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理想の男子

「普通に振られました」


 会話や笑い声、挨拶などが飛び交う朝の教室。雲ひとつない爽やかな快晴とは逆に、どんよりと曇った表情で開口一番にそう言葉にするのは、友人の赤松杏佳(あかまつきょうか)だった。


「あー………ドンマイ」

「まあ、可能性が低いのは分かってたけど、やっぱり断られたら心にダメージを負うもんだね……」

「仕方ないよ。でも、九条さんだしそんな酷い振られ方ではなかったでしょ?」

「そうだね。勉強の方に集中したいからって断られたし。普通にタイプじゃないからってよりは良いけど」


 私、糸瀬夏芽(いとせなつめ)と赤松杏佳がそう口にする話題は、九条響希(くじょうひびき)さんのことだ。

 学校内では有名人であり、頭脳明晰、眉目秀麗、運動神経抜群。家柄は財閥の息子であり、性格も優しく穏やか。欠点を感じさせない神から二物以上も与えられた存在。


 そんな正に理想を体現した様な人だからこそ、まあ人を惹きつける。

 当然といえば当然だ。見た目は良いし、性格も優しくて穏やかだから女子からの人気は言わずもがな高い。

 困ってる人がいれば手を差し伸べるし、自分の能力や家柄を自慢することもなく謙虚。

 だからこそ、九条さんを嫌う人はまずいない。いるとすれば、その優秀さに嫉妬しているだけだろう。それか、振られた腹いせに嫌うか。


 とまあ、そんな九条さんに告白して振られた。それが杏佳の伝えたい結論だろう。


「九条さん、恋愛に興味無いのかなー。1年生の時から誰とも付き合ってないって聞くし」

「家柄的に勝手に付き合えないとかじゃないの?もう、許嫁がいるとか」

「えー?この時代に?……まあでもそっか。九条家の御令息だし」


 杏佳が机に突っ伏しながらぼやく。くるくると人差し指で机に円を描き、落ち込み様を表すかのようにため息を吐いた。


「でもさ」


 私は机をとんとんと軽く叩き、彼女の目を見ながら言った。


「告白できたってだけで凄いと思うよ」


 杏佳は少し顔を上げて、ふにゃっとした苦笑を浮かべた。


「ありがとー、夏芽。でも、できれば成功してほしかったなー。人生の中での一大イベントな訳だし」


 教室の空気は少しずつ、登校のざわめきから授業前の静けさへと変わりつつある。

 その中で、ふと、扉の開く音がして、生徒たちのざわめきが一瞬だけ揺れた。


「ーーあ、来た」


 誰かが小さく言った。


 振り返らなくても分かる。教室に入ってきたのは、まさにその話題の中心人物――九条響希だった。

 整った制服の着こなし、静かで無駄のない動き。そして、誰にでも丁寧に返す微笑み。


「おはようございます」


 通路を歩きながら、すれ違う生徒たちに軽く会釈をしていく。その仕草一つ取っても、もう漫画やアニメのヒーローかってくらい完璧だ。


「うわ……やっぱりかっこいい……」


 杏佳が小声でつぶやく。さっきまで落ち込んでたくせに、早くもふっきれている。流石、友達ながら強いメンタルの持ち主。まあでも、杏佳の言葉には私も同意見だった。


 チラリと後方に視線をやれば、一際輝く少し青みがかかったネイビー色の髪。端正な顔立ち。そして凛々しい佇まい。


「ホント、理想の男性って感じだね」


 九条さんを一言で言うとしたら、理想の存在。または理想の男性。必ずと言っていいほど付く理想という言葉。

 それを体現した人物だからこそ、皆が口を揃えてそう言う。杏佳もその一人。


 正直、高嶺の花すぎて私からしたら近づこうとも思わない。いや、そりゃお近付きにはなりたいけど。

 家柄も違うし、能力だって大きな差がある。だから、私と九条さんが関わることは恐らくないだろう。


 でも、少しだけ私は九条さんに親近感を感じていた。


 それは、ほんの些細なきっかけだった。


 あれは、まだ春先のこと。入学して間もない頃、私は図書室の隅っこで興味もない小説をパラパラと開いていた。

 周囲が新しい友達作りに忙しくしている中、私はというと、そんな社交的なことが苦手でつい静かな場所に逃げていたのだ。


 そのとき、ふと誰かが私の対面の席に座った。

 私は目線だけ動かして確認する。


 そこにいたのが、九条響希だった。


 当時からすでに彼は目立つ存在だったけど、そんな彼が誰にも気づかれずに、まるで自分を消すかのように静かに本を開いていたのが不思議だった。


 彼が読んでいたのは小難しい哲学書。思わずチラ見して、「うわ、九条さんってこういうの読むんだ……」と心の中で少し驚いた。

 そして、そのあと彼がふと溜め息をついて、本を閉じて呟いたのだ。


「……難しくて、意味わかんないな」


 ――えっ。


 思わず変な声を出しそうになって、慌てて口を押さえた。

 彼は私の存在には気にも留めていない様子で、そのまましばらく本の背表紙を見つめていた。


 その姿に、私は妙に親近感を覚えたのだ。

 完璧に見えても、分からないことは分からなかったり、苦手なことだってあるんだと。というか、そういう本が好きだから読んでるとかじゃないんだ。ちょっと不思議。


 なんか、九条さんもちゃんと人間らしいとこもあるんだな。


 それだけの出来事。だけど、それ以来、私は九条響希という人を少しだけ"特別"に見ていた。




 時刻は四限が終わり、昼休み。学校に食堂もある為、食堂へ向かう人やお弁当を机に広げる人など様々だった。

 かく言う私はお弁当を持ってきているので、あまり教室から移動することは無い。


「やっと昼休みだ〜。もうお腹ぺこぺこだよ」


 授業の拘束から放たれたことで気分の良さそうな杏佳は、勢い良く机をくっつけてお弁当を広げる。

 朝の曇りきった表情の影はなく、少し私は安心した。


「そうだね、早く食べよっか。………あ、飲み物買ってなかった。ちょっと自販機行ってくる」

「お、了解〜。先食べてるね」


 私は鞄から財布を取りだし、そそくさと教室から出ていく。

 廊下に出ると、昼休み特有のざわついた空気が広がっていた。

 グラウンドからは昼練中の運動部の掛け声が聞こえ、すれ違う生徒たちの笑い声がこだまする。

 なんてことのない、日常の風景。


 校舎裏手の自販機コーナーにたどり着き、私は小銭を入れて緑茶のボタンを押した。

 紙パックが落ちる音と同時に、ふと視線を上げる。


「……あれ?」


 そこにいたのは、まさかの人物。


「ん〜、どれにしようかな」


 自販機の前で悩み続ける男子生徒、九条響希だった。


「ん………どうかしましたか?」


 私と目が合うと、相変わらず丁寧な笑みを浮かべて言った。


「あ、いやっ、悩んでるな〜と思って」

「ああ、すみません。ちょっと飲み物の方を買ってきて欲しいと頼まれたのですが、何でも良いと言われてしまったので。どれが良いかなと考えていたんです」


 意外だ。あの九条さんが友達に飲み物を頼まれるだなんて。

 まあ九条さんのことだから、頼まれたら買いには行くのだろうけど、九条さんに飲み物を頼んだ人がいることに驚いた。


 寧ろ率先して私が買いに行きます!って人が大多数だと思うんだけど。


「糸瀬さんですよね?同じクラスの」

「えっ、あっ、は、はい!」


 口を衝いて出た言葉に、思わず驚いた。彼は一瞬きょとんとした顔をして、直ぐにふっと目を細める。


「同じクラスなんですから、名前ぐらい知っていますよ」

「そ、そうなんだ……なんか、ちょっと意外かも」


 言いながら、私は買ったばかりの緑茶を両手で包み込む。ひんやりした感触が、鼓動の高鳴りをほんの少しだけ静めてくれる気がした。


「意外、ですか?」

「うん……なんていうか、九条さんってもっと……ほら、雲の上の人って感じだから。私の名前なんて覚えてないと思ってた」

「そんなことないですよ」


 彼は少しだけ笑った。その笑みは朝の教室で見せていたものとは違い、どこか柔らかくて距離の近いものだった。


「名前を覚えるくらい誰にでもできますよ。……それに」


 一拍置いて、彼は目を細めて微笑む。


「入学してすぐの頃、図書室でお見かけしましたから。静かな場所が好きなんですね」

「えっ」


 思わず言葉を失った。心臓が一気に跳ね上がる。


「そ、そんな前のこと、覚えてたんですか……?」

「ええ。あの日、人混みの多さに少し疲れてしまって。人の少ない落ち着く場所を探していたんですよ。そこに貴女だけがいたから、勝手に親近感を持ってしまったかもしれません」


 その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。春の図書室。あの日、自分だけが彼に親近感を持ったと思っていた。でも、それはどうやら一方通行ではなかったらしい。


「なんか、ちょっと嬉しい。九条さんが自分のこと認識していたなんて」


 そう呟くと、彼は柔らかい笑みを浮かべた。


「僕も嬉しいです。勝手に貴女のことを仲間だと思っていたので」


 そのとき、私の緑茶を持つ手に少し汗が滲んでいることに気づいた。なのに、緑茶の冷たさがそれを全く気にさせなかったのは、きっと隣にいる彼のせいだ。


 突如、カシャンと、自販機の取り出し口に缶のようなものが落ちる音がした。

 九条さんはそこから一つ取り出し、また自販機のボタンを押してもう一度同じ音が鳴る。


「ではまた。午後の授業も頑張りましょう」

「ああ、うん」


 九条さんは軽く会釈をして二つの缶を抱えたまま歩いていく。

 その後ろ姿は依然として凛々しく綺麗だ。


 私はその背中をしばらくの間ただ見つめていた。

 凛とした姿勢、整った歩き方、そして手にした缶。どれも何気ないはずなのに、どうしてこんなにも胸が高鳴るのだろう。


 九条響希に、自分の存在が少しでも認識されていたという事実。


 それだけで、今日という一日は昨日までとはきっと違って見える。


「……午後の授業、頑張ろう」


 小さく呟いて、私は緑茶を一度ぎゅっと握りしめた。

 冷たさも、温かさも、全部混ざったこの感覚を大事に持ち帰りたいと思った。


 まるで、新しい何かが静かに始まったような気がしたから。

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