エピソード5 『珍妙なる製作者』
霊体の方々への御用聞きは、駐在所ではなく自由気ままな所で行います。
本日は、巡回の前に兎のおばあちゃんを尋ねました。
皆さんには、『うばあ』と呼ばれています。
「ノロマサ、早く行くよ」
でこぼこ道の途中で待っていた、怖い顔の李衣乃さんが先を促します。
「あのう、李衣乃さんはこれから毎回一緒に行かれるのですか?」
僕が恐る恐る聞きますと、愚問と言いたげにじろりと睨まれてしまいました。
夏休みの今はいいですが、毎回となると大変だと思いますが。
ヤーさんは立て肘を付いて、ごろりと僕の頭の上です。
「好きにさせてやればええ」
ヤーさんの言葉に、僕はそっと頷きました。
李衣乃さんがやる気を出しているなら、とても良い事ですし、いい社会勉強かもしれません。
僕らが着いた時、うばあさんは青々と繁った芝生の上で、もっさもっさとご飯を食べていました。
「はじめまして、お食事中にお邪魔致します。
巡査のノロマサと申します」
その挨拶の返事は、一向に返ってくる気配がありません。
あれ?と思い、もう一度大声で叫んでみました。
ヤーさんがひょいと僕の頭から飛び降りると、うばあさんの片耳を上げて叫びました。
「うばあやい、お巡りさんが来てくれたぞ」
うばあさんは食べるのを止めて顔を上げ、どうもどうもとお辞儀をされました。
小さな口の中で、草をもごもごさせています。
僕らもつられて頭を下げました。
ヤーさんがうばあさんの耳を片方持ち上げたまま、僕と李衣乃さんはその前に座りました。
「お耳が遠いのですか?」
「そうなんですよ。
この長く垂れた耳が邪魔して、何も聞こえませんで」
うばあさんは再度もごもごと口を動かします。
成る程、確かにぺたりと垂れ下がった両耳は聞きにくそうです。
「誰かが尋ねてきても分からなかったり、とても不便で」
「そうですよね。
音が良く聞こえないと、世界が半分になってしまった様なものですものね」
僕は手帳に書き込みました。
「何でノロマサがそんなん分かるの?」
「実は、中耳炎になったことがあるんです。
耳の中で音がごわごわ響いて、余計疲れてしまうんです」
李衣乃さんは首を傾げながらふうんと頷きます。
ヤーさんがうばあさんに尋ねました。
「悟空にお願いして、補聴器を作ってもらったらどうじゃろうか?」
「補聴器をですか?」
「今のままでは不便じゃろうに。
いくつか案をだしてもらうのはいかがかの?」
悟空さん?
初めて耳にするお名前に、僕は手が止まりました。
一体どのような方なのでしょう?
「そうですねえ」
うばあさんは小さな目をしょぼしょぼとさせます。
「では、参考までに案だけでもお願いできますでしょうか」
「おいさ」
ヤーさんは李衣乃さんを呼び寄せます。
彼女は横に抱えていたスケッチブックを取り出すと、うばあさんを写生し始めました。
僕が唖然としている間に絵は完成していきます。
その精密度の高さに驚きを隠せません。
「李衣乃さん、絵、とてもお上手ですね」
彼女は当たり前とでも言いたそうに、スケッチブックを掲げて見せました。
「ヤーさん、サイズ」
「ほいきた、行くぞ?」
李衣乃さんは横と前から見た図にうばあさんのサイズを書き入れていきます。
成る程。
これなら本人がそこまで行けなくてもサイズから作る事が可能そうです。
僕は二人のコンビネーションを呆気に取られて見ていました。
「出来たよ?」
サイズを入れ終えた絵を、李衣乃さんはヤーさんに見せました。
「うむ、問題なかろう」
「じゃあ、うばあちゃん。案が出来たらまた見せに来るからね」
「有難う、李衣ちゃん」
李衣乃さんはうばあさんの柔和な笑顔に、嬉しそうに手を振りました。
「なんか僕、必要ないですね」
参ったなあと頭を掻くと、二人はくるっと僕に向き直りました。
「何言ってるの?アンタ一人じゃ全て回せないでしょ?分担制よ」
きっぱり言い放つ李衣乃さんに、僕は頭が上がりません。
確かに、人間の方と霊体の方両方を見ていくにはとても時間が足りません。
僕は、「よろしくお願いいたします」と二人に頭を下げました。
社会勉強どころか、僕が手助けして頂いてる身分でした。
森の中の獣道を抜けて、木々のぽっかり開けた小さな泉の前までやって来た時です。
木々の空間の中に、ぽっかり浮かんだ扉が現れました。
奇麗に装飾されたその扉は、森の中ではどう考えても異質な存在感を放っています。
僕はぽかんとなりました。
「こ、こ、これはまた風情のある」
「『ふぜい』でも『うぜえ』でもいいから行くよ」
僕が怖気づく前を、李衣乃さんは何ともなしにヤーさんの後を付いて行きます。
ヤーさんが扉をノックしました。
「開いてるぜい」
そう中から声が聞こえた途端、扉がばたんと自動で開きました。
「ひっ」
僕はその音に飛び上がって、両手を大きく上に挙げてしまいました。
李衣乃さんは意味不明な目付きで僕を見ると、
「何してんの?」
と冷たく言いました。
すみません、これは条件反射です。
強風でいきなりドアがばたんと閉じた時に感じる、あの心臓が縮み上がる瞬間によく似ています。
「おい悟空、おるかいのう?」
ぴょんと入ったヤーさんに続いて僕らも後を追います。
扉の中に入ると、
「うわぁ」
思った以上の広い空間に、僕はあんぐりと口を開けはなったままその場で立ち止まってしまいました。
一つの教室ほどはあるでしょうか?
さらに上が螺旋階段で吹き抜けになっています。
上からは、太陽の淡い光が邪魔しない程度に降り注ぎ、静けさの中に暖かの感じられました。
そして、なにやら様々な物が、所狭しと並んでいます。
直ぐ棚の上にはずらりと並ぶシャープペン。
その下にはずらりと並ぶシャープペンらしきもの。
その下にはずらりと並ぶボールペン。
さらにその下にはずらりと並ぶボールペンらしきもの。
天体望遠鏡の横には天体望遠鏡らしきもの。
あちらこちらに本が山の様に積みあがって埃を被っていました。
「あんたが例の新しいお巡りさんかい?」
そこにいたのは、眼鏡というよりゴーグルに近いものを掛けたオランウータンでした。
半分透き通った金髪で、とても聡明な顔付きです。
彼もおそらくかなりのイケメンでしょう。
「あ、申し送れました。
私巡査のノロマサと申します。
以後、宜しくお願いいたします」
ぺこりと頭を下げますと、
「俺は悟空、よろしく頼むな」
と肩を叩かれました。
否、そんな感触でした。
青年の様に精悍でりりしい顔つきが好印象です。
悟空さんは上下左右に張り巡らされた棒を伝ってひょいひょいと目にも止まらぬスピードで部屋の中を動きまわります。
その様子を追っていたら目が回ってしまいました。
「悟空や、うばあの補聴器を頼みたいんじゃが、時間的にどうかのう?」
悟空さんは器用に棒の上に止まると、さらに上に垂れ下がっている紙をチェックしました。
「今丁度いっぱいでさ、厳しいわ。何時まで?」
「出来れば早く」
そう言った李衣乃さんを見つけて、悟空さんはぴゅうと口笛を吹きます。
「何々?ヤーさん、誰この子?」
「李衣乃じゃ。あの方の子じゃよ」
その言葉に、悟空さんは目を丸くしました。
あの方?確か前にも聞いた台詞です。
「案をいくつか出してもらえるだけでいいの」
「どれ?」
くるっと一回転して李衣乃さんの前に降り立ちます。
じっと彼女を見ると、何故か照れたように、へへっと笑いました。
李衣乃さんはスケッチブックを広げると、一枚破って机か物置の上に広げました。
悟空さんはそれを見ると、じっと何かを考え込んでいる様子です。
「厚さが足りねえな」
「厚さ?」
「ああ、耳の厚さだ」
李衣乃さんとヤーさんは顔を見合わせました。
どうやら寸法に足りない部分が出てきてしまったみたいです。
李衣乃さんはミスったと頭を抱え、僕は首を傾げました。
「そのサイズがないと出せませんか?」
悟空さんは顔を上げて僕を見ます。
「いくつか案を出して頂くだけで構いません。
お忙しいとは思いますが…お願いできませんか?
決定しましたら、きちんとサイズも測り直しますので」
僕の言葉に、悟空さんは長い指で額をぽりぽりと掻きます。
う~んと唸ってから、
「わかったよ、満月の夜に取りに来な」
そう言って溜息を付いて笑いました。
良かったです。
僕達は顔を見合わせてガッツポーズを決めました。
悟空さんは別の紙にさらさらと何か書いてから、ほいひょいと上に登って行ってそれを吊らせます。
僕はそんな部屋を見渡しながら尋ねました。
「悟空さんて何をしていらしゃる方なんですか?」
「俺かあ?俺は解体屋兼何でも屋だよ。
人間の作った物を解体して俺らみたいな奴が使いやすいようにしているのさ」
成る程。
だから二種類とも取れる同様の物があるのかと納得いきました。
素晴らしい頭脳をお持ちです。
僕は、悟空さん程の頭脳があればいいなぁと思わず空想してしまいました。
李衣乃さんにつつかれて、慌てて時計を見てから悟空さんに挨拶します。
「それでは、宜しくお願いいたします」
「おう、まかせとき」
上の方から、反響するように声が聞こえました。
扉を潜ると先程の泉の前です。
いやはや、何とも不思議な事は世の中にたくさん存在します。
「では、私は巡察に戻ります。
本日は五時には終わりますのでその後でよろしいでしょうか?」
ヤーさんは李衣乃さんの頭の上に胡座を掻いています。
「おう、わしと李衣は依頼を分別しておくで。
お前さんにあまり負担がかかってもいけんしのう」
「あまりお気になさらないでください。
警察官の務めは市民の安全を守ることですから」
僕はそう言って敬礼すると、自転車に乗って巡回へと戻っていきました。
「理想に燃えとるのう」
「ちょっと頼りないけどね」
李衣乃さんはヤーさんの言葉にくすっと笑いました。