序章
ジェムジアスと呼ばれる星がある。
この星に住む者たちの大半は、炎か水のいずれかを生み出し、操ることができる術を持っていた。誰が呼び始めたかは分からないが、その術の名は『魔法』と名付けられた。
魔法によって繁栄したその星は、その一方で、扱う魔法の種類による差別化が進んでしまった。
やがて、世界は炎を扱う民と水を扱う民に分かれたことによって、大きな戦争が生じた。争いが絶えることはなく、ジェムジアスは戦火に包まれた。
そんな争乱の時代に、ロード・クロサイトという人物は炎の民として生まれ落ちた。
この時代には珍しい、争いとは無縁の農村で、彼は健やかに育てられた。世界が醜く燃え上がっていることなど知りもせず、平穏に暮らせると信じ切っていた。
しかし、ロードが十六の歳を迎えた時、農村は水の底に沈んだ。
彼の農村の近くで水の民による、地形を変えるほどの大規模な作戦が行われていた。その余波のようなものであったが、彼を絶望させるには十分だった。
たまたま一人だけ高台に用事があったため、ロードは巻き込まれることはなかった。が、代わりに命以外のものを全て失った。
生きる気力すら失った彼は、当てもなく放浪した。
空腹に飢え、水を欲した。自力で調達することはできたが、ほとんど喉を通らなかった。数日ほど、ひたすらに歩いた彼は、導かれるように戦地へと足を踏み入れた。
初めて目にする、実戦的な魔法の数々。炎槍が敵軍の兵を貫き、火柱が水の魔法を蒸気に変え、火球が大地を焦がした。
さらに彼の眼に焼きついたのが、魔法の打ち合いを掻い潜り、銀色の甲冑と黒い外套を羽織った男達が激突する場景だった。叫びながら相手を斬りつけ、あるいは斬りつけられ、赤い飛沫を撒き散らしていた。
彼は取りつかれてしまった。そこに生まれる、新鮮な『死』を求めた。
今にも倒れそうな足取りで歩み進めていると、頬に衝撃が走った。ロードは力なく倒れ、首だけを動かして周りを見た。
一人の少女がロードを見下ろしていた。
鮮血よりも赤く、美しい髪は腰ほどまで伸びている。黒を基調としたドレスが、赤い髪を際立たせていた。凛々しく大人びた顔立ちをしているが、身長の低さゆえか、幼い印象を受けた。
「貴様、死のうとしたな?」
強くて、透明感のある声だった。胸の奥にまで響くような声色に、ロードは一種の感動を覚えた。
「……はい」
「それほどまでに、死を望むか」
ロードは答えられなかった。
たしかに望んでいた。だが今は、その気持ちが揺らいでいる。少女を見つめるだけで、口を開けずにいた。
少女はため息をついた。
「兵でもない貴様が何を望もうと、それは貴様の勝手だ。民を縛るようなことは、私にはできん。死を所望するのが貴様の意志であるというのならば……、好きにするがよい」
そして、背を向けた。幼い背中だ。なのに、気圧されてしまうほどの威圧を発散させている。
「ただ――、私には民を守るという宿命がある。嘆かわしいことに、民である貴様の願いを聞き入れることはできぬのだ」
それだけを言ってから、彼女は駆け出した。ロードは必死にその姿を目で追った。炎の色に染まった剣を一振り。それだけで数十人という銀色の兵が宙に投げ出される。幼き姿に、圧倒的な力を秘めていたのだ。
少女の姿は戦場に似つかわしくなかった。だが、それゆえに何よりも美しく見えた。
流麗で律動的に動く彼女を眺め続けた。気付いた頃には戦闘は終わっており、ロードは兵士たちに助けられていた。
ロードを釘付けにした少女が、噂に聞く魔王、炎の民を束ねる者、通称『炎の獅子姫』であると知ったのは、この後のことだった。
それからしばらくして、彼は軍に入ることを望んだ。獅子姫が戦場で舞う姿をもう一度見たいと願ったからかもしれないし、命を救われたことへの恩返しかもしれない。明確な理由は答えられなかった。が、いずれにしても、彼女に心を奪われたのは間違いなかった。
さらに数年の時が流れた。
ロードは、たった一つの才能を武器に、もっとも信の置ける将にまで上りつめた。