がそれを一人で黙々と仕分けている。

 優等生な彼が珍しく眉間にしわ寄せていて、その姿に不思議と胸がきゅっとなった。


「……よかったら、手伝おっか?」


 気づいたら声が出ていた。

 九条さんが少し驚いたように振り返る。その瞬間、また心臓が跳ねた。目が合っただけなのに顔が熱くなる。


「あ、赤松さん。こんにちは」


「こんにちは。って、何してるの?」


「先生に頼まれて授業準備を。明日の実験で使うらしいので」


「ふーん……ってか、これ全部一人でやるつもりだったの? 倒れるよ? そのうち」


 なるべく明るく言葉を繋ぐけど、どこかぎこちなくなってしまうのが自分でも分かる。


「ふふっ、大丈夫ですよ。そんなにハードなものじゃないですから」


「いやいや、一人でクラス分やるなんて大変でしょ?先生も九条さん一人に頼むなんてどうなのかね〜」


「まあ、化学の佐藤先生はいつも忙しそうですから。それに、誰かの為に働くのは嫌いじゃありませんので」


「そっか。……ホント、九条さんのそういうとこ凄いと思う」


「そうですか?」


 九条さんのその優しさに惚れたからこそ、自信を持って私はそう言える。


「うん、ホントに。……じゃあ、私もやっぱり手伝うよ。ちょうど暇してるし」


「いえ、でも……無理に手伝わせるのも――」


「無理じゃないよ。むしろ、やらせて?」


 思わず少しだけ声が強くなってしまった。

 九条さんが少しだけ目を見開いて、それから柔らかく笑う。


「ありがとうございます。助かります」


 その笑顔を見た瞬間、少しだけ胸が痛んだ。


「(うん……やっぱ、まだちゃんと平気じゃないや)」


 でも、この距離を戻すのが怖くて、でも完全に遠ざかるのも嫌で、私は今でもぐらぐらしてる。ガラス器具を布で拭きながら、私はふと口を開いた。


「……ねえ、九条さんってさ。私のこと、気まずく思ってない?」


 思わず出た言葉だった。

 彼は動きを止め、少しだけ視線をこちらに向ける。


「気まずいと思ってるのは僕じゃなくて、赤松さんの方じゃないですか?」


「っ……図星すぎてぐうの音も出ない」


 冗談めかして返したけど、心臓が少し跳ねた。でも、彼の言い方に責めるような色はなくて。


「……でも、正直ちょっと怖かったよ。嫌われたかなって。振った相手に普通に接するって、案外難しいでしょ?」


「嫌う理由なんてないですよ。むしろ、ああやって気持ちを言葉にしてくれたこと、嬉しく思います」


 その声は静かで、真っ直ぐで、余計に胸が痛かった。


 だって、彼はちゃんと向き合ってくれてる。私はそんな彼に見合う人間じゃなかったのかもしれない。


「……じゃあ、今こうして手伝ってる私、変じゃない?」


「変じゃないです。嬉しいです」


 その言葉に少しだけ肩の力が抜けた。

だけど、それと同時にほんの少しだけ欲が出る。


「(嫌われていないならまだチャンスが私にはあるんじゃないか)」


 ……ダメだ。そんなこと考えちゃ。


「……もう一回惚れ直さないように気をつけないとなあ」


 冗談っぽく呟いたつもりだったけど、九条さんは少しだけ驚いたように目を瞬かせた。


「……それは冗談ですか?」


「んー……半分本気。半分、冗談。だからスルーしてもいいよ?」


「………反応に困りますね」


 そう言って私は笑ったけど、視線は合わせられなかった。


 私は多分、というか絶対にまだ未練があるんだと思う。

 でも、それはもう伝えちゃいけない気がしていた。もう勝負して負けた身だし、彼の隣にはもう既に誰か別の影があるんじゃないかと考えてしまう。


 それでも、こうして傍にいられるだけでちょっと救われて、嬉しくて。試験管を並べる手元が、少しずつ落ち着いてくる。


 だけど、私の胸の内に滾る思いは全く冷めない。むしろ九条さんと会うたびに溢れてくる。

 この不器用でちぐはぐな距離じゃあ、満足は出来なかった。それがきっと私なりの答えなんだろう。


 九条さんはさっきまでと変わらず穏やかに、でも丁寧に一つ一つの道具を整えていく。その横顔が綺麗で目を奪われるのは、好きな人だからという以前にきっと女なら当然のこと。


「……やっぱ、ズルいよね、九条さんって」


 私がぽつりとつぶやくと、手を止めてこちらを見た。


「僕が何かしましたか?」


「ううん、してない。むしろ、優しすぎるくらい」


 だからこそ困るんだよ。期待しちゃいけないってわかってるのに、ほんの少しの言葉とか、視線とか、笑顔とか――それだけでまた少し希望を拾ってしまう。


「ちゃんと断ったのにさ。そういうふうに優しくされると、ちょっとだけ……未練って、残るもんだよ」


「それは………」


 九条さんは困ったように口ごもる。

 まったく、振られた分際で何を言っているのか。九条さんはきっと、相手を傷つけないように優しく言葉を選んでくれたかもしれないのに。


 まあでも、そんな相手に希望を持たせるような言動をする九条さんも罪づくりだ。

 ………だから、この気持ちを押さえつけられなくなってしまっても、悪いのは九条さんだよね?


「私、諦めないよ」


 その言葉は、私自身でも驚くくらい真っ直ぐだった。

 九条さんが目を瞬く。あまり見たことのない九条さんの驚いた表情。


「……また、そいう風に言われるとは思いませんでした」

「ふふ、私も思ってなかった。でも言っちゃったからにはもう引けないよね」


 冗談っぽく笑いながらも、視線はちゃんと彼に向けていた。逃げたくない。もう一度だけ、真正面からぶつかってみたいと思ったから。


「一回断られたら諦めなきゃいけないなんてルール、無いもんね?」


「それはそうですが………」


「でも、あれだよ? 付きまとったりはしないから。ちゃんと距離感わきまえるし、普通に友達でいる。でも、それでも――」


 私は試験管を最後の一本を棚に収めてからもう一度だけ口にした。


「……もう一回、好きになってもいいでしょ?」


 九条さんはしばらく黙ったままだった。だが、それを拒絶しない沈黙に私は少しだけ救われた。


 やがて――。


「今まで断ってきた人はその一回で諦めてくれたから、赤松さんみたいな人は初めてです」

「あははっ、私諦め悪いからさ~」

「………その赤松さんの期待には答えられなくてもですか?」

「今は、でしょ?もっと私を知ってもらって、九条さんに好かれて見せる。そしてまた告白するよ」


 その言葉が、静かな化学室の空気を少しだけ震わせた。

 九条さんは手にしていたプリントをそっと机に置き、ほんの一瞬だけ視線を泳がせた。


「……赤松さん」

「ん?」

「……貴女だってずるいですよ。そういう風に言われたことないし…………」


 彼の声は困ったように低く、トーンがいつもとは何処か違った。


「断れないのは……私がそれなりに魅力的だから? それとも、ちょっとくらいは気持ちが揺れてるってこと?」


 半分冗談めかして、でも目だけは逸らさずに訊いた。

 彼はまた言葉に詰まって小さくため息をついた。いつもの完璧な顔じゃない。素の様な、少しだけ呆れて困った顔。


 それを見て、私はぐっと前に出る。


「じゃあ、今は揺れてるってことで、私の勝ちってことにしとこうかな?」


「っ……」


 耳が赤い、見たことのない九条さんの表情。いつもよりずっと高校生という年相応なその表情に、私は胸の奥をぐっと締めつけられる。

 それでも、私はまた一歩距離を詰めた。


「私、退かないよ。ぐいぐい押すけどちゃんと距離は守る。でもね」


 すっと、机越しに身を乗り出して、声を落とす。


「いつかまた、“好きです”って言うときには、今度こそ落としてみせるから」


 いつもとは違う九条さんの顔が、私の中に灯をともした。

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