図書室にて
放課後の図書室には片手で数えられるほどの人しかいない。静まり返った部屋の中では本のページをめくる音以外は、誰かの健やかな寝息が聞こえる程度だ。カウンターに座っている図書委員の牧野陽介は携帯を開いて現在の時刻を確認する。もうすぐ閉館にしなければいけない時間だ。ポケットに入れた図書室の鍵を確認してから、陽介は部屋の中を見回した。
すぐ目につくところにいるのは同級生の向坂和美だ。彼女は陽介が立ち上がったのを見て帰り支度を始める。真面目な彼女はいつも放課後はここで数時間勉強していくのだ。陽介はそれを確認してから、カウンターを出て図書室の奥のほうへと向かった。
一番日の当たる席でやつは眠っていた。こちらも同級生であり、陽介にとっては従兄弟の岩原卓也である。彼はいつもここで午睡を楽しんでいる。部活にも入っていないんだから早く家に帰ればいいのに、何故かいつもここで眠っている。わけがわからない。陽介はそんな事を思いながらいつも通りに健やかに眠っている卓也の脳天に軽いチョップをぶち込んだ。
「ふがっ、もう、閉館か?」
チョップに反応して慌てて顔を上げる卓也に陽介は冷たく告げる。
「そう、もう閉館。とっとと起きろよ」
それから、カウンターに戻ると帰り支度を終えた和美が出口に向かいながら小さく告げた。
「さよなら、牧野君」
「あぁ、さよなら」
いつもの文句を口にするときびきびと和美は部屋を出て行こうとする。それを視線で陽介が追うはずもなく、自分も帰り支度を始めた。いつもはここで卓也が陽介に一緒に帰ろうというのだ。しかし、今日は何故かいつもと違う展開になった。早足で奥から出てきた卓也は和美を呼び止める。
「あの、向坂さん」
呼ばれてゆっくりと和美が卓也を振り返った。卓也の顔は少しだけ赤くなっているように陽介には見えた。和美は不思議そうに卓也を見る。それもそうだろう。一緒に図書室にいる時間は長いし、同級生であるとはいえ、彼らが会話をしたところを陽介は一度も見た事がない。呼び止めた卓也がいっこうに話し出さないので、和美は少し眉をひそめた。
「岩原君、用事がないなら、電車の時間があるから行ってもいい?」
凛とした声でつげ、彼女は卓也の様子を窺う。卓也のほうはその声に慌てて口を開いた。
「いや、あの、さ、」
しかし、明確な言葉は彼の口から出てこない。和美がそれに焦れたのか、小さくため息をつく。
「ごめんなさい、本当に電車の時間が危ないからもう行くわ」
冷たくも聞こえる声色で彼女は言い捨てる。その声に慌てて卓也が叫んだ。
「よ、良かったら、い、一緒に帰らない?」
いわれた言葉に少しだけ彼女は驚いたようだった。ゆっくりと瞬きをして、不思議なものをみるように卓也をまじまじと見る。
「……確か、私と岩原君は帰る方向は逆じゃないの?」
確かに、と陽介は思う。校門を出てしまえば和美は駅に向かうために左へ、卓也は家に帰るために右へ向かう。家が正反対の場所にあるのだ。そうなるのは仕方がないことだ。彼女の言葉で卓也はそのことに気がついたのか、羞恥に顔を真っ赤に染めた。だが、珍しい事に彼は引き下がらなかった。
「じゃ、じゃあ、校門まで一緒に行っても……?」
ちらりと時計を見ながら素早く彼女は答える。
「うん。じゃあ、帰ろう。さよなら、牧野君」
もう一度、そういって彼女は早足で図書室を出て行った。その後に卓也が続く。陽介はそれを見送ってから、部屋の中をもう一度見回した。この部屋にはもう自分以外誰もいない。その事を確認すると、小さく陽介は笑った。
「なんだ。そのためにいつもここにいたのかよ」
早く言えよな、と続けてから陽介は帰り支度を終えて学生鞄を肩にかける。そして、鍵を手の中で弄びながら部屋を出た。がちゃりと施錠される音がして、遠ざかっていく足音がする。それで、図書室はやっといつもの静けさを取り戻し、やっと発展したもどがしい恋の行方を想像しながら沈黙した。