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 三章

 四日目の朝。英竜に一旦の別れを告げ、転送石の元へ急いだ。

 英竜によると、分かれ道にも暗示がかかっており、特に意識しない限りは英竜の広間に進んでしまうようだった。英竜に言われた通り、分かれ道のもう一方を意識しながら進んでいく。奥は行き止まりになっており、そこには赤い光りを放つ、ひし形の大きな石が宙に浮いていた。これが転送石である。

 三人は転送石を囲むように並ぶと、「せーの」と声を合わせて同時に触れた。

 すると、景色が突如として入れ替わった。

 縦長の円形の空間は、英竜の広間と似たものを感じさせる。とはいえ、広さも高さも半分ほどであり、あくまで形が似ているという程度である。真上ではなく、壁の半分ほどのところにぽっかりと空いた穴から差し込む陽光が、やたらと眩しかった。

 また、壁が特徴的であり、登れるほどでこぼことしている。ところどころ木の根が散見されるあたり、ここが地下の洞窟であることが予想された。

 壁を見渡していると、扉のような穴があることにロードは気付いた。そこに近づいて調べようとしたとき、なにかしらの気配を感じて思わず立ち止まった。

 暗闇が続いているその穴から、異形の動物が姿を見せた。身体の大部分は熊のものであったが、その背丈は通常より一回り以上大きく、ロードの倍近くありそうだった。両手は蟹の鋏で、目は触覚のように飛び出している。

 二種以上の動物が混じり合った姿をもつ、異形の存在。ロードは彼らの総称を記憶の中から呼び起こした。

「キメラだ! ここを根城にしている奴かもしれない!」

 キメラと呼ばれたそれは、出入り口から動こうとしなかった。獲物が逃げる場所を心得ているのか、それなりの知性を感じさせられる。また、キメラの頭上に陽光が差し込む穴があるため、登って逃げるのも困難そうである。

「あらあらあら、お昼ごはんにはちょうど良さそうじゃない?」

「おい、ソーダ。うかつに突っ込むなよ?」

 ロードは抑止しようとしたが、それを素直に受けとるような彼女ではなかった。

 熊蟹のキメラとの距離を一気に縮めた彼女は、剣を抜きはなって切りかかる。熊蟹はその動きを眺めるように、微動だにしない。剣先は相手の脇腹にふれたが、その身体が裂かれることはなく、むしろ硬質な音を立てて剣を受け止めていた。

 ソーダの表情はおどろきで染まり、すぐに左へ横っ跳びした。直後、左手の巨大な鋏がソーダのいた地面を抉る。

 地面の上で一回転してからソーダは立ち上がった。しかし、立ち上がるまでのわずかな隙をついて、熊蟹の右手がすでに走っていた。鋏による突きをかろうじて剣で合わせたソーダだったが、立ち上がったばかりのためか、後方に弾き飛ばされてしまう。それでもなお、ほぼ無傷で受け身をとった彼女の体術は称賛に値した。ロードとビクスはほっと息をつく。

 そして、追撃を行わない熊蟹のキメラは頑として、その場を動かなかった。やはり、逃げ場を封じているらしい。

「こんの馬鹿力め! おまけに硬いってどうなってんのよ!」

 悪態をつく彼女だったが、相手がそれだけではないことを見抜いているのだろう。再び飛び出すようなことはしなかった。

 熊蟹を見据えながら彼女に近寄ったロードは、そっと耳打ちをした。

「ソーダ、時間を稼いでくれ」

 彼女はたちまち不機嫌そうに顔をゆがめた。指示されるのが嫌い、という一面が顕著に表れているようだった。

「あのキメラはそれなりに知性がありそうだ。俺たちを不用意に逃がすような真似はしないだろう。かといって、倒すにしてもお前の剣では奴を切れない」

 熊蟹のキメラは茶色い毛に覆われているため、大半は熊の肉体であると予測していた。が、ソーダの剣が通じなかったことから、その下には蟹のような甲殻がかくれているのだろう。そのことを一番よくわかっているはずの彼女は、否定しなかった。

「お前に、俺が魔法を使うまでの時間を稼いで貰いたい。姫様にも相談したが、納得して下さった」

 後半は嘘であった。だが、英竜の広間にて、ソーダが同性には友好的で割と言うことを聞く、というのが判明していた。なぜなら、雌である英竜の言葉を素直に聞き入れ、ビクスに対しても基本的にやさしいからだ。

 ビクスも納得済みならば仕方なし、といった具合に「適当に相手してやればいいのね?」と彼女は返した。その方向に彼女を誘導でき、ロードはしてやったりという気分になった。もしかしたらこれから先、彼女をうまく扱えるかもしれないという希望も見出していた。

 けれども、立ち上がりながら「まっ、本当にアタシがなにもできなかったらの話だけどね」と彼女が続けたことによって、不安が再来してしまった。

 ソーダが距離を置いてキメラと対峙する。彼女に秘策があるのかは別として、ロードは自分がやるべきことを実行することにした。

「姫様は俺の後ろにいて下さい」

 ビクスの前に立って魔法の準備にはいる。それとほぼ同じ時に、ソーダが駆け出していた。

 熊蟹の突きをすんでのところでかわし、剣を躍らせる。剣先が相手の腕に届くが、やはり硬質な音を立てて弾かれてしまった。だが、ソーダは気に留めることなく次の動きに繋げていった。

 突きをギリギリまで引きよせては避け、剣を相手の腕に走らせる。硬質な音だけが反響し、無窮の攻防になるかと思われた。

 突然、赤い線が空に描かれる。一つ、二つと、ソーダが剣を振るうたびにそれは描かれていく。切れないはずの相手の身体が切られているのだった。起こり得ない出来事が今、起こっている。驚きに目を丸くさせながらも、ロードは疾走する剣を注視した。

 熊蟹の切りつけられている箇所は、おそらく関節部分だ。突きを避けては切る、という作業を繰りかえすうちに、相手の関節の位置を把握したのだろう。ただし、激しい動きの中でそれを見極め、正確に切りつけることは容易なことではない。

 ソーダの剣技の前に、熊蟹は圧倒されていく。腕を振るうたびに血を撒き散らしていることから、その腕が使い物にならなくなるのは時間の問題だった。

 重力に任せた右手の突きが彼女を襲う。が、地面に深く刺さるだけだった。左手をだらしなく下げ、右手を引き抜こうとしない。その姿は隙だらけのように見えた。

 されども、ソーダは相手に近づこうとしなかった。なにかを躊躇っているようにも、警戒しているようにも見える。

 数分の間が空いた。先に痺れを切らしたのは、やはりソーダだった。

 助走をつけて跳躍し、剣を振り下ろす。顔をめがけて振り下ろされた斬撃だったが、届くことはなかった。

 熊蟹のキメラの顔は、背中から生やした三対の鋭い足によって守られた。いや、元々背中にあった足を隠していただけなのだ。両手を使えない状況に陥れられ、油断して近づいた敵を襲うためのものかもしれない。

 一気に開かれた三対の足によってソーダの剣が弾かれた。が、彼女は特に表情を変えることなく、地面に着地するとすぐに熊蟹の右側へ回り込んだ。

 羽のように生やした足は片側に寄れば一方を封じられる、そう判断しての行動だろう。しかし、その予想は外れた。三対の足はどこに行っても届くだけの長さと可動範囲を持っていたのだ。

 また、初めはソーダの斬撃を三本の足で防いでいたが、彼女の力に慣れてきたのか、徐々にその数を減らしていく。防御に使っていた足を攻撃に回された分、ソーダは攻められなくなり、とうとう防戦一方となってしまった。攻勢は完全に逆転した。

「もう、なによこの裏技! なしなしなし!」

 珍しく弱音を吐くソーダだが、それでもたった一人で多種多様な攻撃を捌けているのはさすがと言えた。捌ききれない足は持ち前の体術で避ける。だが、それにも限界が見え始めた。

 左腕を軽く切りつけられたのを皮切りに、ソーダの裂傷が増える。元々露出の多い鎧だ。傷つけられる場所は多分にある。自信と技量を持ち合わせていたがゆえに着こんだ鎧が、仇となっていた。

 ロードの魔法の準備はちょうどこの時に終わった。あとは展開する場所を決めて発動させるだけである。ソーダに離れるよう、指示を飛ばそうとした瞬間、彼女の剣がその手から離れた。

 三対の足が様々な軌道をもって、丸腰のソーダを襲う。半分は余裕を持ってかわし、二本は肌をかすらせながらも避けることができた。だが、最後の一本だけは避けられそうになかった。

 鋭い足がソーダの胸元に向かい、硬質な音を響きかせた。

 しかしそれは、彼女の鎧が貫かれた音ではない。

 ソーダの目の前で深紅の長い髪がふわりと揺れていた。いつの間にかロードから離れたビクスが、両者の間に入ってその鋭利な足を弾き返したのだった。ビクスを驚きの目で確認したロードだったが、すぐに叫ぶことができた。計らずとも、それで彼女たちを守れることがわかっていたからだ。

「離れろ!」

 ソーダは咄嗟にビクスの腹に手を回すと、後ろへ跳んだ。一瞬の間をおいて、彼女たちがいた場所を境に炎の壁が出現する。炎の壁の高さが天井にまで達したとき、熱風が空間全体に吹き荒れた。

 巨大な炎の塊が、キメラに向けて放たれる。

 茶色い毛に覆われた甲殻は瞬時に気化し、かの存在を完全なる消滅へと追いやった。また、熊蟹のキメラを食らいつくすだけでは物足りない炎の奔流は、目前にある物を手当たり次第に貪り喰いながら洞窟の出入り口へと進んでいった。

 大量の無機物と有機物を呑みこんだすえ、出入り口から押しでてきた炎の塊。その周辺は、特に燃え移すもののない草原となっていたため、巨大な炎は唸りを上げて天へとのぼろうとした。しかし、急に与えられた解放感はその身を少しずつ四散させ、やがて静かに姿を消した。

 実際、荒ぶる炎がそこに存在していたのは数秒のことだ。人の記憶に留めておくにはあまりにも短い時間しか存在していない。

 しかしながら、洞窟の入り口を巨大な穴へと変貌させたことが、確かな存在の証として残っていた。

 

 

 亜神の住まいへと歩き始めてから、半日ほどが過ぎた。洞窟から出た先は見渡すかぎりの草原地帯となっており、茜色の空と草原の緑の間に灰色の境界線がうっすらと見える。それは、この地が山に囲まれた広い地帯であることを示していた。

 三人は草原をかき分けるように、北へと向かってまっすぐ進んでいた。いつぞやと同じように、疲れたビクスはロードの背中で寝息を立てている。

「この方向で本当にあってるのか?」

「間違いないわ。いいから黙ってついてきなさい」

「やけに自信満々だな。そういえば、英竜のところだって死者の森を除けば、わりと簡単につけた。お前、方向感覚がものすごく発達しているのか?」

「そんなわけないでしょ。これのおかげよ」

 彼女はそう言って、首から下げている円形のペンダントをロードに見せた。

「これは?」

「コンパスって言うらしいわ。方位を読み取ることができるの。まだ世間には出回っていないから、貴重な物とかなんとかってニジャのじいさんが言ってたっけ」

 ロードは素直に感心し、「なるほど、便利なものだな」という言葉がつい口から出た。それをもの欲しげな態度と受け取ったのか、彼女はコンパスを引っ込めた。

「言っておくけど、あげないかんね」

「くれとは言ってないだろ」

 そこで会話が途切れ、沈黙が降りた。ただ、それに嫌な印象は抱かない。出会ってまだ数日だというのに、その沈黙にはそれなりの年月を感じさせるような、不思議な感触があった。ロードはビクスをしずかに背負い直しながら、ぼんやりとそう感じていた。

 以前と違ってロードの呼吸は正常だ。魔法を使った後でもまだまだ体力はあり余っている。その点を考えても、英竜の広間での休息は大きかったようだった。

「協力するというのも、悪くなかっただろ?」

 ソーダに対してそれなりの変化を期待した問いかけだったが、「英竜もらくらくと通れるくらいの大穴を開けちゃうのは、ちとやり過ぎよねぇ。せっかくのお昼ごはんも台無しだったしぃ」と全くもって別の答えを持ちだすのであった。

 その減らず口を打ち負かすための言葉を考えていると、彼女の方から切りだしてきた。

「アンタ、前もそうだったけど、割と力あるのね」

「ひ弱ではない。そう言っていたつもりだったが?」

 割と、という言葉も余計だ。ロードはそれも言おうと思ったが、火に油を注ぐような気がしたので辞めておいた。

「なら、訂正しておくわ」

 目を細めてにこりと笑う。十代の若さというよりは幼さの残る笑みである。

「ヘタレ」

 むかつきのため、一瞬だけ言葉に詰まる。

「そのヘタレに負けたのは誰だ?」

 今度はソーダが詰まる番だった。しかしそれも、一瞬のことである。

「負けてないわよ! この、卑怯者!」

 なにか言い返そうと思ったが、ロードは反論できなかった。思い返してみればたしかに卑怯くさい部分もあったかもしれない、そう思えてしまったからだ。

「だいたいね、アンタは武芸を軽んじてる所があるわ。心だけで剣を振っちゃってるのよ。自分の身体がどこまで動けるのか、どう動かせばいいのか、まるでわかっちゃいないわ。いーい? やみくもに剣を振っているうちは、素人同然なのよ?」

 罵倒から剣術の説教へと華麗に入れ替わった。こればかりは本当に反論できない。剣の稽古はそれなりに積んでいるのだが、感情が先走ってしまうことが多い。また、魔法に頼り切っているがため、そういった部分を改善しようという意識は薄い。武芸を軽んじているというのも、心だけで振るうというのも、たしかに当てはまっていた。

 的確な指摘に辟易しながらも、ロードはふと思うことがあった。

「そういえば、お前は誰に剣を教わったんだ?」

 ソーダの口が一旦閉じられた。ロードは少しほっとする。

「基礎はニジャのじいさんに教わったのよ。あとはほとんど我流よ。英竜んトコまでに行く旅の途中で実践しつつ、鍛錬に励んでたわ」

 ソーダの青い瞳に、陰が差し込んだように見えた。だが、すぐに明るい調子にもどったので、気のせいかとロードは思った。

「一人で生きるためには、それなりの力がないといけないから。特にアタシのような、可憐でおとしやかな少女は悪漢どもに狙われやすいでしょう?」

 彼女になにか言ってやりたいと思うのだが、余計なことを言って火をつけるのは得策ではない。よって、ロードは聞かなかったことにした。

「ちょっとちょっとちょっと! なにか言いなさいよ! 無反応ほど、こわいモノはないのよ!」

 それでもロードは無言を貫いた。

 ソーダの見せる反応が、少しだけ可笑しかった。

 

 

 亜神の住処を目指してからはなにごともなく、五日目の昼を迎えることができた。景色が変わることはなく、ほとんど三色しかない。そろそろビクスが音を上げそうな頃合いかな、とロードが知覚したとき、ソーダが声を上げた。

「あれ! あれよ! あのちっこいの! 見える?」

 ソーダの指が示す先を注視すると、豆粒程度だが黒くて四角いものを確認できた。

「よーし! 目的地は目の前! 走るわよ!」

 ビクスの手を引いてソーダが駆け出した。英竜に会う直前のはしゃぎように似ていた。

 あまりに楽しそうだったので、ロードは止める気も追いかける気も起きはしなかった。が、無理やり走らされて泣きそうなビクスを見てしまっては、ロードは止めざるを得ない。結局、二人からやや遅れて、全力で追いかけるはめになった。

 しばらく走ると、黒い四角が木造の小屋であるのがわかった。簡素な造りをしたそれは、一人で住むには十分な大きさと言えた。

 そして、ロードがソーダを止めることは叶わなかった。小屋まで走らされた二人は肩を激しく上下させてかろうじて立っており、走らせた本人は軽く息を弾ませるだけで涼しい顔をしていた。

「おーい、ニジャのじぃーさーん! いなーいのぉー?」

 きょろきょろとあたりを見回しながら、ソーダは小屋に近づいていった。そして、彼女が小屋のドアノブをつかもうとしたとき、その身を陰が覆った。

 棒きれのようなものを持った、白髪の老人が屋根から飛びおり、ソーダに襲いかかってきたのだ。ソーダはそれにすばやく察知した様子だったが、避けようともせず、鞘に収まったままの状態で老人の振り下ろしを受け止めた。

 固い音が響いたあと、ソーダは老人を弾きかえした。そして、無造作に宙へと投げだされた老人めがけて、追いうちをかける。ただ、老人の方も負けてはおらず、そのままの体勢で二撃目を放った。空中で、しかもほとんど逆さまの状態であるのに、威力をともなった薙ぎ払いであった。

 ソーダは追い打ちをやめ、剣をたてて合わせる。再び固い音が鳴らされ、同時にソーダの足が止まった。一瞬のすきをついて、老人は受け身を取ってから構えた。

 数瞬の睨み合いのあと、激しい打ち合いとなった。ロードには二人の攻防に目が追い切れず、自分たちとは時間の進み方が違うのではないかと、錯覚してしまうほどだった。

 両者の力量は互角に見えた。しかし、今まで受け止め、あるいは受け流していたソーダが、唐突に回避を行ったことで、その勝負の先が見えた。

 老人の突きを滑るようにして避けたソーダは、体重の乗った、肩からの体当たりを老人の胸にきめた。苦しそうな声と共に、老人の身体は後ろに飛ばされ、背中を地面に打ち付ける。うめき声を上げる老人ののどに、鞘の先が軽く触れた。

「む、むう。しばらく見んうちに、よう腕を上げよった」

 白くて長いあご髭をさする。驚きと感心が入り混じった声音だった。

「ふん、じいさんに負けっぱなしだったのは、何年前の話かしらね? このソーダライト・ディセンバーフォウス、いつまでも同じ場所に留まっておらんわ!」

 ソーダは高笑いした。ロードとビクスはただ眺めるだけで、置いてけぼりにされていた。

 ふと、なにかを思い出したかのように、高笑いが止まった。

「そうそう、じいさん。剣の刃こぼれがちょいとひどくってさ、新しいのくれない?」

 突き付けていた剣を亜神ニジャののどから離し、剣を引き抜く。その間に立ち上がった彼に、刀身を見せつけた。

「お前、こりゃなんじゃ? わしが与えた名剣をここまでずたぼろにするとは……。もうちっと物を大事にせんか」

 ニジャは頭をかきながら、呆れたような声を漏らす。ため息とともにソーダから視線を外すと、ようやくロード達のほうに関心が向いたようだった。

「ソ、ソーダが……」

 細い目が見開かれる。心に大きな衝撃を受けたようすだった。

「彼氏を持ち込んできおっ」

 閃光の如く拳が走り、ニジャの顔にめり込んだ。ソーダの体術がいかんなく発揮された、最高の一撃でもあった。

「ジジイ。んなわけがあるか」

 氷点下のまなざしが、哀れな老人に向けられる。ニジャの身が少し震えているのは、顔面の痛みによるものか、それとも冷たすぎる視線によるものなのか、判別がつかなかった。

「そんなこと、わかっておるわい。今のは……、お前さんの体術がどのくらいにまで成長したかを見るための、挑発みたいなもんじゃ。だいたい、お前のような破天荒小娘にかれ……」

 ニジャはそこで区切った。空気が少しばかり冷たくなったような感じを受けたためだろう。もし続けていれば、名状しがたきほどの殺意が解放されていたかもしれない。

 ――さすがは亜神。聡い方だ。

 ロードは強く、そう思った。

 ニジャは改めてロードとビクスを見据える。その瞳は、好奇に満ちていた。

「お前さん方、随分と汚い格好じゃのう。小屋に服があるから着替えてきんさい」

 城を離れて五日間は着続けていた、ビクスの黒いドレスと、ロードの黒い上下とマントは、すっかりぼろのようになっていた。身体は川などで洗い流していたものの、服にまではさすがに気を配れなかった。

 二人はそのことに少しばかりの羞恥心を覚えたようで、頬を染めた。

 小屋の中で今まで着ていたのと似た服装を見つけると、それに着替えた。老人が隠居する上でなぜ若者が来そうな服があるのかを尋ねると、「若い頃に着ていたものと、ソーダが育った時に着させようとしたものじゃ」という答えが返ってきた。

 そして早速、ニジャに呪いを見てもらった。ソーダもそわそわと落ち着かない様子で見守っていた。

 ニジャはビクスの手の甲にある、炎のゆらめきを象った紋章をひとしきりに見たあと、首を傾げた。

「むぅ。この呪いをかけた術者に一目会ってみたいくらいじゃな」

「亜神を唸らせるほどとは……。ひめ――、いや、彼女を元に戻す方法はないのですか?」

 ロードはニジャに詰め寄った。亜神はわずかに驚いて見せたが、すぐに笑顔を向けた。

「まぁ、落ち着きんさい。そもそも、呪いというモノはだな。思い込みの力なのじゃ」

「思い込み? ただの思い込みで、ここまで性格が変わってしまうのですか?」

「ただの思い込みと言っても、バカにはできんぞ。身近な例えで言うと、『ある物事に対して真剣に取り組んだが、成果が上がらない』という経験はないか? そういった時は大抵、苦手意識が関わっておるものじゃ。これも一つの思い込みの力じゃな」

 ロードには思い当る節があった。魔法の制御や剣の訓練の時などでは、苦手意識を持って行っていた。特に、集団で訓練をするような時に限って、大きな失敗をすることが多かった。

 自分の剣技などが向上しないのは、そのせいなのだろうか、とロードは思った。

「どうせ上手くいかない、失敗するに決まっている、やりたくない。こういった苦手意識を持ってことに当たると、本来ならできることでも、できなくなってしまうものじゃ。こういった現象が極まり、かつ意図的に作り出したモノこそが、『呪い』なんじゃよ」

「意図的に……!」

「ニミアスという花があってな。それの花粉を飲ませたり、香を焚いて吸わせたりしてやると、一種の催眠状態に陥ってしまい、様々な暗示を受けやすくなってしまうのじゃ。『お前は命令に忠実な奴隷だ』という暗示をかけたら、本当に奴隷だと思い込んでしまうほどに強力なのじゃよ。ただ、時間もかかる上に大量のニミアスの根が必要となるから、非常に効率が悪い。呪いというものは、昨今ではあまり見られなくなった技術でもある」

「でもさ、呪いってこんな紋章が浮かぶもんなの?」

 ソーダがビクスの甲を眺めながら尋ねると、ニジャは関心の声を上げた。

「うむ、良いところに気付いた。この紋章こそが呪いの真髄とでも言うべきじゃろ。催眠状態に陥った者に対して暗示をかけている最中に、術者の血とニミアスの根を混ぜ合わせた特殊な液体で紋章を彫るのじゃ。これによって暗示は魔力的な繋がりを持ち、より強固に根付いてしまう。これは術者の血のみで、洗い落とすことができる。その時に暗示も解かれるじゃろう」

「……なるほど。となると、術者はおそらくモルガだろうから、奴の血が必要、ということか……」

 驚きはしたものの、ロードはすぐに次の行動の思索にふけっていた。それは焦りから来るものではあったが、彼の場合、うまく働いていた。

 ニジャはそんなロードを見て、微笑んだ。

「ただ、愛草なら効果はあるかもしれんのう。あれはあらゆる毒素を追い出すことができる良薬。葉を紋章に擦り合わせたり、煎じて飲んだりするのじゃ。完璧では無いにしても、呪いを打ち消せるかもしれん。試してみる価値は十分にあるぞい」

 なるほどと、頷くロードを尻目に、ソーダがビクスの手を引いて声を高らかにして宣言した。

「よし! なら早速、英竜のところまで戻って術者の所に行くわよ! 狙うは敵の生き血! 闘争の果てに、血を奪うのよ!」

 あさっての方角にむけて拳を掲げる。ビクスもなぜかそれにつられてしまい、拳を掲げた。精一杯「おー!」と声を張っている。

「なんでそうなるんだよ! 愛草のところに行ったことあるんだろ? 案内してくれないか?」

 間髪いれずに、ロードが叫ぶように言った。

「まあ、落ち着きんさい。愛草は英竜の近くにあるから、どのみちあそこには戻るわい」

 ニジャがロードのとなりに、穏やかな面持ちで割って入った。喧嘩する子供たちを優しく宥めるような、優しさが見えた。

 しかし、ソーダは一層の激しさを持ってそれに応えるのだった。

「愛草の力なんていらないわ! 自分たちの力で解決しないといけないの! これは試練。辛くも苦しい試練なのよ、ビクスちゃん!」

 ビクスの瞳を見つめ、手を握りしめる。その熱のこもった振る舞いに、ビクスはうんうんと頷いていた。ただ、ソーダのあまりにも演技じみた行いは、ロードに最大級の不安をいだかせるだけだった。

「なんだ? お前、なにか隠していないか?」

 不自然なほどに、ソーダの動きが止まった。ゆっくりと首だけを動かし、ロードとニジャに視線を定める。その瞳にはなんらかの怖れがあらわれているような感じを受けた。だが、まもなく決意に満ちた色の瞳に変わると、笑みを浮かべながらあらためて二人に向き合った。

「いやー、あのね……。ちょいと言いにくいんだけどぉ……」

 ロードとニジャが同時に首を傾げる。

「愛草さ……、ぜーんぶ刈り取って、食べちゃった」

 二人は一様に「は?」とだけ反応した。

 異様な寒気を帯びた静寂が、場をつつみこんだ。

「待って待って待って! ニジャのじいさんが悪いんだって! だって絶対に効果があるって言ってたしさ! アタシもたくさん食べればいいのかって思っちゃったのよ!」

 慌てて人差し指をニジャに向け、自分のせいではないことを強調した。ロードの視線がニジャに向けられる。

「ば、ばかもん! 絶対なんて言っとらんわ! だいたい、どうすれば、あの一帯全ての愛草を刈り取って食えると言うんじゃ! 英竜だって食いきれんぞ!」

 同じく慌ててニジャが反論した。視線はふたたびソーダに集まる。彼女はたじろいだが、それはほんの一瞬であり、すぐに笑みをつくった。

「いやー、そのぉ、アタシ、あそこに二年ほど住んでましてぇ……。主食は愛草でした」

 その場の空気が凍りついた。時が止まったと思えるほど、ロードとニジャは動かない。

「えっと、ご、ごめんなさーい……」

 笑みを崩さずにソーダは軽くあやまった。ロードとニジャからの反応はない。

 しばらくして、静止の呪縛から解かれた二人は向き合うと、同種の深いため息を吐きだした。

「……すまんのう。ソーダが想像上の生き物だったなら、笑い話にでもなったんだが……」

「ちょっと、それホントにどういう意味よ?」

「いえ、大丈夫です。彼女はきっと、誰かの空想から生まれたのですよ。そう、彼女は空想なんです。でなければ、こんなふざけた人間は存在しません」

「こらこらこら! 人をふざけた存在にするな」

「本当に、すまんのう……」

「いえ、お気になさらずに」

 全く相手にされないソーダは肩を震わせた。ビクスはそれを鎮めるように、両手を肩に乗せる。

「ロード、ソーダちゃんは実在しているよ? おもしろおかしく実在しているんだから!」

「ビクスちゃん……。その気持ちだけは、ありがたく受け取っておくわ……」

 ビクスは満足気に微笑えんだ。しかし、ソーダにとって彼女の言葉が一番の深手であった。そのことに気付けたのは、誰もいない。

 

 

「まぁ、わしに出来ることは何もない。知識は与えられるが、力が無い。せっかく来てもらったのに、悪いのう」

 本当に申し訳なさそうに話すニジャに、ロードは悪いことをしてしまった気分に陥った。

「いえ、解き方が分かっただけでも十分な収穫でした。ありがとうございます」

 精一杯の感謝を込めると、ニジャの表情が少しだけ和らいだ。しかし、「まぁ、ジジイが気にする事じゃないから、大丈夫よ」とソーダが茶々を入れたことによって、憤怒の形相に様変わりした。

「この罰あたりの礼儀知らずが!」

 制裁を加えようと、ニジャは棒きれをソーダに向かって振り回したが、当ることはなかった。軽快な歩調で逃げ回る彼女は、すっかり開きなおっているようである。

「当るかっ!」

「避けるんじゃないっ!」

 しばらく二人の追いかけまわすやりとりが行われた。様々な技量をもって、ニジャは棒きれをソーダに向ける。が、彼女は紙一重でかわし続けた。わざとぎりぎりでかわし、挑発しているようにも見えた。

 ニジャが肩で息をするようになった頃、ソーダは小屋の上に逃げた。少しだけ身を乗り出してけらけらと笑い、疲れた様子のニジャを見下ろした。

「体力が落ちたな、ジジイ」

 ニジャは一層の怒りを込めて、「降りてこんか!」と叫んだ。ソーダに言われた通り、さすがにそこまで追う元気はなかったようで、小屋の上に登ろうとはしなかった。そして、ソーダが降りる気配を見せないうえに、顔すら出さなくなったため、ようやく諦めるにいたった。

 疲労が見て取れる顔を、ロード達に向ける。

「そろそろ日も暮れてきた。今日のところはここに泊まっていきんさい」

 ニジャからの申し出を断る理由は特にない。快く受け入れた。

 小屋の中にニジャが戻る時、「なにはともあれ、信頼できる仲間が出来たみたいじゃな、ソーダよ」という、ぽつりと呟かれた言葉がロードの耳に届いた。

 その声には、安堵の色が見えた。

 


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