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5話

「ちょっと買い物行ってきてほしいんだけど」


休日の昼過ぎにリビングのソファでダラダラとスマホをいじっているところ母さんが台所から頼んできた。


「んーいいよー。けど父さんがちょうど出かけてるし帰りに買ってきてもらうってほうが効率よくない?」


「私もそう思ったんだけど帰ってくるの夕方過ぎって言ってたから夕食が遅くなっちゃう」


「それは仕方ない」


「それじゃあこれお願いね」


そう言って5千円札と買い物のメモを手渡してきた。メモにはカレールー、玉ねぎ、人参と書かれていた。


「カレーの一番大事なところ抜けてるね」


「そうなの。焼いて茹でた豚肉になっちゃうところだった」


どこか抜けているところがある母さんに苦笑しつつ好きなお菓子など常識的な範囲で買ってきていいという言葉を頂けたので、自室で勉強している兄貴に声をかける。


「スーパー行くんだけど何か買ってきてほしいのある?」


「コーラかな」


「コーラね、了解」


「ありがとう、助かる」


「大学受験を控えてる兄貴のサポートをするのは弟の仕事なんで」


俺がそう言うとよくできた弟だと気持ちのいい返答をもらえたのでその足でスーパーに向かった。

自転車で行こうか迷ったが歩いて10分ほどだし、先日買い物袋を前籠に入れていたところ走行中の振動で買ったものを落とすという珍事があったのでやめておいた。向かい風が強くて歩くよりも疲れそうだし。


店に着いたのでカートにかごを載せてメモに目を落とし目的のものを入れていく。あっそうだったと一人呟き、頼まれていたコーラも忘れずに。もちろん自分が好きな小さなペットボトルのココアも二本入れた。

あとは会計だけだなと思い、出来るだけ人が多くないレジを選び列に並んだ。




俺が店から出ると怒りながら説教しているおばさんが目に入った。


「あなたがイタズラしていないって保証はどこにもないじゃない?どこか壊れてたらどうするつもり?」


よくわからないけど止めたほうがいいかなと思いながら近づくと、怒っているおばさんとは対照的に泣きそうな表情になっている女の子が目に入り、俺は息が止まった。

怒られていたのはハルだった。


「ちょ、ちょっとストップ!」


触らぬ神に祟りなしの精神で通り過ぎていく人が多くいた中で、いきなり横槍が入ったのでおばさんは矢継ぎ早に喋っていたのをやめた。当然ハルもこちらを見て驚いた表情をしている。


「あの、この子と知り合いなんですけど何かあったんですか?」


「買い物終わって店を出たらこの子が私の自転車にいたずらをしていたのよ」


「いたずらですか?」


「ええ!」


「何をされたんですか?」


「それは!ええっと!」 


イタズラをされたと断言するものの具体的なことを聞くと口ごもるおばさんを見て、俺は何か勘違いでもあったのかなと思った。


「この子と仲良いですけどイタズラとかするようなタイプじゃないんで思い違いじゃないですか?」


「私が難癖つけてるってこと!?」


「いえいえそうじゃなくて。例えば今日は風が強いから自転車が倒れやすいじゃないですか。それを直していたところをたまたま誤解しちゃったとか…」


「そんなこと――」


おばさんは急に黙って何かを考え始めたかと思うと俺からハルの方へと向き直り、そうなの?と聞いた。


「は、はい。そうです」


「なんだ勘違いだったの。ごめんなさいね、頭ごなしに怒っちゃって」


先程まで怒っていたのが嘘だったかのようにおばさんはケロッとなりそのまま帰っていって、俺はその後ろ姿を唖然としたまま見送った。


「大丈夫?」


「あ、ありがとう」


そう返すハルの目からは涙が流れた。泣いている女子をどう扱ったらいいのかなんて当然わからなかったが、この場にいると色々な人の目を引いて不味いと思ったのでハルの手を引いて店の裏側に位置する公園に移動した。


「はいこれ。飲んだら落ち着くと思うけど」


先程買ったばかりのココアを開栓してハルに手渡す。自分へのご褒美用だったけど、まあしょうがない。二本あるしね。

ありがとうと小さく返事したハルは両手で包み込むようにして缶を持って少しだけ飲んだ。


なけなしのココアのおかげか落ち着いたようでポツリと話し始めた。


「椿君がいてくれてよかった…」


「まあ、あのおばさん強烈だったよね」


「椿君が言ってた通りね、突風で目の前の自転車が倒れて。何となく無視できないなって思って直したらタイミング悪くおばさんが帰ってきて、あとはあの感じでこっちの言い分も聞いてくれないまま言葉をぶつけられて何も考えられなくなっちゃってさ…」


「嫌だなぁ、何でこんなことになったんだろうって思って泣きそうになってたら椿君が声を掛けてくれて。私の言葉なんて聞いてくれなかったけど椿君の言葉はちゃんと届いて、やっぱりすごいなぁって」


「…すごいし偉いのはハルのほうだよ」


俺がそう言うとハルは黙ったまま、こちらを見てくる。不意に目があったので俺は慌てて言葉を繋げる。


「俺ならそもそも自転車が倒れてたとしても直さなかったと思う、いや思うじゃなくて間違いなく直さなかった。でもハルはそうじゃなかった。たぶん自転車の持ち主が困ると思って直したのかな?どう考えたのかはわからないけど、とにかく自転車をあるべき状態にした。それは優しくて思いやる心を持ってないと出来ないことだと俺は思う」


「…うん」


俺の言葉を聞いてハルはまた目に涙を貯める。


「だからハルは誇るべきだと思う、自分の心の綺麗さを、強さを」


言い終わって俺は途端に恥ずかしくなってきた。どの口が偉そうに講釈を垂れてるのだと。


「ありがとう」


おそらくそう言ったと思うがわからなかった。嗚咽まじりに何とか声を出そうとする彼女の声はあまりにか細かったから。

俺は泣いている彼女の頭を落ち着くまで撫でることしかできなかった。





運命を信じますかと聞かれたとしたら、今の私は迷いなく信じますと答える。確信を持って言える。


椿君と初めて会ったのは高校の入試のときだった。

試験を受ける席について鞄を開いて筆記用具を忘れたことに気がついたとき、私は人の視界は本当に真っ暗になるということを知った。

何かの間違いだと繰り返し鞄の中を確認していると隣に座っていた彼が筆記用具を忘れたの?と優しく声をかけてくれた。いや少しぶっきらぼうだったかな。

急なことで返事ができなかった私はとにかく肯定しないとと思い、小さく何度も頷いた。すると彼は鞄の中から筆箱を取り出し筆記用具をまとめて貸してくれた。


「なんか昨日兄貴が渡してきたんだよね、俺が受かった時のやつだから縁起がいいとかなんとかって。でも一式自分用の鉛筆とかあるしお守り代わりに持ってきたんだけど。役立ってよかった」


私は人と初対面だと上手く話せない、そのことをその時ほど恨んだことはない。ありがとうも碌に言えずにいた私に、とりええずお互い頑張ろうと彼はまた声をかけてくれた。

入試の問題を解きながら私はずっと祈っていた。


『神様、どうかこの人だけでも受からせてください』


その願いが通じたのかはわからないけど入学式の日、私の隣には彼が座っていて嘘がバレたときみたいに心が大きく動いた。思えば彼を気になり始めたのはこのときからだったのかな。

だけど内気な私はまた声をかけることができず、高校合格を期に長かった髪を切って変わったのは見た目だけで中身は弱いままの自分だった。


茶道部に入部して仲良くなった同じクラスの紗季ちゃんが彼と幼馴染と聞いて、これをキッカケにしようと思った。

一緒にお昼を食べてもらうように言ってもらって初めてまともに話すことができ、また一緒に食べてほしいということを伝えられたときは自分でも成長できたと感じた。

内弁慶な私はある程度仲良くなったら普通に話すことができるので、そこからは学校生活も滞りなく送ることができた。

順調にも思えた矢先の今日の出来事だったから本当に辛く感じ、おばさんに弁明もできないまま泣き出しそうなところに彼が現れた。


家もそれなりに近いし客観的に見たら偶然の範囲なのかもしれない。だけど私が本当に困っている場面で手を差し伸べてくれる彼に私は運命を感じた。


――好き。


強くそう思った。

私は今日という日を忘れない。

私の弱い心を強いと言ってくれたことを。

泣いている私を慰めるために頭を優しく撫でてくれている彼の手のぬくもりを。


でも椿君はたぶんわかっていないと思う。今泣いているのは悲しいからじゃなくて、あなたから私が本当に欲しかった言葉をもらえて嬉しいからだということを。



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