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理想の姉

「……なんか、最近また増えてきてない? 告白してくる人」


 放課後、昇降口へと続く廊下を並んで歩きながら、僕は淡々とした声でそう言った。


「そうですね。もう少し響希様に相応しい者であれば受ける選択肢もあるのに」

「はいはい、遠回しに悪口を言うのはやめましょう」


 僕は苦笑しながら手に持った鞄を少しだけ持ち直す。


「それにしても……やっぱり疲れるな。断る方もそれなりにエネルギー使うし」

「響希様は優しすぎるのです。もっと冷たくても良いかと」

「冷たくしたらしたで後が面倒くさいし、申し訳なさで自己嫌悪に陥るから無理だよ」


 そんな何気ないやりとりをしていた、そのときだった。


 廊下の向こう、制服の上に淡いグレーのカーディガンを羽織った女子生徒が数人の女子に囲まれて談笑していた。髪は艶のある黒、背筋は真っ直ぐで、微笑むその様はまさに模範。生徒会副会長、学年主席、陸上部部長──誰もが一目置く三年生。


 彼女の名は、九条紗月(くじょうさつき)。僕の姉だ。


 その姉が僕に気づいた瞬間、目元が柔らかくほころぶ。


「ひ・び・き♪」


 女子たちの輪をすり抜け、僕に向かって軽やかに駆けてくる。

 ……ああ、来るってわかってたけど、今日はやめてほしかった。


「お疲れ様、響希。今日もちゃんとあれ、やってる?」

「……その表現やめてくれません? 別にわざとやってるわけじゃないのですが」

「うん~?だって何か敬語って寂しいじゃん?家では違うのにさー。まあ、私にとって響希は理想そのものだから、ただ生きてるだけで良いんだけどね~」


 軽く頬をつつかれる。これを誰かに見られたら……いや、もう見られてるな。目の前にいる女子グループからの視線が痛い。


「というか、どうして今日ここにいるんですか。昼休みでしょ。三年生の教室は反対側では?」

「何よその言い方。ちょっと顔見に来ただけじゃん。響希がまた告白断ってばっかりだって聞いたから、様子見にね?」

「……誰から聞きました?」

「伊織ちゃんから」


 すっと指をさされ、隣の伊織が無言で目を逸らした。


「え、ちょ……ちょっと伊織!?」

「身の安全を考慮した上での判断です」

「安全って……僕、いつ危険になったのさ……」


 そんな僕の嘆きをよそに、姉さんは当然のように僕と伊織の間に割って入ってくる。そして、あろうことか僕の頭を優しくぽんぽんと撫でてきた。


「……ちょ、ここで頭撫でるのやめてくださいっ。見られてるから変な噂立ったら困るし……」

「えー、可愛い弟を撫でちゃだめ? こんなに頑張ってるのに」

「だからってここで撫でる必要は……!」

「紗月様。響希様に過剰な接触は控えていただけますか」


 横から静かに、けれど確実に棘のある声が差し込まれる。

 僕の従者、雪平伊織。その表情はいつになく真顔だった。


「……えっ、なに、伊織ちゃん嫉妬? まさか弟取られるって思っちゃった?」

「違います。ただ、貴女の弟愛が周囲の誤解を招くという懸念が拭えないだけです」

「ふーん……でも、そうやって真顔でいっつも響希の隣に寄り添う従者の方が誤解されそうだけどね?」

「……………」


 伊織が沈黙する。珍しく言葉を失っている。いや、睨んでる。姉さんを。


「あの、僕の人間関係に火種ばらまくのやめてもらえます……?」


 僕は必死に間に入りつつも、正直なところ、ちょっと面白くもある。姉と伊織は水と油だ。どちらも僕にとって大事な存在だけど、お互いの領域に踏み込むと必ずこうなる。


「……ま、今日は顔見に来ただけだから。じゃあね、響希。あ、あとこれ、差し入れ」


 そう言って姉は、ポケットから蜂蜜レモン味の飴を一粒僕の手に置いてから、ひらひらと手を振ってもといた女子グループの方へ去っていった。


「…………ふぅ」


 ようやく姉が去ったのを見て、僕は思わず肩の力を抜いた。


「紗月様がいると、響希様が何だか幼く扱われてしまいます……………」

「いや、姉だから仕方ないでしょ……?実際弟なんだから姉さんよりは幼いわけだし」


 僕は貰った飴を眺めながら、側にいる伊織の扱いに少し手を焼く。

 姉は過保護でおせっかい。でも、僕のことを一番長く知ってる存在で。伊織は冷静で毒舌だけど、誰よりも近くで僕を支えてくれる存在だ。


 理想を演じる僕を、違う形でそれぞれ肯定してくれる二人。


 ……そのどちらも、大切なのだと僕は思っている。





 夜。九条家の食卓。豪奢すぎず、けれど洗練されたダイニングには食器の触れ合う音が控えめに響いている。

 その食器の音は僕と姉の二つのみ。


 両親はいない。この家は学校に近い別邸だし、仕事で多忙な二人はほぼオフィスに住み込みか、たまに本邸の方に帰るくらい。

 別に寂しいとかは思わない。一人ってわけじゃないし、姉さんだって伊織だっているし。


 向かいの席に座る姉、九条紗月は普段の学校では見せない表情を浮かべていた。制服からは着替えて、ゆったりとしたニットの部屋着に包まれている。肩の力が抜けて、長い黒髪をふわりと結い上げたその姿はどこか大人な姉らしくもあり、年相応の少女にも見えた。


「響希、最近の恋愛事情はどうなの?」


 さらっと、けれど明確な狙いを込めた声が向かいから飛んできた。


 僕はスプーンの手を止める。目の前のシチューはまだ湯気を立てていて、味も香りもそこそこ良いのになんだか一気に食欲が半減した。


「……何、その入り方。唐突すぎない?」

「弟がモテてるって噂を聞いたら、姉としては気になって当然でしょう?」


 そう言って、姉さんはにこりと笑う。悪気のなさそうな微笑み。でも、そこに悪意が必ずないとは限らない。


「僕の恋愛事情に動きなんて微塵もないよ」

「それはそれで問題だと思うけど。で?どうなの?」

「どうって……だから何もないよ。いつも通り、告白されて、断って、伊織に小言貰って終わり」

「ふぅん……」


 姉さんはグラスに注がれた水を口に含み、わざとらしくひと息ついた。


「糸瀬夏芽さんって子は?」

「…………何で名前知ってるわけ」

「ん~?それは勿論伊織ちゃんからだけど?」

「情報網どうなってるの?というか何で伊織も知ってんの……………」


 糸瀬さんと会話したときは伊織から飲み物を頼まれて買いに行った時だから知らないはずだし、図書館の時も僕一人で行動してたはずだから…………。


「で……?その糸瀬さんって子とは上手く行ってるの?」

「別に何もないって。ちょっと会話しただけ。話すようになったのだって、たまたま偶然が続いただけ」

「でもその偶然、結構多いわよね?図書室、自販機、渡り廊下……」

「…………そこまで知ってるとかもはや怖いんだけど」

「伊織ちゃんがちゃんと報告してくれてるから。感謝すべきよ?」


 感謝よりまず後で伊織を叱っておかないと。ストーカー行為は禁止。


「でもさ、仮に誰かと付き合いたいと思ったらちゃんと相談してね?」

「……姉に?」

「当たり前じゃない。響希の恋人になる相手がちゃんと響希の価値を分かってる人かどうか、私が見極めないと」

「面接官か何か……?」

「うん。あとで履歴書もらうし」


 悪びれもなく言いながら、姉はくすっと笑った。僕は呆れて目を伏せるしかない。

 だけど、なんだろう。こんな風に言ってくれる姉がいるって、少しだけ安心する。


「……でもさ。たぶん僕、誰かと付き合うってなったら、きっとすごく迷うと思う」

「どうして?」

「だって、ずっと理想でいなきゃいけなかったから。誰かと恋愛するって、もっと自然体でいるものじゃない? それが、僕にはちょっと……難しい」

「………………」


 姉さんは珍しく黙った。少しの間、食器の音すら消えた静寂が部屋を支配する。

 やがて彼女は椅子の背にもたれて小さく微笑んだ。


「だったら、その理想を壊せる子に出会いなさい。できれば私より、響希のことを分かってくれる子に」

「……それ、弟バカの姉さんが言うこと?」

「弟バカだから言ってるのよ。私は響希のことを知りすぎてる。だから、理想を壊すなら私より響希を分かってくれる子じゃなきゃ。そういう人に壊してもらいなさい。響希の理想も、着ている鎧も、嘘も」


 それは姉からの助言でもあり、少しだけ寂しい覚悟のようにも聞こえた。

 僕はそっと頷く。まだ、誰かと付き合うことなんて想像すらできないけれど。


 でもきっと、姉が言ったような相手にいつか出会えるだろうか。

 そんな未来を、少しだけ思い描いてみた。


「でも、付き合うってなったら母さんよりも先に私に紹介しなさいね。一回くらいその彼女泣かせるかもしれないけど」

「本当にしそうで怖いからやめて……」

「ふふっ、冗談よ?」


 その笑顔は冗談には見えなかった。

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